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世界各国の強豪たち、優勝候補たちを乗り越えて掴んだイナズマジャパンの優勝。それは日本だけでなく世界各地でも大きな反響を呼び、昨日からテレビのニュースではイナズマジャパンの名前ばかりが連呼されている。その一つのニュースには選手特集みたいなのもあって、それぞれ一人一人の活躍シーンと一緒に選手たちの能力が解説されていた。それに対しては、嬉しそうな人たちと照れている組、全く興味ない組と反応はさまざまだったけれど、いつもよりちょっとだけ美化されたみんなの情報は見てて面白かった。

「面白がりやがって…」
「んふふ、イナズマジャパンの切り札さんもめちゃくちゃ特集されてたね」
「うるせぇ」

不動くんなんてあの初登場の韓国戦で活躍を見せたことから、「イナズマジャパンのジョーカー」だの「勝負所の切り札」なんて言われてたし、それを聞いて本人はすごく居心地が悪そうな顔をしていた。個人的に一番面白かったのは士郎くんの「雪原のプリンス」と基山くんの「流星の貴公子」である。本人たちも照れてたものだ。

「他人事だと思いやがって…」
「マネージャー陣は注目されにくいからね。高みの見物ができちゃうんですぅ」

…ちなみにこの数日後、何の悪意もない守により「監督やマネージャーたちの支えが無ければ乗り越えられなかった」という発言が取り上げられ、ものの見事に特集組まれる羽目になることをこの時の私はまだ知らない。特に、私が守の双子の妹であり、チームでは異例の監督補佐という「注目してくれ」と言わんばかりの私の立場のせいもあってインタビューの申し込みがとても多かった。見かねた響木監督が「息抜きに行くぞ」と守と一緒に連れ出してくれなければ、そろそろマイクにトラウマを抱くところだ。

「響木監督の嘘つき」
「嘘はついとらん」
「息抜きって言ったのに…」
「息抜きがてら、という意味ではあってるだろう」

あってないんですよ。私は響木監督を盾にして隠れながら、遠くでロココくんと並んで立っているお祖父ちゃんの様子をそっと窺う。まだこちらに気づいてはいないらしいが、それもすぐに分かることだろう。さっそくロココくんが守に気づいてこちらに手を振ったのを見て、守が返事をしながら駆け寄っていくのを見送る。

「お前は良いのか?」
「…私、あの子のこと好きじゃないので」
「…そうか」

ロココくんは、ゴールキーパーとしてすごい選手だと思うし、性格も良い人なんだと思う。それでも私はきっと、彼のことを好きになれることは無いんだと思う。そんなこというと私の心が狭いとか、大人になれって呆れられちゃうかもしれないけど、それでも私は。

「お祖父ちゃんが大事にしてるから、嫌い」

私の知らないお祖父ちゃんを知っている彼のことが嫌いだ。私たちが作れなかったお祖父ちゃんとの思い出を持っている彼が嫌いだ。私たちのことなんてどうでも良いと言われているようで、孫なんて彼で間に合ってると言われてしまうのが怖くて。だから私はロココくんを絶対に好きにはなれない。お祖父ちゃんと話をして、一緒にサッカーまでした守は違うかもしれないけれど。

「…薫、それはただの嫉妬だ」
「……嫉妬…?」
「お前さんは、自分よりも長く近く大介さんの隣にいるロココに対して嫉妬しとるんだろう」

…そうなのだろうか。いや、実はそうなのかもしれない。私が本当は欲しかった立場を持っているロココくんに、私はどうしようもなく抗えきれない醜い嫉妬心を抱いていた。ロココくんは何も悪くないと分かっていても、誰かを憎むことでしか私は自分の心に折り合いをつけられなかったのだ。

「ぶつかってこい、薫。…それとも試合前から怖気付いて敵前逃亡するのか?」
「…その言い方はずるいと思います…」
「お前さんとは短くはない付き合いだ。焚き付け方も心得ているさ」

