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不安や心配が募る中、アメリカ代表ユニコーンとの試合は見事イナズマジャパンの勝利で終えることができた。しかしそんな試合の裏、複雑な事情が絡み合っていたことを、私は後で秋ちゃんに聞いて仰天することになってしまった。それは、アメリカ代表との試合を終えて宿泊所に帰り、結局今日も少し様子がおかしかった秋ちゃんから事情を聞き出した時のこと。

「一之瀬くんが手術…!?」

何でも昔の事故の後遺症によって今後サッカーができなくなるかもしれなかったらしい。手術に成功すれば、またサッカーもできるようになるものの、その成功率は極めて低い。…だから、あんな大事な場面で一之瀬くんはベンチに下げられていたのか。ようやく理由が分かった。
でも、秋ちゃんもそんな一之瀬くんの事情を抱えながら応援するのは、きっと複雑だったのだろうなと思う。彼は秋ちゃんにとって大事な幼馴染なのだ。私にとっての風丸くんのようなもの。そんな人が、自分の生き甲斐を失ってしまうかもしれないと聞かされて、私は心穏やかで居られる自信は無い。

「一之瀬くんは、プロになった自分の試合を見に来て欲しいって、言ってたんだよね」
「…ええ」

この前、私が土門くんをアメリカ代表の宿泊所に送り届けた雨の日。秋ちゃんはどうやら一之瀬くんと会っていたらしい。そのときに告げられたのは「プロのユースチームに入る」という喜ばしい情報だったけれど。…実はそれは、秋ちゃんに自分の手術のことを言い出せない、一之瀬くんの咄嗟の嘘だったそうだ。いや、ユースチームに誘われたのは事実だそうだけど。
でも、それがその場しのぎで口に出したものだったとして、あの一之瀬くんが秋ちゃんに告げたことを嘘のままにしておくとは思えない。だから。

「きっと一之瀬くんは、手術もリハビリも成功させて、秋ちゃんのところに帰ってくるよ」
「薫ちゃん…」
「信じて待とうよ、一之瀬くんのこと」

一之瀬くんは絶対に帰ってきて、秋ちゃんに晴れ舞台を見せてくれるのに違いないのだ。一之瀬くんは秋ちゃんに対してはいつも誠実だし、きっと嘘を誠にしてくれる。そんな人間だということを、私はこの長くはないが短くもない付き合いの中で悟っていたから。

「…そうね、そうだわ!」
「その意気だよ、秋ちゃん」

秋ちゃんにはいつも元気で笑っていて欲しい。そう願っているのは、きっと私だけじゃなくて一之瀬くんも同じだと思うから。
そう励ませば、秋ちゃんも元気を取り戻してくれたらしい。マネージャーの仕事に戻ろうとその場で解散して、私は今日の試合データのまとめに入るために部屋へ戻ろうとすれば、ちょうどそこで風丸くんと鉢合わせた。

「…風丸くん」
「?どうしたんだ、薫…!?」

何も言わないまま私は風丸くんの肩を掴み、どこか異変が無いか簡単な触診を行う。私だって簡易的になら異変くらいには気づけるのだ。いきなりの私の行動に戸惑う風丸くんを他所に、特に異変は無さそうなことを確認した私は一つ頷いて、風丸くんに改めて向き直る。

「痛いところとか、具合が悪いとか無い?」
「な、無いけど…」
「風邪は引いてない?何も変なもの食べたりしてない?」
「ま、待て待て!いきなりどうしたんだ!?」

…なるほど、どうやら特に可笑しなところは無いらしい。それだけ確認して満足した私は、思わず満面の笑みを浮かべて風丸くんの肩を叩いた。

「これからもその調子で、健康に!」
「は…?」
「返事は!」
「あ、あぁ…?」

未だに私の行動の意味を解せていない風丸くんを放置して、私は一人頷きながら部屋に戻った。…大事な幼馴染だからね、彼にはいつまでも元気でいて欲しいのだ。これからもずっと、風丸くんには自分の好きなことを、自分のやりたいだけ精一杯頑張って欲しい。そう思うから。





「えぇ!?」
「カッパ!?」

アメリカ代表との試合を終え、残すはイタリア代表との戦いのみになった私たちイナズマジャパン。残された時間は少なく、それでも精一杯練習に励んでいる中、守が朝食中に何事かを言い始めた。「カッパ」というワードに、私は思わず肩を震わせる。…カッパ…?

