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そしてやってきた試合会場。ここまで来たらもう響木監督のことは切り替えねばなるまい。今私が見つめるべきは、ザ・キングダムとの試合のこと。上の空で勝てるほど相手は決して弱くは無いのだ。それに失礼にもなってしまう。
そんな思いでパンパンと二度叩いた頬がヒリヒリするのを感じながら、私は声援の轟くスタジアムのベンチで試合開始までの準備を進めていた。今日も満員御礼で何よりだ。やはり決勝トーナメントに進むという大活躍のおかげか、日本からも観客が押し寄せているらしい。

「あのデータはちゃんと警察に渡ったみたいだね」
「うん、ガルシルドも来てないみたいだし…これでようやく、みんな何の心置きもなくサッカーができる」

あのデータ奪取メンバーである基山くんとこっそりハイタッチしておく。データを渡したのは最終的に久遠監督なのだから信頼していないわけじゃないけれど、やはりこうして嬉しい結果を目の前にすると高揚してしまう。何よりこれで、守が心からサッカーを楽しめるのだ。それだけで私はとても嬉しくなってしまうから。

「…?地震…?」

しかしふとボトルを並べている途中に、いくつもの黄色いボトルがカタカタと揺れ出したのが視界に入って、私は思わず首を傾げてしまう。風で揺れているわけじゃなく、心なしかスタジアム全体に響き渡るような、そんな振動が襲いかかってきているかのような。
そう思っていると、突如思わず耳を塞いでしまうような轟音が今度こそ確かにスタジアムを揺らした。短い悲鳴を上げて蹲る秋ちゃんを抱き締めるようにして辺りを警戒する。選手のみんなも「何事だ」という顔をしていたのだけれど、それも上空を見上げた瞬間に、浮かんでいた戸惑いは一瞬にして驚愕へと移り変わってしまった。

「な、何だ、アレは…?」
「飛行艇…?」

スタジアムの端から端までありそうなほどに巨大な飛行艇が、スタジアム上空をすっかり覆ってしまっていたのだ。観客席は戸惑い、解説の人たちも驚いているのか、その声は酷く動揺している。そしてそんな私たちの感情で揺れる空気を物ともせず、ゴンドラのようなものが地面にゆっくりと降り立ってきた。やがてそれは、やけに仰々しい動きで左右に開いていき、シャッターのような扉が上へ上へと昇って、中から姿を現したのは。

「…………え」
「…ガルシルド!?」

今頃は、警察に捕まって取り調べを受けているはずの、ガルシルドだった。どう考えてもこんなところに来られるような人間では無いはずなのに。何も知らない観客たちは、これがサプライズか何かだと勘違いしてさらに沸き立ち、それとはまるで反比例するように選手たちの空気は冷えていく。

「何であいつがここに居るんだ!?警察に捕まったんじゃなかったのか!?」

雷電くんの疑問に満ちたその声が、私たちの胸中を締めているすべての問いかけだった。何か警察内であったのかもしれない。久遠監督はそう睨んだのだろう。訳を問おうと私たちが一斉に後ろを振り返った時には、監督は早々と警察に確認を取っていた。監督だって信じられないはずだ。だってあのデータを警察に引き渡したのは、紛れもなく久遠監督自身だったのに。

「監督」
「…警察では、そのような証拠を受け取っていないそうだ」
「受け取ってねぇって!?」
「…警察にまで手を回したということか」
「…そ、んな」

それじゃあ、まるで。馬鹿みたいだ。ロニージョさんたちが苦しみながら耐えてきたことも、私たちがそれを救いたいと願ったことも、響木監督が限界を迎えて倒れてしまったことも。全部、全部、大人の汚い企みとそれに加担する卑怯な振る舞いで全部踏み躙られてしまった。…そんなこと、許されて良いわけがない。

「…どうすりゃ良いんだよ。ガルシルドが居るってことは、俺たちが勝ったらロニージョたちの家族はとんでもないことに…」
「そんなことできないっス…」

…そうだ。このままガルシルドの居るザ・キングダムに勝ってしまえば、ロニージョさんたち選手の家族が酷い目に遭ってしまうのだ。私たちはそれが嫌で、そもそもサッカーという競技にそんな汚い大人の策謀を持ち込まれるのが嫌だったから必死に抗おうとしていたのに。
それが全て台無しになってしまう。この状況で選手のみんながまともにプレーできるとは思わない。どう見ても万事休すだ。私も思わず掛ける言葉が見つからないまま閉口していた。…そのときだった。

