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「鬼道くんの様子が可笑しい?」
「あぁ…あいつは、何かを一人で思い詰めているんだ…」

晴れて響木さんが新しい監督として就任し、プレーにさらなる磨きをかけようとみんなが奮闘する中。それは試合前に怪我はいけないと早上がりになった放課後のことだった。そろそろ切れそうなペンの買い出しにでも出掛けようかと思ったところで、佐久間くんから突然の連絡が入った。
なるべく人に見られない場所で話がしたいということで私の部屋にお連れする。守は今日も鉄塔広場で特訓するというし、帰りは遅いだろう。

「うーん…たしかにこの前、うちの顧問の件で謝りには来たよ」
「あぁ、それも聞いた。…これまで帝国は総帥の指示に従いサッカーをしていた。そこに俺たちの意志は必要無い。…必要無かった、はずだったんだ…」

鬼道くんが何かしら総帥さんのやり方に反感を持っていて、反旗を翻そうとしているらしい。部員たちもそれに賛同して足並みを揃えようとしているということも。しかしそんな重要な情報を私に漏らしても良いのか、と尋ねたところ「お前はそんな奴じゃないだろ」と呆れた顔でチョップされた。まぁそうですけども。友達である君に信頼されてて嬉しいよ私は。

「えっと、佐久間くんはつまり鬼道くんの方について行くか、総帥さんのやり方にこれまで通り従うか迷ってるってこと?」
「いや、それはもう決めてある。俺は鬼道の右腕だからな。鬼道の決めた道に俺は従う。…ただ、不安なんだよ」
「不安?」

二人分のオレンジジュースが入ったコップのうち、私の方のコップを持ち上げて一口飲む。佐久間くんの方に置いたグラスは、先ほどから全く減っていない。ゆっくり飲むほどの余裕が今の佐久間くんには無いのだろう。

「…鬼道は俺に、俺たちに何も話さない。全て一人で抱え込ませて、俺は、それに従うだけで。…これで本当に、俺は右腕だと言えるのか…?」
「そこは鬼道くんと佐久間くんの問題だからね。私にもよく分かんないや」
「やけにバッサリ来るよなお前は」

申し訳ない。でもここで私が鬼道くんの思惑やら何やらを語ったところで、君それ割とそういうのは地雷でしょ。どうせ「鬼道の考えがそう簡単に理解できるか!」ってキレるに決まってるね。そう言い返せば、佐久間くんは思い至る節があったのか私からそっと目を逸らした。ほらごらんなさい。

「でもね、鬼道くんは佐久間くんのこと大事だと思うよ。それは普段からの付き合いでも分かるかな」
「…」
「私がよく佐久間くんとお茶したり、ペンギン語りしたりグッズ交換してるの聞いて、よく年頃の娘を持つ父親みたいな感じで話聞いてる」
「待て何を話してるんだお前は??」

そもそも、あの孤高な感じの鬼道くんが本当に佐久間くんのことを煩わしく思ってるならもっと扱いはぞんざいのはずでしょ。佐久間くんを側に置いてるってことは、君が思っている以上に鬼道くんは君を信頼してるんだと思うよ。

「それにあれだよね、右腕って言っても何か夫婦みたいな感じだよね」
「俺たちが!?」
「うん。ほら、妻に心配かけまいと黙って外で働く夫の鬼道くんと、そんな夫を信じて黙って帰りを待ちつつ側に寄り添う妻の佐久間くん」

ビジネスパートナーの可能性もあるけど、というセリフは空気の読める私なので大人しくお口をチャックしておく。佐久間くんも何処かこんがらがりながら頭を抱えているけれど、そこら辺はあんまり深く考えない方が良いと思うな。

「信じてあげなよ。それでさ、鬼道くんが自分じゃ抱え切れないくせにそれでも抱えようとしてたら、目を覚ませ!って一発殴っちゃえ」
「お前は発想が物騒なんだよな…」
「えぇ、でもそれが出来るのが男の子でしょ。拳でタイマン、河川敷での対決。雨降って地固まるまでがワンセット」

女はそうはいかないからね。少しでも仲違いしようものならネチネチとした陰湿な嫌がらせのオンパレードが始まるよ。あっさりとした女の子ならちゃんと真正面から口喧嘩なり何なりしてくれるけど。
ちなみに女の子は恋愛沙汰の揉めあいが一番怖い。一人の男の子を取り合って、影で陰湿な嫌がらせのし合い。しかしいつのまにか仲良くなっていたりするのだ。

「怖くない?」
「今、男に生まれて良かったと心底思っているところだ…」

青い顔で震えている佐久間くん。帝国学園の女子はお金持ちが多い分、良識を弁えてる人が多そうだよね。でも逆に調子に乗りやすい人はそれとは逆に恐ろしいほど他人を見下してくるから気をつけてね。
というか、いつのまにかお悩み相談室が男女の修羅場の恐ろしさの違いについての講義になってしまっている。まぁ、佐久間くんが思い詰めてないなら良いんだけどね。

