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最近、土門くんの様子が何だか変だ。この前の秋葉名戸中との試合では目金くんの活躍もあって勝利したし、そのおかげでFF地区予選は決勝まで辿り着いた。おまけに懸念だった豪炎寺くんの怪我も無事に快癒。みんなの調子だってどんどこ上がっているというのに、何故かその中でも土門くんだけその顔色はいつも暗い。
もしやプレー以外で学校生活なんかの悩みがあるのでは?と思った私は、こまめに声をかけてみたり飴やらお菓子やらを献上してみたりするのだけれど、その度に土門くんは何故だかさらに辛そうな、申し訳なさそうな顔をするからそれはどうやら逆効果だったらしい。
土門くんの友人である鬼道くんに相談するか一瞬迷ったのだけれど、ライバルの土門くんが悩み苦しんでいる姿なんてそんなものは見たくないかもしれないし、土門くんだってきっと知られたくはないだろう。

「あれ、土門くん?」
「ッ!?」

そんなことを思いつつ登校前に、昨日部室に置き忘れていた筆箱を取りに行けば、何やらデータを纏めたファイルの棚の前で蹲っている土門くんを見つけた。背後から声をかけたせいか驚かせてしまったらしい。実に申し訳ない。

「土門くん…」
「あ、円堂ちゃん、これはその」
「データが見たいなら、分かりやすく纏めたノートがあるから貸そうか?」
「…え?」

それは単なる選手たちの成長ぶりを纏めたノートだけれど、土門くんもディフェンダーとして何かしら把握しておきたいことがあるのかもしれない。連携をしっかり取るためにとか。けれど今、土門くんが見ようとしているやつは私が練習中に書き殴ったやつなので、情報がめちゃくちゃ過ぎてたいそう見にくいことになっているだろう。
そう思って提案してみれば、何故か土門くんは不思議な生き物を見るような目で私を見ている。何故そんな目で私を見るんだい。

「…お、俺が見ちゃっても良いの?」
「え、良いに決まってるよ。土門くんは雷門中サッカー部の一員でしょ。その土門くんが何かしら成長したいって言うなら、それをサポートするのがマネージャーの役目だよ」

本当は、情報管理担当の春奈ちゃんがデータ管理しやすいように纏めているやつだったのだけれど、他でもないチームが強くなるためなら春奈ちゃんも許してくれるだろう。
そう言いながら胸を叩いて笑ってみせれば、土門くんは何やら言いたげにグッと眉を寄せて、しかしやがて疲れたように笑った。その笑みが、何故か泣きそうな顔に見えたような気がして、思わず目を見開く。けれど土門くんは、私が口を開くのよりも先に私の提案を断った。

「いや…良いよ、参考までに見ようと思ってただけだからさ。気にしないでくれ」
「…そう?でも最近土門くん、何か様子が変だし…何かあったら私でも守でも、言いにくいなら言いやすい人に相談してね」

私たちには話を聞くことしかきっと出来ないと思うけれど、それだけで変わる何かもきっとあると思っているから。ストレスは溜めないことに越したことは無いしね。守もよく行き詰まったときには私に怒涛の勢いでぶっちゃけてくれる。返事は無くとも、相槌を打つだけでも気分転換にはなるらしい。

「せっかくだから教室まで一緒に行こうよ。何気に土門くんと長く話すことなんて無いもんね」
「…あぁ、そうだな」

二人並んで教室へと向かいながら、この前の中間テストの話をした。私はいつも通り中の上というところだったけど、何と土門くんは英語で学年トップ5になったらしい。私も得意科目は英語だし、八割を超えていたのだけれど、学年トップ5に入るのは普通にすごい。さすがは帰国子女というか。

「今度の期末テストのとき、英語教えてくれる?」
「良いぜ、俺結構スパルタだけど大丈夫?」
「土門くんがスパルタ…?」
「お、信じてないだろ」

まぁ、だっていつもの土門くんを見ていればね。対人関係において、どんなときも緩衝材のような役割を熟す土門くんは物腰が柔らかい。マネージャーの仕事もよく気遣ってくれるし、雷門サッカー部の中でも紳士だと思う。だからこそ、厳しい土門くんという姿が想像できないというか。

「じゃあ、お手柔らかにお願いします」
「はは、りょーかい」

手を合わせながら丁寧に深々と頭を下げれば、土門くんは可笑しそうな顔で笑ってくれた。そこにさっきまでの深刻そうな雰囲気は見えなかったから、そのことに、私はほんの少しだけ安堵した。





夏未ちゃんの指示でみんな集められて、何だ何だと向かった先はサッカー部のバスが停めてあるガレージだった。そこには珍しく冬海先生までもが呼び出されていたのだけれど、何故か先生は少し挙動不審で。…けれどその理由はすぐに分かった。それは、夏未ちゃんが真っ直ぐに先生を見つめながら行った指示。

「バスを動かしてください」

先生は、何故かしどろもどろに言い訳を重ねながらバスの運転を拒もうとしていたものの、夏未ちゃんの鋭い視線と指示に逆らえず、渋々バスへ乗り込んだ。そしてエンジンをかけて、あとは前へ発進するだけ。たったそれだけだったのに、冬海先生はアクセルを踏まなかった。…踏めなかった。

