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ふゆっぺの荷物を持ち、久遠監督と共にタクシーに飛び乗ってふゆっぺの搬送された病院へと向かう。病院に着くまでの車内で、監督は何故かずっと静かなまま、どこか何かに焦りを感じているようにも見えた。でも私もそれを指摘することは憚られてしまい、同じく黙って到着を待つ。

「久遠監督、薫」
「守、ふゆっぺは…」

病室に入ると付き添っていたのは守一人で、やはり守との買い出し中に倒れたらしい。しかもその原因が交通事故に遭いかけたことだと聞いて思わずゾッとした。守がふゆっぺの腕を引いてくれたから良かったものの、下手をすればどちらも大怪我をしかねない大事故になっていたところだ。
そしてそんなふゆっぺなのだが、先ほどから苦しそうに呻いている。眠っているのに何かに魘されているかのような様子。思わず手を握ってしまえば、監督はそんなふゆっぺの顔をじっと見つめて、どこか後悔したように小さく言葉を吐き出した。

「…やはり、お前を連れてくるべきではなかった」
「…監督?」
「でも、事故には巻き込まれなかったし…気を失っただけで」
「事故を見たことが問題なんだ」
「…え?どういうことなんですか」

私たちの訝しげな顔を見て、監督が話してくれたのはふゆっぺの過去についてだった。転校してしまって以来、一度も会うことのなかったふゆっぺに起きたことを。…初めて監督と出会った日、再会したふゆっぺのことを思い出す。あれだけ仲の良かったふゆっぺが、欠片も私のことを覚えていなかったことに私は疑問を抱いたものの、監督が何も聞くなと言った。だから私は何も聞かず、ふゆっぺと新しい友人として付き合っていたのだけれど。

「冬花には、昔の記憶がない」
「…え?」
「…いや、私が記憶を消したんだ」

…やっぱり、監督はふゆっぺの実の親では無かったらしい。話によれば監督は、桜咲木中での事件で監督を辞めたものの、数年後には小学校の教師になった。ふゆっぺとはそこで生徒として出会ったそうなのだ。しかし、そんなふゆっぺにはある日悲劇が起きてしまった。実のご両親との外出中、ふゆっぺを除いたご両親が事故で亡くなったのだ。
監督は、両親を失ったショックで生気を無くしたふゆっぺを救うため、医師の勧めで催眠療法を選択したらしい。両親の記憶を全て封じ込めることで、ふゆっぺを生かそうとした。

「…だからふゆっぺは、私たちのことを」
「…だが、私は今も悩んでいる。私がしたことは正しかったのか。冬花の本当の人生を、奪ってしまったのではないかと」

監督も苦しみながら、それでもふゆっぺを守ろうとしていたらしい。自分の選んだ選択に疑問を持ちながら、ふゆっぺの本当の幸せを考え続けて。
…そしてそんなふゆっぺが、今のように魘され始めたのはつい最近のことだという。監督がかつて封じ込めた記憶が再び蘇る前兆であるのだろうとも。

「円堂、お前たちは冬花が幸せな時に一緒にいた。お前たちと居ることで、その頃の記憶が呼び起こされているのかもしれない」
「だったら、記憶を戻してあげれば」
「…でも、そうしたら、ふゆっぺは両親の死を受け止めなくちゃいけなくなる…」
「その通りだ」

肉親が死ぬということは、身を引き裂かれるよりも辛いことだ。ましてやそれが自分の目の前で起きた惨劇であるならなおさら。私だって、もしもそれが守であったり、お母さんたちであったり、…豪炎寺くんであったなら、きっと絶望に打ち拉がれたのに違いないから。
今日はもう先に帰りなさい、と監督に促されて私たちは一緒に病院を出た。タクシーに乗る気分では無かったから、一緒に歩いて帰ることにする。どちらも無言のまましばらく歩いて、先に口を開いたのは守の方だった。

「…薫は、覚えてるか?公園でふゆっぺと遊んだときのこと」
「…守が蹴ったサッカーボールが、私とふゆっぺが作ってた砂のお城にぶつかって、守が初めてふゆっぺを泣かせたときのこと?」
「あぁ、そのあと薫にすっげぇ怒られたやつ」

覚えてるよ。幼い頃の記憶だったとしても、私はどの出来事だって鮮明に覚えている。ふゆっぺは私にとって初めての親友だったのだ。出会ってから引っ越してしまうまでの一年間。一緒に居られた時間はとても少なかったけれど、それでも私にとってはどの思い出もかけがえのない唯一無二の宝物だから。
…正直に言えばふゆっぺには私たちのことを思い出して欲しい。三人で紡いできた思い出を、ふゆっぺに忘れて欲しくない。だけどそれは、ふゆっぺの命を犠牲にしてまで叶えたい望みでは無いから。

