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「警察に行く途中に、ガルシルドの仲間に襲われたらしいの」

病院に駆けつけて、まず私たちが知ったのはそのことだった。外部に漏れればただでは済まないデータを握ってしまった私たちをガルシルドがそう簡単に見逃すわけは無く、響木監督はその証拠隠滅の為に送り出されたガルシルドの部下たちに追われてしまったらしい。しかしそれにいち早く気がついた響木監督は、それを何とか撒いてやったそうだ。…けれど、その逃走劇は思っていた以上に響木監督の体に負担をかけた。

「急に心臓が、苦しくなったらしくて」

そもそも響木監督は、前々から心臓を患っていたらしい。代表監督の座を久遠監督に託さなければ支障が出てしまうほどに悪化していたそれを、しかし響木監督は私たちに告げることなくひた隠しにしていた。それはきっと、世界を相手に戦う私たちに負担をかけないようにしたいという監督の思いやりであったのだろうし、実際私たちはその他のことでもてんわやんわになりながら、必死でここまで戦ってきている。…それでも、私は。

「なんで、きづけなかったの」

目先のことにばかり夢中になって、私たちにとっては一番の恩師でもある響木監督のことなんてちっとも見えていなかった。監督はあれだけ私たちのために走り回って、一生懸命に支えてくれていたのに。肝心な時に何も力になれないことが、こんなにも苦しくて辛かった。
そう吐き出せば、響木監督の付き添いとして私と一緒に残っていた守が何かを堪えるようにして目を伏せながらも、私の手を握ってくれる。まるで私を励ますかのようにも見えたその大きな手は、優しくて温かかった。

「…薫のせいじゃない。俺も気づけなかったんだ。…きっと、誰も悪くない」
「…まもる」
「響木監督を信じようぜ!暗くなってちゃ、それこそ怒られちゃうだろ?」

…それは、確かに、響木監督なら怒りそうだ。たとえ今もまだ目覚めないまま生死の境を彷徨っていたとしても、今すぐに目の前の重厚な扉を開けて「何ていう顔をしてるんだ」と、顔を顰めるのが目に浮かぶ。…そうだよね、私たちが誰よりも一番に監督のことを信じなきゃいけないのだ。それだけは間違えちゃいけないことなのだから。
けれどたとえ私がそう思ったとしても、それを他の人までが同じように思えるわけじゃない。私たちと一緒に付き添うことを選んだ飛鷹くんは、やはり今の何もできない状況がもどかしいのか、待つことしかできない自分のことを酷く責め立てていたから。

「こんな俺に目をかけてくれて、サッカーと出会わせてくれて!…なんで響木さんが、こんな目にあわなきゃいけねぇんだよ、ちくしょう」

…飛鷹くんが、まるで血の滲むような声で吐いたその言葉を聞いて私は思わず再び暗く落ち込みそうになった心に唇を噛み締めながら耐えつつも、立ち上がって彼の元に歩み寄ると、嗜めるようにしてその肩を叩く。

「…飛鷹くん、駄目だよ、怪我しちゃう」
「俺のことはどうだって良いんです!!」
「良いわけないでしょ、怒るよ」
「!」

私だって苦しい、辛い、不甲斐ない。響木監督に受けた恩は山ほどあるし、忘れられない思い出は溢れるほどにある。けれどそれでも、飛鷹くんがどうでも良いわけない。飛鷹くんが自分を大事にせず傷つけて不幸になってしまえば。…それこそ響木監督はきっと悲しむのに違いなかったから。

「飛鷹くんが、自分のことを大事にしないのなら、私は響木監督の分まで怒るよ」
「……すみません」
「…ううん、もどかしいのは一緒だから。気持ちはわかるよ。…痛いほど」

飛鷹くんなんて特に響木監督への思い入れが強いはずだ。サッカーなんて初心者で今までは喧嘩三昧だったという不良の彼を、その蹴りの威力を見込んでスカウトした響木監督と、それによって新しい世界に連れ出してもらえたことへ恩義を感じている飛鷹くん。今まで付きっきりでコーチングだってしてもらっていたのだ。これで感情的になるなという方が可笑しい。
そして今の会話でいくらか冷静さを取り戻したらしい飛鷹くんにホッとしていれば、向こう側から聞こえてきた足音に今度は別の緊張感が走る。…やって来たのは、お医者さんを連れた看護師さんたちだった。

