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嗚呼神様、どうか豪炎寺くんと顔を合わせるまで私にしばしの時間をください。
そんな私の真摯でひたむきな願いは、与えられていた個室から一歩出てすぐに無残にも散った。なんで。ちょうど部屋から出てきたらしい豪炎寺くんとタイミングよくばったり鉢合わせて、思わず変な呼吸音が喉の奥に消える。
豪炎寺くんもどうやらこれは予想外だったようで、驚愕に目を丸く見開きながら、手にしていたタオルを思わず取り落としていた。私が言うのも何だけど、お互いに動揺がすごい。
「…」
「…」
「…お、おはよう」
「…おはよう」
「えと、ど、どこ行くの…?」
「…走りに、外へ。…お前は」
「わ、たしは、朝食の準備をしなきゃ、だから、うん」
「そうか」
「…」
「…」
気まずい。気まずいにも程がある。私は豪炎寺くんの顔を直に見ることが出来ないし、顔が嘘みたいに真っ赤な自信があった。だって誰が予想できただろう。両思いなんて絶対にあり得ないと思っていた豪炎寺くんも、私のことが好きだなんて、そんなまさか。
おかげで一瞬「実は夢だったのでは?」とか「聞き間違いでは?」と自分の記憶を疑ったのだけれど、この様子だとそんなことは無かったらしい。嬉しいけど恥ずかしい。つまり恥ずかしいので消え去りたい。
「…昨日は」
「う、うん」
「…急に抱き締めて悪かったな。驚かせただろ」
「えっ、いや、でも嬉しかったし…ッ!?」
…しまった、口が滑った。思わず口を押さえたままブンブンと首を横に振って「今の無し」と伝えるけれど、豪炎寺くんは真っ赤になったまま狼狽えている。願わくば今言ったことは全部忘れて欲しいんですが、いかがでしょう。
「…忘れられるか」
「い、意地悪だ」
「…好きな奴に嬉しいと言われて、喜ばない訳ないだろ」
「す」
…この状況でなんで好きって言うの!ただでさえ心臓がバクバクして死にそうになってるのに!!
そんな悲鳴を何とか飲み込んで、とりあえず一発だけ二の腕を叩いておく。「痛い」と顔を顰められたがこれくらいは許して欲しい。今のは完全に豪炎寺くんが悪かった。
とりあえずしどろもどろになりながら、食堂まで一緒に行こうということになって並んで歩き出す。まだ早朝も早朝だからか起きている人は居ないらしく、合宿所内はとても静かだ。それだから当然、会話も必然的に小さくなる。
「…いつ、聞いたんだ」
「な、何が…?」
「好きな奴が居ることだ。…俺の」
「…怒らない?」
「場合によるが」
それ絶対怒るやつ…!でもここで誤魔化しても良いことは無いと悟ったため、仕方なく正直に答えることにする。思い出すだけであのときのショックが蘇りそうになるが、よく考えればあれは私のことを考えながら言ってくれていたということで。…考えるのやめよう。また叫びたくなる。
「…しゅ、修学旅行の、三日目の夜に。…告白されているところを、聞いちゃって」
「…あれか」
あのときは本当に悲しかった。豪炎寺くんは私のことをただの友達だと思ってるって思い込んでいたし、だからこそこの想いをひた隠しにして豪炎寺くんを応援しようと思っていた。…なのに、そんなまさかですよ。
豪炎寺くんの好きな人が私だなんて思うわけが無いじゃないか…!
「…失恋したのかなって、悲しくなった」
「…待て、お前はいつから…俺のこと、を」
「…わ、かんない、けど。…たぶん、エイリア学園で助けてもらったときが、きっかけで。…自覚したのは、スキーのとき、かなぁ」
…つまりはまぁ豪炎寺くんのことを好きになって二ヶ月ちょっとということなのだ。なのにこの急展開。恋愛初心者と言っても過言でない私に少しハードすぎやしないだろうか。もうちょっとゆっくりなテンポで進んで欲しい。心臓がもたないから。
「ご、豪炎寺くんは」
「…俺、か?」
「人に聞いておいて教えてくれないのは、卑怯だよ」
半ば睨むようにして問いかける。きっと今、私の顔は羞恥で真っ赤になってしまっていた。昨日までは隠せていたものが何一つ隠せなくなっている。それも豪炎寺くんのせいだ。豪炎寺くんが、私のことを好きなんて言うから。
「…笑わないか」
「笑わないよ」
「…四月の」
「しがつ」
えっ、そんなに早いの…?思わず動揺してしまう。だってそんなの、単純に考えても七ヶ月くらいってことだよね…?ななかげつ…?
