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バスの車内は終始無言だった。誰も何も話すことなく、宿泊所へと到着する。…みんな、守や鬼道くんたちに顔向けが出来ないと気まずそうだった。かくいう私も、監督たちにまで顔向けが出来ない。成り行きとはいえ、監督の地位を預かった私はこのチームを勝利に導く義務がある。それなのに、私がチームにもたらしたのは敗北の二文字だった。それが、自分でも情けなくて仕方ない。

「みんなー!」
「キャプテン!」

だからこちらへ走り寄ってくる守たちを見て、私は思わず顔を背けた。…合わせる顔が無かったから。
そして守たちは、自分たちが試合に間に合わなかった訳を話し始めた。その理由はまさかの、総帥さんによる妨害。イタリア代表までもを巻き込んで、守たちが試合に間に合わないようにしたのだという。…なるほど、だから監督たちも急に本部なんかに呼ばれたのだろう。イナズマジャパンの戦力を削いでみせることで、チームの弱体化を図られたのだ。
…でも、それでも私たちが負けて良かった理由にはならない。私は俯きつつも、守たちに向けて口を開く。

「ごめん、守。…勝てなかった。チームを、上手く指揮できなかった」
「薫…」

もっと私が上手く指揮できていれば。あの指示をもう少しだけ早くできていたなら。…そんな今更な後悔が次々に押し寄せて、私の心を刺していく。もっとやれることがあったんじゃないかなんて、私自身が私を責めた。…けれど、それを否定したのは他でも無いみんなだった。私の情け無い姿を見ていたくせに、みんなは私を責めない。

「そんなことないです!俺…あのとき薫さんに名前を呼んでもらえたから俺、さらにパワーが出たんです!!」
「そうだ、お前の指揮のおかげで救われた場面も何度かあった。…お前が居て良かったよ、薫」

…駄目だ、泣きそうになる。泣きたくなんてないのに。嬉しくて涙が出てしまいそうだ。ただ外から見て声を飛ばすことしかできなかった私に、みんなは優しい声ばかりかけてくれるから、それが嬉しくて幸せでたまらない。

「…ありがとう」

思わずボロボロ溢れた涙を、顔を覆うようにして拭っていれば、守が仕方なさそうに笑って私を抱き締めてくれた。それを私も強く抱き締め直して静かに泣く。
だって本当は怖かった。私なんかがチームを指揮するなんてそんな重大な責任、負う覚悟なんてしてなかったから。だからそうやって認めてもらえたことが堪らなく嬉しかったんだ。





結局あの後、帰ってきた監督たちにも「よく頑張ったな」と珍しくお褒めの言葉をいただいてやっぱり泣いてしまった。あれがあの時の最善策だったと言われて、私は間違っていなかったのだと言外に励ましてくれたその優しさが嬉しい。
それに今日負けたからといってまだ本戦に上がれないと決まった訳じゃない。一つのグループから本戦に上がれるのは上位二チームなのだから。

「よーし!残りの試合、全勝目指してまた明日から練習だ!!」
「おう!!」

そんな守の鼓舞で、みんなの落ち込んだ様子もすっかり払拭された。私もそれに気持ちを引き締め直して、明日から改めて頑張ろうという気持ちにさせられる。思わずその夜の仕事も張り切ってしまったくらいだ。

「もう!薫ちゃんは今日監督役で大変だったんだから、あとはゆっくりしてて!」

そう言われて台所を追い出されてしまえば何も言えない。せっかくの好意なので、肩を竦めながらも自室の方に退散させてもらった。
そしてお風呂から上がって、髪を乾かすことも億劫な状態のままぼんやりと窓の外を眺める。市街地から少し離れたこの場所は、人工の光が邪魔をしないおかげで星がとてもよく綺麗に見えた。
ふと、そこで誰かが私の部屋のドアを叩く。こんな時間に誰かが訪ねてくるのも珍しくて不思議に思いながらもドアを開ければ、そこにはお風呂に入ったせいで髪をすっかり下ろしてしまっている豪炎寺くんが居た。

「風邪を引くぞ」
「…豪炎寺くん」
「今暇なら、少し歩かないか」

苦笑しながら私の肩にかけてあるタオルで優しく髪を拭ってくれたのはありがたいのだが、そういう豪炎寺くんも髪は濡れたままだった。いっそ、そう指摘してやろうかと思ったのだけど、その目があまりにも優しいから止めにしてしまう。
そして豪炎寺くんからのお誘いは、せっかくだからと了承を返した。人に見つかると少し面倒なので、こっそりと廊下を歩いて玄関先を目指す。

「どこに行くの」
「海の方だ」

外履き用のサンダルをつっかけて外に出る。島は南半球だからか気候が夏なのだけれど、夜はやはり冷えてしまう。それを知ってか、豪炎寺くんは黙って私の肩に自分のジャージを羽織らせた。
…温かい。先ほどまで豪炎寺くんが着ていたからなのか温もりがまだ残っている。
ジャージを着てチャックをしっかり上まであげたところで、豪炎寺くんから何も言わずに左手を差し出された。一瞬迷ったけれど、右手を重ねてそっと握る。豪炎寺くんは僅かに微笑んで、そのまま私の手を引いて歩き出した。