背中を押されて、私はたたらを踏みながらも一歩前に踏み出す。そのまま一歩ずつ、ゆっくりながらもロココくんに向けて歩いていけば、いつのまにか合流していたフィディオくんも交えて話していたロココくんが私に気がついた。そして、顔を強張らせながらも近づいてきた私に何かを察したらしいフィディオくんが、不思議そうな顔で私の名前を呼んでいる守の背中を押して離れた場所に移動して行った。ありがたいような、そうでもないような。

「どうしたの?カオル」
「…は、話が、あって」
「うん」
「良い、話じゃないし、嫌な思いさせるかもしれないけど」
「うん、良いよ。僕も君と話したいことがたくさんあったんだ」

そう言って頷いてくれたロココくんの顔は穏やかだった。表情から、彼が何を考えているのかは上手く読み取れなかったけれど、少なくとも私を拒む意思は見せなかったから思わず安堵してしまった。…変なの、傷つけるかもしれないのに、安堵なんて。

「…私ね、多分、ロココくんのこと嫌いなんだと思う」
「…ダイスケのことだよね」
「……知ってたの?」
「コトアールエリアでイナズマジャパンがガルシルドと戦ってくれたあの時、ダイスケを見つめるカオルの目が険しかったし、僕がダイスケと話してると視線を感じたから」

…見られていたのだろうか、そんなみっともない私の様子を。お祖父ちゃんに対して余裕なんて無かった情けない私の姿を。そう思ったら、なんだか少しずつムカついてきた。ロココくんの余裕っぷりを見せつけられて、私の無様な姿を嘲笑われているような気がしたから。

「…ロココくんには私の気持ちなんて何も分からないよ。小さい頃からお祖父ちゃんに可愛がられて、サッカーを教えてもらえて、本当の孫よりも大事にしてもらえた、君には何も」

思わずそう吐き捨てた。これは言いがかりなんかじゃない。全部本当のことだ。何十年もコトアールに居たお祖父ちゃんからサッカーを教わってきたロココくんは、きっと私たちよりもお祖父ちゃんから大事にされているのに決まっているのだ。お祖父ちゃんを純粋に慕いながら、ずっと私が喉の奥から手が出そうなほどに欲していた優しい日々を彼はお祖父ちゃんと過ごしている。…だから私はやっぱり、ロココくんのことが嫌いなのだ。
視線を逸らして唇を噛みながら俯く私に、ロココくんはしばらくの間黙り込んでいた。けれどやがて、彼が何か小さく笑ったような気配がした。馬鹿にされたのだろうかと、思わず顔を歪めてそちらを向けば、ロココくんは仕方なさそうに微笑んでいて。

「…僕、マモルとカオルの小さい頃の写真を見たことがあるんだ」
「…写真?」
「まだ小さな二人が日本のキモノを着てる写真だったよ。…ダイスケはいつも、それを大事そうな顔で見てた」

…その言葉を聞いて思い至ったのは、五歳の頃に撮った七五三の写真だった。守と一緒に千歳飴を手にして、無邪気に手を繋いで撮ったあの写真。お祖父ちゃんの協力者であった人の一人が好意で送ってくれたらしい。もう何年も経って、あの頃よりずっと大きくなってしまってもなお、お祖父ちゃんはその写真を大切にしていたそうだ。

「僕はね、この島に来て初めてカオルを見たときすぐにあの女の子が君だって分かったよ。初めて会ったばかりで変かもしれないけど、僕の初恋は君なんだ。小さい頃にこっそり盗み見た写真の向こう側に居た可愛い女の子に、僕はずっと会いたかったんだよ」
「…ロココくん」
「…それに、カオルはダイスケが僕の方を大事にしてるだなんて言ったけど、僕からすれば会ったこともないのに愛されてる君たちの方が羨ましかった。だってその繋がりは、僕がどう頑張っても手に入れられないキズナだ」

…酷く、悲しいと思った。お互いに。それぞれがお互いを羨ましがって、自分の持てないものを持っていることに妬んでしまっている。
だけどそれは、きっと仕方のないことだった。私たちはきっと、こんな関係性を築くことしかできなかったのだから。

