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壁山くんと豪炎寺くんのそれぞれの特訓が無事に完了した。あとは二人で合わせて必殺技の形にするだけだったのだが、何とここで次なる問題が発生してしまった。壁山くんの高所恐怖症問題である。
高いところが怖いと怯えて蹲る壁山くんに、なぜ先にそれを言わなかったと思わず頭を抱えてしまったものの、他に踏み台の役目を果たせるような人は居ないし、今から新しく代役を立てる時間も無い。つまりは壁山くんが高所恐怖症を克服するか、イナズマ落としの完成を諦めるかの二択になるのだ。

「まぁ、でもそもそもそんな短期間で解決できるような問題なら恐怖症にはなってないんだよね…」
「はいっス…」

頭を抱えて震える壁山くんの背中を撫でながら慰めるようにそう呟けば、壁山くんが小さく同意の意を示した。分かるよ、私だってヒューマンホラーは怖いし、ゴで始まる黒光りの虫は死ぬほど苦手だ。克服しろと言われたら私が死ぬぞと相手に脅しをかけてしまう自信がある。
しかしね壁山くん、人間には越えなければならないものというのが人生にはいくつも存在している。君は今がその時なんだよ。それにね、何よりもやらねばならない理由があるでしょう?

「守がやれるって言ってるんだからやるんだよ」
「め、目が怖いっス…」

しかしその日から始めた克服作戦は決して上手くいかなかった。いろんな高さで試してみたものの、ジャングルジムの高さにでさえ怯えられてしまってはどうしようもない。水泳部に頭を下げて借りた飛び込み台は小学生でも使うような高さであるというのに、その高さでもアウト。ちなみに壁山くんが足を滑らせてプールに落ちた反動で、近くにいた守と私まで濡れてしまうというアクシデントも発生したのは余談だ。風丸くん、タオル貸してくれてありがとう。豪炎寺くんはジャージをありがとう。風邪引かないようにしなきゃね。そしてそんな部員全員で一丸となって取り組んでいる克服作戦だが、それが報われる気が全然しないのが世知辛いところである。
しかし壁山くんだってやればできる男。だから私は今日も今日とて壁山くんを信じて、不安定な足場でもシュートを決める特訓をするという豪炎寺くんのお手伝い。今日は何と守も付き合うと言ってくれたので、先に鉄塔広場で頑張っているところだ。

「枝と足裏が平行になるようにして飛ばないと駄目だね」
「あぁ、思ったよりも難しいな…」
「壁山くんの肩幅は広いから足場は安定してると思うけど、精度を上げておくに越したことはないもんね」

私も豪炎寺くんも、守もみんなも壁山くんがやればできる人だってことを知っている。どんなに臆病な性格でも、最後には自分を奮い立たせてがむしゃらに走ることができるのが壁山くんだ。
やがて守も追いついて来て、私は一旦休憩の用意をしようと階段を下りる。しかしそこで看板の裏に隠しきれないほどの大きな誰かが潜んでいることに気がついた。…さすがにそれじゃあ隠れてても誰か分かるよ。

「…何してるの、壁山くん」
「あ…」

ちなみに本気でバレていないと思っていたらしい。後から遅れてやってきた守にも気づかれなかったとか。それはさすがにどうかと思うよ守…。
そして一旦、守と豪炎寺くんから見えない場所へ二人でコソコソと移動する。人気の無いベンチに二人して腰掛けて夕陽を眺めながら話すことにした。やっぱりここからの景色が私は一番好きだ。
上の方からは守の声援と、豪炎寺くんが枝を蹴る音がする。そして私は、そんな二人の音を聞きながら居心地悪そうに身を縮こませていた壁山くんの顔を覗き込みながら口を開いた。

「やっぱり高いところは怖い?」
「…はいっス。俺、どうしても無理で…」
「…前にも言ったと思うけど、怖いものがなかなか克服できないのは当たり前だと思うんだ。だって人間だもの」

