119



修学旅行から一ヶ月が経って、想像していたよりも日常は緩やかに過ぎていった。サッカー部は相変わらず校内のヒーローだったし、中間テストは油断していた何人かが見事に赤点を取っていたし(守も取っていた)、私は相変わらず豪炎寺くんと友達を続けていた。
友達面というものは、思っていたより意外と簡単なものだった。一歩だけ、距離を開けてしまえばいい。踏み越えてはいけない線を自分で引いて、そこに沿うようにして歩けば、自然と距離は開いていく。

「お疲れ様、豪炎寺くん」
「…あぁ、ありがとな」

今日の練習が終わり、くたくたになったみんなが部室に向かう中でさりげなく豪炎寺くんの背中に声をかける。返ってきたお礼の言葉に微笑んで、私は豪炎寺くんが何事かを言いかけて開こうとした口に気がつかないふりで踵を返した。
…あからさまには避けない。けれど、前のように近くに寄ることは止めた。豪炎寺くんの好きな子に誤解されたく無いし、豪炎寺くん自身も私が居ない方が好きな子に近づけるかもしれないから。

「薫ー!今日豪炎寺たちと特訓するんだけどさぁ!薫も来いよー!!」

みんなが部室で着替える中、一足先に早く着替えた私が部室を横切ろうとすれば、ちょうど中から出てきた守に呼び止められる。その姿がジャージなままなことから、どうやら着替えないで直接鉄塔広場か河川敷に向かうらしい。特訓メンバーは守と豪炎寺くんと鬼道くんの三人だろうか。そんなことを考えながら、ニコニコと手を振ってくる守に振り返しつつ私はその誘いに断りを返した。残念ながら、今日は用事があるのだ。

「ごめんね守、今日は響木監督に呼ばれてて」
「響木監督から?」
「何の話か聞いていないのか?」
「うん、詳しい話は店で話すって言われたから」

特訓頑張ってね、と三人に手を振り踵を返す。響木監督から呼ばれている、というのは言い訳でも何でもない本当の話だ。約束している時刻までに時間もあるわけじゃなかったし、あまり立ち話をしていられる余裕は無かった。
だから豪炎寺くんから向けられていた、やはり何か言いたげだったあの視線には気づかないフリをした。それだけの話だ。

「…ごめんね」

豪炎寺くんとはここ最近、なるべく二人きりにならないように注意している。相変わらず移動教室は一緒だけど、その辺りはなるべくしののんたちを呼ぶことにしたから二人きりにはならない。側から見て、ただの仲の良い友達同士に見えるように。それを心掛けながら、慎重に毎日を生きている。心が擦り減っていくような微かな痛みから目を背けて。
…最近、豪炎寺くんの顔が見られなくなった。今まで気がつかなかっただけで、もしも彼が好きな子を無意識にでも見つめるようなことがあるのなら、私はきっとこれから先ずっと豪炎寺くんの目を見ることが出来ない。だって私は彼が、想いの溢れた優しい瞳を誰かに向けているかもしれない可能性を考えて、それが私に向けられることは無いのだと悟り、一人静かに絶望してしまったのだから。





響木監督のお店にたどり着く。どうやら今日は早めに店を閉めてしまったらしく、暖簾は中に仕舞い込まれていたけれど私は遠慮せず中に足を踏み入れた。私を呼び出した張本人の響木監督は新聞を読んでいて、私に気がつくと乱雑に畳んで机の上に置いた。

「来たな」
「はい。…あの、私に用件って…」
「まぁ座れ、少し込み入った話になる」

響木監督が出してくれたお冷の前の椅子に腰を下ろし、ありがたく水を煽る。秋になってもまだまだ暑さが残っているため、すぐに喉が乾いてしまうのだ。監督は私が一息ついたのを見計らったように、今回の要件であるらしい話を切り出す。
まず、目の前に差し出されて見せられたのは、中学サッカー協会からの書類だった。

「…フットボールフロンティアインターナショナル…?」
「あぁ」

内容はつまり、十五歳以下の少年たちを対象としたサッカーの世界大会。世界各国の強豪たちが、各地で予選を経て集う少年サッカーの祭典。その日本代表選考委員の名前に響木監督の名前を見つけて、私は思わず驚きの声をあげた。

「えっ!?監督…えっ!?」
「雷門中を全国優勝に導いたことが大きいらしい。瞳子くんの名前も上がったらしいが、彼女は身内のことで手一杯だからと断ったそうだ」
「…瞳子監督も…」

たしかにそうだろう。何せ、瞳子監督はエイリア学園を打ち倒した雷門イレブンを導いた監督だ。名前が上がらないわけがない。けれどそこで元エイリア学園の人たちを優先しようとするところは、優しい瞳子監督らしくて素敵だと思った。
…しかし、そこでふと疑問に思うところがある。この情報はまだ非公式な段階であり、外部に漏らすのは相当不味いことだ。なのに響木監督は、どうして私にそのことを?