「だから僕のこと嫌いなままでも良いよ、カオル。その代わり僕もずっと、君のことは好きで嫌いだ。…チグハグで可笑しいけど、多分これが僕たちにとって一番良い距離感なんだと思う」
「…うん」
「でも、そんな感情もひっくるめて、いつか君と友達になりたいんだ」
「うん」

私も、今はまだほんの欠片だけだけれど、確かにそう思うよ。まだ君のことは嫌いで、この心には醜い嫉妬心が渦巻いている。お祖父ちゃんのことも簡単に許せるわけじゃない。…それでもいつか、そんな凍りついていた気持ちが溶けて、今までとはまた違う関係性を踏み出すことができるそんな日が来て欲しいとは、思う。…それが実現するかなんてその保証はしないけども。

「…だからほら、カオルもダイスケと早く話してきなよ」
「え」
「ダイスケはずっと、カオルの気持ちが纏まるまで待ってるんだよ」

ロココが指し示した先では、お祖父ちゃんが響木監督と語り合っている姿が見えた。その楽しげな顔を見て戸惑う。…お祖父ちゃんが、私を待っている?どうして?私はあんなに、お祖父ちゃんに対して嫌な態度しか取ってきてないのに。

「カオルが怒ってる時の顔がダイスケの奥さんが拗ねた時の顔に似てるから、嫌いになれるはず無いんだってダイスケは笑ってたよ」
「…お祖母ちゃんのことばっかり」

何なのだ、その理由は。私ばっかりが気にしてるのが馬鹿馬鹿しくなってきた。…思えば試合会場で会った時も、お祖父ちゃんは私にお祖母ちゃんの話を振ってきたのだったっけ。私の中にお祖母ちゃんの面影を見て、懐かしい何かを見つけて。…本当に、どうしようもない人だ。
私の方の力が抜けたのが分かったのか、ロココくんが私の背中を優しく押した。私はそれに導かれるようにして走り出すと、お祖父ちゃんの懐に飛び込んだ。割と強い勢いで飛び込んだものの、それを難なく受け止められたことがとても悔しい。少し戸惑ったように沈黙するお祖父ちゃんに抱きついたまま、私は跳ねる鼓動を落ち着かせるようにして深く息を吸った。…知らない人の匂い。だけど、これが私のお祖父ちゃんの匂いだ。

「…ちゃんと、いつか。一度で良いから、いつか日本に帰ってきて」
「…」
「お祖母ちゃんのお墓に手を合わせて、お母さんにも土下座するくらいの気持ちで謝って」
「…あぁ」
「…そしたら、お祖父ちゃんのこと、ちゃんと素直に好きだって言えるから」
「!」

許せない理由があるのなら、それを全部消してしまえば良い。愛したくないと思う葛藤を打ち壊せば良いのだ。そうすればきっと、その時こそ私はお祖父ちゃんを心の底から大好きでいられる。何の恨みも抱かないまま、胸を張ってお祖父ちゃんの名前を呼べるから。
そんな思いで腕に力を込めれば、お祖父ちゃんは黙ったまま私の背中を抱き締めてくれた。どこか労るように頭を撫でる手は、無骨なくせにとても優しくて。何かを確かめるようなその手つきが、妙に擽ったくて仕方なかった。

「…寂しい思いをさせてすまなかったなぁ」
「…さみしい…?」
「あぁ」
「……そっか」

…私、寂しかったのか。お祖父ちゃんが居なくて、寂しかったんだ。小さい頃から、周りの友達が楽しそうに自分のお祖父ちゃんたちと手を繋いで仲睦まじげな様子で笑い合っているのを見るたびに、遠い昔に撮られたお祖父ちゃんの遺影を眺めて。「お祖父ちゃんが生きていたら」だなんて夢想しながらあの英語の辞書を胸に抱いていた。
そしてそれが今、こうやって私の目の前で実現している。私の前には今、ずっと焦がれていたお祖父ちゃんが生きたまま立っている。…それどころかこうして、頭を撫でながら、抱き締められて。

(……嗚呼、そっか)

