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なんてこった。あのとんでもない屑教師は、実はその存在だけでもサッカー部の役には立っていたらしい。FFの大会規則にある「監督必須」の文字にみんなの悲鳴があがる。そこまでは夏未ちゃんもノータッチだったようで、狼狽えてしまっていた。
みんな慌てて監督探しをしようという話にはなったのだが、しかしそこで豪炎寺くんがある人を監督候補として提案する。何とそれはあの雷門中生徒の御用達のお店、雷雷軒のおじさんだった。たしかに少し前、お祖父ちゃんのノートの在り処を教えてくれたのはあの人だった。少なくとも、雷門中サッカー部の関係者であったのかもしれない。

「…お嬢さんも注文無しなら」
「えっと、餃子の持ち帰りは、可能ですか…?」
「…少々お待ちを」

そうと決まれば善は急げ、と言わんばかりにみんなで直行した雷雷軒。守を筆頭に、みんなからおじさんへ監督就任願いが飛び出たのだけれど、注文が無いなら邪魔だから出て行け、という言葉にみんなあっという間に放り出されてしまった。みんな、まさか一円も持ってきてないの…?ちなみに私は何かあった時のために、ランニングなど校外に出るときは五百円玉を常に持ち歩いていたりする。何かしらあった時のために、水なんかを買えるお金はあった方が良いからね。
そしてこのお店はどうやらお持ち帰りはセーフだったらしい。心配そうにドアの隙間からこちらを窺う風丸くんたちに親指を立てて返し、先に帰っててと口パクで伝えた。
それにしても、じゅうじゅう、と良い音を立てて焼かれている餃子の匂いは何とも食欲をそそる。持ち帰ってもたぶん壁山くんの胃袋に収まるだけだと思うけれど、その前に一個だけ食べて帰るのも一つの手かもしれない。そんなことを思いつつとりあえずここに残った手前、おじさんに監督の話を振ってみる。

「雷門の監督はしてくれないんですか?」
「やらん」
「そうですか…あっ、割り箸も一本あったらお願いします」
「そこの箸立てから自分で取ってくれ」
「はい」
「…側から聞いてて思ったんだが、そんなアッサリ身を引いてで良いのかお嬢さん…?」

私のあっさりした引き具合に、新聞読んでたお客さんのおじさんから心配されてしまった。鬼瓦さんという刑事さんらしい。たしかに先ほどまでお騒がせしてしまったみんなの様子を見るに、こんなにあっさりしている私は歪に見えるのだろう。…でも、勧誘には私なんかよりも相応しい人が居るのだから。

「しつこく食い下がるのは私の仕事じゃないですからね。後から、私なんかよりも諦めが悪くてどこまでも追いかけてくるスカウトマンがまた来ますよ」

当然、それは守の話である。気合と熱意だけで新入部員を集めた実績のある守のことだ。今回も諦めることなくおじさんへ突貫しに来るのだろう。それを雷雷軒のおじさんも何となくさっきの勢いで察したのか、げんなりした顔でパック詰めの餃子を渡してくれた。他人事だからか、鬼瓦のおじさんは愉快そうに笑ってたけど。

「おじさんは、サッカーが嫌いなんですか?」
「…お前はどう思う」
「…様子を見る限り半々だなって思いました。本当は好きなのに、どうしても遠ざけてしまっているかのような」

そうじゃなきゃ、あのときも私たちに秘伝書の在り処なんて教えてくれなかったはずだ。おじさんの中にはきっとサッカーに対する複雑な思いがあって、簡単には割り切れない葛藤や苦しみがあるのだと思う。少し前までの豪炎寺くんみたいな。
だからこそきっと、守の真っ直ぐな熱意は眩しく感じるのに違いない。誰であろうと平等に笑いかけ、サッカーをこよなく愛している守の純粋さは、まるで太陽のように輝いて見えるから。

