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決勝戦当日の朝。私は最後に資料の確認をしながら試合向けての準備を進めていく。今日はみんな随分早起きのようで、いつもなら寝坊している人たちも太陽が登る頃には飛び起きてしまっているらしかった。外から聞こえる話し声がそれを教えてくれる。

「…あ、基山くん」
「ん、どうしたの薫さん」
「緑川くんに写真送りたいから、一緒に写ってくれない?」
「良いよ」

外に出ていく途中だった基山くんを呼び止めてツーショットを撮る。『頑張ろうね』というメールを送れば、三分もしないうちに返信が来たので少し驚いてしまった。ちなみに頑張るね、じゃないのは、「あくまで一緒に戦うのは緑川くんも一緒だよ」という私なりの気持ちだ。メール作成中に覗き見た基山くんもそれが分かったのか、嬉しそうに笑ってくれた。

「…『一緒に頑張ろう!』だって」
「緑川も分かったみたいだね」
「うん。…最後まで、一緒に戦うんだ」

栗松くんにも同じようなメールを送ってある。こちらは昨夜のうちに雷門中メンバーを集めて撮った写真を添付しておいた。向こうからも『頑張るでヤンス!』という頼もしい返事が届いているので、きっと同じ気持ちを胸に戦ってくれることだろう。

「監督!全員揃いました!」

そして全ての準備が終わり、朝食も食べ終わって集合した宿泊所の入り口前。監督や私たちサポーター陣の目の前にずらりと並んだ選手たちを見渡した久遠監督は、やがて静かに口を開いて、何故か守の名前を呼んだ。

「円堂守」
「…え?」
「円堂守!」
「…はい!」

…どうやら監督は、選手全員の名前を一人ずつ呼んでいくらしい。一人一人それに応えて返事を返していくその真剣な顔を見ているうちに、私はこれまでの思い出が頭の中で鮮明に蘇っていくのを感じていた。

「豪炎寺修也」
「はい」

豪炎寺くんはいつもチームの要として、日本のエースストライカーとして、チームを勝利に導いてくれた。彼が居なければ勝てなかった試合は数えきれないほどある。紆余曲折あって一度はサッカーを辞めそうになったけれど、こうして彼が世界の舞台で戦えることになって本当に良かったと、私は心から思っている。

「鬼道有人」
「はい!」

鬼道くんはイナズマジャパンの頭脳だ。的確な指示や分析でチームの危機を救い、みんなを鼓舞し続けてくれた。総帥さんと和解したことで囚われていた過去から解放された彼が、一番輝いていたイタリア戦を私が忘れることはないだろう。…一番最初は敵だったはずなのに、今やかけがえのない味方だなんて、半年前の私が見たら驚いてしまいそうだ。

「風丸一郎太」
「はい!」

風丸くんは私にとってはかけがえのない幼馴染であり、守の次に心から無条件で信頼できる人だ。幼馴染だからという理由もあるけれど、彼が誰よりも直向きで真面目な人だということを私は知っている。だからアルゼンチン戦の時も、私は迷わずキャプテンマークを彼に託した。そしてその信頼に応えてくれた彼を、私は心から尊敬する。

「染岡竜吾」
「おう!」

染岡くんは初め、日本代表からは落選した選手だった。けれど、細い糸のようなチャンスを手繰り寄せてとうとうここまで追いついてくれた。私はそれをチームメイトとして誇りに思う。誰が何と言おうと染岡くんは雷門中の、日本の誇るストライカーだ。自分に向き合う強さを手に入れた彼はきっとまだまだ強くなれる。

「壁山塀吾郎」
「はいっス!」

壁山くんは、この中では一番変わったような気がする。前まではずっと臆病で、練習試合ですら相手を怖がるような性格だったのに、いつのまにか私たちの励ましがなくても自ら奮い立って立ち向かう勇気を手にしていた。日本になくてはならないディフェンスの壁。壁山くんがそんな存在になっていることが、堪らなく嬉しい。

「吹雪士郎」
「はい!」

士郎くんは一度怪我で離脱してもなお、諦めずに治してまた戻ってきた不屈の人だ。彼の為人にも随分助けられたと思う。前は私が手を引いてばっかりだったのに、今じゃ逆に手を引かれることだってあるのだから不思議だ。…でも士郎くんが笑顔でサッカーをできていて本当に良かった。どんな弱さだって今の彼なら新しい強さに変えていけるはずだから。

「不動明王」
「はいよ」

不動くんは一番大変だったね。チームからすぐ孤立するし、息をするように人を煽るし、トマトは食べないし。でも、その分私たちはいつも対等でいられた。お互いがお互いの本心を曝け出して小突きあえる関係性。気遣わなくても息がしやすい相手ができたことは、きっとこれからの私にとっては永遠の財産だ。