「あぁ!昨日の夜俺がトイレに行く途中にさ!カタンて音がしたからそっちを見たら、じーっとこっちを見てるカッパが!ビックリしたのなんのって!」
「…キャプテンそれ本当にカッパだったんスか?」
「え」

壁山くんの疑わしげな声に、守はどうやら信じていないと思ったらしく、ムキになって身振り手振りでカッパの説明を始めた。

「本当だよ!本当に居たんだってば、カッパが!こーんな口して、頭には、こんなの乗せててさ!!」
「守、お行儀が悪い」

どうやらカッパの頭のお皿を表現したかったらしい守が、コップを頭に乗せたのを見て、私は嗜めながらそのコップを回収する。しかし私からのお小言に構っている余裕が無かったのか、守は縋るような目で風丸くんたちに同意を求め始めた。やめてあげなさい、風丸くんもみんなも強く否定できないせいで顔が強張ってるでしょ。

「嘘じゃない!信じてくれよ!!」
「円堂くん」

「カッパなんて居るはず無いだろ?カッパっていうのは、想像上の動物で、本当には居ないんだよ」
「…かもしれないけど…」
「きっと、何かと見間違えたんだよ」
「ヒロト…じゃ、じゃあ薫は!?」
「居ないよ」

いつもは味方の基山くんからさえバッサリと否定された守は、次に私へ目を向けた。そんな守からの縋るような問いかけに、私が即座に否定すれば、えぇーっ!?と守が抗議の声を上げる。珍しく守の意見に賛同しない私に、みんなが物珍しそうな目を向けてくるものの、私はこの意見だけは曲げるわけにはいかなかった。だって。

「居たら、逆に、困るでしょ」

思わずガチトーンになってしまった。でも仕方ないと思う。そんな訳の分からないものがこの世に存在していて、しかもこの宿泊所の周辺に生息しているとなったらおちおち夜も眠れない。私が。いや、別に幽霊などは見えないし触れないから怖くないが、河童などという実体のあるものが来たらどうしようもないじゃないか。日本に帰るのもやぶさかでは無くなってしまう。

「あのね、守。世の中一番怖いのは人間と、言葉では説明できない存在なんだから。…ね?」
「お、おう…」
「薫さん、目がすごいことになってるよ」

本当にその方向性のホラーだけは何があってもノーサンキュー。存在していないものに対する恐怖心は無いが、「居るかもしれない」という可能性は本当に恐ろしい。一人で寝られなくなったら守のせいだからね。
そう私が締めくくったところで、秋ちゃんがみんなに声をかける。それを聞いてみんなも練習の準備に入り始めた。その様子を見て一人途方に暮れたような守の背中を叩いて、私も守を促す。

「ほら、今日も練習でしょ、守」
「…うん…」

すごすごと部屋に戻っていく守に、私も一つ息をついてから練習の準備をすべく食堂から出て行った。午前中、監督は用事があって練習を見られないと言っていたし、それなら私が尚更気を張ってみんなの様子を見ていなくちゃいけない。今日も頑張らないと。





そんな朝の一幕があったものの、守は上手く切り替えられたようで、練習にはいつも通り集中できているようだった。他のみんなも調子は良い様子。顔色も良いし、特に懸念も無さそうだ。それに満足しながらも練習は無事に終了。今日はマネージャーのみんなで話し合った結果、イタリア代表戦に向けてみんなを鼓舞するために、おかかお握りを作る予定なのだ。…しかし。

「…先に穴を埋めなくちゃね…」
「良いんですよ薫先輩!それはちゃんと木暮くんにさせなきゃ!!」
「でも、ほら、知らない人が間違って落ちたら危ないし」

私はお握り作りよりも先に、先ほど木暮くんが染岡くんを騙して落としてみせた落とし穴を埋めることにした。いや、だって本当に危ないし。
それでもまだ納得いかないらしい春奈ちゃんを宥めすかし、私は建物の裏の方にあるであろうスコップを取りに向かった。そして思った通り、裏庭の納屋に置いてあったスコップを手にして表の方へ。しかしそこには何故か、穴の前で立っている豪炎寺くんが居た。

「どうしたの、豪炎寺くん」
「…他の奴が穴に気づかないまま落ちたら危ないからな。誰か見張ってた方が良いだろ」
「たしかに」

それを失念していた。二次災害を増やすわけにはいかないしね。しかしその見張り役を、他でもない豪炎寺くんにさせてしまうとは。午後からの練習もあるのだから、豪炎寺くんにも中でゆっくりしてて欲しいのだけれど。けれどそんな私の思惑を知ってか知らずか、豪炎寺くんは私に向けて無言で手を差し出した。その手の意味が分からず、思わず首を傾げていると、それを見て豪炎寺くんは僅かに苦笑して口を開いた。

