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次の日からがとても大変だった。選考会まで残り一週間を切っていたこともあって、バタバタぶりが尋常じゃない忙しさ。代表選手の合宿所となる寮の部屋の割り振りに、一日のスケジュールの作成。そして一番重要な、選考会で行うゲームのチームメンバーの割り振りまで。
その間は当然、サッカー部の練習は休みをもらうしかなかったし、放課後になればすぐさま教室を飛び出していく始末。毎日のように久遠監督と顔を突き合わせながら、ああでもないこうでもないと話し合い、話し合い、話し合いの連続だった。頭パンクするかと思ったよね。

「…良いだろう、あとは明日を待つだけだ」
「や、やっと終わった…」

何とか一通り全部終わったのは、選考会前日の土曜日の夕方。あとは本番を迎えるだけ。…いや、本番はむしろ明日以降だということは分かっているのだけれど、とりあえず今は一瞬で良いので現実から目を背けたい。そんな多忙な一週間だった。

「しかし、お前も忙しかっただろう」
「…いえ、忙しい方がむしろ、ありがたかったです」

響木監督に労られるように声をかけられて、けれど私はそれに苦い笑いで返す。…忙しくて、本当に良かったのだ。何せ、悩みも悲しみも忘れて没頭できる。…そのときだけは、豪炎寺くんのことを考えないで済むから。
忙しさを出していれば、豪炎寺くんも少しだけ躊躇いがちになるようになった。距離は当然のように開いたし、そこに少しだけ寂しさも生まれたけれど、それでも心の安寧が得られてしまったことが虚しくて仕方ない。

「…何か悩みでもあるのか」
「いえ。…いえ、大丈夫です。これは、私がどうにかしなきゃいけない問題ですから」

豪炎寺くんが、好きな子と結ばれるまで。その日まで、私は精一杯の笑顔で友達面をしていれば良い。それだけで、きっと何もかもが上手くいく。それを自分で悟ってしまっていた。…けれど、こんな方法で本当に良いのかと疑問を持つ自分もいる。距離を置きたがる私に豪炎寺くんは何か言いたげだったし、その目は少し寂しげだった。
…それに気がついたとき、私は愕然とした。私は自分が楽になるために、豪炎寺くんを傷つけているのかもしれないことを悟ったから。

『…お前は』

何やら言いたげだった豪炎寺くんは、あの後に何の言葉を繋げようとしたのだろう。それを聞くことを恐れて拒み続けてしまったせいで私がその続きを知ることは無かったけれど、私が本当に豪炎寺くんのことが好きで、彼の幸せを願っているならこれ以上逃げるのは止めるべきだと思った。…止めなきゃ、いけないのだ。
響木監督はそれ以上何も聞かなかった。深入りはしない方が良いと思ったのだろう。その思い遣りが、今はありがたかった。

「明日は朝から忙しくなる。体調を崩さないように」
「はい、分かりました」

…本当に明日の朝はすごく忙しい。何せ、選手候補たちのお世話があるから…!!しかも、選手の管理監督をするのも私。特に、今回メンバーには小学生もいることから注意しなくてはいけないらしい。響木監督から既にどんな選手が来るかは聞いているので、今からものすごく胃が痛い。

「…それとだが」
「はい」
「娘もマネージャーとしてイナズマジャパンに参加させることにした」
「娘さん、ですか…おいくつですか?」
「お前と同じ中二だ」

久遠監督に娘なんて居たのか、なんて思わず失礼なことを考えてしまう。指輪をしていないようだったから独身なのかと思っていたけど、実は仕事中は着けないだけでそうじゃ無いのかもしれない。そんなことを推測していれば、ちょうど久遠監督の携帯に着信が入った。どうやら、今から私に紹介するためにわざわざ呼び立ててくれたらしい。監督曰く、知り合いの居ない中で一人は心細いだろうから面倒を見てやってくれとのこと。父親の優しさ…。

「あの…雷雷軒はここですか…?」
「あぁ、入ってきなさい冬花」
「ふゆか…?」

外から遠慮がちなノックと共にかけられた、聞いたことのあるような声と少しだけ懐かしい響きの名前を耳にして思わず目を見開く。ふゆか、と呼ばれた女の子は久遠監督の声が合図だったかのようにして店の入り口を開けた。…その姿を見て、私は今度こそ頭を驚きに支配された。

「初めまして、久遠冬花です」
「…ふゆっぺ?」

店の中に入ってきて、私に向けて自己紹介をしたのはふゆっぺだった。懐かしい顔に、思わず笑顔になりながら手を取る。いつぶりだろう。小学一年生のときに転校しちゃったから、七年ぶりくらいかもしれない。でも、ふゆっぺはあの頃と変わらず可愛いままだった。

「久しぶりだねふゆっぺ。元気だった?」
「…あの、あなたも、私の知り合いなんですか…?」
「…ふゆっぺ?」

…様子が可笑しい。ふゆっぺがまるで、私のことを知らないような口振りで話をしている。そんなわけが無いのに。私たちは昔から、守も一緒にずっと仲良しだったのに。
でも思えばどうしてふゆっぺの名字が「久遠」になっているのだろう。たしかふゆっぺの名字は「小野」だったはずだ。覚えている。だから守と席が近いんだって、前に照れ臭そうに教えてくれたから。
しかしそこでわずかに焦燥をにじませた久遠監督に「話がある」と呼ばれた。ふゆっぺを中で待たせ店の外に出た瞬間に、久遠監督がぼそりと小さく呟く。

「…冬花の知り合いだったのか」
「小学校一年生のときからの、友達です。…あの、どうして久遠監督がふゆっぺの」
「…訳がある。が、詮索はするな。…少なくとも、七年前以降の記憶が冬花には無い」

七年前、ということは。私と守の記憶も、すっかり消えてしまっているというわけだ。そこに何かしら複雑な事情があることを理解してしまったけれど、有無を言わせない口ぶりで念を押されれば私もそれに頷かざるを得なかった。

「…何も聞かない方が、ふゆっぺのためですか」
「…少なくとも今は、そう思っている」

…立場上は親であるこの人がそう言うのなら、私はそれに従って何も知らないフリをしておこう。時には、たしかに聞かない方が良いことも存在するから。
でも、それでも。どんな理由があったとしたって。かつてあったはずのふゆっぺとの楽しい思い出が、私や守の中にはあっても彼女の中には一つだって残ってはいないのなら。

「…寂しいなぁ」

それだけは、少しだけ悲しいような気がした。





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