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そんな飛鷹くんと共に合宿所へと帰れば、二階にはボールを壁にぶつける音が響いていた。…なるほど、とうとう我慢できなくなったみんなが「外で練習出来ないのなら中でするしかない」という答えにようやく辿り着いてくれたらしい。良かった。最悪明日になっても分からなかったら、監督との約束を破ってでもヒントを与えているところだったから。
一応、知っているとは思うが監督に伝えてみたところ「そうか」の一言っきり。まぁそれは良いとしようじゃないか。

「薫先輩、それは…?」
「みんなに差し入れるドリンクとおにぎりだよ」

頑張れの意味を込めて、塔子ちゃんが別に差し入れてくれていたスポーツドリンクとおにぎりを配ることにする。三時頃だし小腹も空くだろう。春奈ちゃんたちも手伝ってくれるというので、さっそく手分けして配りに行くことにした。…しかしそこで、あることに気づく。

「……………綱海くんが居ないのはどうして…?」

しかも何故かここまで持参したらしいサーフボードまで部屋の中に無い。まるで、何処かにサーフィンしにでも行ってしまったかのような…いや、実際サーフィンしに行ってしまったのだろう。サーフボードが無いからね。
本当なら、きっと綱海くんにも何かしら考えがあるのだろうと温かく見守るところなのだが、申し訳ない綱海くん。監督に報告する私を許してほしい。仕事なんだ。

「綱海のことは把握している。知らないフリをしていろ」

しかし、監督は綱海くんの脱走に気がついていたらしい。止めないのにも訳がありそうだ。まぁ、それなら私も何の気負いもなく綱海くんを応援できるから良いとして、私は差し入れの配布へと戻り、比較的話しやすい雷電くんと士郎くん、飛鷹くんに差し入れを渡し、そして。

「…ふー…」

今私が居るのは、豪炎寺くんの部屋の前。中からは当然ボールを蹴る音がしていて、自主練に励んでいることが分かる。何か緊張するね。用意された個室といえど、ここは豪炎寺くんという私の好きな人の部屋だ。敷居が高過ぎやしないか。
とりあえず何も可笑しなところが無いか前髪を整えて、深呼吸をして鼓動を落ち着かせてからドアを軽く小突く。途端に気がついたのか、ボールの音が止んで返ってきた返事を聞いて私は部屋のドアをそっと開けた。豪炎寺くんと目が合う。

「…お疲れ様」
「あぁ、お前もな」

入らないのか、と問われて中に入る。豪炎寺くんの練習はどうやらみんなとは違うようで、床に積まれた空き缶の上にボールを置いていた。加えて足首には重り。…なかなかキツそうな練習のようだ。

「差し入れだよ。机の上に置いておくね」
「悪いな、助かる」

本当は用事だけ済ませたら部屋を出るつもりだったのだけれど、豪炎寺くんから「少し話さないか」と言われて思わず頷く。ええい私の欲望め、もっと自重しないか。
とりあえず豪炎寺くんのベッドの上に腰掛ける。豪炎寺くんは備え付けの椅子に座ってから、スポーツドリンクに口をつけた。相当喉が乾いていたのだろう、あっという間に三分の一を飲み干してしまう。

「…いよいよだな、試合」
「うん、そうだね」

初戦のオーストラリア代表との試合は、もう明後日だ。それはイナズマジャパンにとっては初めての試合で、そして絶対に負けられない試合でもある。…なのに、こうして練習を禁じられ、部屋に閉じ込められて。不満だらけが積もる中、何もカバー出来ない自分が情けない。わがままばっかり無いものねだりの私が嫌になる。

「疲れてるんじゃないか、この前も食堂で寝落ちしてただろ」
「…そんなことないよ。私はまだ、何の役にも立ててない。それどころか、監督の味方ばっかりで君たちの側に立つことも出来ない。…まだ、頑張れてないんだよ」

いっそ、この世に魔法があったらいいのに。何もかもが都合良くなってしまう便利な魔法があれば良い。そうすれば、みんなの不満もイナズマジャパンの未来も、全てが上手くいってしまうのだろうから。
けれど所詮この世は不条理ばかりで、都合の良い魔法も未来も存在しないから、私たち自身が今を切り開いて結果を手に入れなくちゃいけない。…その手伝いが、私にできている自信は無いけど。
そう苦く笑えば、豪炎寺くんは少しだけ呆れたような顔をして軽く私の頬を摘む。思わず間抜け顔になったであろう私の顔を見て小さく笑んだ豪炎寺くんは、私の頭に手を乗せて僅かに撫でて呟いた。

