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ヘブンズガーデンという場所に拐われたというリカを助けるべく、山の側面を沿うようにして上へと続く道を駆けて行く円堂たちはやがて、一段と濃い雲の前に一度足を止めた。まるで人を拒むかのような雲の壁を前に誰もが息を飲む。

「あの雲を抜ければ、ヘブンズガーデンがあるんだね…」
「あぁ」

しかしここまできて怖気づく者は誰も居らず、全員がここから先に続く未知の敵に覚悟を決めて走り出した。そんな中で、円堂が思うのは未だに居場所の分からない己の片割れであった。あの老人たちの言葉を信じるのであれば、薫は危害を加えられることなく無事でいるし、いずれはまた会える。それでもなお、それが真実であるかも分からない以上は不安でしかなかった。

「大丈夫だよキャプテン」
「吹雪…」
「薫ちゃんはきっと無事だよ」

その微笑みに続けてぼそりと「豪炎寺くんがきっと助けてくれるはずだから…」という言葉が続いたものの、吹雪の言葉を自分に言い聞かせるのに忙しかった円堂の耳には幸い届いていない。バッチリ聞こえてしまったらしい風丸は「やべぇなこいつ…」と言いたげな目をしていたが、吹雪はやはりそれを微笑みと共に黙殺した。
そしてしばらく走り続けて雲を抜けた先、そこに見えた目的地を目にして塔子が声を上げる。

「見えてきたぞ!」

思わず立ち止まった面々は、そこに広がっていた光景に思わず呆然とした。まるで天国かどこかと見紛えるほどに美しい景色の中に、不気味な山の一部とは思えない清らかな緑が広がっており、そこがまるで異世界であるとでも言うかのような雰囲気を漂わせていた。

「あれがヘブンズガーデンっスか…本当に天使が住んでるみたいっス…」
「感心してる場合かよ!」
「…あそこに、リカが居るんだな」

皆それぞれ顔を見合わせると、頷き合いながら再び走り出す。どう見ても明らかに怪しく、ここからでも目につく建物は神殿のみ。そこにリカが居る可能性が高いと踏んだ円堂たちは、まずはそこに行ってみることにした。しかし敷地に踏み込み、神殿前にたどり着く後一歩手前のところで、こちらを窺う数人の少年たちの姿に気がついて足を止めた。そこには、あのときイナズマジャパンのグラウンドでリカを連れ去った三つ編みの少年も居て。

「セイン!」

半ば睨みつけるようにしてその名を呼べば、セインは憎々しげに、まるで邪魔者を見るかのような目で円堂たちを見下げながら吐き捨てるようにして口を開く。

「何をしに来た。ここは下界の人間が来るべきところでは無い。すぐに立ち去るが良い!」
「フン!何がすぐに立ち去れだ!仲間を取られてこのまま黙って帰れるかよ!」
「さあ、リカを返してもらおうか!薫の居場所も吐いてもらうよ!」

冷たく突き放しにかかるセインをよそに、土方と塔子が噛みつくようにして反論する。しかしそんな二人の言葉でさえも子犬の戯れだと言いたげな様子で気にも留めないセインは、聞き分けの無い子供に諭すかのような口振りで首を横に振った。

「それはできない。あのお方はライオコット島に平和をもたらす捧げ物。そして巫女様は平和を永きものにするための楔なのだから」
「捧げ物…!?」
「楔…!?何を言ってるんだ…!?」

…そのときだった。少し離れた場所から、何かに抗うかのような少女の声が微かに聞こえる。思わずそちらへと目を遣れば、そこには両腕を抱えられながら無理やりどこかへと誘導されているリカの姿があった。その姿は見知ったユニフォーム姿ではなく、やけに神々しく美しい衣装に包まれていて。

「リカ!」
「円堂!塔子!みんな来てくれたんや!」

救いの神でも見たかのように目を輝かせるリカに怪我をしているような様子は無く、ひとまず丁重に扱われていたことだけは分かって安堵した。しかし先ほどのセインが言い放った「捧げ物」という言葉。明らかに物騒なそれは、リカを何かに利用していると言っているようにしか聞こえなかった。そしてその嫌な予感はどうやら当たっていたらしい。

