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そんな茶々を入れている間に、イタリア代表の選手たちは何やら話をしたらしい。先ほどよりは何か気迫を感じるその雰囲気に、空気が変わったのが分かる。
試合再開のスローインは佐久間くんが行った。それが鬼道くんに渡り、染岡くんまで繋がったものの、しかしそこで相手選手に奪われた。そしてそのボールはこの試合で初めてフィディオくんに渡る。…やっぱり、先程の話し合いで向こうのチームは意識が変わったらしい。

「来いフィディオ!」
「守!」

中盤から上がっていくフィディオくんは守の待つゴールを見据え、そして周囲の選手に指示を出した。そして先ほどまでのちぐはぐぶりが嘘のように、彼らはフィディオくんの指示に従っている。走るフィディオくんを中心にして、選手たちが彼を囲い出した。…それは何かの、フォーメーションのようにも見えて。

「止める!」

しかし、ボールに集中し過ぎていたのか、フィディオくんのボールを風丸くんのスライディングが奪った。コート外へとボールは飛んでいったものの、ナイスクリアだ。…イタリアが何かを試し始めている以上、あまりボールを触らせたくない。

「どうやら動きが噛み合っていませんね、向こうのチームは」

目金くんはそう言って喜ぶものの、その噛み合わなさが怖い。だって、この光景を私たちはかつて何度も見てきた。FF地区予選のときも、本戦でも、エイリア学園との戦いのときも、アジア予選のときだって。いつだって、試行錯誤の末に勝利を掴んできたイナズマジャパンの試合風景と、この眺めはよく似ているような気がするのだ。そしてそれはどうやら響木監督も同じことを思ったらしい。難しそうな顔でグラウンドのフィディオくんを見つめている。

「!」

すると、途中で気がついた。いつのまにかフィディオくんを中心にして展開していた周りの選手たちの距離が、一定に保たれている。それがボールを持つ鬼道くんを囲んでおり、さながら包囲網のようにさえ見えた。そしてとうとう先を走っていた鬼道くんに追いついたフィディオくんが、尋常でないほど鋭い動きで鬼道くんのボールを獲りにかかる。その動きは、今までの試合では見たことないような、完成されたプレーで。

「そのプレーをやめろ!」

しかしそのとき、隣のベンチから怒号じみた糾弾の声が聞こえて我に返る。目を向ければそこには、取り乱したような様子でフィディオくんに向けて吠える総帥さんが居た。…ものすごいプレーをしているはずの彼に向けて「やめろ」という怒りの声。もしかして総帥さんは、フィディオくんのプレーを快く思っていない?

「私の全てを壊した、あの男のプレーなど!」

けれど、その後に発したこの言葉で何のことかはすぐに分かった。…思い出すのは、FF決勝戦前の鬼瓦のおじさんの言葉。影山零治という人間に憎悪を抱かせた、その存在の名前は。

『影山東吾という』

総帥さんの、実の父親だ。そして総帥さんのこの取り乱し方から、フィディオくんが今意図的に影山東吾のプレーを真似しているということが分かる。それが何のためかは分からないけれど、このプレーが総帥さんの怒りを買っている原因で間違いはなさそうだった。
しかし、フィディオくんはそんな総帥さんの言葉を拒否した。

「あなたが求めていたサッカーは、あなたの父影山東吾が中心に来ることで完成するのですから!」

それが何を意味していたのかは、次の瞬間に分かった。なぜならほんの瞬きの間に、佐久間くんや風丸くんに一度ボールを戻そうとした鬼道くんを嘲笑うかのようにして、その行手を全て阻んだ相手選手たちが鬼道くんを囲んでいたのだから。

「一瞬で囲まれただと!?」

愕然とする鬼道くんを、まるで鍵をかけられた堅牢な部屋の中のようなフォーメーションに閉じ込めたフィディオくんは、逃げ場を失い動揺した鬼道くんのボールを鮮やかに奪い取った。そしてそのまま、前線に駆け上がっていたエースストライカーにパスを出して。

「これが、カテナチオカウンターだ!」

フィディオくんたちがボールを奪うと信じていたらしいストライカーは、迷うことなく受け取ったパスでそのままシュートに転じた。守もあまりの素早さに動揺していたのか、必殺技を出す間も無く、相手のシュートはゴールネットに突き刺さる。…これで一対一。同点に追いつかれてしまった。
久遠監督もそのあまりにも鮮やかで凄まじい必殺タクティクスを前にして、思わずといった様子で呆然としている。

