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「代表の入れ替えを行う」

朝のミーティング中に淡々とそう言われた時、私は一瞬何を言われたのかが分からなかった。監督の言葉をもう一度頭の中で繰り返して、私は戸惑いながら尋ねる。

「誰を、ですか」
「栗松だ」

息を呑んだ。栗松くんは、昨日のアルゼンチン戦での必殺タクティクス攻略に一役買ってくれた選手だ。何故彼が入れ替えられるのだろう。何か不都合なことがあったのだろうか。…そう一人で自問自答していれば、監督は静かに答えをくれた。

「アルゼンチン戦であいつは足首に怪我を負っている」
「!」
「あの状況だ、慣れないお前が気がつかないのも無理は無いが」

…自分でも血の気が引いていくのが分かった。栗松くんの怪我に、私は気がつかなかったというのか。しかも足首なんて、サッカーをする上では重要な箇所の怪我。私は栗松くんにどれくらいの負担をかけていたのだろう。そう思うと自分が情けなくて、どうしようもなく泣きたくなった。けれどそれは私だけの都合だから、私は唇を噛み締めて呻くように返事を絞り出す。

「…すみま、せん。分かりました」
「代わりの選手は既に昨夜には連絡して呼び寄せてある。追加メンバーは吹雪士郎だ」

士郎くんが復帰する。その言葉はすごく嬉しかったし、今日まで怪我を治してきたであろう彼の努力を思えば喜びたかったけれど、その代わりに抜けなければならない栗松くんの事情を思えば素直に喜べなかった。
そしてそんな士郎くんはどうやら、今日の昼前にはこちらに着くらしい。その時に代表入れ替えを発表する、という言葉でミーティングは終了した。

「…しっかりしなきゃ」

足首の負傷による入れ替え。それはつまり、休みを与えても回復しきれないほどにダメージが激しいということに他ならない。そんな怪我に気づかないなんて緩んでいる証拠だろうか。たとえ慣れない監督業でパニックになっていたとしても、一時的にチームを預かっていた以上はそんな異変に気がつくべきだったのに。だって監督たちはいつもあんなに鋭く、みんなの不調を見抜いていたじゃないか。

「…どうかしたのかい、薫さん」
「基山くん」

気にしたくないと思えば思うほど深みにハマっていく思考に思わず顔を暗くしていれば、向こう側から何かを探すような素振りで歩いてきた基山くんにそれを指摘されてしまった。でも栗松くんのことは言わないように厳命されていたし、私も自分の情けないところなんて見せたくなかったから黙っていた。すると何を思ったのか、基山くんは静かに微笑んで何故か携帯を取り出した。

「さっき、緑川から写真が送られてきてね。薫さんに見せようと思って探してたんだ」
「…緑川くんから?」

ほら、と差し出された覗き込んだ先。画面の中に写っていたのは、泥んこになりながらも緑川くんを始めとして、砂木沼さんや南雲くんに涼野くんまで、おひさま園のメンバー勢揃いで並んだ写真だった。楽しげなメッセージには、みんなが緑川くんの代表復帰の為に特訓に付き合ってくれているのだと書かれている。

「無理だけはするなって言ってるんだけどね」
「緑川くん、楽しそう」
「うん」
「…よかった」

強者揃いのメンバーの中で、緑川くんが伸び悩んでいたことを知っていたから、それはなおさら。こうして生き生きと笑って、サッカーを心から楽しんでいるかのような顔を見られたことが、堪らなく嬉しい。…怪我のせいでチームを抜けることになってしまった緑川くんを置いて行かなきゃいけないのは、とても心配だった。自棄にならなきゃ良いのだが、とも思っていたからこうして元気そうで何よりだ。
そう一人胸の内で安堵していれば、基山くんが私の顔色を窺いつつ、「大丈夫かな」と声をかけてくれる。…どうやら私は、基山くんに気遣われてしまったらしかった。

「君が何に悩んでいるのかは分からないけれど、きっと大丈夫だ」
「…そうかな」
「うん、俺と緑川が保証するよ。…それに薫さんには、君を助けてくれる王子様が居るだろ?」