「佐久間次郎」
「はい!」

佐久間くんも落選から這い上がってきた人だ。どんな時も私の味方で居てくれた親友。私を否定しないで寄り添ってくれた大切な人。最初はあんなに険悪だったのに、今や一緒にお出掛けまでする仲だ。男女の友情は成立するのだと、他でもない彼自身が身をもって教えてくれた。

「綱海条介」
「おう!」

綱海くんとは、濃い思い出が多過ぎるかな。初対面から好意を包み隠さずにぶつけてくれていたしね。…でも、その分私は誰かに好かれる人間なんだという自信が持てた。綱海くんのおかげで、私は私自身を好きでいられた。その想いには応えられなかったけれど、私の幸せを願ってくれるその優しさにいつか報いたいと私は思っているのだ。

「土方雷電」
「はい!」

雷電くんにはいろいろとお世話になった。沖縄の時しかり、普段の生活もしかり。少し落ち込んだ時も声をかけていつも明るく励ましてくれたおかげで、私もつられて笑うことができたこともある。弟妹のために一生懸命戦うその姿は、紛れもなくヒーローだ。

「木暮夕弥」
「はい!」

木暮くんにはいつも手を焼かされた。暇さえあれば悪戯ばかりするからカエルの被害に遭う人はたくさん居たし、染岡くんなんていちいち反応するからよくおちょくられていたっけ。私はあまり動揺しないで怒るから恐れられてた気はしなくもないけれど、私は何だか手のかかる弟ができたようで楽しかったな。

「立向居勇気」
「はい!」

立向居くんとの思い出といえば、やはりアルゼンチン戦だろうか。彼が自分だけの技を身につけた日、私は彼の努力を信じて日本のゴールを託した。その身勝手な信頼に応えてくれた彼は、紛れもなく日本のゴールキーパーに相応しい。まだまだ守に憧れているようだけれど、きっといつか守に立ちはだかる壁になってくれるはずだ。

「基山ヒロト」
「はい」

基山くんとはよく緑川くんのことで話したっけ。精神的に不安定なところもあった彼を、まるで兄貴分のように心配していた彼と頭を突き合わせて彼をサポートする策を練ったあの頃が懐かしい。今は豪炎寺くんとのことを知っていることもあって時々揶揄われるけれど、そんなやり取りができる分だけ私は基山くんという人を信頼していた。

「宇都宮虎丸」
「はい!」

虎丸くんはこの中で唯一の小学生で、私が保護者役を任されていた。体が弱いお母さんに代わってお店の切り盛りと両立させていた彼の頑張りを私は知っている。そしてサッカーを本気でやることにトラウマがあった彼も、このチームに溶け込んだことで本気でプレーすることの楽しさを知ることができた。彼のこれからの活躍に私は期待している。

「飛鷹征矢」
「うっす」

飛鷹くんは初心者で、最初はボールを蹴ることさえままならなかったけれど、彼なりの努力と意志でここまで頑張ってきたね。私ができたことなんてほんの僅かしかないけれど、飛鷹くんが今世界で戦えているのは、他でもない彼自身が積み上げてきた努力の証なのだということをどうか忘れないでほしい。

「…木野秋」
「……あっ、はい!」

そして監督はマネージャー陣の名前も呼び始めた。…秋ちゃんは、それこそ雷門中が始動し始めた時からの仲間だ。ずっと一緒に二人でチームを支えてきた。秋ちゃんの優しくて頼もしい仕事ぶりに、チームは何度も助けられてきたんだよね。

「音無春奈」
「はい!」

春奈ちゃんは新聞部からの引き抜きで、雷門中サッカー部の活躍を見てマネージャーを志願してくれた子だった。得意の情報収集で様々なチームのことを調べ上げてくれたし、世界大会でもその情報分析力が私たちの助けになってくれた。頼もしい後輩だ。

「目金欠流」
「ここに居ます」

目金くんは選手としてではなく、サポーターとしてこの大会に臨んでいる。けれど目金くんの真面目で繊細な仕事ぶりのおかげでチームはいつも滞りなく練習できていたし、有能なサポーターだったと私は思っている。選手としても助けられたことは何度もあったけれど、そんな一面があったことを、私はこの大会を通じて初めて知れた。

「久遠冬花」
「はい!」

ふゆっぺは最初こそ私たちの記憶がなくて初対面を装っていたけれど、私にとってはたとえ何度記憶を失っても褪せることのない思い出が彼女との友情を証明してくれていた。辛い過去から目を背けず、私たちの元に帰ってきてくれたことがとても嬉しい。けれどふゆっぺに励まされた時もあり、寄り添ってくれた日もあった。私たちはお互いに支え合いながら戦ってきたんだよね。

