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一晩かけてようやく辿り着いたライオコット島は日本から南東に位置する場所にある。本島とそれを囲む五つの小島からなるその諸島は「サッカーアイランド」と呼ばれているが、そう呼ばれはじめたのは実はつい最近の話らしい。
かつてこの島に住んでいた島民たちはもう何十年も前に移住してしまっており、この広大な土地と豊かな自然に目をつけたサッカー協会がFFIのために島を丸ごと買い取って会場にしてしまったのだとか。数年前から続いていた工事もつい最近ようやく終えて、いよいよ大会開催を待つだけ。
ちなみに、ここは正規の手続きを踏めば移住も可能なのだという。南国の気候だし、世界大会を終えても観光地としても機能しそうだ。

「すごい…」

空港から一歩出ればそこはもう異国の街並みをしていた。観光客を歓迎するかのような立派なサッカーボールを模したモニュメントも建っており、その周りにはチームのユニフォームのレプリカを身に纏った観光客たちが集っている。

「サッカーアイランドか…その名に相応しい島だ」
「ここに集まってくるんだな。世界に選び抜かれた最高のプレイヤーたちが…!」

風丸くんは既にやる気に満ちているし、みんなもそれにつられたように気合が入っている。まぁ、そういう私もこの場所に立ってみてようやく実感が湧いてきた。観客としてでは無く、チームの一員として立つ世界の舞台。…感慨深いな。私と守のサッカーの始まりは、秋ちゃんとも一緒だったあのボロボロの部室からだったのに。いつの間にかこんなに遠い場所まで来てしまった。

「せっかくだ、宿泊地に向かう道すがら他のエリアも軽く見てまわるか」
「良いんですか!?」

一人もの思いに耽っていれば、響木監督がそんな素敵な提案をしてくれた。春奈ちゃんが嬉しそうに飛びつく。飛行機の中でもパンフレットを楽しそうに眺めてたもんね。私もこの島がどんな風になっているのか見ておきたいし、みんなもそこは気になるところだろう。
キャラバンに乗り込めばさっそく春奈ちゃんがバスガイド役に立候補し、茶々を入れた木暮くんをビシリと黙らせてパンフレットを開く。それと同時にキャラバンも走り出した。

「ここが島の中心となる、セントラルストリートです。異国情緒溢れてますね!」
「南の島って感じだな…!良いじゃねーか、元気出てきたぜ!」

まるで沖縄の市街地を思わせるかのような賑やかな通りに、さっきまで苦手な飛行機に乗っていたせいでぐったりしていた綱海くんが復活していた。たしかに、綱海くんや雷電くんにとっては馴染みやすい雰囲気なのかもしれない。
しばらくその街並みを眺めていると、今度は突然先ほどの南国風が打って変わって、赤煉瓦の建物が立ち並ぶ街中に変わった。

「あれ…南の島じゃなくなったぜ?」
「よく気がつきましたね。何とこの島は…」
「出場チームが最大限に力を発揮できるように、そのチームが滞在するエリアには母国と同じ街並みを再現しているそうですよ!」

自信満々に説明しかけた目金くんのセリフは、残念ながら春奈ちゃんに取られてしまっていた。涙を飲む目金くんをスルーして、春奈ちゃんは目を輝かせながら外を指さした。

「まるで映画のセットみたいです!すごいな…!」
「ここはアメリカ代表のエリアなんだね」

なるほど、つまりこれはウエスタン風なのか。アメリカなんて行ったことが無いからよく分からないけれど、本場もこんな雰囲気なのだろうか。…それにしてもアメリカと聞くとあの二人を思い出してしまう。土門くんと一之瀬くん。アメリカに大事な用事があるから、と代表選考の前にチームを離れた二人は今何をしているのだろう。…案外ここに来ていたりして。

「まさかね」
「?」

そのままキャラバンはイギリスエリアを通り、歴史や伝統を感じさせるような街並みを窓に移して目を楽しませてくれる。私はどちらかというと、ヨーロッパの街並みの方が好きかもしれない。こういう落ち着いた雰囲気の街は、どうしても散歩してみたくなるから。
更に進むとまた街並みが変わった。細い水路も見えて、そこを悠々と流れる小舟を見る限り、またヨーロッパだろう。そして今回の出場チームの中で他にいるヨーロッパの代表は…。

「イタリアだ」
「薫さん、正解です!」

おぉ、というどよめきが上がる。ただの当てずっぽうだから感心しなくて良いよ。…それにしても、イタリアの街並みもとても素敵だ。水路も一つの交通機関として機能している辺り、ある種のロマンを感じる。この大会の間に一度くらいは小舟に乗れはしないだろうか。その場合は休養日の日を狙った方が良いかもしれない。
その時守が何かを見つけたらしく、古株さんに頼んでキャラバンを止めてもらった。道の端に駐車してから窓を大きく開けた守の視線を追えば、そこには何やら練習をしているチームがいる。あのユニフォームとこのエリアのことを考えれば、彼らは十中八九イタリア代表チームだろう。