「次は、グラウンドで会えたら良いですね」
「…」

そんな私の言葉に対して、おじさんは疲れたように一つため息をついただけで、他には何も言おうとしなかった。





雷雷軒を出て、餃子を手にしながらみんなの練習している場所へ帰り着くと、鬼道くんが河川敷のグラウンドに来ていた。みんなはこの雷門中の状況を笑いに来たんだ、とか何とか言って警戒していたけれど、すぐさま鬼道くんの元に駆け寄って行ったらしい守は遠くから見ている限り終始穏やかな雰囲気で話していた。
けれど戻ってくるな否や何故か今度は私が代わりに呼ばれた。春奈ちゃんが警戒するように私を引き止めたけれど、大丈夫だよとやんわり抑えて鬼道くんの元に向かう。あ、うっかり餃子も一緒に持ってきてしまった。

「どうしたの?」
「…お前に謝らなければならないことがある」
「?」
「…悪かった、土門のことは」
「!」

少し気まずそうな顔でそう告げた鬼道くんに、私は思わず目を見開く。どうやら冬海は総帥さんの指示で動いていたようだが、土門くんは鬼道くんの指示で動いていたらしい。けれど私はその謝罪に対して首を横に振った。鬼道くんのその謝罪は、私に言うべきじゃないから。

「…その謝罪は私にじゃなくて、傷ついた土門くんにしてね。それと、次は土門くんみたいに優しい人をスパイに選んじゃ駄目だよ。向いてないもん」
「…怒ってないのか」
「怒ってるよ。土門くんが傷つきました」
「いや、そうじゃなく…お前を、騙したことを」
「騙してたっけ?」
「…は?」

…もしや、土門くんとは友達だと言った件のことだろうか?いやでも、あれは別にあながち間違いでは無いし、別に騙されたということはない。

「鬼道くん、私に土門くんがスパイだって言わなかっただけであとは何もしてないよ。強いて言えば、分からない数学の問題は教えてもらってる」

…おや?もしかして私の方が迷惑をかけているのでは?帝国は私立で偏差値も高いからと頼り過ぎていた気がする。でも鬼道くんの教え方、的確な上にシンプルで分かりやすいんだもんな。頼るのも仕方ないよ。
ちなみにおかげで中間試験の数学はとても良かったとだけ。鬼道くん様様である。うん、恨む要素も怒る要素も無いね。

「むしろ私が鬼道くんを都合良く利用してるね。怒って良いよ」
「………はぁ」
「何ですかそのため息は」
「気にしすぎた俺が馬鹿みたいだな…」

にっこり笑顔で答えを返せば、呆れたように深々とため息をつかれてしまって遺憾の意。私はとても至極真面目なのだが。そして鬼道くんは今回、雷門中に対して冬海のことを謝りに来たのだという。総帥さんのせいで試合が出来るかも分からなくなってしまったことは、彼曰く本意では無いそうだ。…たしかに鬼道くんなら、くだらない小細工なんかをするよりも正々堂々真正面から叩き潰してくる方が好きそうだ。ちょっと練習試合のことを思い出して身震いしてしまった。今は忘れよう。

「ならほら、帰った帰った。雷門中のことばっかり心配してると、今に足元すくわれて雷門中が勝っちゃうぞ」
「…それは無いな。帝国はいつでも万端な体勢を整えている」

おどけてそう言えば、不敵に笑われる。さっきよりは表情も柔らかく、元気になったようで何よりだ。だってほら、鬼道くんはさっきの強張った顔よりも今の笑みの方がよく似合う。
ついでに別れ際、これ良ければ食べてと渡した餃子については変な顔をされてしまったけれど、また電話しようねと手を振った私に、鬼道くんはどこか安堵したような顔で息を吐いて小さく肯定の返事をくれた。…しかし今思ったのだけれど、餃子の入ったビニール袋を片手に歩く鬼道くんの後ろ姿、実にシュールだな。
そんなレアな写真を、こっそりぱしゃりと一枚。後で鬼道くんに送ってみたところ盛大にキレられた。餃子は美味しくいただいたらしい。雷雷軒をどうかご贔屓に。別に胡麻すりではない。




そしてその次の日、やはり諦めきれなかったらしい守による熱意溢れた突撃で、雷雷軒のおじさんこと響木新監督は絆されてしまったらしい。
就任挨拶の後に「お前の兄は恐ろしいな」と笑われてしまった。褒め言葉だと思ってるので素直に頷いておくことにしますね。





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