「…フィディオくんのプレーが、前に見たビデオとは違いました。監督、あれは」
「…影山の言うことを聞く限り、あれは影山東吾のプレースタイルなのだろう」
「!」

やっぱり、そうなのか。総帥さんの前に集うイタリア選手たちに目を向けながら息を飲む。何せ鬼道くんが動揺している隙とはいえ、彼を抜き去るほどの技術力を、フィディオくんが持っているということがここに証明されてしまったのだ。先ほどまでの嫌な予感が音を立てて当てはまったような気がした。まさかこんな土壇場で、あんな必殺タクティクスを完成させてくるなんて思いもしなかったのに。

「影山が、笑っている…」

悪どい笑みしか見てこなかった私にとっても衝撃だった。しかも、あれだけちぐはぐだったはずの監督と選手たちが今、一つになってしまった。そんな間の悪すぎることが他にあるだろうか。

「さあ!俺たちの本当のサッカーを見せてやるんだ!」
「おう!」

まだ試合は前半。しかも同点に追いつかれたこの流れは明らかに今イタリアに傾いている。具体的な打開策もろくに見つけることもできないまま、私が今できることは、これ以上の追加点を許さないように願うことだけだった。





その後監督は虎丸くんを投入して攻撃をあげていったものの、やはりカテナチオカウンターの壁は厚くフィディオくんの必殺技でついに逆転を許してしまった。思わぬ痛手に歯噛みするものの、そんな失点の合間に監督は打つ手を決めたらしい。ここで染岡くんに変えて不動くんを投入してきた。そして監督が鬼道くんに対して不動くんに伝言させたのは「鬼道が持ち込め」という単純な指示。側から見れば、動きが完璧に読まれている鬼道くんに持ち込ませるなんて無謀でしかないが、フィディオくんのプレーを見ていて何となく分かったことがある。それは。

「フィディオくんのプレーは、鬼道くんと何となく似てるんですね」
「その通りだ」

鬼道くんにサッカーを教えたのは総帥さん。そして総帥さんが追い求め、現在フィディオくんが体現しているのは影山東吾のプレー。つまり、実質的にフィディオくんと鬼道くんのプレーは同じだと言えるのだ。だからこそ鬼道くんはフィディオくんに動きをあそこまで完璧に読まれてしまっている。
しかしそれは逆を言えば、鬼道くんにもフィディオくんの動きが読めるということ。監督はわざと鬼道くんとフィディオくんを対峙させることによって正面突破を図ろうというわけだ。

「カテナチオカウンターを堅牢なものにする鍵はフィディオくん。通常ならそれを開ける鍵は存在しない。…イナズマジャパン以外には」

しかし鬼道くんならば、合鍵になり得る。あとは鬼道くん自身の実力に賭けての大博打だが、そのことに関しては特に不安も心配も無い。鬼道くんなら突破すると、私は、私たちイナズマジャパンは信じているのだから。
…そして私たちはその賭けに勝った。フィディオくんを見事に突破し、最前線の豪炎寺くんと虎丸くんに繋げたそのボールは、イタリアゴールを撃ち抜いたのだから。

「やった!」
「やりましたね!」

何とか突破口を見つけることができた。これでようやく私たちは対等。互角に戦うことができる。そのことに安堵して息をついていれば、そこでちょうど前半終了のホイッスルが高らかに鳴り響いた。…いつもよりも長く感じた前半だったような気がする。気持ちもいつもより疲れた。

「同点っス!」

壁山くんをはじめとして、ベンチに戻ってきたみんなも嬉しそうだ。無敵かと思われたカテナチオカウンターを破って得点したことが大きいのだろう。後半前に攻略できたことで、士気もさらに上がったのに違いない。後半も食らいついていけば勝てる、と意気込むみんな。…しかしそれに待ったをかける人がいた。

「…果たしてそうかな?」

鬼道くんだった。カテナチオカウンターを破った本人はしかし、その達成感に浸ることなくもう次の手を考え始めている。そんな油断無く戦況を見極める鬼道くん曰く、イタリアはこの試合中にあんな難易度の高いタクティクスを完成させてきたことも踏まえて、まだ力を秘めている可能性を告げた。…たしかに、仲違いさえしているように見えた険悪な雰囲気の中、こちらを圧倒するまでに巻き返してきたのには驚いた。それを思い返すと、鬼道くんの言うことにも一理ある。みんなもそのことを考え、思わず難しい顔でオルフェウスを見つめた。…そのときだった。

「…?誰か、入ってきた…?」

入り口から、見知らぬ少年がオルフェウス側のベンチに向けて歩いていくのが目に入る。ここは当然関係者以外立ち入り禁止だ。しかも今はハーフタイムとはいえ試合中。関係者でも滅多に立ち入ることはできない。思わぬ乱入者か、とこちらも眉を潜めていれば、しかし向こうはそうでは無かったらしい。「キャプテン」と呼び、慕うような声音でその少年を囲んだ。…キャプテン?