微笑ましげにそう言われて思わず赤面する。基山くんが誰のことを言っているのかはすぐに分かったから。…王子様、か。たしかにそうなのかもしれない。私はずっと今まで彼のことをヒーローだと思っていたけれど、想いが通じ合った今となってはもう私だけの王子様でもあるのだ。
どんな女の子が羨んだって、王子様な豪炎寺くんは私のものなのだっていう優越感があるのだと言ったら、豪炎寺くんはどんな顔をするのだろう。笑うのだろうか、それとも呆れるのだろうか。

「…元気になったかい?」
「…うん、ありがとう基山くん。…あの、でも、あんまり揶揄わないで欲しいかな…」
「善処するよ」

それ絶対しないやつ。
基山くんのことは、頼りがいのあるお兄さんタイプなチームメイトだと思っていたけれど、少しだけその印象を変えた方が良いのかもしれない。だって頼りがいのあるお兄さんはこんなこと言わないのだから。





「薫ちゃん!!」
「し」

再会して早々、私が士郎くんの名前を呼ぶ前にタックルの勢いで飛びつかれた。ひっくり返りそうになるのを根性で堪える。いきなりでビックリした。でも私も久しぶりに会えて嬉しいのは同じなので背中を優しく叩いてやれば、それを見ていた久遠監督からもの言いたげな視線を感じたので、慌てて士郎くんを宥めて体を離した。

「すみません」
「…話を進めるぞ」

イナズマジェットでこちらに到着したばかりの士郎くんにこれからのことについて説明する。…と言っても特に大したことは無いし、実際今日からの日程と宿泊所の案内くらいしか話すことは無かった。なのでさっそくみんなの元へ士郎くんを連れて行くことになる。みんなはまだ士郎くんが来ていることを知らないからビックリしそうだ。
案の定、士郎くんを連れてやってきたグラウンドでは士郎くんの帰還を喜ぶみんなの歓声が響いていた。…その後に、監督から告げられた栗松くんへの帰国命令にも、愕然としていたけれど。

「薫先輩は、栗松の足のこと知ってたんスか?」
「…ううん、私も昨日知ったの」

知ってたら、きっともっと何かできたはずだから。
ひとり自嘲して、大空を飛んでいくイナズマジェットを見送る。…栗松くんは雷門中の時からの大事な後輩だ。半田くんや染岡くんに次ぐ古参と言っても過言じゃない。だからこそ思う。私はもっと、栗松くんとも戦っていたかった。

「大丈夫だよ、薫ちゃん」
「…士郎くん」
「僕が栗松くんの分まで頑張るから」

…士郎くんの真剣な顔に、私はゆっくりと頷いて顔を上げる。そうだ、ここでくよくよしてたらそれこそ栗松くんに顔向けができない。彼はまた、パワーアップして帰ってくると言っていた。それなら私は先輩として、その言葉を信じて待つべきなのだから。

「ところで薫ちゃん」
「?」
「ヒロトくんにいろいろ写真を送ってもらったんだけどね。僕、たくさん聞きたい話があるんだ」
「エッ」

にっこり笑顔でガッシリ腕を掴まれたおかげで逃げ場が消えた。大事な友達でもある士郎くんを手荒に振り払うこともできず狼狽えていれば、士郎くんはどこかウキウキした表情で口を開く。

「今夜話を聞かせて欲しいんだ。具体的には僕が居なかったときの豪炎寺くんとの話を」
「……お手柔らかにお願いします…」

どう足掻いても逃げられないと悟った。いや、別に私と豪炎寺くんの関係性をよく知ってる士郎くんに話すことに抵抗は無い。女子トークの要領でむしろ全部吐かされる。ただ遺憾の意なのは、私の救いを求める視線から微妙に目を逸らした豪炎寺くんのこと。じぶんだけにげたな。

「安心してね、薫ちゃん。豪炎寺くんには明日聞くから」
「いいよ」

死なば諸共。私だけ恥ずかしい思いなんてさせるものか。君が私のことを助けてくれるヒーローで、私だけの王子様だというのなら、これくらい道連れにしたって構わないでしょう。
士郎くんから頼もしく親指を立てられて、私も同じく立て返した。ふふふ、せいぜい私と同じく羞恥に悶えてしまうと良い。





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