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その日はみんな虎ノ屋さんのお手伝いをしてくれたため、仕事も随分とスムーズに進んだ。秋ちゃんたち三人に接客を任せ、私は虎丸くんと乃々美さんと一緒に調理場へと籠る。守と豪炎寺くんは出前の仕事をしていた。
後片付けはさすがに私たちでするから、と先に守たちを帰らせる。何せ守も豪炎寺くんも選手なのだ。夜遅くなりすぎて体調を崩させるわけにはいかない。

「じゃあ、お疲れ様でした。私はこれで」
「すみません薫さん、こんな遅くまで。やっぱり途中まで送ったほうが…」
「大丈夫、そんなに遠くないし、ランニングがてら帰るよ」

今日はいつもよりお客さんが多かったおかげで後片付けが大変だった。ついでだから、と明日の仕込みまで手伝ったおかげで随分遅くなってしまっている。早く帰らないと明日に響くかもしれない。それに虎丸くんは明日も練習があるのだから無理をさせるわけにもいかないし、ありがたいけど断った。
最後に虎丸くんのお母さんに挨拶までしてから外に出る。空を見上げればだいぶ星が綺麗で、辺りは街中なのにけっこう暗い。早く帰らなきゃ、と息を吐いて踵を返す。…するとその目の前に、誰かが立っているのが見えた。

「随分遅かったな」
「…豪炎寺くん?」

それは先に帰したはずの豪炎寺くんだった。どうやら途中で守たちと別れて引き返してきたらしく、店の近くで待っていてくれたようだ。帰るぞ、と促して踵を返した豪炎寺くんの隣に慌てて並ぶ。守たちを帰したのは随分前だというのに、私が出てくるまで長い時間待っていてくれたらしい。その優しさにドギマギしつつ、私は何でもない風を装って豪炎寺くんに話しかけた。

「先に帰ってても良かったのに」
「…この時間帯になると、この辺りは暗くなる。危ないだろ」
「大丈夫、いざとなったら走って逃げるから!」

走れば簡単には追いつけないくらいのスピードを出せる自信があるし、最悪は正当防衛だから殴ってでも止めてしまえばいい。
しかし、全然無い力瘤を見せた私に豪炎寺くんは少し呆れたようにため息をついた。どうやら私は何か見当違いなことを言ってしまったらしい。

「…俺が心配なんだ」
「…ぁ」

…優しいなぁ、豪炎寺くんは。本当に私になんて気を遣わなくても良いのに。その優しさを、本当にあげたい人に向けたって誰も君を責めないのに。それでも君は、ただの友達でしか無い私にも優しくしてくれるんだね。

「ありがとう、豪炎寺くん」
「…あぁ」

君の優しさに触れるたび、嬉しいけどやっぱり悲しくなるよ。人のものを掠め取る泥棒になったような罪悪感さえ覚える。いっそ豪炎寺くんの好きな人を聞き出して、早く恋人同士になれるように背中を押してあげればこの気持ちも楽になれるのだろうか。そしてそれは、たとえ私の心の柔い部分を引き裂く結果になったとしても、少なくとも私にとってはいちばんの救いのように思えてしまうのだ。

「…よし、明日からも頑張ろうね」
「そうだな」

けれど今だけはその事実から目を逸らそう。そんな狡い自分に歯噛みして、それでも私は豪炎寺くんの隣から離れるという選択肢を取れないのだから。





そしてとうとう二回戦であるカタール戦の日がやってきた。今日は朝から晴天で、もう秋も半ばだというのに炎天下のように暑い。秋ちゃんたちとも相談してドリンクの予備や氷、塩飴なども多めに持っていくことにしたのだけれど、体調を崩さないことを願うばかりだ。
会場には虎丸くんのお母さんもどうやら来ているらしく、差し入れのお弁当を持ってきてくれたののみさんから教えてもらった。響木監督が迎えに行ってくれたらしい。

[いよいよ試合開始です!]

ホイッスルと共に試合が始まった。試合のレギュラーは前回とはあまり変わらないメンツで、キックオフは豪炎寺くんと士郎くんの二人で行われた。さっそく飛ばして攻めにかかるイナズマジャパンのボールは基山くんに渡る。しかしそこをタダでは通さない、と言わんばかりの鋭いスライディングが基山くんを襲った。
けれどこの数日、練習でとことん足腰の強化に力を入れた成果なのだろう、基山くんはそのスライディングに負けることなく相手選手を突破した。そこから今度は鬼道くんに。そして鬼道くんも荒々しいタックルに押し勝ってみせた。