「俺にやらせてくれないか」
「えっ、駄目」

だから、豪炎寺くんは午後からの練習で休まなきゃいけないとあれほど。しかしそんな豪炎寺くんにも言い分があるらしい。

「…お前だけに負担をかけたくない」
「…私だってそうなのに…」
「…駄目か?」

…そんな顔をされると、断ろうにも断れなくなるじゃないか。おのれ、私が豪炎寺くんに弱いと知ってのその顔だな?だって豪炎寺くんの方をジト目で見たら、楽しそうに目元を緩ませてるのが見えたし。…弱いのは本当だから、仕方ないのだけれども。

「…じゃあ、こうしようか。豪炎寺くんに任せる代わりに、私は今度豪炎寺くんのお願いを何でも一つ聞きます」
「…俺に有利じゃないか?」
「だって負担かかるの豪炎寺くんだけだし」

まぁ、何でもと言っても私ができる範囲でのお願いに限るが。一応そう注告したものの、豪炎寺くんはやはり楽しげに目元を緩ませたまま、私の頭を撫でることしかしなかった。何だか揶揄われているようで少しムッとしたものの、私は大人なのでグッと飲み込む。…まぁ、頭を撫でられたのは素直に嬉しかった訳だし…。
そんな豪炎寺くんのおかげで穴埋め作業は予想以上に早く終わった。次は昼食の準備に取り掛らなければ、と食堂に駆けつけて今度こそ秋ちゃんたちとお握りの準備を始める。そして全員分のおかかお握りを作り終え、後は並べるだけだと机に運んでいたところ、外周に行っていた基山くんと染岡くんに追いかけ回されていた木暮くんが帰ってきた。随分と遅かったね。

「…ごめんなさい!!」
「…え?」

しかし何故かそんな二人は私たちみんなに向けて頭を下げている。何か悪いことでもしたのだろうか。いや、木暮くんは染岡くんにやらかしまくりなので謝らなければいけないが、基山くんは特に何もしていないはずだけど。

「…あれ、怒ってない…?」
「ほらほら、木暮くんも座って。早くしないと無くなっちゃうわよ。…あと、あの落とし穴を埋めてくれた薫先輩と豪炎寺さんには、ちゃんとお礼を言うこと!」
「怒ってないの…?」
「…怒るって、何を?」

春奈ちゃんが念を押しているのを苦笑いで聞いていれば、木暮くんが怪訝そうな顔で窺ってくる。私も思わず秋ちゃんと顔を見合わせたものの、木暮くんの言っている意味が分からなかった。いったい何に怒れというのだろう。

「だって俺たち昨日帰って来なかったから…まぁ、朝起きてすぐ帰れば良かったんだけど…でも、森の中でサッカーしてたらこんな時間になっちゃって、だから俺…!」
「森の中…?何言ってるの、さっきまでみんなで練習してたじゃない」

…おや、何か雲行きが可笑しくなって来たぞ。たしか私の記憶違いで無ければ、木暮くんも基山くんも昨夜はちゃんと宿泊所に居たし、何なら話もしたんだけれど、木暮くん曰く二人は昨夜帰って来なかったらしい。そんな訳が無い。みんなは不思議そうな顔をして、何事も無かったかのようにお握りを食べ始めたけれど、私の胸中は現在大荒れ。何故こんな真っ昼間から恐怖体験もどきを聞かされなければならないのだ。

「みんなで…?」
「変なの」

思わず顔を真っ青にしていれば、守が心配そうな顔で「大丈夫か?」と聞いてくれる。それに対して力無く笑っていれば、どうやらまだ木暮くんに対しての怒りが収まっていないらしい染岡くんが帰ってきて、木暮くんを追い回し始めた。途端に騒がしくなった部屋の中に、何とか心を落ち着かせようと深呼吸していれば、そこに歩み寄ってきた基山くんが、何故か清々しい顔をしながら守に向けて一言。

「やっぱりカッパは居たんだよ!」
「居ないってば!!!!!」

思わず反射的に大声で否定したことをどうか許して欲しい。何せ常識人代表の基山くんが、朝冷静に否定していたはずのカッパの件でトチ狂ったことを言い始めたのが、地味にショックだったので。





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