「ブレーキオイルを、抜いた…?」

車の運転ができない子供の私たちでも、それがどういうことかは分かる。ブレーキオイルを抜くということは、ブレーキが効かなくなるようにしたということ。そうなれば今度の試合、会場に向かうためにこのバスに乗り込むであろう私たちはきっとただでは済まなかったはずだ。命の危険だってある。
だというのに、それでも冬海先生がそんなことをしたのは、奴が帝国学園のスパイだったからだった。あの屋根より高い場所がお好きな影山総帥の指示によって、雷門中が決勝戦に行けないようにブレーキオイルを抜くというとんでもないことをしよくとしたのだという。間違えば誰かが死ぬような大惨事に繋がりかねなかったというのに、それを悪びれもしない奴は、まるで当て擦りのようにもう一人のスパイの名前を告げた。

「ねぇ、土門くん?」

…土門くんが、帝国学園のスパイ?
思わず全員がそちらに視線を向ければ、土門くんがどこか決まり悪げに視線を逸らした。つまりは、それが全て。そのことが信じられなくて、頭の中がぐちゃぐちゃで、でもただその最中で鮮明に聞こえた奴の嘲笑うような笑い声を耳にして、私は思わず手にしていたストップウォッチを後頭部に向けて投げつけた。
そのまま険しい顔で掴みかかろうとする私の腰に春奈ちゃんが悲鳴じみた制止の声を上げながら、慌ててしがみついてきた。お願い、止めないで。

「な、何をするんです!?」
「…それが本当であれ、嘘であれ。少なくともここまで雷門の勝利に貢献してくれた土門くんを、よりにもよってお前が笑うな」

怒りと侮蔑を込めて睨みつける。みんなが息を呑むような顔で私を見ているけれど、だってそれは疑いようのない本当のことだ。
だって本当に心の底から土門くんが帝国のスパイだったなら、試合のどこかでヘマをして負ければ良かったのだ。これまでよキツイ練習だってあれだけ全力で取り組まないで、どこかで手を抜いてしまえば良かったのに。
でもそれをしなかったのは、別に演技でも策略でも何でも無い。土門くんがサッカーに対して真摯で、少しでも雷門のサッカーに触れて、雷門中でサッカーをしたいと思ってくれたからじゃないのか。

「人を殺しかけたお前と、頑張ってる土門くんを一緒にするな」

もちろん、スパイは悪いことだよね、土門くん。そのことについては私だって悲しい気持ちになった。…でもね、私は知ってるよ。

『いや…良いよ』

あのとき、潜入先の個人データなんていう大事なものを無防備にも差し出した私に、君は結局受け取らなかったよね。どうせなら少しでも目を通してみれば良かったのに。そうすれば、情報を得られたかもしれないというのに。
でもそれをしなかったのは、君がこのチームに対して情が湧いていたからでしょう。
このチームの一員としてプレーする日々が、少しでも楽しいと思ってくれたからでしょう?

「どうせ土門くんが流した情報なんて、毎日成長するみんなにとっては紙切れ同然のものなんだから。可愛いものでしょ。…それを、みんなの、命を奪うような真似をした卑怯なお前と同列に語るな…!」

冬海は私の剣幕に慄いて、小さな悲鳴を上げながら走り去ってしまう。怒りをぶつける矛先が消えてまだ腹の虫は据えかねないけれど、ひとまず半泣きの春奈ちゃんに謝って息を吐く。土門くんはその間に冬海の言ったことを素直に認めて何処かへと走り去ってしまった。そしてそんな彼を呆然と見送った私たちに、夏未ちゃんが教えてくれたのは、冬海の悪事について書かれた告発文だった。その字は、紛れもなく土門くんのもので。やっぱり土門くんは、私の思っていた通り、雷門中のことを裏切れなかったのに違いない。

「…さっきの薫、すごい剣幕だったな」

土門くんの後を追って行った秋ちゃんと守にあとは任せ、私たちは練習の続きのためにグラウンドへと戻る。その途中、まだまだ不機嫌そうな仏頂面を浮かべる私に対して、半田くんが恐る恐る伺うようにして口を開いた。私はじっとりとそちらを見ながら鼻を鳴らしてみせる。

「私は、みんながさっきの土門くんと同じ立場でも同じくらい怒るよ。裏切りとか、そんなものは後回しで良いの。大事な仲間を馬鹿にされて怒るのは可笑しいこと?」
「…いや、薫らしいな」

風丸くんがそう言って頭を撫でてくれた。染岡くんをはじめとした二年生は肩やら背中やらを叩いてくれたし、一年生は嬉しそうに照れている。春奈ちゃんも、不貞腐れている顔の私の手を心配そうに握ってくれてくれた。夏未ちゃんも、こちらへ寄りはしないものの私を見る視線が気遣わしげだ。
…優しいな、みんな。優しくて素敵なチームだよ。私はそんなこのサッカー部が好き。そしてそこに、不器用ながらに優しい土門くんがいれば、もっと素敵だと思ったんだ。


「…円堂ちゃんのこと、これから薫ちゃんでも良いか?」


だから次の日、顔を合わせて早々、気まずそうな顔でそう尋ねてきた土門くんに、私は小さなパンチを喰らわしてから「前からそう呼んでって言ってたでしょ」とだけ返した。
それを聞いた土門くんは、どこか安心したように笑っていた。





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