「あいつ、フィールドの真ん中にいるのに後ろのディフェンス陣の動きまで見えてるのか!?」
「まるで後ろにも目があるみたいだ…!」

そんな守のお目当ては、フィールドの真ん中で指示を出しながらプレーをしているらしい少年。でもあれは指示というより指導と言った方が良いかもしれない。よく見ればあの少年から声をかけられた選手は、そのあとのプレーが良くなってるように見えるし。

「もういいかい?そろそろ出発するぞ!」
「あ、はい!」

そろそろ宿泊施設に着かなきゃいけない時間が迫っているのを確認したらしい古株さんが出発を促す。再び走り出したキャラバンはフィールドから遠ざかり、しばらくすればやがて全部見えなくなってしまった。





私たちの滞在するジャパンエリアの宿泊所の名前は「宿福」。何とも縁起の良さそうな響きと漢字に思わずにっこり。どうやら和洋折衷らしく、外観は和風なのに中身は洋風の調度品が多いというチグハグぶりだった。少し面白い。
私は久遠監督から預かった部屋の鍵を車内でみんなに配り、簡単な注意事項だけ説明しておく。と言っても、中で暴れたりしないだとか時間はしっかり守るだとかの当たり前のことばかりなので大丈夫だろう。

「マネージャーの部屋も前より広いし、内装も素敵ですね!」
「うん、雰囲気もあって良いね」

合宿所のときに引き続いて、私たち女性陣もそれぞれ個人部屋を与えられていたため、私も荷物を持って部屋へと向かう。中に入ってみれば調度品も素敵で、中をひょっこり覗いてきた春奈ちゃんも嬉しそうな声を上げていた。ベッドも割とふわふわだよ。

「よ、いしょっと」

荷物を床に下ろし、まずは換気のために窓を開けておく。ここからだと海が目と鼻の先にあって、微かに漂う潮の香りが鼻腔をくすぐった。そして私はまず荷物の中から、お祖父ちゃんの辞書を取り出して机の棚に立て掛けた。…その背表紙を指でなぞる。

「…ここまで来たよ、お祖父ちゃん」

『頂点で待つ』。それが、守と私に宛てられた手紙に書かれていた一言だ。あれが何を意味しているかなんてまだ分からないし、そもそもお祖父ちゃんが本当に生きているのかでさえ分からない。お祖父ちゃんに会ったとき、私がどうしたいのかも。
…お祖父ちゃんには会いたいような、会いたくないようなそんな複雑な思いばかりを抱いている。もちろんお祖父ちゃんが憎いわけがない。会ったことはなくても私のお祖父ちゃんだ。それなりに祖父への愛情というものはある。…けれどそれ以上にきっと私は、もしかしたらお祖父ちゃんを許せないかもしれない。
たとえ何か理由があったとしても、死んだふりをしなければならなかったとしても。お母さんが嘆いていたことは、変えようのない事実なのだから。

「…よし、切り替え!」

でもやっぱりそのことをぐちゃぐちゃと考えている暇はない。今日の夜はいよいよ開会式なのだ。それまでにやることもたくさんあるし、悩むよりも手を動かさなくちゃ。そう思いつつ、とりあえず簡単な荷解きを終えてから私は部屋を出た。守の様子を見に行こうと部屋を覗いたのだけれど。

「…あれ、居ない」
「どうした薫」
「風丸くん、守がどこに行ったか知らない?」
「さあ…」

守はどこへ行ったのやら、荷物を放りっぱなしでどこかへ消えてしまっていた。仕方ないとため息をついて鞄からユニフォームやら着替えやらを取り出しておく。どうせ守のことだから、ジャパンエリアに居る間に使う練習場所を探しに行ったのだろう。荷解きが終わったらすぐ夕飯でもあるというのに。帰ったらお説教決定だね。
…と、思っていたのだがどうやらその必要は無さそう。秋ちゃんに連れられて夕飯の会場へ戻ってきた守は、どうやら既に秋ちゃんからお説教を受けたらしかった。

「どこ行ってたの?」
「あー…練習場所探し!」
「だと思った。ほら、キャプテンが音頭取らなきゃご飯食べられないんだよ」

早く、と促して一斉に夕飯が始まる。現在は午後六時で、開会式は午後九時からだから七時半にはここを出れば良い。みんなも食べ終わるのは早いし遅れることは無いだろう。そう思って味噌汁を飲んでいれば、守がガタリと立ち上がった。いったい何事。