怖いものがあって、好きなものがあって、譲れないものがあって。それが、人間という生き物ではないのだろうか。そして、きっと大切なことはその恐怖を拒むのではなく向き合うこと。逃げないで、真正面から対峙すること。誰の中にだって震えるほどの恐怖は存在するのだから。
しかもそれは誰もができそうで、けれど無意識に避けてしまうことだ。それを一生懸命やろうとしている壁山くんは偉い。

「壁山くんはもうよくやってるよ。みんな分かってる。だって無理だって言いながらも、壁山くんは一度も克服作戦から逃げたことは無いもんね。…だから、後は勇気だけだよ」
「勇気…?」

一歩、前の自分から新しい自分に向けて踏み出すための勇気。それが今の壁山くんに足りないものだと私は思うのだ。でも壁山くんなら出来る。そうだとみんなが信じている。弱くて臆病な心にも打ち勝って、必ず空を飛ぶことができると。

「頑張れ、壁山くん。守は壁山くんなら絶対できるって、任せられるって思ったからこそ君を選んだんだよ。守は嘘はつかない。…だから、頑張ってね」

暗くなる前に帰りなよ、と一言残して、私は二人の元へと歩き出す。私が彼に出来ることはここまで。あとは壁山くん次第だ。
たとえイナズマ落としが完成しなくとも、誰も壁山くんを責めたりはしないだろう。…だからね、壁山くん。君が本当に戦うべきは、君自身なんだよ。





フットボールフロンティア地区予選一回戦、私たちの会場は相手チームの学校である野生中のグラウンドだ。基本的に対戦チームどちらかの学校のサッカーグラウンドを利用して試合するらしいが、うちはどうにもラグビー部なんかと被ることが多くてどうにもならないらしい。ホームグラウンドという言葉に憧れる今日この頃である。みんなも試合するなら雷門中のグラウンドが良いのだろうけど、ここは我慢して頑張ってほしいところだ。

「ところで壁山くんへのプレッシャーが」
「あぁ…あれは不味いな」

風丸くんと二人ヒソヒソしながら、壁山くんの弟からの無邪気で残酷なエールをかけられて、先ほどよりも緊張の増している壁山くんを見る。普通ならここで「弟が見てる!」と奮い立つところだが、今の壁山くんからすればそれは逆効果でしかない。
案の定、またトイレに…と試合開始直前にも関わらず緊張がピークだ。お兄ちゃんとして情け無い姿を弟には見せたく無いという壁山くんの気持ちは痛いほど分かる。私も守の目の前で失態なんてやらかしたら恥ずかしさと情けなさで死にたくなると思うから。

「この状態でイナズマ落とし、大丈夫ですかね…」
「…もうここまで来たら二人を信じよう。大丈夫、雷門はイナズマ落としが出来ないくらいで簡単に負けるほど弱くないよ」
「そうよ、弱気になっちゃ駄目」

試合が始まった。染岡くんが豪炎寺くんへ高いパスを出しファイアトルネードの構えに入ったものの、恐ろしいほどに高く飛んだ相手選手によってボールは難なくカットされる。
野生中による、雷門全員の守備を潜り抜けての猛攻撃。今のところは守が何とか粘ってゴールを許してはいないものの、この空気はハッキリ言って悪すぎる。…その時だった。

「ぐあっ!?」
「染岡くん!」

相手選手のボールカットの勢いで吹き飛ばされた染岡くんが、足首を抑え苦悶の表情で蹲っている。怪我だ。審判のホイッスルで一時的に中断し、秋ちゃんが様子を見る傍らでアイシングの用意をするものの、見立てからして試合にはもう出られない。無理をすれば悪化して今後の試合に響くことは間違いなしだ。
悔しげな様子で土門くんと交代することになった染岡くんに肩を貸しながらベンチへと戻る。試合の序盤で抜けることになった悔しさからか、地面を睨みつける染岡くんに私は声をかけた。