私はきっと、ずっと、こうやって。
お祖父ちゃんに抱き締められて、お祖父ちゃんを抱き締め返す。そんな当たり前のやり取りをしたかっただけなのだ。他には何も望まないから。普通で当たり前の、ただ優しいばかりの愛に満ちた記憶が、欲しかったんだ。

「…手紙書いたら、返事くれる?」
「あぁ、勿論だ。むしろわしの字がお前に読めるかな?」
「馬鹿にしないで、読めるもん」

溢れそうな涙と嗚咽を呑み込んでそう問いかけてみれば、優しい声音でお祖父ちゃんは揶揄うようにそう言った。…そうだ、馬鹿にしないで欲しい。お祖父ちゃんは私を一体何だと思っているのだろう。

「私は、お祖父ちゃんの孫だから。…ちゃんと読めるよ」

結局涙目で、みっともなく鼻を鳴らしたままお祖父ちゃんに不敵な表情でピースを示せば。
お祖父ちゃんはそれを聞いて、弾けるような笑顔と共に笑った。





イナズマジャパンが日本に帰国したのは、テレビや雑誌のインタビューやらパーティーやら、おまけに他のチームとのお別れサッカーもどきが終わってからだったので、実際は決勝戦から五日ほど経過してからのことだった。帰国を聞きつけたファンの人たちからの盛大な見送りがあったこともあって、みんなはもう飛行機に乗り混む頃にはクタクタになってしまっていた。かくいう私も、熱烈なファンに絡まれる選手の壁になったら逆に絡まれるというミイラ取りがミイラになるを地でいくなど、割ともみくちゃにされて大変だったので、帰りの飛行機は行きと違って夏未ちゃんの肩枕でぐっすりだったのだが。

「日本に帰っても大変だろうな…」
「…しばらく休みはないと思った方がいいよ」
「目が死んでんぞ、薫」
「そりゃあ死ぬよ……」

飛行機を降り、雷門中に向かうバスの車内で風丸くんと話をしていれば、染岡くんにそう指摘されてしまった。だって、少なくとも今の時点で日本でもお祝いパーティーやらインタビューやら特集組むための密着やらいろいろあるんだもん。さすがに下世話すぎるものに対しては久遠監督が悪者役を担って断りを入れてるらしいけど、こういう祝辞を受けることも国を背負う選手たちの役目であるらしいので全部は断らなかったのだとか。

「でも、お父様が『さすがに今日くらいは』と雷門中から人払いを済ませているらしいわ」
「理事長…!」

部室の件と言い、サッカー部への配慮がとてもありがたい。…つまり逆を返せば明日から凄まじい忙しさに襲われる、ということになってしまうのだが、私も別に馬鹿では無いので今だけは忘れることにした。今気にしても仕方ないことだからね。みんなもようやく久し振りに雷門中へ帰れるからかどこか嬉しそうに見える。…そう言えば、このメンバーでサッカーができる機会なんてこれからほとんど無くなっちゃうんだろうなぁ。思えば最初はチグハグで、まとまりも連帯も無いめちゃくちゃなチームだったけれど。一つ一つの困難や試合を乗り越えるうちにチームは一つになっていった。積み重ねてきた信頼が、チームを世界一に導いてくれたと言っても過言じゃないね。
そんなことを思いながら車内をこっそりと見渡していれば、何故かこちらを見つめていたらしい豪炎寺くんと目が合った。そりゃまあもうバッチリと。思わずパッと目を逸らせば、その勢いに気づいた守に不思議そうな顔をされる。

「薫?どうかした?」
「う、ううん、何でも…」
「?おう!」

…実は、ここ数日の間、私は豪炎寺くんとろくに会話ができていない。それは、試合後の多忙さですれ違いがちだったのもあるし、私が少しだけ避けてしまっていたこともあった。いや、誤解しないで欲しいのだが、豪炎寺くんのことが嫌いになったわけじゃない。勿論好きだ、大好きだ。でも今、こうして世界大会が終わって元の日常に戻るのだということを自覚してしまった私は、その後に来るであろう豪炎寺くんとの約束を果たすのが気恥ずかしいのだ。

