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「次の電車、三十分後に来るって」
「あぁ、じゃあ先生にはそう伝えておく」

うーん、とんだハプニングが起こってしまった。まさか電車から転げ落ちる羽目になるとは。一応みんなにもメールを打って私たちが無事なことを報告しておいたけど、多分心配かけてるんだろうなぁ。風丸くんも、私を助けるために放り出されちゃったようなものだし、巻き込んでしまって申し訳無さ過ぎる。

「気にするなよ、薫」
「風丸くん…」
「俺がしたくてしたことだ。お前のせいじゃない」

あっちに座ろうぜ、と笑って指差した先にあったベンチに二人並んで腰掛ける。途中で買ったらしい小さな温かいお茶をくれたので、お礼を言いつつ暖を取った。駅のホームは風が吹き込みやすいから寒くて仕方ない。
しばらく二人で他愛無い話を続ける。内容は主に今日の自主研修の話だった。その途中でふと、風丸くんが何かを思い出したかのように鞄のチャックを開ける。

「そういえば、こんなものを見つけたんだ。お前、こういうの好きだったよな」
「可愛い…!」

キタキツネのキーホルダー。たしか北海道では野生のキタキツネが見られるんだっけ。ここは都会だし、見るなら自然の多い方へ行かないといけないから少し残念だったのだけれど。
可愛らしいデフォルメのキタキツネに歓喜していれば、風丸くんもそんな私を見て笑っている。

「…風丸くんって、本当に私のこと分かってるよね」
「今さらか?何年一緒に居ると思ってるんだ」
「八年か九年…?」

まるでもう私と守のお兄ちゃんみたいだね、と笑えば風丸くんは軽く目を見張ってから優しく顔を緩めた。だってそうじゃないだろうか。昔はまだ私が前に立って二人をいじめっ子から守っていたような気がするけれど、いつのまにかこんなに頼もしくなってしまった。
その後、三年生になってから私がしののんと同じクラスになって。四人でも遊ぶようになってからは、さらに一段と賑やかになった。

「東雲か…懐かしいな、昔上級生に絡まれたのをコテンパンにしてたよな、あいつ」
「しののんは喧嘩強いから。お兄ちゃんの貴久くんに護身術とか教わってたんだって」

しののんのお兄ちゃんである東雲貴久くんは、稲妻町の中でも有名な不良だった人だ。と言っても、何かしら迷惑をかける訳でもなく、少しガラの悪い未成年たちが何かしらの犯罪に手を染めないように統率するような、そんな心根が優しい人だった。喧嘩はするけど。
今は確か、料理人になる夢を志して専門学校に入るための勉強をしていたはず。貴久くんの料理は美味しいから、きっと良い料理人になると思う。

「私も少し教えてもらってたもん、護身術」
「…お前が一時期馬鹿みたいに強かったのはそのせいか!」

貴久くんはシスコンだ。しののんを目に入れても痛くないと豪語するほどに溺愛している。そして、その友達である私のことも何かと目にかけてくれるため、私も日頃からお世話になっていた。
私にとっては喧嘩と料理の師匠でもある。教え方も上手で面倒見の良い貴久くんに教えてもらうのは楽しかった。

「…まだ、お前のことで俺の知らないことがあったとはな…」
「えぇ…でもさ、それでも根本的に変わらないものがあるんだから、少しくらい知らないことがあったって良いんじゃない?」
「…変わらないもの?」

うん、そうだよ風丸くん。私だって、風丸くんの全部を知ってるわけじゃない。そのせいで君が分からなくなって、不安になることもあった。でも、それでも私のこの気持ちだけはいつまでたっても変わることはないと、私は断言することができるから。


「私にとって風丸くんは、ずっと、大事な人であることに変わりはないよ」


これまでずっと一緒に並んで歩いてきた。けれどこれから先は、歩く速さも歩幅も一緒なわけじゃない。きっと私はいつか置いていかれるし、その逆だってあるのだろう。
それでも、私が苦しくなって顔を上げれば、そこには心配そうな顔で振り返ってくれる君がいて。
私だって、君が追いついてくるまで何度でも手を伸ばすだろう。
すれ違っても、喧嘩しても、離れ離れになってもそれは変わらない。

「だって、幼馴染だもん」

私にとって、これから先ずっと変わらないであろうその答えを返す。それを聞いた風丸くんは、微かに目を見開いたかと思えば、次の瞬間に声を上げて笑い出した。周りの人がギョッとした顔でこちらを見る。ちょっと、注目されちゃってるよ。

「…薫」
「ん、どうしたの」
「俺のこと、好きか?」

やがて落ち着いたように息を整えた風丸くんは、何故か優しく微笑んだまま私にそう尋ねた。その柔らかな顔に首を傾げつつも、とっくに答えの決まりきってしまっているその問いかけへ、私は心からの笑みで返事を返す。

「うん、大好き!」

そう言えば風丸くんは嬉しそうに笑って「俺もだ」と私の頭を撫でた。


「俺もお前のことが、昔からずっと好きだ」


…その顔が少しだけ泣きそうに、けれど満ち足りたように見えたのは、果たして私の気のせいだったのだろうか。





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