「頑張ってるだろ、お前は」

豪炎寺くんの言葉に嘘は無かった。
豪炎寺くんの目は私を真っ直ぐに見つめていた。
だから信じられる。…信じてしまえる。たとえそれが彼なりの同情であったとしても、惚れた弱みだからだろうか。私の胸は喜びに高鳴って、都合良く幸せの色に染まってしまった。

「鬼道たちもみんな、それは分かっている。…だから不安になるな」

…どうして君は、私の欲しかった言葉をそんな真っ直ぐにくれるんだろうね。不安ばかりだった私の心を、いとも容易く楽にしてくれた君の言葉とその声はまるで、魔法のようだとさえ思う。
優しい人。でも、そんな君の優しさのせいで、私はもっと君を好きになって、もっと苦しくなってしまうのだろう。…嬉しいのに悲しいなんて、矛盾してるね。
私はその言葉に応えることなく立ち上がって、入り口の扉に手をかける。豪炎寺くんは不思議そうに私の名前を呼んだ。その呼びかけに振りかえって私は笑う。

「豪炎寺くん、あんまり私に優しくしたらダメだよ」
「…薫」
「じゃないと、調子に乗っちゃうでしょ」

冗談めかして告げた言葉は、震えていなかっただろうか。僅かに本音を混ぜたそれを、豪炎寺くんはどう思ったのだろう。
優しくしてもらえて嬉しい。
でも、それを受け取るべきなのは私じゃ無い。
二つの気持ちがせめぎ合って、絡まって、ぐちゃぐちゃになって。それはまるで水の中で必死にもがく息苦しさに似ているような気がした。





そして次の日も変わり無くグラウンドでの練習禁止のまま一日が終わり、とうとうオーストラリア戦の日がやってきた。開会式を終え、アジア予選最初の試合が始まる。
スターティングメンバーは、初日にあれだけ守たちを脅しておきながら全員を組み込んだメンバー。唯一プレーを褒められていた不動くんは外されていたのには少し驚いたが、まだ不動くんがチームに馴染み切っていない以上、チームの不和になりやすい彼のベンチ待機は少しだけ安心した。

[キックオフ!試合開始です!!]

試合開始のホイッスルと共に、キックオフはイナズマジャパン。豪炎寺くんと士郎くんによって蹴り出されたボールは、司令塔である鬼道くんの元に収まる。滑り出しはいつも通り上々。…けれどオーストラリア側はやはり、こちらのサッカーをさせてくれる気は無いらしく、早々にあの必殺タクティクスで応戦してきた。鬼道くんが一気に囲まれる。

「陣形が崩れない…!?」

何とか突破しようと巧みにボールを操るものの、まるで波のように柔軟に鮮やかに鬼道くんを囲い続けるビッグウェイブスの選手たち。前にも後ろにもパスを出せない鬼道くんは手をこまねいたまま、結局ボールを弾かれてしまった。その上、ボールを何とか拾おうと走った雷電くんと綱海くんが衝突し、ボールは奪われてしまう。鬼道くんが悔しそうに監督を見つめていた。
そして相手側はそのまま守の待つゴールへ。先制点を、と言わんばかりに出し惜しみすることなく必殺技を放った相手選手に守も正義の鉄拳で応戦したものの、それは敢えなく砕かれてしまった。

「先制点が、こんなに早く…!」

分かっていたことだ。世界の壁は遥かに高く険しく、そして厳しい。けれど心の何処かでは守たちなら勝ってしまえるんじゃないかと思っていた。でも現実がこれだ。甘い夢想だけじゃ勝てない。
…そしてそれも分かっていたから、私は久遠監督を信じると決めたのだ。
それにたった一度ゴールを決められたくらいで折れてしまうほど、守やみんなの心は弱くないと私は知っている。

「すごいな!」

序盤でのあからさまなピンチにも守は狼狽えなかった。その瞳に映っていたのは純粋な興奮。強い相手と戦えるのだという喜びと期待に、守は笑っていた。…その底抜けの明るさが、何度だってチームを救ってきたのだ。

「こんなすごい奴らとやれるなんて、燃えてきた!」

みんなも釣られて笑う。「守がそう言うのならば大丈夫」だと安心して笑える。だから大丈夫だ。私たちは勝てる。それは可能性だとか希望だとか、そんな頼りないものなんかじゃない。
守たちイナズマジャパンなら、どんな難関だって超えられる。そのことを、揺るがない信頼をもってみんなを信じているからだ。

「みんな!試合は始まったばかりだ!!まずは一点、追いつこうぜ!!」
「おぉ!!」

試合はこれから。勝負がどちらにどう転ぶか分からない。…それにもう、監督は打てるだけの手は打っている。あとはみんなが、それに気が付けるかどうか。それだけだ。





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