190



私たちが盗み出してきたデータはとんでもないものであったらしい。宿泊所に帰還して早々、お小言をいただきつつも全員を集めて行われた情報開示。基山くんがパソコンを操作しながらスクリーンに写してくれた情報は…何とガルシルドが世界征服をたくらむ証拠だったようだ。

「世界征服ってどういうことなんですか?」
「響木監督…!」
「…油田だ」
「油田?」

そもそもガルシルドは、ブラジル代表ザ・キングダムの監督だけではなく、このFFIを主催する大会委員長という立場も兼ねている。おまけに元は世界にいくつもの油田を持つオイルカンパニー社の社長でもあった。油田とは、石油を作る原油を生産するもののことだ。つまりガルシルドは、現代社会におけるエネルギーを支配していると言っても良い。しかし昨今、その油田が枯れかけているそうだ。データにもその推移量の減少が示されている。

「あっ、そう見るのか」
「守、今度グラフの復習ね」
「ハイ……」

学校の授業で習ったはずのグラフの見方をしっかり忘れていたらしい守には、ここでちゃんと釘を刺しておいた。…しかしそれにしても、現在の石油生産量ははピーク時の四分の一も無い。このままでは石油が尽きるのも時間の問題だろう。
そしてその反面、最近買収したという兵器関連会社による兵器の製造数がどれも五倍以上に引き上げられているらしい。まるでこれから兵器の需要があるとでも言いたげなその様子。ガルシルドは戦争でも始めるつもりなのだろうか。

「その通り、ガルシルドは戦争を引き起こそうとしている」
「戦争を!?」
「戦争をするのに石油は欠かせない。そしてもし今戦争が起こればどの国も限られた量の油田を奪い合い、その価格は一挙に高騰。ガルシルドの枯れかけた油田も莫大な利益を生むことができる。更に、兵器を自らが供給すれば…」
「世界を征服したも同然…!」

恐ろしい計画だ。つまりガルシルドがこのFFIを開催したのも、参加各国を互いにいがみ合わせることで戦争を起こさせるため。勝負ごとというのは時に争いの火種にも成りかねないから。けれどそんな恐ろしい計画のために、サッカーという競技が利用されまいとしているのは許せない。
しかし運が良いことに、その証拠はすべてここに揃っている。これを警察に持っていけばガルシルドは捕まるし、ザ・キングダムの選手たちも晴れて自由になれるのだ。良いことづくめでしかない。みんなが期待に満ちた目で響木監督を見れば、響木監督もしっかりと頷いてくれる。

「これは俺が警察に持っていこう」

みんなはそれを聞いて喜び、私も思わず胸を撫で下ろした。これで無事にガルシルドが逮捕されるというのなら、あのスリル満点な潜入も実を結ぶというものだ。
その話し合いの解散後も、私は一応監督たちに注意はされたものの特に罰を食らうことなく反対に労われて解放された。…だから、油断していたのかもしれない。私が部屋に戻ると、私の部屋の前で待っていた豪炎寺くんと出くわした。何か用だろうか、と不思議に思ったものの…その顔の険しさを見て咄嗟に踵を返した。しかし豪炎寺くんの方が一歩早く、いとも簡単に捕まってしまう。

「話がある。…良いか」
「………うん……」

手を握られたまま、無言で連れて行かれた先は豪炎寺くんの部屋だった。有無を言わせずベッドに座らされた私の目の前に、豪炎寺くんが仁王立ちして腕を組んでいる。その顔は今もずっと険しい。…そして私は、何故豪炎寺くんがそんな顔をしているのかも、何となくだがちゃんと分かっていた。

「何か、言うことはあるか」
「……危険なことをしてごめんなさい…」
「…どれだけ心配したと思ってるんだ」

そのため息混じりの声を聞いて、私は思わず俯いてしまう。言い訳なんてそんなものはできなかった。だって私が豪炎寺くんに心配をかけたのは本当のことだ。もちろんあの時、監督たちに連絡をした時に私の頭の中には豪炎寺くんのことも浮かんだのだ。けれど私は「心配かけたくない」という思いで連絡を怠った。言えば「行くな」と反対されるのは目に見えていたからだ。守たちのことを放っておけなかったとはいえ、だからこそ豪炎寺くんはこんなにも怒っているのだろう。