「…染岡くん、最初とさっきの豪炎寺くんとの連携良かったよ。練習の時はあんなにちぐはぐだったのにね」
「…あぁ、嫌というほど練習したからな」
「うん、だから大丈夫。みんな今日まで頑張ってきたから。…それに、ピンチからの逆転が雷門勝利のセオリーでしょ?」
「確かにな」

良かった、笑ってくれた。キャプテンとストライカーの精神状態は試合の様子を左右することがあるのだ。ただでさえ、守はゴールの守備に手一杯で豪炎寺くんはイナズマ落としの成功の為に尽力中。そこで一番感情の激しい染岡くんが落ち込んだりなんてしたら、士気がガタガタに落ちてしまう。染岡くんにはベンチといえど元気でいてもらわなくては。





「キラースライドッ!」

ん?何やら見覚えのある技を土門くんが使ったな。たしかすごく嫌な思い出のある試合で見たことあるような…そんな技だった気が…?フィールドの豪炎寺くんも見覚えがあったのか目を見開いている。しかし今は試合中。あの技が何であれボールはカットできたのだから気にしてはいけないだろう。
そんな壁山くんをフォワードに上げての再編成。ビビり倒している壁山くんには悪いが、得点源が一人減り、三つある必殺技のうち二つが使えなくなってしまった上に残りの一つも通用しない雷門にとって頼みの綱は、もうイナズマ落とししか無いのだ。

しかしいざ挑戦した一発目のイナズマ落としは、壁山くんの怯えにより不発となる。
やっぱり無理だ、と縮こまって情け無く笑う壁山くんは、悲しそうに俯いている弟くんの顔が見えていないのだろうか。兄として、弟の信頼や期待を裏切るほど辛くて苦しくて悔しいことは無いんだぞ。

「お疲れ様、守。手は大丈夫?」
「おう!大丈夫、まだやれるよ」

前半は何とか両チーム無得点の同点で終わった。守は何度でも相手のシュートを弾き返したし、豪炎寺くんたちも何度だってシュートに挑戦した。しかしその度にやはり怯えて上手く踏み台になれない壁山くんによってシュートは失敗してしまう。
そしてとうとう、試合からの離脱を願い始めた壁山くんに、守が励ますような叱り飛ばした。

「お前、あんなに努力してたじゃないか!」

…そうだよ、ほら、壁山くん。ちゃんと君の努力を見て、認めてくれる人は居るんだよ。努力は報われなきゃいけない。そうでなきゃいけないのだ。壁山くんが必死で足掻いたあの日々が、無駄だったと他でも無い君が認めちゃいけないんだから。
そして始まった後半も相手の猛攻撃は止まらない。たとえ壁山くんが心折られて地に膝をつけてしまったとしても、相手にとってはどうだって良いことなのだ。
守が必死になってゴール前で立ち塞がる。
みんながそんな守の熱意と気迫に応えて守備に熱が入り始めた。
みんなヘトヘトのはずだ。あれだけ前半の間走らされて、今もゾーンプレスなんていうスタミナを消費するばかりの戦術で必死に対抗しているのだから。…でも、それはひとえに、あの二人を信じているから。
高さへの恐怖を完全に克服しろとは言わない。
でもこの光景を見て感じることが、君には少しでもあるでしょう。
せめて一度くらい、みんなからの信頼に応えて見せてよ、壁山くん。


「壁山ぁっ!!」


守のゴッドハンドで止められたボールが、壁山くんに向けて高く上がる。壁山くんは今度こそ覚悟を決めたらしい。
少しだけ躊躇うように目をつぶって、しかし必死に開かれた目は、空を仰いで。
文字通り壁山くんの胸を借りて飛んだ豪炎寺くんのオーバーヘッドキックが、ゴール隅へと突き刺さった。

とうとう成し遂げた、イナズマ落としの完成。そしてそれと同時に鳴り響いたホイッスルは、この試合の私たちの勝利を告げていた。





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