「先生…!」
「どいてください!」

本当に切羽詰まった状況なのだろう。駆け寄った守をやや強引に退けた看護師さんの振る舞いからそれはよく分かった。足早にICUへと消えて行ったお医者さんたちが、無情にも扉をぴしゃりと閉めたのを見て、少しだけ落ち着いていた不安がまた浮かび上がってくる。…どうやら、今から緊急処置になるらしい。つまりこの結果次第で、響木監督の全てが決まってしまうということだ。…そんなのは、不安になるに決まっていた。
そして私は、ずっとランプがついたままのICUの部屋の前で、守と飛鷹くんに挟まれながらずっと手を組んで一生懸命に祈っていた。この手術が失敗しませんようにと。私たちから響木監督を奪わないで欲しいと。…縁起でもないと叱られてしまうかもしれないけれど、それでも私は、そんな最悪の未来を見たくなくて必死だったのだ。

「!ランプが…!」
「響木さんは…!?」

だから、とうとうランプが消えて手術終了を目の当たりにした時、私はいっそ吐いてしまいたいくらいの緊張感を抱えながらその瞬間を待っていた。けれど手術着に身を包みながらもマスクを外しながら部屋を出て来たお医者さんに駆け寄った私たちに、お医者さんはまるで安心させるように微笑みながら口を開いて。

「意識が戻ったよ。とりあえず危険な状態は脱したから」
「!」
「…よ、かった……!」

響木監督は、峠を越えた。一番最悪な未来から、とりあえずとはいえ逃れることができたのだ。私は思わず安堵で全身の力が抜けて膝から崩れ落ちてしまう。それを見て驚いたように声を上げた二人が慌てて支えてくれたものの、私は床のひんやりとした冷たささえも気にする余裕は無いまま、さめざめと涙をこぼしてしまった。
本当に、私は多くのことを望んでいるわけじゃ無かったのだ。ただ、響木監督が生きていてくれさえいれば良い。…だって人は、死んだらそこで終わってしまうのだから。二度と会えなくなることほど、不幸なことはないと、私は知っていたから。

「薫さん、俺ので良ければ、これ…」
「…ありがとう、飛鷹くん。変なところ見せちゃってごめんね」
「!変だなんてそんな…!」

久遠監督に響木監督の無事を知らせてくると言って病院の公衆電話に向けて走って行った守を見送ってから、その帰りを飛鷹くんと二人で待っていれば、先ほどからすんすん鼻を鳴らしている私に気を遣ってくれたのだろう。ポケットティッシュを差し出してくれた飛鷹くんに、ありがたく受け取って使わせてもらう。…いつもなら私も常備しているのだけれど、今回ばかりは気が動転しすぎて何もかもを置き去りにしてしまった。知らせを受けた食堂でもパニックになってしまい、不動くんや染岡くんを困らせてしまったのだ。最終的に胸ぐら掴んで「落ち着けバカ!」と不動くんが一喝してくれたことで落ち着けたけれど。…あとで謝らなきゃね。

「…俺も、泣きたいくらいに安堵したのは同じなんで」
「ふふ、どうせなら泣いてくれたらお揃いだったのにね」
「そ、それはさすがに…」
「冗談だよ」

泣き顔を見られたからって意地悪を言い過ぎただろうか。これ以上はさすがに辞めておこう。飛鷹くんはこんなにも私のことを気遣ってくれているんだしね。
そんな軽口を交わしていれば、ICUの入口が再び開いて、中から横たわった響木監督が運ばれて来たのが目に入った。飛鷹くんと二人して一目散に駆け寄れば、その足音に気づいたらしい響木監督の目が薄らと開かれて、私たちの姿を捉えた。

「響木監督」
「薫…すまないな、これから面倒をかける」
「面倒なんて、そんな」
「俺が居なくとも、お前が居るなら大丈夫だ。…チームを支えてやってくれ」
「……はい、でも」

確かにそう言って私に託してくれた、響木監督の信頼はとても嬉しい。私はこれからの残りの試合、響木監督の分までみんなを支えていく覚悟や決意だってしてみせる。…けれどそれとこれとは話が別だ。私は響木監督の分まで頑張ることはできても、響木監督に成り代わることはできない。響木監督の存在は、イナズマジャパンにとってはとても大きなものだ。だからこそ私は、ひたすらに願っている。

「私たち、待ってますからね」
「…!」
「響木監督も一緒に、世界一になるんです。…約束ですから」

もしも、響木監督が世界一を目指すために私たちへ病気のことを黙っていたのだとして。それほどまでに私たちに世界を掴んで欲しいと思ってくれていたのなら。私はそんな頂上の景色を監督も一緒に見たいと思う。支え合って、ぶつかり合って。そうして培って来た信頼を抱く仲間には、きちんと響木監督だって含まれているのだから。生意気かもしれないけれど、私は心の底からそう思っていた。