「…理由があるのは分かってる。お前が円堂たちを放っておけないことも」
「…うん」
「だが、危険なことだと分かっていてそれを見過ごすほど俺は寛容じゃない」
「…うん」
「…俺は、お前が目の届かない場所で傷つくのが嫌なんだ」

そう言って豪炎寺くんは私の頭を撫でた。そうっと髪を梳くようにして私の頭の輪郭をなぞるその手は優しくて、私は思わず目を伏せてしまう。…こんな風に心配されることが嬉しいのだと白状したら、不謹慎だと呆れられるだろうか。つい先程怒られたばかりだというのに。そんなことを思いながら、側頭部に降りてきた手へ無意識の内に擦り寄れば、私の自分勝手でわがままな考えを読み取ったのかもしれない。「おい」と咎めるような一声と共に、私は左頬を柔く摘まれてしまった。

「反省してるのか」
「ひてまふ…」

呂律も回っていない間抜けな声でそう言えば、豪炎寺くんが声を押し殺したように喉奥で笑ったのが聞こえた。今人の顔見て笑ったでしょ。そんな抗議を含めた視線を向ければ、豪炎寺くんは先ほどよりも柔らかくなった目で私を見下ろしながら「悪い」と囁く。…そんな優しい顔で言われたら、許さざるを得なくなってしまうじゃないか。

「ずるいよ、豪炎寺くんは」
「お前にだけだ」

辛うじて絞り出した抗議は、そんなあっさりと落とされた爆弾発言でいとも簡単に消し飛ばされてしまうのだから、本当にずるい。今度こそ顔を覆って呻いてしまった私に、豪炎寺くんが楽しそうな顔で微笑む気配がした。





「それじゃあ行ってくる」
「はい、お願いします!」

次の日の朝、情報の入ったUSBを手にした響木監督は、私たちの見送りを受けながら警察へと向かって行った。あの証拠さえ警察の手に渡ってくれれば、ロニージョさんたちやブラジル代表の選手たちもこれ以上苦しまなくて済むのだ。そう思うと心が安堵に染まる。同じ気持ちだったのか、春奈ちゃんの声もいつもより弾んだ様子で。

「これでロニージョさんも皆も、家族のことを気にせず思いっきりプレーできるんですね!」
「おう!」
「よぉーし!さっそくあいつらに、知らせてやんなくちゃな!!」

しかしその中でも雷電くんは誰よりもはしゃいだ様子で、守と肩を組んだかと思えばそう言って勢いよくその場から飛び出して行ってしまった。止める暇も無かった。行き先は多分というか確実にブラジルエリアなのだろうけれど。ほとんど引き摺られるようにして駆け出して行った守が大変そうだが、私に出来ることといえば心の中で頑張れと声援を送ることだけである。本当に頑張れ。

「薫ちゃんはこれからどうするの?」
「次のブラジル戦に向けて選手データの整理をするの。響木監督の分まで頑張らなきゃ」

秋ちゃんたちは今からどうやら明日の試合に向けた備品のチェックや補充を済ませておくらしい。とは言っても、別に最終確認のようなものだから大変ではないのだとか。選手たちは今日は明日が試合なこともあって午前はオフになっている。午後も軽くポジショニングの確認をするだけの予定だったから特に私の出番というわけでも無い。だから私は、パソコンやらノートやらを抱えて食堂に向かう。部屋に篭って集中しても良かったのだけれど、せっかくだからゆっくりと気を抜いてやりたかったから。

「…あれ、不動くんだ」
「あ…?何だよ、居ちゃ悪いか」
「ううん、不動くんのことだから部屋か散歩に行ってそうな気がして」

みんな出払っているのか、食堂にはのんびりとお茶を飲んでいる不動くんだけだった。自分で淹れたのだろうか。言ってくれたら別に淹れてあげたのに。そう言ったら不動くんは何が可笑しかったのか鼻で笑って「お前は俺の母親かよ」と言ってきた。どちらかと言うと名乗るなら姉の方では?不動くんは手のかかる弟って感じがするけども。