「…この試合、勝つぞ!」
「守?」

重苦しい雰囲気を割くようにして、守がみんなを見渡しながらそう言った。…意外だった。こんな状況を一番気にするのは守だと思っていたから。優しすぎるがゆえに、守は対戦相手だからといって相手を簡単に切り捨てることはできないのだ。

「でも俺たちが勝ったら、ロニージョたちの家族は行き場を失って…!」
「分かってる。でも、勝たなきゃいけないんだ。ガルシルドの好きにさせないためにも」

…そうだ、これはもうザ・キングダムだけの問題じゃない。世界征服を企むガルシルドの目論見を潰すための戦いでもあるのだ。願わくば、そんな嫌な話を持ち込みたくなんて無かったけれど、知ってしまったが最後私たちはそれに抗うべく戦わなくちゃいけない。この会場で試合開始を待ち望んでいる観客や、世界各地でこの試合を観ているであろう人たちのためにも。

「これは、俺たちとガルシルドの戦いだ。サッカーを戦争の道具なんかに使おうとする卑劣な奴との」
「…円堂の言う通りだ。あんな奴の好きにはさせない」

鬼道くんが守の言葉に頷いたのをきっかけに、みんなもようやく決意が固まったらしい。何が何でも勝たなくてはいけない覚悟。その先に待つ未来が不安定なものであっても、それに揺れることなく勝利を掴み取るというその思いはきっと、とても重いものかもしれないけれど。

「みんな、この試合必ず勝つぞ!」

応、と叫んだみんなの声に、私も改めて気持ちを引き締め直す。…ここでクヨクヨしていたって仕方ないのだ。私にできることなんてもう後は見守ることだけ。選手たちを信じることだけなのだから。
だから私は、グラウンドへ飛び出そうとしていく守を一瞬だけ引き止めて、その手を両手でしっかりと握りしめる。守はそれに対して不思議そうな顔をしていたけれど、私はそれに構わないまま、守の目を真っ直ぐに見つめて。

「頑張れ、守」
「!」
「負けないで」
「……おう!もちろんだ!!」

…そうしていつも通り、あの太陽が弾けたような笑顔を向けられて、それが私を心から安堵させてくれたから。私は今度こそ表情をゆるりと綻ばせて、戦場へと駆けていくみんなの背中を静かに見送っていたのだ。





そして試合が始まった。キックオフはイナズマジャパンで、さっきの気合いもあったから出だしは上々…と言いたいところだったのだが、何やらロニージョさんの様子が可笑しい。さっきから個人プレーばかりが目立ち、ボールをチームメイトに回さないのだ。しかもロニージョさんのチームメイトに対する態度が最悪で、チーム内の空気も不穏なものになりつつある。それを見てイナズマジャパンも戸惑う。…どう見ても不味い流れだった。
そしてそれは、ロニージョさんがラガルートさんの持っていたボールを何故かスライディングで奪ったことで、決定的なものとなってしまった。そのまま撃たれたシュートはゴールから外れて逸れてしまったのだが、それに安堵している余裕は無い。…まだ私だってロニージョさんという為人を知り尽くしているわけじゃないけれど、彼がこんな嫌なプレーをするような人には見えなかった。

「な、何があったんですかね…」
「…分からない、けど…良い予感はしない」

ベンチのみんなも、ザ・キングダムの惨状を見て戸惑っている。そしてさすがに今のプレーに対して我慢ができなかったのだろう。選手の一人がロニージョさんの胸倉を掴んだ。…無理もない。私ならきっと往復ビンタで目を覚まさせているところだった。

「…何か話してる…?」

しかしその空気もやがては驚愕に揺れ焦燥に満ち、ロニージョさんが頭を抱えながら苦しげにしていたのを経て、何やらチームは全体でとある決断をしたらしい。それが何かはここからじゃ分からなかったけれど、彼らがとった行動はとてもじゃないけど動揺せざるを得ないものだった。
ザ・キングダムが、先ほどまでピッタリと張り付いていたフォワードへのマークをあっさり外し、その代わりにロニージョさんへ三人のマークをつけたのだ。味方が味方をマークする。それは明らかに可笑しい事態だったけれど…様子が変だったロニージョさんのことを考えれば、何か理由があるのかもしれない。

