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…そして、そんな試合展開による興奮のせいで、私は気がつかなかった。鬼道くんがずっと監督や試合を注意深く観察していたことも、それによって監督への懸念の代わりに疑問を抱いていたことさえ。

「久遠監督!」

最初は、どうしたのだろうかとただ疑問に思った。けれど鬼道くんの何やら決意した顔を見て、胸は嫌な予感に騒めいて。

「俺たちが、オーストラリアと互角に戦えているのは、監督の采配のおかげです」

この先を、私は聞きたくないと思った。次に来るであろう展開を私はきっと望んでいない。ずっと忌避し続けて、わがままを通してまで隠したかった何かだと、そう思った。…でも。

「俺は、あなたがチームを駄目にするような監督とは思えない。桜咲木中で、何があったんですか…!!」
「鬼道くん」
「…お前が知る必要は無い」

悲鳴が出そうになるのを堪えて、微かに震える声で鬼道くんを嗜める。それを、よりにもよって君が聞かなくても良い。監督の言う通り、知る必要は無いのだから。
その真実を知って無闇矢鱈に傷つくのは鬼道くんの方だ。私はもう、君に傷ついて欲しくない。君はもう、佐久間くんたちのことで十分苦しんだのだから。

「俺が説明しよう」
「響木監督」

…でも、そんな私の願いを振り払うようにして口を開いたのは、何故かベンチの方に訪れていた響木監督だった。私は今度こそ悲鳴混じりの非難の声を響木監督に向ける。それは、私と久遠監督の約束だったはずだ。響木監督だってその場に居て話を聞いていた。…そのはずなのに!

「待ってください響木監督!!それは言わないって、お願いしたはずじゃ…!!」
「…円堂、これはいずれ話さなければならなかったことだ。秘密を抱えた人間を、他者は心から信頼することは出来ん」
「でも、でもッ…!!」

正論だ。今までのイナズマジャパンと久遠監督のすれ違いを見ていたから分かる。信頼されたいならば、それ相応の対価を差し出すべきだということも理解できる。…それでも私は、その無茶を通してでも大事な友達の心を守りたかった。それはいけないことだったのだろうか。
久遠監督は、そんな響木監督を一瞥しただけで何も言わなかった。それもそうだ。話して欲しくないのは私だけで、久遠監督にとっては過去の話でしかない。

「十年も前のことだ。桜咲木中サッカー部は、フットボールフロンティア地区予選の優勝候補の一角だった」

そこから響木監督が語ったのは、久遠監督の過去の真実。事件を起こしたのは監督では無く部員の方で、しかもその事件ですら桜咲木中サッカー部を陥れるために仕組まれたもの。危うく廃部になりかけたサッカー部を、久遠監督は責任を負って辞任することで逆に救ってみせたのだ。
…その事件が起きたのは、当時の最強チームとの決勝戦前。そしてその最強チームとは。

「そう…帝国学園だ。恐らく影山が仕組んでいたんだろう」
「…!」

鬼道くんの顔が見られない。きっと今、この場で誰よりも傷ついていて、負わなくてもいい責任に罪悪感を感じているのは彼だったから。
そんな私に、鬼道くんは静かに声をかけた。

「…お前は知っていたんだな、薫」
「…うん、ごめんね。…全部、知ってた…」

あぁ、隠し切れなかった。一番知られたくない人に知られて、こんな悲しそうな顔をさせてしまっている。その事実がただただ胸に痛かった。泣きそうになってしまう顔を俯くことで隠して、嗚咽がこぼれないよう必死に耐える。泣くな。泣きたいのは私じゃない。私はただわがままばかりを通しただけで、結局鬼道くんの心を守れなかった。それだけだ。…でも、鬼道くんはそんな私を責めなかった。一つ名前を呼ばれて、それが穏やかだったことに肩を跳ねさせつつも振り返れば、そこには微笑みに喜色を滲ませた鬼道くんがいる。

「余計な気を使わせた。すまない」
「…あ、謝らないで。私が、勝手に頼んだことだから」
「それでも俺は嬉しかった。…俺や佐久間たちのために、ありがとう」

その言葉に私は黙って首を横に振る。本当はそんな感謝さえ受け取る資格は無いけれど、他でも無い鬼道くんが嬉しそうだったから、これ以上私は彼の気持ちを否定することが出来ない。半泣きの私の背中を撫でてくれる心配そうな立向居くんや春奈ちゃんには余計な心配をかけて申し訳ない。先輩なのに、情けないところばかりで嫌になる。

「薫先輩…」
「…ごめん、切り替えなきゃ駄目だね」

泣きそうなのをグッと堪えて、私は再びピッチを見つめた。まだ試合は終わっていない。試合は同点になっただけで、これから勝ち越し点を狙って行かなくてはいけないのだ。
ビッグウェイブスは点を取られたからか、再び選手を交代して作戦を変更するようだった。一番警戒すべき選手を綱海くんだと判断したらしい。綱海くんへの執拗なマークが目立った。

「男ならこんなネチネチやってねぇでガツンとぶつかってきやがれ!!」

自由にさせて貰えない綱海くんも苛立っている様子だ。やや強引なタックルでマークを振り切り、それに気がついた虎丸くんがパスを出す。しかしそこに、四人がチェックに入った。今度は四人がかりか…!