「…そういえばお前のお母さん、よく娘の部屋に男を上げることを許したよな…」
「まぁ、佐久間くんのことを女の子だと思ってるからね」
「………え?」

素っ頓狂な声を上げられてしまった。そりゃあ佐久間くんよ、自己紹介が「初めまして、佐久間です。円堂さんにはいつも仲良くさせてもらっています」に微笑なら勘違いだってするものよ。さっきジュースを取りに行ったときも「佐久間さん、美人じゃない」って言われちゃったし。男の尊厳に傷をつけてしまったかもしれないけれど、まぁそこは後でちゃんと言っておくから安心して。

「せっかくだし夕飯食べてく?」
「…いや、またそれは今度で良い…」

落ち込まれてしまっている。なんかごめんねうちのお母さんが。でも君の対応が丁寧だったから、たぶん男だと分かったところで今後も普通に家には上げてもらえると思うよ。その時は守も交えてみんなでご飯食べたいね。





少々落ち込んで帰っていかれた佐久間くんを見送った後、タイムリーと言わんばかりに鬼道くんから電話が来た。鬼道くんから掛けてくるとは珍しい。ちなみに佐久間くんにはお土産としてペンギンシールを手渡しておいたので、どうかそれで機嫌を向上させておいて欲しいところだ。
急いで携帯に飛びつき、何とか三コール以内に出た電話の向こう側の鬼道くんは、どこか声が疲れた様子だった。

「もしもし、鬼道くん?」
[…あぁ、今、少し良いか]
「少しとも言わずいくらでもどうぞ」

これは割りかし重症かもしれない。佐久間くんから聞いた鬼道くんの様子と良い、ここで聞き逃せば鬼道くんはもっと思い詰めるのだろう。鬼道くんが雷門を心配してくれたように、私たちだって帝国には万全の状態でプレーして欲しいと思っているのだ。

[…俺は、いったい何だと思う]

どこか投げやりに問いかけられたその言葉を、私は一瞬理解できなくて、しかしちゃんと言葉として飲み込んだ瞬間、間髪入れずに答えを返す。私にとって鬼道有人とは何か。その答えはちゃんと、私なりの想いがちゃんとあるから。

「帝国にとっての鬼道くんは、司令塔でキャプテンで天才かな。雷門にとっては、何考えてるかよく分かんない、一度はメッタメタにされた敵チームのキャプテンで王様」
[…]
「でも、私からすれば、君はただの鬼道有人でしかないよ」
[!]
「私なんかに構ってくれて、数学の問題を教えてくれて、気にしなくても良いチームの事情を懸念するくらい優しくて、押しつけられた餃子を律儀に食べて感想を送ってくれる友達」

一瞬私の言葉に対して強張るような気配を感じたけれど、それを気づかないフリでやり過ごして言葉を続ければ、鬼道くんがそれを聞いた途端に自嘲気味に笑う。

[…お前は今までの俺を知らない]
「そりゃそうだよ。私は私と仲良くしてくれる鬼道くんしか知らないよ。鬼道くんだって、鬼道くんの知ってる私しか知らないでしょ。同じだよ」
[…]
「だから教えて欲しいな。せっかく友達になったんだもん。鬼道くんがどんな人間かなんて、私はきっとまだ全然理解してないよ」

ちゃんと話そうよ。私だって知る努力をしてみせるから。友達として、今は決勝戦を控えたライバルとして、私は鬼道有人という人間を理解したいと思っているのだから。
君は何が好き?
どうしてサッカーを始めたの?
雷門中とはどんなサッカーをしたいの?
教えてよ、鬼道くん。たしかに私はまだ何も知らないけれど、お前に自分のことは分からないって突き放すのは、それからでも遅くはないよ。

[…好きなものは、食べ物だと魚介類で…あとはサッカーだ。サッカーは、亡くなった父との繋がりが欲しくて、始めた。…そして、俺は]

鬼道くんはそこで一度言葉を切った。どこか躊躇っているようにも聞こえる彼に、私は内心エールを送る。
頑張れ、鬼道くん。君の言葉を、私は君自身の口から聞いて受け止めたいから。


[お前たちと、正々堂々サッカーがしたい]
「うん、しよう。受けて立つよ、鬼道くん」


そういうサッカーは、勝っても負けても私は大好きだ。何なら、試合の後にお互いの健闘を讃えて肩を叩きあえるような試合になれば良い。
鬼道くんも同じサッカーが好きだと聞いて、勝ちにばかりにこだわっていると思っていた彼が身近に感じられて、とても嬉しかった。

「思い切り、自分の持てるものを出し切った試合には、勝ちにも負けにも意味があるよ。勝てばここまで来れた自分が誇らしくなるし、負けてもまだ自分には越えるべき壁があるんだって実感できる。そう思わない?」
[…あぁ、思うよ]

また試合で、と言葉を交わして電話を切る。今度鬼道くんに会ったときには、さっき聞けなかった亡くなったお父さんの話を聞こう。今の家には養子で入ったことは知っていたけど、「それ以上は聞くな」と言いたげな壁にいつも拒まれていたから。
ねぇ、鬼道くん。だから今度はその壁に触れても良いかな。君が抱える何かを、その一欠片でも理解したいと思うのは、いけないことかな。
私も佐久間くんも、優しい君が苦しまないことを望んでいるんだと、いつか伝えられると良いな。





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