「はよ助けて!うち花嫁なんてなりたない!」
「花嫁…?」
「このお方には、千年祭で復活する魔王の花嫁になっていただく」
「魔王の花嫁!?」

悲痛な声で助けを求めたリカの言葉。そしてそれを補足するかのように衝撃の事実を話したセインに、その場の全員が瞠目した。ふと遠くを眺めつつ、セインは何やら彼らの間に伝わるらしい伝説を誦じてみせる。

「千年祭にて復活せし魔王…伝承により選ばれし者を娶り、再び深き眠りに着く」
「こいつら…魔王を封印するためにリカを花嫁にするつもりなのか!?」
「それじゃあ、魔界の奴らが音無と薫を拐って行ったのも…!」

魔界の民たちと同列に語られたからか、それとも彼らの話をここで出されたことがよほど不快だったのか、もしくは両方が気に障ったらしいセインは、顔を歪めつつ深いため息をつきながら口を開いた。

「否!奴らが求めているのは生贄だ!」
「生贄!?」
「野蛮なる魔界の民は、魔王に生贄を捧げることでその悪の力を巨大化させようとしている」

まるで、自分らの行為は正しいとでも言いたげなその言葉に、当然聞き逃せなかった染岡が噛みつく。リカを花嫁として捧げる行為も、春奈を生贄として捧げる行為も、どちらも突き詰めてしまえばつまりはただ、彼女たちを犠牲にしようとしているだけなのだから。

「野蛮て…!お前らがやってることも同じだろうが!!」
「…魔界の民が生贄を手に入れた今、魔王を封印するには花嫁を捧げるしか術は無い。さあ、儀式の邪魔だ!すぐにこの地から立ち去れ!!」
「だから帰らねぇって言ってんだろ!!」

平行線となって決裂した互いの言い分に睨み合う双方の間で、不穏な空気が漂う。しかしその空気を裂くようにして円堂が声を上げた。彼にしては珍しくやや焦ったような口振りで尋ねたのは、魔界に連れ去られた薫のこと。春奈が生贄として連れ去られたとするのならば、同じ相手に連れて行かれた彼女は何のために。

「魔界の民は薫も…あいつも音無のように生贄にするつもりなのか!?」
「それは違う」

しかしそんな嫌な予想をあっさりと切り捨てたセインは、それでもやはり気に食わないとでも言いたげな様子でどこか遠くを睨みつけつつ、ここには居ない誰かを労るようにして目を伏せた。

「…裁定の巫女様はお労しいことに、魔界の下郎共に連れて行かれてしまった。しかし賢女であらせられる巫女様であれば、この世界を統べるのに相応しいのが我々天空の使徒であることは既にお分かりのはずだ」
「裁定の巫女…!?」

あの老人たちも口にしていた「裁定の巫女」という言葉に目を見開く。どうやら薫のことをそう呼んでいるらしい彼らによれば、リカは春奈と同じように彼女に対しても何らかの役割が与えられているらしい。だがそれは、まるで思いもしていなかったことで。

「巫女様には、天界と魔界の戦いの末、人柱としてその身を捧げてもらわねばならない」
「人柱…!?」

曰く裁定の巫女とは、魔界と天界の勝負を見届けそのどちらが世界を支配すべき者に相応しいかを見極める裁定者である。
ずっと大昔、天界と魔界の争いの末に身を捧げた賢女が居た。見事勝利した天界の民たちにより魔界の民は魔王と共に封印されたものの、その封印が解けることを恐れた天界の民たちの願いに応えて現れた彼女は、自らを楔として人柱になることでその封印を強固なものにしたのだという。
そしてそんな裁定の巫女は全てを公平に見通すことのできる数多の賢女からたった一人だけ選ばれ、最後にはその判断に覚悟と意志を示し、力を与えるために自らが定めた側へその清らかな身を捧げる。…つまり。

「我々が選ばれた暁には、裁定の巫女様のご慈悲をもって魔王の封印は完璧となり、この世界に安寧が訪れるのだ」
「そんな…!!」

悲鳴混じりの非難の声を塔子があげる。周囲もその言葉に思わず絶句したまま、明らかに勝手な彼らの都合へ憤るようにして歯噛みした。そしてその憤りのままセインたちを睨みつけ、彼らの思惑を阻むべく円堂はまるで宣言するようにして声高に叫ぶ。

「リカも薫も必ず連れて帰る!魔王の花嫁や人柱になんてさせない!!」
「…ならば仕方ない。我らの力で下界へ叩き落とすまで!」

余裕そうな口振りが崩れることなく、悠々と言い放ったセイン率いる天界の少年たちと円堂たちは互いに睨み合う。たった今、双方が譲れないもののためにぶつかり合おうとしていた。