「くそ…ッ行け!壁山!!」
「えっ!?あわわわ!」

完全に囲まれてしまう直前にギリギリで、ボールを中盤にいた壁山くんに託した綱海くん。どうすれば良いか分からず右往左往していた壁山くんは、受け取ったボールを慌てて誰かにパスしようとするものの、しかし他のみんなはマークが張り付いていてパスを出すことが出来ない。
やがて、そんな途方に暮れている壁山くんのボールを奪おうと駆け出してきた相手選手に、壁山くんは思わずといった様子で前へと走り出した。

「ひいぃッ!どうすれば良いっス!?」
「一人で持ち込め!!」
「えぇっ!?」

そうだ、監督の言う通りだ。ここは壁山くんが自ら前線へ持ち込み、前線のフォワードたちに繋いでいかなきゃいけない。…大丈夫、今の壁山くんならできる。あれだけの厳しい指導に耐えてきた今の壁山くんなら、一人でボールを持ち込める!

「…!あれは、自分で持って上がることも必要だっていう意味だったんスね!?」

そしてそんな久遠監督の指導の意図を理解したらしい壁山くんが目を輝かせ、虎丸くんへとパスを送る。ナイスドリブル、思わず小さくガッツポーズが出た。そんなボールを受け取った虎丸くんはさらに深く中へ切り込んでいく。
今、最前線にいるのは虎丸くんと豪炎寺くん、そして豪炎寺くんに張り付いた相手選手の合計三人だ。しつこいマークをなかなか振り払うことが出来ない豪炎寺くんを虎丸くんはチラリと見やり、少々ゴールから離れたシュートの構えに入る。それを見た相手選手は、豪炎寺くんのマークを止めて虎丸くんのボールを奪いにかかった。…けれどそれは、虎丸くんの罠だ。

「豪炎寺さん!!」

シュートと見せかけて、スライディングしてきた相手を軽やかに躱してみせた虎丸くんが、そのままラストパスを豪炎寺くんに繋ぐ。みんなが必死に繋いだボールを受け取った豪炎寺くんは、そのままゴールを見据え、今まで見たことのないシュートモーションに入った。…これは、豪炎寺くんの新必殺技だ。

「ハァッ!!」

相手キーパーの必殺技を、ものの見事に打ち破って見せた豪炎寺くんのシュートがゴールに突き刺さる。またもや目金くんをして「爆熱スクリュー」と名づけられた豪炎寺くんの新必殺技が、この試合の勝ち越し点を決めた。
そしてそこで、試合終了のホイッスルが鳴る。

「見事な采配だったな」

響木監督からそう声をかけられても無表情のままな久遠監督だったものの、その目は少しだけ穏やかに見えた。私も大喜びで秋ちゃんを手を合わせながら初戦の勝利を祝う。誰が何と言おうと、これはイナズマジャパンの勝利だ。…残念ながら、鬼道くんに最後まで監督の秘密を隠し通すことは出来なかったけれど、本人が悔やんでいないのならそれで良いのかもしれない。結果的に監督への信頼に繋がったしね。
しかしふとそこで、豪炎寺くんと虎丸くんが何やら厳しい表情で会話をしているのが気になった。ここからでは遠くて会話は聞こえないけれど、その空気はどう見ても良いようには見えない。

「…大丈夫かな」

もしかして、最後のシュートのことだろうか。あのときはエースストライカーである豪炎寺くんにボールが渡ったことに違和感を抱いた人は居なかったようだけど、今考えれば確かにあれは虎丸くんが撃とうと思えば撃てたはずだ。…響木監督から虎丸くんの事情は掻い摘んで聞いている。突出した才能を抑えて周りに合わせたサッカーをしていたせいで、積極的にシュートを打たなくなってしまったことを。そして私にはそのことを虎丸くんに諭すことは出来ない。…だからこそ思う。
このチームでプレーすることで、虎丸くんがセーブする必要は無いのだと。自分本来のプレーをしたって誰も咎めないのだと。どうか、そのことを虎丸くん自身に気づいて欲しかった。





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