「キャプテンはフィディオじゃ…」
「そのはずだが…」

遠くからではあるものの話を伺ってみるに、どうやら彼の名前はヒデ・ナカタ。日本人でありながらオルフェウスの真のキャプテンであるらしい。しかし彼はチームのためを思い、キャプテンの座をフィディオくんに託して一時的に離脱。そうして今、満を辞して帰還したのだとか。
ふとそこでナカタさんが入り口側に目をやったのが見えてそちらに目を向けてみれば、そこには辺りを物珍しげに眺めている女の子と、引率のように手を繋いでいる少年が居た。少年は私たちと同年代くらいで、女の子はちょうど夕香ちゃんと同じくらいの年齢だろうか。選手の関係者か、と首を傾げていれば、そこで何故か総帥さんが顔色を変えた。

「ルシェ…どうしてここに…!?ナカタ、これはどういうことだ?ルシェをここに連れてくるなど」
「お言葉ですがミスターK、これはルシェの願いなんです。目が見えるようになったら、最初にあなたのサッカーを見たいってね」

どうやらあの女の子…ルシェちゃんは、総帥さんの知り合いらしかった。そしてナカタさんの言葉を聞く限り、ルシェちゃんは少し前まで目が見えなかったのだろう。さらに推測すれば、そんなルシェちゃんの目が見えるようになった要因は総帥さんにあるように見える。…同じくらいの歳である夕香ちゃんを、一度は意識不明の重体に追い込んだこともある総帥さんだ。それを簡単には信じられないけれど。

「だからといってこんなところに…!」
「…これが最後なんじゃないですか?」
「何?」
「今日を最後に、あなたの試合は見られなくなる。…違いますか?」

思わず鬼道くんを見た。鬼道くんもそれを聞いて驚愕している様子だ。どうやら総帥さんは、この試合を最後に自首を考えていたらしい。総帥さんはこれまでの悪事を自ら告発し、すべてを償おうとしている。…前半の総帥さんによる見違えたような指示。フィディオくんによって心の闇を晴らされた総帥さんは、きっとそのときに決めたのだろう。それをナカタさんは見抜いていたらしい。
総帥さんはこれまで、自分の復讐を果たすために手段を選ばず、多くの選手たちやその周囲の人間を犠牲にしてきた。…これまでサッカーとは何の関係も無かったルシェちゃんもそのうちの一人だったそうだ。そして総帥さんはそんなルシェちゃんのことが心の何処かに引っかかり、彼女の居る病院を見舞ったときに、目の病気を知ったのだという。

「その手術には、莫大な費用がかかることも」

総帥さんは、ルシェちゃんの手術にかかる費用を支援した。自分の策略で負ってしまった怪我が治った後も、手紙と共に。総帥さんはその行いを「気紛れだ」と目を逸らしたが、ナカタさんはその答えに納得しなかった。…罪滅ぼしのつもりだったのではないか、と。一人でも誰かに手を差し伸べることで、復讐心に囚われ続けていた本来の自分までをも救うつもりで。

「…おじさん?」
「!」

ベンチまで歩み寄ったルシェちゃんは、不思議そうな顔で総帥さんの背中にそう呼びかけた。肩を跳ねさせた総帥さんは振り向き、そうして正面からルシェちゃんと向き合う。…少しだけ、怖気づいているようにも見えた。あの総帥さんが、たった一人の小さな女の子に対して。

「ルシェ…」
「その声…やっぱりおじさんだ!」
「…見えるのか」
「うん!おじさんのおかげで、私の目、見えるようになったんだよ!」

どうやら総帥さんの顔を知らなかったらしいルシェちゃんは、嬉しそうに破顔してお礼を告げた。けれど総帥さんは、そのお礼を受け取らない。自分は感謝されるような人間ではないのだと、そう自嘲するように吐いた総帥さんに、しかしルシェちゃんはやや憤ったようにそれを否定した。総帥さんが手術費を払ってくれたこと、手紙でルシェちゃんを励ましてくれたこと。総帥さんにとっては取るに足らない些細なことであったとしても、彼女にとっては心の支えになっていたのだ。

「おじさん、ありがとう。私、サッカー勉強する。おじさんと、もっといっぱい話したいから!」

そう言って無邪気に笑ったルシェちゃんの笑顔に総帥さんは呆然としていたものの、やがて彼は穏やかな声音でルシェちゃんの頭を撫でながら告げた。

「…私には試合がある。話は後だ」
「うん、じゃあ後で!応援してるね!」

そんな、これまでなら有り得ないような総帥さんの行動を、言葉を、声を。私たちは呆然としながら眺めているしかなかった。





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