「…まずは言っておこう。日本代表チーム…イナズマジャパンの監督は俺じゃない」
「え!?」

…素直にびっくりした。響木監督が日本代表チームの監督をするものだと、無意識にでも思っていたから。それはそうだろう。恐らく、協会の人たちからも打診が来たはずだ。…けれど監督は断った。その理由が分からない。

「代わりにというわけではないが、俺の伝手で監督に相応しい男を探してきた。…あぁ、ちょうど来たな」

表で車の止まる音がしたかと思えば、入り口を開けて入ってきたのは無愛想な男の人だった。男の人は私をチラリと一瞥すると、まず響木監督に頭を下げる。座れ、と促された男の人は監督の隣の席に腰を下ろし、正面の私をジッと見つめた。とりあえず、自己紹介だけはしておく。

「…初めまして、雷門中サッカー部マネージャーの、円堂薫です」
「…久遠道也だ。響木さんから話は聞いたか」
「いや、それをこれからするところだった」

響木監督曰く、久遠さんは監督が直々に選んだ日本代表の監督らしい。その指導力は響木監督も舌を巻くほどのものだと言うし、その辺りは心配しなくても良いのだろう。そして響木監督はとうとう、今回私を呼び出した本当の理由について話してくれた。

「お前にはイナズマジャパンのスキルコーチとして監督補佐をしてもらいたい」
「かんとくほさ」

私みたいな女子が、十五歳以下のとはいえ日本代表のスキルコーチ…?思わず目が点になった。だいぶ話が大きいことになってきてしまっている。もちろん私にそんな大役を任せてくれるのは素直に嬉しいし、誇らしい。けれどそれと同時に不安にもなった。
そんな悶々とした葛藤を胸の内でしていれば、先ほどからずっと黙りっぱなしだった久遠さんが静かに口を開く。

「円堂、お前にとって監督補佐とはなんだ」
「…監督を補助し、チームに不備が無いようサポートすること…?」
「…なるほど、その辺りはさすがに理解していたか」

マネージャーの役割によく似ている気がしたので。いや、実際マネージャーとそう役割は変わらないのだろう。何せほんの子供だ。大人ならもっと複雑な仕事なり役割なりを任せられたのかもしれないけど。

「お前にスキルコーチとしての実力は最初から期待していない。お前の仕事は、私の出す指示に従いチームに貢献することだ」
「なるほど…」

言い方がすごく傲慢に聞こえるけれど、冷静に聞けば気遣いの塊でしかない。つまり私に出来ないことは初めから任せる気は無くて、私が力を発揮できる分野でチームを支えて欲しいということだろう。言葉が足りなさ過ぎやしないだろうか。
とりあえず頷いて肯定の意を示す。けれども私はその言葉に付け足すようにして質問する。

「もしも監督の指示に疑問を持ってしまった場合、最低限の説明を聞いても良いですか?」
「…理由を聞こう」
「単純に補佐として、何も聞かされないまま信頼しろと言われても無理です」

練習や作戦の意図を大まかにでも理解していなければ、私も動くことは出来ない。それどころか、それが理不尽なら不信感さえ抱くこともあるだろう。そんなことになれば、チームは駄目になる。最低一人は監督との信頼関係を結べていなきゃいけない。そしてこれは憶測だが、監督と選手たちを繋ぐ足がかりとして私が選ばれたに違いない。

「…良いだろう。しかし私が与えるのはヒントのみだ。そして、お前が理解した意図を選手たちに伝えることは禁止とする」
「分かりました」

思考力って大事だもんね。何も考えないでプレーするような人間は一流にはなれないと聞くし。与えられた指示の中で、さらに自分の分析や判断で動ける人間こそが上に行くことができる。特に、鬼道くんのような司令塔にその能力は必須だと思う。
…というかここまで会話してみて思ったのだけれど、久遠さんは典型的な合理主義だ。指示や言い分が簡潔で筋が通っている分、私としてもやりやすいのだけれど…まぁとにかく本当にこの人言葉が足りない気配がするんだよな…!!

「代表候補の選抜は既に終わっている。…そんな訳で円堂、お前に初仕事だ」
「…初仕事?」

響木監督に渡されたのは、二つの封筒。中に何やら書類が入っているらしいそれを、思わず変な顔で眺めていれば今度は新幹線のチケットを渡された。…静岡行きの、新幹線のチケット。顔を上げれば、静かにひとつ頷いた響木監督が私に詳しい訳を話してくれる。

「俺が選んだ代表候補に、その書類を届けてくれ」

…これ、さてはお仕事というよりお使いに近いのでは?





TOP