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午後から牛の乳搾り体験をしながらも、羊の毛刈り体験じゃなくて良かったと心の底から思った。お昼のショッキングな真実を知ってからあのつぶらな瞳を正面から見られる自信が無い。
牛はまだ大丈夫。だって普段から食べてるし、お肉以外にも牛乳という逃げ道だってある。でも羊は駄目。普段から食べ慣れていない、私にとっては愛玩動物に等しい存在を…私は…。

「でも美味しかったんでしょ」
「とっても美味しかった…」
「現金ワロタ」

そんなまきやんは、お肉をこれでもかというくらい頬張った後にアイスまで食べていたから怖い。どこに入るの?と慄くほどの量を平らげていたはずなのだ。なのに具合が悪くならないのが本当に不思議。
そしてまきやんの底無し胃袋に慄きつつ挑んだ、午後からの牛の乳搾り体験。大変有意義な時間だった。職員さんがすると、簡単に勢いよくお乳が綺麗に出てくるというのに、私たちがしても勢いは無いしそもそも出ない。

『あ、出せた』
『なんで半田くん』
『調子乗んなよ半田』
『空気読め半田』
『俺フルボッコ!!!』

何故か普通に出せたのは半田くんくらいで、他のみんなも微妙な出方。職員さんにも褒められていた半田くんはすごかったのか…。いや、サッカーでもMr.器用貧乏の名を欲しいままにする半田くんだから、きっと大抵のことは人並みに出来るスペックなんだろうけど、なんか悔しい…!!
でもその後、牧場で殺菌まで済ませた牛乳を飲ませてもらった。いつもスーパーなんかで買うものよりも新鮮でとても美味しかったから大満足。半田くんのことも水に流せそうで何よりです。

「楽しかったね、牧場。さすが北海道だなぁって感じがする」
「そうだな」

その日は牧場体験で終わりのため、バスは宿泊先のホテルへと向かう。守なんてはしゃぎ過ぎたせいか、もう既にうたた寝してるし、他のみんなも大半が夢の中。そういう私も疲れてはいたのだが眠たいというほどではなく、小声で豪炎寺くんと今日の名残を惜しんでいた。

「…豪炎寺くん、もしかして眠い?」
「…悪い、少しな」
「ごめん、寝てて良いよ。着いたら起こすし」

ふと豪炎寺くんからの返事が鈍くなってきたな、と不思議に思って顔を覗き込めば、どこかぽわぽわと眠たげにしている様子の彼がそこにいた。朝の私とは真逆なその様子に、思わず笑みがこぼれる。たしかに今日は移動に移動を重ねていたし、疲れていたって無理はないだろう。
なのでそう声をかければ、豪炎寺くんもさすがに遠慮できるほど我慢が効かなかったのか、五分もたたないうちに夢の中へ。

「…えぇ、みんな寝てるのか…」

後ろの席のみんなもやけに静かだな、と振り返って様子を伺えば、みんな穏やかな寝息を立てて眠りについている。もしかして班の中で一番元気なのは私だったりするのか。
のっちと半田くんなんて、何ともまぁ仲良さげにお互いの肩と頭を枕にして眠っていらっしゃる。あの二人は割と気が合うのか、休み時間も話している姿が見られるし、もしかしてもしかするのかもしれないね。
今夜聞いてみよう、と心に決めて外を見る。高速を走り続けていたバスは、そろそろ高速を降りるらしい。出口へ向けて進んでいくバスは、やけに急カーブな道へと入っていった。…そこで、事件が起きた。

「ひょえ」

ぽすり、という衣擦れの音と共に、肩へ軽やかな重みがかかった。…か、肩に豪炎寺くんの頭が乗っている。恐らくバスの振動でこちらへ倒れ込んでしまったのだろうが、普通にびっくりした。心臓が止まるかと思った。僅かに顔を傾けて豪炎寺くんに視線を向けると、何とも穏やかな顔で寝息を立てながら眠っていらっしゃる。いつものキリリとした雰囲気もなりを潜めて、どこか子供に見えて可愛く思えてしまった。

「…ん」

けれどこの体勢はそこそこ心臓に悪いため、何度も肩を借りておきながら恩知らずだけど、何とか元の位置に起き上がらせることが出来ないか試行錯誤していれば、微かな吐息がすぐ耳元で聞こえて思わず体が硬直する。身をよじった際に頬を掠めた豪炎寺くんの髪が擽ったかった。
…駄目だ、これは、動けない。下手に動いたら目を覚まされて気まずいことになってしまう。

「あ、危なッ…!?」

するとそんな葛藤の最中で、バスが石が段差でも踏んだのか突然大きく身を揺らした。その衝撃のせいか、やけに寝心地良さそうに肩の上へちょうど収まっていた豪炎寺くんの頭が肩からずれて落ちそうになった。
…それを見て、頭でも打ったら大変だと背筋が冷えて、思わず身を乗り出して豪炎寺くんの倒れかけた身体を支えようとする。
しかし何故か豪炎寺くんの肩を押さえるはずだった私の手は目測を見誤り、体勢は真正面から豪炎寺くんの体を受け止めることになった。…つまり、分かりやすく言うと、私たちは抱きしめ合ってるようなと、言いますか。

「…しんぞうにわるい」

…豪炎寺くんとハグしたことなんて何回もあるのに、どうしてこんなに恥ずかしがってるんだろうか。フットボールフロンティアの決勝戦の後も、沖縄でもハグしたんだぞ。守とハグしたって嬉しくはなってもこんな気恥ずかしい思いはしないのに、いったいどうしたんだ。

「…はぁ」

周りのみんなが寝てて良かったと心底思う。私は細心の注意を払いつつ、豪炎寺くんの身体を起こして元通りの位置に戻した。何も無かった。そう、今この時間は何事も無かったんだよ。良いね?





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