「足元に気をつけろ」
「うん」

海沿いの遊歩道を歩きながら眺める海はとても静かだった。潮騒の音だけを聴きながら、しばらく私たちはどちらも一言も話さないまま景色だけを眺めて歩き続けて、やがてひとつだけ設置されていたベンチに辿り着く。座るか、と久方ぶりに豪炎寺くんの方から口を開いたのに対し、私は黙って頷くことで答えた。豪炎寺くんの左隣に腰を下ろす。手はまだ先ほどからずっと、繋がれたまま。
そして、少しだけ間を置いてからその話を切り出したのは豪炎寺くんからだった。

「…悪かったな、勝てなくて」
「…え」
「必ず勝つと言ったくせにな」
「豪炎寺くん」

豪炎寺くんが何のことを言っているのかはすぐに分かった。…今日の話だ。そして豪炎寺くんがなぜ謝っているのかも理解できる。思い出したのは、今日の試合前に君が私の手を握って告げた言葉だった。

『必ず勝つ。だからお前は俺たちを信じていれば良い』

たしかに豪炎寺くんはそう言ったよ。でも勝てなかった。力があと一歩及ぶには遅すぎたから。
だけど、私は豪炎寺くんに謝って欲しくない。少なくともあのとき不安で潰れそうだった私の心を救い上げてくれた豪炎寺くんの言葉を、他でもない君だけは否定しないで欲しかった。
けれどそのことを上手く伝えることの出来る言葉は見つからなくて、けれどどうにかしてこの想いを伝えたくて。私は意を決して豪炎寺くんの名前を小さく呼んだ。そして、勇気を振り絞って豪炎寺くんの頬に唇を寄せる。軽いリップ音が頬の上で鳴って、不意打ちだったせいか豪炎寺くんがピシリと固まってしまうのが分かった。それを見て少し照れ臭くなって、私は誤魔化すように豪炎寺くんの肩に寄り掛かる。

「な」
「…今日の、お礼」
「お礼」
「私ね、豪炎寺くんが必ず勝つって言ってくれて嬉しかったよ。心強かった。豪炎寺くんのおかげで、私は下を見ないで済んだんだよ。…だから、ありがとう」

自分を責めないで欲しい。君の力が及ばなかったと悔やむなら、そんな君を上手く指揮できなかった私だって同じくらい駄目だった。…きっと、響木監督や久遠監督ならもっと上手い指揮が取れたはずだ。相手に馬鹿にされないような素晴らしい作戦を立てて、たとえチームの要が揃っていなくたってチームを勝利に導けた。
でも君たちはそんな私を誰も責めなかったじゃないか。ならどうして私がみんなを、優しい君を責めると思ったの。

「…カッコ悪かっただろ」
「なんで?負けたから?…私、サッカーがすごいから豪炎寺くんを好きになったんじゃないよ」

たしかに豪炎寺くんのサッカーが好きだ。人に希望を与えてくれるような素晴らしいプレーをしてくれる君を、私は仲間としても誇りに思う。けれどそれは君の魅力の一つであって、私が好きになったのは豪炎寺くんの本質だったのだから。

「君は優しくて、いつだって私を助けてくれたヒーローだったから。だから私は、君のことが好きになったんだよ」

こうやってわざわざ謝りにきてくれるような気遣いを見せてくれるところも、君の優しさの一つなのだと思う。そう言えば豪炎寺くんは仕方なさそうな、それでいてどこか嬉しそうに目を細めて私の手を握り直した。
そこからしばらく夜の海を眺めながら他愛の無い話をして、砂浜を少し歩いてみたりなんかして。実に一時間弱経った頃、私たちはようやく宿泊所に帰還した。とっくにみんなが寝静まる中、足音を忍ばせて私を部屋まで送ってくれた豪炎寺くんにジャージを返す。

「これ、ありがとう。温かかったよ」
「そうか」
「また明日ね。おやすみなさい」
「…薫」

私の告げた就寝の挨拶の代わりに名前を呼ばれて顔を上げれば、豪炎寺くんの手が額に向かって伸びてきたのを視界に入れて、思わず反射で目を閉じる。豪炎寺くんは、指先で何故か私の前髪を掻き分けたかと思うと小さく笑ってみせた。
そして次の瞬間、額に何やら柔らかいものが押し当てられる感触がして私は今度こそ息を止まるような心地で目を見開く。

「…仕返しだ。やられっぱなしは性に合わないからな」
「は、い…」

額に手を当てながら俯いて静かに頷く。今豪炎寺くんの方を見たら死んでしまう自覚があるので顔を上げられなくなってしまった。そのことを察しているのか、豪炎寺くんは可笑しそうに小さく笑って私の頭を撫でてから今度こそ「おやすみ」を告げて廊下を歩いて行く。その背中に小さくおやすみを呟き返してから、私は部屋に戻った。…今夜、果たして私は寝られるのだろうか。





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