「豪炎寺!」

そしてとうとうボールはフォワード陣に渡っていく。最初から良い調子で飛ばしていくイナズマジャパン、この様子なら前半のうちにでも得点できそうだ。…しかしそれでも引っかかるところはある。カタール側のプレーが、あまりにも荒々し過ぎることだ。
反則スレスレのタックルにスライディング、これは下手すると審判に咎められてイエローカードを喰らうというのに怖いもの知らずだな、とぼんやりと考えて。

「…………あの、監督、これ」
「静かに見ていろ」

最悪な予想をしてしまい、思わず青ざめた。それが杞憂であることを願って監督に確認しようとしたのだけれど、この様子だとどうやら当たってしまったらしい。おめでとうこんちくしょう。
…カタールの狙いは荒々しいラフプレーで前半の間にイナズマジャパンの体力を削ぎ、後半でとどめを刺すつもりなのだろう。体格もあちらの方が有利な分、押し返すための体力を無駄に消耗してしまう。そうすればイナズマジャパンは後半、ろくに体力も残らないまま自滅の一途を辿るだろう。そうなる前にいろいろした方が良いのでは?と考えたのだが、監督が静かにしろというのでお口を閉じる。

「吹雪!」

ちょうどそこで、相手選手二人からのスライディングを避けた豪炎寺くんからボールを受け取った士郎くんが、そのままウルフレジェンドでゴールに向けてシュートを放ったところだった。しかしボールは惜しくもゴールキーパーのパンチングによってコートの外へ。イナズマジャパンのコーナーキックになった。蹴るのは風丸くん。
そしてここで何と、風丸くんが驚くべきセリフと共にボールを蹴ったのだ。

「これが俺の新必殺技だ!!」

大きく上げられたボールは、一見するとミスキックのように思えた。しかしそれは途中でグッと曲がり、狙いすまされたかのようにしてゴールへと突き刺さる。コーナーキックから直接なシュート。目金くんのセリフを奪ったふゆっぺ命名の「バナナシュート」が、イナズマジャパンの先制点を決めたのだ。すごい。

「邪魔する奴は吹き飛ばす!」
「思う念力岩をも通すと言ってね!」

そして今度はカタールからの反撃…かと思いきや、ここで緑川くんがナイスプレーを見せた。思い切り突っ込んできた相手選手のボールを鮮やかに奪ったのだ。

「努力は必ず報われるものさ!」
「馬鹿な…!」

ここ最近の練習の成果だろうか。オーバーワーク気味だという報告を受けていたのだが、少なくとも緑川くんの頑張った努力が報われるのは私も見ていて嬉しい。
慌てて緑川くんのボールを奪いにかかるカタール側の選手たちに、緑川くんは咄嗟に士郎くんの名前を呼んでパスを出した。それを聞いた相手選手たちは、士郎くんのマークへと走る。…しかしそれは、緑川くんたちが考え実行した罠だった。パスを受け取ると見せかけてスルーした士郎くんの代わりにボールを受け取ったのは、フリーの基山くんで。

「流星ブレード!!」

虚を突かれた攻撃に、相手キーパーも対応が間に合わずそのままシュートはゴールを貫くようにして決まった。これで二対〇、イナズマジャパンが完全に有利だ。…まぁ、この後来るかもしれない展開に冷や冷やしてるから私の心は穏やかじゃ無いけどね。
案の定、カタールの選手たちにはあまり焦りが見えない。スピードを落とすことなく走り続けるせいで、イナズマジャパンも同じスピードを強いられていた。これは本当に本格的に不味い。

「秋ちゃん、ドリンク多めに出して。あと氷もちょうだい」
「え、えぇ、分かったわ」

前半が終了してすぐ秋ちゃんにそれを頼んで、私は自分のカバンから塩飴を取り出す。そして特に疲労が強く見える緑川くんや士郎くん、基山くんをとっ捕まえて口に放り込んだ。噛むんじゃなくて舐めるんだよ。

「緑川くん、とりあえず座って」
「え、ちょ、薫ちゃん?」
「…疲れがすごいんでしょ、後半でも走りたかったら何も言わずに休んで」
「!…うん」

秋ちゃんから受け取った氷水を緑川くんの首に当てておく。応急処置でしかないから無駄かもしれないけど、これは緑川くんが倒れないようにする為でもあるからやるしか無いのだ。
…それにしても、やっぱり全体的に疲労が酷い。まだゴールに攻め込まれていない守なんかはまだ元気な方だけど、コートで懸命に駆けていた他のみんなはギリギリも良いところだ。
監督の方を見ても、監督は空を仰ぐばかりだし何も言えないのが世知辛い。…そして後半は恐らく何人か脱落者も出るはずだ。そのことを考えて、私も用心しないと。





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