「…あぁ、分かった」
「…守のこと、呼んできますね」

目尻を緩ませた響木監督は、私のそんな言葉に頷いてくれたものの、だんだん少しずつ恥ずかしくなって来てしまった私はそれを誤魔化すようにして踵を返した。けれど、守を呼んでくるだなんてそんなこの場から逃げる為の言い訳だと丸わかりの私の言葉に、響木監督は何も追求せずに見送ってくれた。





「明日は試合だから」と、守にしてはあっさりと病院から戻ってきた翌日、私は朝からずっと緊張しっぱなしだった。何故なら今日、決勝トーナメントの準決勝であるブラジル戦があるのも勿論なのだが、何より響木監督の手術が行われるからだった。今朝の結果次第で響木監督は心臓の手術に入るらしい。…高齢であればあるだけ、その成功率は著しく下がると聞いているだけあって、不安は拭えない。そしてその不安は、割と形になって現れているらしく。

「………ごめんね…」
「珍しいですね…薫先輩が失敗だなんて…」
「ざ、斬新な形の目玉焼きだな…!」
「もういっそスクランブルエッグだって言って佐久間くん…!!」

何と、いつもの私ならありえない、朝食の目玉焼きの黄身を割ってぐちゃぐちゃにしてしまうというミスを連発してしまったのだ。途中から焦り過ぎてパニックになったのか、卵の中身を生ゴミに捨てて殻をフライパンに落としてしまうという始末。穴があったら入りた過ぎて死にたくなる。もったいないから、と作り直さずに引き取ってくれた面々に感謝したい。豪炎寺くんなんて、迷うことなく一番酷い状態だったものを黙って持って行ってしまった。ふゆっぺがニコニコしながらツンツンしてきたものの、すごく恥ずかしいような嬉しいような。

「…目玉焼きなんて、卵割って焼くだけの簡単な料理なのにね…」
「仕方ないよ、薫ちゃんも無理はしないでね」
「…うん、ありがとう士郎くん」

無理、無理なんて、そんなの。響木監督のことを思えば、今の私の状況なんて軽過ぎるにも程がある。…ちゃんと切り替えなきゃ。響木監督に託されたのなら、きちんとそれ相応の態度を示さなきゃいけないのだから。そう思いながら、震えそうな手足を叱咤しつつスープを口に運ぶ。冷まし足りなかったせいでちょびっと火傷してしまった。舌がヒリヒリする。
思わず涙目になりながら、呆れ顔の風丸くんに渡されたお冷で口の中を冷やしていれば、しかしそこに秋ちゃんが慌ただしく駆け込んできたことで途端に室内が緊張感で満ちる。

「秋」
「今、病院から連絡があって、響木監督の検査の結果も良いから手術は予定通り行うそうよ」

それを聞いて、チーム内でさざなみのように不安の色が広がっていくのが分かった。みんなも同じように不安なのだろう。怖いのは、心配しているのは私だけじゃない。それに少しだけ安心感を覚えてしまったのは、監督補佐としては果たしてどうなのだろうか。けれど次第に上がってくる「手術は成功するに決まってる」という声に、私の気持ちも少しずつ明るくなっていくのだから私は調子が良いのかもしれない。

「…あぁ、いかに大変な手術であろうとも響木監督なら必ず乗り越えられる」

そして鬼道くんから直々にその言葉を聞いて、みんなはいつまでもくよくよと心配したり悩んだりすることは辞めたらしい。私たちにできることなんて信じることだけなのだと気づいたようだ。

「…よし!俺たちも絶対勝つぜ!!」
「勝って響木監督に勝利のプレゼントっス!」

そして逆に今度はそんな不安要素を、勝利への意欲に繋げている。…そうだ、それがきっと一番、今の響木監督にとっての薬になる。今までの恩は、教わってきたサッカーで返すのだ。響木監督にいろんなことを教えてもらった私たちが世界の頂点に立つこと。それは即ち、響木監督を世界一に押し上げることと同義ではなかろうか。だとすれば、やはり私たちがやるべきことは、今日の試合に集中して勝つこと。それだけなのに違いなかった。

「…頑張ろうね、守」
「おう!」

私は守と顔を見合わせて頷き合い、腹が減っては戦が出来ぬということわざもあるからと、ぐっちゃぐちゃになってしまっている散々な目玉焼きに箸を伸ばした。けれどさっそく醤油とソースを間違えていたので、本当にしっかりしたいものである。





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