「雷門夏未」
「は、はい!」

夏未ちゃんとは本当にいろいろあった。最初はサッカーなんて好きじゃなかった夏未ちゃんはサッカー部を通してその魅力を知り、応援してくれて、一度はチームから離れても最後はとびきりのパワーアップを経て戻ってきてくれた。ちょっぴり嫉妬してしまったことは申し訳ないからあとでちゃんと謝りたい。お祖父ちゃんを、コテンパンに倒した後でね。

「円堂薫」
「…はい!」

この仲間たちと一緒に名前を呼ばれること。そんな名誉ある場所にいられて本当に良かった。たくさん苦しくて、足掻いて、もがいて。それでもやっぱり楽しくて、嬉しいことだってたくさんあった。酸いも甘いも全部詰め込んだ今日までの日々を全部背負って、私たちは今日の決勝を戦っていく。
…しかし、私がそんな決意をしている間にも、監督の点呼はそこでは終わらなかった。

「…緑川リュウジ」
「!」
「栗松鉄平」

…怪我で離脱してしまった二人の名前。監督はその二人を、当たり前のように呼んだ。実際ここには居ないと分かっていながらも、しかしちゃんと居るのだと告げるかのように。その思い遣りがじわりと涙腺を刺激して、思わず泣きそうになった。まだ試合さえ始まっていないのに。

「…そして選ばれなかった多くのプレーヤーたち。その意思を受け継ぐ日本代表としての決勝戦だ。…勝つぞ!」
「…はい!!」

緑川くんや栗松くんだけじゃない。同じように世界で戦いたかったはずの、ネオジャパンの人たちをはじめとした全国のプレーヤーたちの分まで。私たちは、誇りと責任をもって決勝戦に挑み、勝利を手にするために戦うのだ。そしてその結果が勝ちであれ負けであれ、最後には悔いのない試合ができたと胸を張れたなら。私はそれだけで、十分に価値があったと言えるような気がするのだ。





「円堂、話がある」
「?はい」

会場について、観客で溢れそうなほどに賑わっているのを歓声で悟りながらも、決勝戦に向けた準備をしていれば久遠監督に呼ばれた。何か不備でもあったのだろうかと疑問に思って駆けつければ、久遠監督に連れて行かれた先は、人気の無い廊下だった。何か人の耳に入れたくない話なのだろうかと勘ぐっていれば、こちらに体を向けた久遠監督がそっと手を差し出す。

「今までのサポートに、感謝している」
「…監督?」
「はじめは、中学生であるお前を補佐として起用することに不安を抱いていたが…響木さんの目は正しかった。よく、文句のひとつも言わずに着いてきてくれた」

真っ直ぐな謝辞の言葉。それが嘘偽りのない久遠監督の本心だと分かって、私は思わず唇を噛み締めながらも首を横に振った。…思えば、久遠監督とはまだ二ヶ月も経っていない付き合いなのに、随分と濃い思い出ばかりが増えたように思える。不動くんのプレーだけを褒めてチーム内に不穏な空気を漂わせてみたり、アジア予選の初戦前にいきなりみんなを部屋に閉じ込めて反感を買ってみたり。それに対して憤るみんなを宥めすかすのは本当にとても大変だった。でも、試合が一つ一つ終わるたびにみんなの信頼が久遠監督へと向いて、久遠監督の言葉の意図を考えるようになって。今までは指示待ちだった選手たちが自らの判断で動けるようになった。これは凄いことだ。

「お礼を言うのは、私の方です。守たちを、みんなを、私たちをここまで導いてくださってありがとうございました」
「…あとは、お前の兄たちを信じるだけだ」
「はい。でも守たちなら絶対に優勝してくれます。守たちは、誰よりも強いんですから」

監督や私の仕事はもうここで終わり。やれることと言えば、あとは選手たちの実力を信じることだけしかない。ここまで一緒に勝ち進んでくるごとに培ってきた、信頼関係の上で重ねてきた実力を発揮できるように願うだけなのだ。

「後の話は、全部終わってから聞きたいです。みんなが世界の頂点に立った、その後で」
「…無論だ」

そしていよいよ、決勝戦が始まる。たくさんの思いを背負い、いろんな因縁に終止符を打つための私の戦いでもあるこの試合の果てで、どうか私たちが笑えていますようにと。
どうにもならないと知っていながら、私は勝利の女神の微笑みが向けられることを祈っていたのだ。





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