「誰が弟だ」
「だって不動くん、誕生日二月でしょ?私八月だから実質姉だよね。はい論破」
「てめ…」

いや、それに実際割と私は不動くんのことに関してはアジア予選の時から気を使っていたりしたので、本当に弟みたいに心配しているところはあるのだ。守は私の兄だからね、心配はしてもそのベクトルが違ったりするのである。
それにしても最近、不動くんとはあまり話していなかったような気がする。私がバタバタしていたこともあったけれど、不動くんが鬼道くんや佐久間くんと和解したことでチームに一層馴染むようになってたから、私も気にかけることが減っていたのだ。それは確かに良いことであるはずなのに少し寂しいような、そうでないような。複雑な気分である。

「…つーか、お前こんなことして良いのかよ」
「…?なんで?」
「お前の愛しのカレシサマに嫉妬されても知らねぇぞ」
「…………まだ、彼氏じゃないから…」
「へぇ、『まだ』ねぇ…?」

うーーん、その楽しげな顔が小憎たらしい。観察眼が鋭い不動くんには、前々から豪炎寺くんへの気持ちがバレていたとはいえ、何か揶揄われるのは癪なのだ。最近はなりを潜めていたけれど、またトマトを食事に仕込む戦いを繰り広げなければなるまい。そう思いながら不動くんに向けて微笑んだところ、彼はその様子から何かを察したのか「ろくでもないことはやめろ」と釘を刺されてしまった。君の栄養バランスを考えてトマトを増量することは別にろくでもないことにはならないと思うのでこれからもやめないね。

「それに不動くん気づいてないと思うけど」
「…?」
「実は昨夜のカレーには、刻んで煮込んだトマトがたっぷり入ってたりしたんだよね」
「!?!?!?」

みんなからも酸味が美味しいと評判だった、あの野菜たっぷりトマトカレーである。不動くん何気におかわりしてなかったっけ。良かったね、美味しくトマトが食べられて。そう言ったら不動くんは今度こそ口元をひくつかせて青筋を立てていた。まあ他にも同じようにして料理に上手くトマトを混入させていることは言わないでおく。まあそっと仕込んでいるのはトマトだけじゃないけれど。最近栄養について詳しくなってきたふゆっぺと一緒に頭を悩ませながら、みんなの好き嫌いを普段の食事からどう補っていくか日々考えているのだ。それを言い出してくれたふゆっぺの優しさに感謝して欲しい。

「不動くんが将来トマトを丸ごと食べられる日も近いね」
「……ぜってぇ食わねぇからな…」

…とは言ってもまあ、大人になるまでに味覚は案外あっさり変わることもあるらしいので、不動くんが本当に苦手を克服できる日は近いのかもしれなかったりするね。げんなり顔でそう言った不動くんにそんな思いを抱きながら、その後は私もデータをまとめ始めたり、これまでの試合のデータ分析を始めたりする。不動くんにも意見を聞いたところ、非常に面倒くさそうな顔はされたが、案外真面目で鋭い意見をくれたのでありがたい。
…しかし、そんな最中のことだった。廊下から慌ただしい足音がしたかと思えば、食堂に駆け込んできたのは、珍しく真っ青で険しい顔をした染岡くんだった。

「薫、不動もここに居たのか」
「今にも死にそうな顔してどうした?」
「染岡くん、もしかして具合悪いとか…」
「それどころじゃねぇ!!」

染岡くんはそう吐き捨てて、その険しい顔つきのまま私たちの元へズカズカと歩み寄ってきたかと思えば、まず最初に「落ち着いて聞け」と私の肩を掴んで諭してきた。…その時点で、何か嫌な予感はしていたのだ。けれどその予感が現実となって私を襲いかかってきたのは、すぐ直後のことだった。


「響木監督が倒れた」


…しばらくの間、私にはその言葉の意味が理解出来なかったし、手にしていたペンが地に跳ねる音を聞いて我に帰るまで私はまるで今の言葉を他人事のように聞いていた。ただそれが、絵空事でも季節外れの冗談でもなく、現実なのだと知った時。
途端に私の目の前は、まるで切れた電灯のように、一瞬で真っ暗になったのだ。





TOP