「でも、これなら豪炎寺先輩たちフォワードの選手がフリーに…!」
「…それは、少し難しいかもしれない」
「え?」

喜んでいる春奈ちゃんには悪いが、そう上手くいくとは思えない。ロニージョさんが押さえ込まれることで確かに突出した攻撃力は無くなるかもしれないけれど、その代わりに出てくるのはザ・キングダムの真髄だ。彼らのプレーの特徴として危険視すべきなのは、必殺タクティクスを駆使したパスワークだから。まるで波のように寄せては返す不規則な動きに翻弄されて、相対した選手たちは立つことさえままならないという状況に陥ってしまう。…それにまんまとしてやられて敗北を喫してきたチームを、私はデータ上だけど何度も見てきた。イナズマジャパンがその二の舞になるわけにはいかない…のだが。

「ロニージョ!!」

ディフェンスのみんなやフォローに入った虎丸くんまでをも突破したザ・キングダムが最後にパスを出したのは、今の今までマークをして抑え込んでいたロニージョさんだった。ノーマルシュートながら、守のいかりのてっついを弾き飛ばし、それをオーバーヘッドで叩き込む。先取点はザ・キングダムのものだ。
けれどそんな喜ばしいはずの得点に対して、彼らの反応は少しだけ変だった。点数の変わった得点板を見たその顔はまるで、ホッと安堵したかのような面持ちをしていたから。その直後のプレーでも何とか飛鷹くんのフォローで追加点は免れたものの、明らかにロニージョさんの疲れ方が尋常じゃなかった。技術だけじゃなく、体力だって選手の中ではトップクラスのはずの彼が、こうも簡単に疲れを見せるものだろうか。…そしてそれはきっと、あの様子の可笑しいプレーに原因があるのに違いなくて。

「…やっぱりロニージョさんたち、何か様子が変だよね」
「あぁ…お前たちの話を聞いてた限り、あんな自分勝手なプレーをするような奴じゃないと思ってたんだが…」

点数は一対一のまま、前半が終わってベンチに戻ってきた佐久間くんにボトルを渡しながら、思わず眉を下げてヒソヒソと話し込む。…今のザ・キングダムはどう見ても異常だ。実力以上に無理をしようとするエースストライカーと、それをコントロールしようと躍起になりながらプレーする他の選手たち。チームプレーも何も無い、ギクシャクしただけのそんなサッカーなんて、楽しく無いのに決まっているのに。
ベンチへ戻っていくロニージョさんの背中を見つめながら苦しそうな顔をしている守たちの姿を見て、私も思わず唇を噛み締めた。…その時だった。

「実験は終わりだ!」

背後から聞こえてきた、聞き覚えのある声に思わず振り返れば、そこにはたくさんの警察官と見知らぬ男の人を連れた鬼瓦さんが立っていたのだ。実験、というその不穏な言葉に私たちイナズマジャパンは戸惑うことしかできなかったのだけれども、それは見知らぬ男の人の正体とロニージョさんが受けていた仕打ちを知ることで、驚愕へと変わっていった。
その見知らぬ男の人はザ・キングダムの本当の監督で、今まではガルシルドに監禁されていたらしい。ガルシルドは、ザ・キングダムを乗っ取っていたのだ。そうしてチームを支配したガルシルドは、ロニージョさんをRHプログラムというものの実験台にしたという。…あの可笑しな一連のプレーは、その実験のせいだった。
だけどそれもこうして、ガルシルドの悪事が明らかになった今では何もかも心配無用になる。握り潰されたと思っていたあの情報は、何とか鬼瓦さんが手にしてくれていたのだ。…けれどRHプログラムについての情報は総帥さんの置き土産らしいというのだから、何も言えなくなってしまう。今まで敵だったあの人が、こんな形で助けてくれるだなんてね。

「良かったな、ロニージョ!これで思いっ切りサッカーできるぞ!」
「本当に、ありがとう…!」

…そしてようやくここから、私たちにとっては何の憂いもないサッカーができる。家族という大切な存在のことや世界平和のことなんて大層なことを考えず、守たちやロニージョさんたちが自分らのことだけを考えて思い切りサッカーしても許されるのだ。私たちの望む本当のサッカー。それができると思っただけで、私は思わず泣いてしまいそうなほどに嬉しくて堪らなかった。





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