「ふゆっぺ、もう大丈夫なのか?」
「うん、心配かけてごめんなさい」

次の日、ふゆっぺは何事も無かったかのように練習へと復帰した。監督が何も言わずに参加させているところを見ると、どうやら強がりでもなく本当にちゃんと回復したらしい。安堵が半分、複雑さが半分胸を占めている中、ふゆっぺがこちらに駆け寄ってくる。

「薫ちゃんも、ありがとう。お父さんに聞いたの。薫ちゃんもお見舞いにきてくれたって」
「気にしないで。それよりも、ふゆっぺが元気になって良かった」

そう言って笑いかければ、ふゆっぺはそんな私の反応にどこか懐かしそうな顔で目を細めた。その反応の意味が分からず、思わずぽかんとしていれば、ふゆっぺは少し慌てたように手を振って口を開く。

「昨日ね、夢に小さい頃の守くんと薫ちゃんが出てきたの」
「…私たちが?」
「うん。よく覚えてないけど、悲しくてたまらなくて泣いてる私に、今みたいに笑って手を差し出してくれた」

嬉しかったの、と。少しだけ照れ臭そうにそう言ったふゆっぺに、私は思わず泣きそうになるのをグッと堪えてふゆっぺを抱き締める。突然の行動にふゆっぺや周りのみんなはギョッとしているけれど、こんな泣きそうで情けない顔を見られるよりはずっとマシだと思ったから。





しかしふゆっぺのことを心配している間にも、大会はどんどん先に進んでいく。アルゼンチン戦を終えた次の私たちの相手はあのアメリカ代表だ。昨日のダイジェストを見ていても感じたのだが、土門くんと一之瀬くんもいるユニコーンとの試合はきっとこれまで以上に熱く難関なものになるのに違いない。
今日はあいにくの雨なおかげで練習は筋トレだけのみに終わってしまったものの、私も張り切らなければということで本日は買い出しに来ていた。何故なら珍しく秋ちゃんが練習も終わって早々に「約束があるから」と飛び出していってしまったからだ。もちろん、ちゃんと自分の仕事は終わらせてからだったけれど、誰と約束があったのだろうか。

「…あれ、土門くん?」

買うものを買ったものの、せっかくアメリカエリアまで足を運んできたのだから散策してみようと歩いていれば、少し先の方で雨に打たれながら歩いている土門くんらしき背中が目に入った。あのままでは風邪を引いてしまう。それを危惧して私は駆け出すと、土門の名前を呼んだ。

「土門くん!なんで雨の中傘も差さないで…」
「…あぁ、薫ちゃんか。悪い、ちょっと雨に濡れたい気分だったんだ」
「…何かあった?」
「!」

どこか空元気にも見えるその振る舞いは、まるで前に土門くんが帝国のスパイとして雷門に潜り込んでいた頃のものと重なって見えた。きっと何かあったのだろう。誤魔化されても私には分かる。
しかし土門くんはその質問に答えないまま、少しだけ気まずそうに笑った。…聞かないで欲しいと、その目が言っている。だから私もこれ以上は何も聞けなくて。

「…アメリカ代表の宿泊所までは、せめて送らせてね」
「悪いな。…本当に、悪い」

悲しそうに笑う土門くんが何を悩み、何を抱えているのか分からない。それでも彼の友人として、そんな顔をして欲しくないとは思った。いつも飄々としていながら、チームを気遣ってくれる優しい人。そんな土門くんが一人悩んで、傷つくようなことにならないことを願った。

「…じゃあ、次はまた試合の時かな」
「あぁ、お互いに頑張ろうぜ」
「どっちが勝っても恨みっこなしだよ」
「もちろん」

他愛もない話をしながらたどり着いたアメリカ代表の宿泊所に土門くんを送り届けてから、私も元来た道を引き返す。一度途中で振り返ってみれば、そこにはまだ私を見送る土門くんの姿が見える。…大丈夫だろうか、土門くんは。

「…せめて一之瀬くんに相談できてたら良いんだけどな」

土門くんにとっては親友で、幼馴染な一之瀬くん。そんな一之瀬くんに今の土門くんが悩みを吐き出してくれたなら、もっと彼は楽になれるのだろうか。そんなことを考えた。
…そしてそんな次の日の夜、少しだけ秋ちゃんの様子が可笑しい。何か不安そうな…本人もそれが何か分かっていないらしいけれど、浮かない顔なのは見ていて分かる。

「秋ちゃん、大丈夫?」
「大丈夫よ、心配しないで」

…その無理やりな笑顔で言われても、心配するしかないのだが。
そんな一抹の不安を抱えながらも明日、とうとう私たちイナズマジャパンは、土門くんや一之瀬くんを擁するアメリカ代表とぶつかることになる。





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