「ご馳走様!ちょっと行ってくる!」
「どこに」
「タイヤを探しに行くみたい…」

…練習場所の次はタイヤか!いや、守が練習にタイヤを使うのは知ってたけれど、先に言っててくれたらこっちで用意するように手配しておいたのに。…まぁ、時間的にもあと一時間は余裕があるだろうから見逃すとしよう。
しかしそんな私の優しさとは裏腹に、守が帰ってこない。あと十分で集合時間だというのに、何処まで探しに行ったのだろう。

「ふゆっぺ、ごめんちょっとそこまで守のこと探してくるね」
「…大丈夫?外真っ暗だけど…」
「大丈夫」

この辺りをうろちょろしていれば会えるかもしれないし、とりあえず浜辺の方に向かってみる。すると途中で小型のトラックとすれ違った。乗っていたのはお爺さんと男の子が一人ずつ。男の子の方と目が合って何故か目を見開かれたものの、特に何か覚えがあるわけでも無かったので私は気にしないことにした。…それにしても、さっきのトラックの荷台には普通サイズのタイヤが乗せられていた。そのタイヤを見て何かに思い至る。今トラックがやってきた方へ駆けていけば案の定、守がタイヤの前に居た。

「コラ、守!」
「うえっ!?」
「今何時だと思ってるの…」
「…あっ、忘れてた!」

指摘すれば途端に慌て出した守の手を引っ掴み、私たちは急いで守の部屋に戻る。とりあえず着替えも用意したし、万が一を考えて濡れタオルも用意してあるから五分で支度を済ませるとしよう。
守にとりあえず下着以外を全部着替えるように指示しながら濡れタオルを渡した。その最中にふと私は尋ねる。

「あのタイヤ、もしかしてトラックのお爺さんにもらった?」
「あぁ、譲ってもらったんだ!」
「へぇ、良い人だね」

そう言えば、守は途端に黙り込んだ。私は何か不味いことを言っただろうかと不安になり顔を覗き込んでみると、そこには悩ましげに首を傾げる守の姿。どうやらお爺さんに対しての印象について悩んでいるようだが、手は休めないで欲しい。そして守は最終的に、そのお爺さんに対してこう結論付けた。

「…変なお爺さん?」
「…不審者ではないよね…?」

助手席には男の子がいたし、タイヤを餌にして誘拐する不審者とかそんなんじゃないと良いのだが。





何とか守の支度が時間以内に終わり、やや飛ばし気味で駆けつけた開会式の会場。入場行進の説明を受けて、いよいよ入場口に並ぶ。さっそく一番手のブラジル代表が行進していくのを見て、監督がみんなを見据えた。その真剣な表情に、私たちの顔も思わず引き締まる。

「…全員揃っているな」
「はい!」

…ここからだ。いよいよここから、イナズマジャパンにとって佳境となるであろう戦いが始まる。何せ今、ここに居るのは各地の激戦を勝ち抜いてきた強豪中の強豪たち。生半可な戦いじゃ簡単にやられてしまう。…でも、守たちならやってくれる。世界中をアッと言わせてしまう程に素晴らしい試合で世界一に輝ける。私はいつだってそれだけを信じていたのだから。

「よし…行こうぜ!」
「おう!!」

入場していくみんなを見送って、私たちはテレビ中継の見られる控え室に戻る。ちょうどイナズマジャパンの紹介をしていたらしく、その解説を聞けば聞くほど聞き捨てならない気がするのはどうして。「まぁ健闘して欲しい」というような励ましに聞こえるのは私だけだろうか。
そんなモヤモヤを抱えていれば、次に入場してきたのはアメリカ代表。その中にいるメンバーのうち、どう見ても見覚えのあり過ぎる二人を見つけて私たちは仰天した。

「一之瀬くん!?」
「土門くんまで…」

アメリカに用事があるとは聞いていたがまさかアメリカ代表に選ばれていたとは。勝手に二人とも日本国籍だと思っていたのだが、本当はアメリカ国籍だったのだろうか。もしや二人は日本では留学生扱いだったのかもしれない。少し前までは頼もしい味方だった二人が今度は敵として対戦する。少し複雑だけど、守はきっとそれすらも楽しみに変えて全力で戦うのだろう。

「…よし、絶対アメリカ代表には負けないようにしようね、秋ちゃん」
「えぇ、そうね。一之瀬くんたちをギャフンと言わせてやらなくちゃ」

そんな冗談めいたやり取りを口にしながらも、目は真っ直ぐにテレビを見つめ直した。どこもかしこも強そうなチーム。そんな彼らを倒して、私たちは絶対に世界一に立ってみせるんだ。





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