「退屈しのぎには、ちょうどいい」

相変わらずの霧の中畑仕事も終えて風呂に入り、夕飯まで一息つくことにした。
夕飯を作るまでも時間がある。少し小腹が空いたのでワインを片手につまみを用意しようと考えながらダイニングに向かう。いつもより早めの休憩時間だ、夕方前のお酒も悪くない。ダイニングに訪れたが、目当ての彼女が見当たらない。彼女の領域であるキッチンに勝手に入ってものを貰うのは違う気がして探していたが見つからない。ついでにゴースト娘も。あやつは寝ているかもしれない。未だ片手にワインボトルとワイングラスを持ちながら彼女を探していれば、どこからか音が聞こえる。近寄ってみれば扉が開いてて覗く。
ピアノを綺麗に奏でる彼女。その隣のソファで膝を抱え込むようにして目を閉じてるゴースト娘。寝ているのかわからないが穏やかな顔をしている。彼女は優しく柔らかそうな、でもどこか諦めて淋しさの表情を浮かべながら弾いている。
戦場のメリークリスマスとは、また質の良いものを弾いている。音楽のことはよくわかないが綺麗に弾く。多分曲が終わり手をポロンと鍵盤から離す。チラリとゴースト娘を見る、ゴースト娘も彼女を見て、それを彼女は笑って受け取りまた同じ曲を弾く。おねだりか。
綺麗な音を奏でる、静かに覇気を気配を消して部屋に入る。こんなところにピアノがあったなんて知らなかった。それもいいグランドピアノ。ちゃんと調律してあるということは彼女が手入れをしていたのか。音楽室なのか、ピアノ一台の他何も見つからない。ダイニングに合わせた色味のソファがチラホラ。ゴースト娘が寝ているソファはきっとこの席から動かしたのだろう。ひと席欠けたような設置になっている。
2人から斜め前にかける。ふと、彼女が俺を見る
「あ、ミホークさん」
「上手いな」
「ふふ、見よう見まねです。昔、これだけを習っていて」
「そうか」
「好きなんです、この曲。その題名に相応しく、雪のように消えて曇天が世界を隠すような孤独。それを柔らかく抱擁するような旋律」
「お主らしい感想だ」
「ありがとう、ございます」
「俺もここで聞いていても?」
「もちろんです。私の演奏でよければ」
彼女の柔らかい微笑みに頷く。ゴースト娘は俺たちの会話を終わるのを待って、最初から流せとわがままをこぼす。彼女は笑って、降ろした手のひらを鍵盤に向かい指先をセット。ひと呼吸だ。ふっと空気が変わる。
弾かれる演奏は外の霧が広がる景色も相まって曲だけが取り残されたような気がした。なぜこの曲だけを学んだのか、俺にはわからない。彼女の言葉にはたまにわからない単語があったり、俺の単語が全く通じない時がある。世間知らずではなく、それ自体を知らないからしょうがない。
いきなり来たこの世界に取り残された彼女。拾った先が俺で良かったな。俺も彼女の整える手順を好んでる。彼女に帰り方や帰りたいかを聞いたことはある。帰りという単語まで口の中で空気として作っては閉じて出さない。たいという単語は空気にすらしない。もしかすると、帰れないという単語なのかもしれない。諦めたような寂しい顔をするから聞くのをやめたのだ。きっと、彼女は何かを知っているのかもしれない。それをわざわざ俺に伝えて泣きつかないということは、諦めと同時に俺のそばが安心するということだろう。現に彼女はいつかそう言っていたし、雰囲気で感じ取れる。
曲を弾き終わる。指が鍵盤から離れる。背筋は崩さない。頭の先まで伸びてそのまま目を優しく閉じる。ひと呼吸だ。
「いい演奏だ」
「ありがとうございます。あぁ、つまみですよね。用意します」
「いや、いい。お主の演奏がいいつまみだ」
「上手くもないですよ」
「そんなことはない。お主の表情、身体の使い方、感情の表し方、一つとっても気に入るものがある」
「光栄です」
「音楽は詳しくない。だが、お主の演奏をまた聴きたいと思う」
「いつでもです。そろそろ夕飯ですか?」
「ああ、そうか。そんな時間か。まだ後でもいいぞ」
「いえ、準備してきます。ペローナちゃんも寝ちゃったし」
席をたちゆっくりと鍵盤の蓋を置く。漆黒のピアノには光がかろうじて反射している。ゴースト娘にブランケットをかけて扉に近寄るついでに俺の元に来る。
「ご希望はありますか?」
「ない。任せる」
「では、なにか温まるものを」
そう言って外に出ていく。ワインを一口飲んでため息をひとつ。背にもたれて窓の外を見る。
退屈しのぎには、ちょうどいい時間だった。