そんな豪炎寺くん曰く、私を好きになったきっかけはあの帝国との練習試合だろうとのこと。真っ直ぐに、サッカーとは関係無く豪炎寺くん自身を見つけてくれた私に救われたのだと豪炎寺くんは言うけれど。
「わ、私何もしてないよ。豪炎寺くんにしてもらったことの方が絶対多い」
「そんなことはない」
「あるよ」
「ない」
「あるったらあるの!」
お、お互いムキになって反論してしまった…。何をしてるんだろうか。こんなことで二人して言い争って…。…でも、だって本当のことなのだ。もしかしたら本当に豪炎寺くんは私に救われたのかもしれないけれど、何て言ったって私は命まで救ってもらったんだから。私の方が絶対に救われていたはずだ。そう言えば、豪炎寺くんは「何言ってんだこいつ」というような胡乱げな顔で私を見てきた。何故。
「好きな奴を助けることに可笑しなことは何も無いだろ」
「あ」
…そうだった!!好きの長さなら豪炎寺くんの方が長い!!そこは勝てない!!というより、何を言っても言いくるめられて論破されてしまいそうな気がするのは私だけ?思わず顔から火が出そうな勢いで俯いていれば、豪炎寺くんはそんな私の様子を窺いつつそろりと話しかけてくる。
「…なぁ」
「…?」
「嫌なら、良いんだが」
「…うん」
「…抱き締めても、良いか」
「ほあ」
あまりにも唐突すぎてやっぱり心臓が死ぬ。何でも、昨夜は事が一気に運びすぎていまいち実感が無いらしい。あと昨日も私が突き飛ばして逃亡したせいで抱き締めたのもほんの僅かだったから、改めてちゃんと抱き締めたいのだとか。ごめんね、でも心臓が死ぬの。言いようのない恥ずかしさで死んでしまう。
けれど両思いである以上、それを断る理由も無いから了承した。でもさすがに廊下の真ん中でするわけにはいかないため、二人でコソコソと少し狭くて暗い物陰に入り込んで向き合う。
「…良いか」
「…ど、どうぞ…」
そろりと腕を広げて、顔を見られないから目を閉じて豪炎寺くんを待つ。すると何故か予想外にも豪炎寺くんはまず何故か私の頬を包むようにして触れてきた。まるで頬を堪能するかのように撫でたり突いたりされているうちに、何となく強張っていた体から力が抜けて擽ったさから笑みさえこぼれる。…そして豪炎寺くんは、まるでその瞬間を待ち構えていたとでも言うようにして、スルリと肩に移動させた手で私を抱き寄せた。途端に跳ね出した鼓動が、触れ合う肌を通して豪炎寺くんに伝わるんじゃないかと思うと気恥ずかしくて仕方なかったけれど、それよりも遥かに嬉しさの方が勝る。誰かのものだと思っていた腕は、今、私だけを抱き締めてくれていたから。
「…朝、起きたとき」
「…ん」
「夢だったんじゃないかと、疑った」
…豪炎寺くんも同じだったのだろうか。今朝起きて、昨日起きた出来事が信じられなくて。あり得ないと思いながらも私の顔を見たとき、あれが現実だったのだと理解して嬉しさを感じてくれたのだろうか。…そうだと嬉しい。私と同じ気持ちになってくれていたなら、それはきっと幸せなことだと思うから。
だから私も腕を伸ばして、しがみつくように抱き締め返した。嬉しい、幸せ、愛おしい。そんなほわほわとした感情ばかりが心を満たして、自然と顔は綻んでいく。
「豪炎寺くん」
「…」
「ふふ、豪炎寺くん。豪炎寺くんだぁ…」
「…ッ」
何度も名前を呼べば、豪炎寺くんは耐えきれなかったとでも言いたげに私を強く抱き竦める。息が詰まりそうなほどの抱擁に私は息苦しさの反面、歓喜が心を満たすのを感じた。
やがて名残惜しげに体を離した後も、豪炎寺くんは私の手を握り込んだまま、離れ難そうに私を見つめている。…そんなに見つめられると、照れるんだけどな。いや、両思いなんだからこういう目で見られるのは嬉しいことなんだけど。
…というか、実はずっと昨夜から悶々として考えていたことがある。それは、豪炎寺くんとの関係性のことについて。いや、彼と両思いになったところまでは良い。私も嬉しいし幸せ。しかしそうなったところで一つ問題が発生するのだ。
両思いになったのなら次は、豪炎寺くんと付き合うことになるのでは?という問題である。…それは割と、駄目なので。
「付き合う、とかそういう話は、FFIが終わってからでも、良いかな」
「…何故だ」
「い、今私は監督補佐っていう立場だし、側から見て贔屓だって思われるような要素を見せたく無いの」
何せ、こんなに人を好きになるなんて守を除けば生まれて初めてだから加減の仕方がわからない。どこまでが贔屓でどこまでがそうじゃないのかの区別もつけられないのだから、それは相当だ。そして私はそんなことで君の評判を落としたくないし、チームにだって迷惑をかけたくはない。だから私は、まだ豪炎寺くんと恋人関係にはなりたくないのだ。
「…分かってよ、豪炎寺くん」
「…」
少し寂しそうな顔をする豪炎寺くんのジャージの裾を摘んで、窺うように口を開く。どうか分かって欲しい。私だって君の彼女になれるならなりたいし、なったからといって元から公私混同する気がある訳でも無い。…でも、それでも不安で仕方がないのだ。
「公私混同しないか不安になるくらい、君のことが好きなんだよ」
心のまま正直に伝えたところ、豪炎寺くんは何故か呻いてその場にしゃがみ込んでしまった。その耳は少し赤く染まっていたから照れていたのかもしれない。可愛いって言ったら睨まれた。でも可愛いんだもん。仕方ないよね、好きなんだから。