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「幼馴染」という都合の良い言葉を免罪符にして、あいつの一番の理解者であり続けることが喜びから地獄に変わってしまったのはいつからだっただろう。
誰よりも一番に兄である円堂を想い、他者にも等しく優しい薫にとって自分は二番目であれどまた特別な存在だと。そう自惚れていた自分にとって、その特別が「家族」という何とも生温いカテゴリーにあることを理解してしまうことは、何よりも苦痛で仕方が無かった。

『中学に上がったら、もうその呼び方をしないでくれよ』
『……うん、わかった』

可愛らしい呼び方を改めれば男として意識してくれるんじゃないか、だなんて考えた愚かな俺の捻り出した必死の策でさえ、結果はただいたずらにあいつの心を傷つけただけ。
それでもまだ良かった。中学に上がっても、あいつは円堂以外を見ない。俺を幼馴染だと特別に大事にしてくれる。頼ってくれる。…どうして俺はそれが、いつまでも永遠に続くだなんて思っていたんだろうな。

『豪炎寺くん、今日すごかったね!』

あいつの世界は、少しずつ変わりだして、揺らぎだした。何よりも一番だったはずの円堂のことでさえ、考えさせられるものがあったらしく、前ほど過保護に世話を焼こうとしなくなった。
俺の居場所だったはずのその隣にはいつしか、愛おしそうな顔であいつを見つめる豪炎寺が立っていて、鈍いお前はそれに気がつかないまま笑っている。
焦った。
苦しかった。
悲しかった。
けれど、まだ耐えられた。まだ今はそれでも、薫にとっての理解者は自分だと、誰にも負けないほどあいつを理解し助けられるのは自分だけだという自信があったから。…でも。

『…それは、どういうことだよ円堂』

エイリア学園との戦いで負傷した薫が病院から姿を消したと聞いたとき、感じたのは恐ろしいまでの後悔と自分への憎しみだった。…守れなかったから、あいつは姿を消した。俺が弱く、あいつ一人さえ満足に守れるどころか宇宙人たちに歯が立たないせいで、あいつは姿を消した。それが酷く、俺を追い詰めて。

「…薫」
「ん、どうしたの」
「俺のこと、好きか?」

薫の返す答えを知っていながら、俺はこんなずるい逃げの質問しか出来ない。目の前にある線を踏み越える覚悟が無いから。
…そしてきっと、この関係性を崩して壊してしまうことを、お前は望まないと理解してしまったから。

「うん、大好き!」

曇りの無い笑顔で、お前は俺の恋に刃を立てる。その好意が永遠に俺のものと重なることはないと俺は知っていて、お前は俺の情け無い恋を知らないままこの先他の人間を好きになるのだろう。
それは、とても寂しくて虚しくて。
ハッピーエンドなんかには到底なり得なかった、とんだ悲劇のような気がしたけれど。


「俺もお前のことが、昔からずっと好きだ」


ずっと好きだったんだよ。
幼稚園の時、まだ今より随分気の弱かった俺の手を引いてくれていた、誰よりも喧嘩っ早くて頼もしい女の子に俺は恋をしてたんだ。
虐められていたら怒りながら駆け寄ってくれて、円堂ばかりを優先させて俺が一人端っこでぶすくれていた時も「甘えん坊だね」と笑って迎えに来てくれた。
お前が円堂以外の一番を作らないことに、俺はきっと安堵していた。このままなら、この居心地の良い生温い世界の中でずっと隣に居られると思ってたんだ。
でも、そうじゃなかった。俺がお前に頼られる男でありたいと願って変わろうと足掻いたように、お前だっていつしか少しずつ世界を広げて変わって行った。

『追いつかなきゃ、置いていかれちゃう。ずっと一緒だったのに、私は、守に頼られることも無くなっちゃった』

きっとあの時、寂しいと泣いていた時からお前は何か変わろうとしていた。俺はそれに気がついていて、変わってしまえば置いて行かれるのは俺の方だと理解していたくせに、何も知らない振りで背中を押したんだ。
俺は臆病だ。幼馴染の殻を破る覚悟も、この生温い世界を終わらせる勇気も無いくせに、一丁前に分かったような口で理解者気取るただの臆病者だった。

『次、勝手に居なくなったら絶対許さない。一生絶交してやるんだから』

この弱い自分に力さえあれば、と手に取ったエイリア石でさえ俺の弱さを知らしめるだけのものでしか無かった。
強くなれば、薫の言う強くて頼もしい人間として胸を張れるんじゃないかだなんて思っていたくせに。…結局はそんなもの、ただ悪戯にお前を傷つけて泣かせただけの、滑稽すぎる思い込みに過ぎなかったのだけれど。
…そしてそんな今も、俺はただの臆病者でしかなかったから、人一倍鈍いお前にこんな言い方でしか思いを伝えられない。

「だって大事な幼馴染で、家族みたいなものでしょ。そりゃ大好きだよ」

…ほら、お前はきっと、そう答えると思ってた。あまりにも予想通り過ぎて、ある意味俺が一番の理解者であるというのも間違いでは無いものだ、なんて皮肉にも思ってしまう。

「…あぁ、そうだな。幼馴染だもんな」

お前はそれで良いよ、薫。お前はお前らしく、昔からずっと変わらない幼馴染の顔で俺の初恋を殺してくれ。
錆びつかせた想いを捨てることも、お前に差し出すことさえ出来なかった臆病者の終わりはこれが相応しい。むしろ、あまりにも綺麗過ぎて恐ろしいほどに、この終わりはきっと穏やかな幸福で満ちていた。

「いったい急にどうしたの」
「いや…改めて言っておこうと思ってさ」
「…変な風丸くん」
「変で良いさ」

好きだったよ、薫。初めて好きになれた女の子がお前で良かった。
明日からはきっと、今度こそお前の一番の理解者として胸を張れるような幼馴染になってみせるから。

「…ほら、電車が来た。早く乗るぞ」
「みんな心配してるかな…」
「あぁ、ちゃんと謝ろうな」
「風丸くんも謝るんだよ」

脇腹を突かれながら歩く、この細やかな幸せを俺は甘んじて享受する。俺が「幼馴染」である限り、この時間はずっと永遠に存在するのだろう。…だったら、それで良いじゃないか。
この先お前が誰かを好きになって、愛していくとして。円堂が永遠にお前の兄であるという事実が変わらないように、俺が幼馴染だという事実も変わらないのだから。

「あ、そういえば言うの忘れてた」
「…?何がだ?」
「あのとき、手を伸ばしてくれてありがとう、風丸くん」

だから俺は、こちらに手を振って笑う薫に、心からの笑みを浮かべて返事を返す。あの時伸ばした手をお前が掴んでくれたことも、俺にとっては救いだったんだと、きっとお前は知らないのだろうけど。


「…どういたしまして」


初恋は実らないなんて、そんな悲しみに痛むことがあっても、その終わりがこんなに優しいのならそれは紛れもなく幸福のように思えた。
そして失った恋の傷の痛みがいつか、愛というかさぶたに覆われて鈍くなってしまう日が来たそのときは。
お前に言えなかった今日の言葉を過去にして、思い出のように語れたならきっと、この恋は本当の意味で報われるんだろうな。





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