一方、デモンズゲートがあるという下の方へ向かった鬼道たちも、悍ましげな暗い地下へと降りて辿り着けば、そこには拘束された春奈と魔界の少年たちが待っていた。嗤いながら鬼道たちを揶揄するデスタに、たまらず鬼道が吠える。

「春奈たちを返せ!」
「そうはいかねぇ。こいつは大事な生贄だからな」
「生贄だと…!?」
「地の底に封じ込められし魔王、伝承の鍵に選ばれし乙女の魂を喰らい、千年祭の日に目覚める…」

春奈を挟んでデスタの隣に立っていた少女が伝説を誦じるのを他所に、恐怖に震える春奈の顎を掴みつつ、品定めするように彼女を見下げたデスタに、鬼道が怒りの眼差しを向けた。しかしそんな視線を歯牙にかけず、デスタは春奈の怯えを嘲笑うようにして口を開いた。

「我らが主、魔王が復活すれば、世界は破滅の炎に包まれ、文明は崩壊する。そしてこれより千年、地上は魔王と魔界軍団Z…悪が支配する世界となるのだ!」
「あなたは魔王を復活させる生贄になれるの。嬉しいでしょう?」
「いやぁ!!」

堪らず上がった春奈の涙まじりの悲鳴を聞いて、鬼道が「その手を離せ!」と叫ぶ。するとそちらを見遣ったデスタに対し、鬼道は一歩も引かぬまま睨みつける。

「魔界も魔王も関係無い…!春奈を傷つける奴は俺が許さん!!」

すると、まるでその怒りに突き動かされるようにして豪炎寺が一歩前に出た。憎々しげにデスタたちを睨みつけながら、今にも爆発しそうな怒りを理性で押さえつけつつ淡々と「薫はどこだ」とごく短に尋ねる。

「あいつを今すぐ返せ!」
「そいつも無理な相談だ。あの巫女も、俺たちにとっちゃ重要な役目があんだよ」
「役目だと…!?」

思わず眉を潜めた豪炎寺に、デスタは勝気な笑みを浮かべたまま、裁定の巫女にまつわる伝承を語り始める。それは奇しくも、天界の民であるセインが語ったものと同じものだった。それを聞いた佐久間が愕然とした表情で彼らに問う。

「それなら…お前たちが薫を拐ったのは何の為なんだ!!復讐か!?」
「復讐?…ハッ、そいつも悪くねぇが残念ながら違う。俺たちを千年間強固に封じ込めるほどのあの力を、今度は俺たち、魔界の民の為に捧げてもらうんだよ!!」

喉の奥で嗤ったデスタは、その意味を未だ飲み込めていない鬼道たちへ向けて、高らかに歌うようにして叫んだ。

「裁定の巫女が持つ力もまた、復活した魔王に相応しい馳走となる!この生贄を捧げ、復活した魔王に巫女を捧げることによって、魔界の力は天界なんかじゃあ及ばない永久のものとなるんだからな!!」
「…ふざけるな」

とうとう押さえつけていた理性が切れたらしい豪炎寺が、やるせない怒りと憎悪を燃え滾らせた目で魔界軍団Zの面々を睨みつける。…我慢がならなかった。奴らの勝手な都合によって彼女を犠牲にしようとしていることにも。こんな奴らにみすみす彼女を奪わせてしまった自分の不甲斐なさにも。
あのとき、連れ去られようとする彼女を取り戻さんと手を伸ばした豪炎寺に向けて、彼女の瞳は真っ直ぐにこちらへと向けられていたのに。

「お前たちの都合にあいつを利用するな!!」

何もかも、すべてに対する怒りを込めて吠えた豪炎寺を、そんな彼の怒りに同調するようにして睨みつけてくる彼らを見下げて魔界軍団Zは嗤う。まるでその全てが無駄な足掻きだとでも言うかのようにして。

「へぇ…やる気みたいよ、この人間たち」
「大切な魔王への生贄、人間ごときに渡すと思うのか?」
「ならば力づくでも奪い返す!!」

奪われた最愛を取り戻すべく戦いを挑もうとする人間たちと、世界に悪をもたらさんと目論む魔界の民たちは互いに睨み合う。
何の偶然か、ヘブンズゲートへと向かった円堂たちと同じように、ここでもある一つの決闘が行われようとしていた。





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