『…この大会が終わったら、俺と、付き合ってくれないか』

私の返事は当たり前のように了承だったし、その気持ちは今でも変わらない。…それでも、豪炎寺くんとの関係性が明白に変わってしまうことに緊張してしまっていた。私は豪炎寺くんの側にいられるだけで幸せなのに、それに加えて「恋人」という立場までもが私たちの間に成り立ってしまうこと。…そんなの、臆してしまうに決まってるじゃないか。そしてそう思ってしまった瞬間に、私は愚かながら豪炎寺くんを避けるという行動に出てしまったのだ。…とは言っても、私も豪炎寺くんも忙しかったから、意識して避けてることはバレてない…と思いたいのだが、それはさて。

「明日は式典が開催される。今日のうちに休んで明日に備えろ。いいな」

そしてバスはやがてようやく懐かしの雷門中に到着した。久遠監督から明日以降の連絡事項を伝えられてから解散する。何年も離れていたわけじゃないというのに、何だかこの校舎を眺めるのがとても感慨深かった。…ようやくこの目で見られた、部室の姿も。ここから始まって、世界にまで飛び出して。最後には頂点まで掴んで戻ってきた。去年の私たちには考えられない快挙だ。感慨深くならない方がおかしい。しみじみと思っていれば、守が少し離れた場所から駆け寄ってきた。

「薫!今母ちゃんから電話あったんだけどさ!今夜肉じゃがだって!!」
「本当に?」

どうやら、お母さんが私たちが帰ってくるからと特製の肉じゃがを作って待っているらしい。お母さんの肉じゃがはとても美味しいから好きなのだ。それなら早く帰らなきゃ、と私はルンルン気分を胸に一歩前へと踏み出しかけて。


「…薫」


…豪炎寺くんに引き止められて、我に帰る。恐る恐る振り返れば、そこには少しだけ顔を顰めた豪炎寺くんが居た。…この様子だと、私が今の今まで避けていたことに気がついているらしい。どう足掻いても逃げられないこの空気に、ちょっと怖気付いてしまいそうだ。

「一緒に、帰らないか」
「え、豪炎寺も一緒に帰るのか?」

私たちの間に流れる複雑な空気に気づかないまま、守があっけらかんと笑ってそう聞いてきた。守に悪気がないのは分かっているのだが、その鈍さが今だけは致命傷だ。私も流石に実の兄の目の前で恋愛の話はしたくない。気まずいにもほどがある。豪炎寺くんもそれは同じなのか、どう言い訳したものかと考えあぐねている。しかし良い言い訳が見つからないのか、このままでは三人で帰ることになりそうな雰囲気で……あったのだが。

「円堂」
「ん?」
「お前はこっちな」
「え?」

何と、突如私たちの間に割り込んできた鬼道くんと風丸くんが、守の両脇を固めて引きずって行ってしまったのだ。その鮮やかな手口に私や守はあんぐりと口を開けるばかりだった。その強制退場に絶句したまま遥か遠くへ消えてしまった守を見送っていれば、忘れた頃に豪炎寺くんが私の腕を掴んで。

「…帰るか」
「…うん」

よく見ればみんなはもうさっさと帰ってしまったのか、雷門中に残っているのは私と豪炎寺くんだけだった。私たちは、夕暮れでオレンジ色に染まりつつある帰り道を並んで歩いて行く。どちらも何も言わなかった。…けれど、結局先に口を開いたのは豪炎寺くんの方で、しかもそれは、私たちが川沿いの道を歩いている時の話だ。私の名前を短く呼ばれて思わず肩を跳ねさせた。とうとう、言われてしまうのだろうか。ずっと変わらなかった豪炎寺くんとの関係性が決定的に変わってしまう。その緊張感に心臓が潰れてしまいそうなほどの鼓動を黙って聞いていれば、豪炎寺くんは私の目を見つめて。

「…俺に愛想が尽きたか?」
「つ!?」

どうして、なんで、そうなるの。慌てて豪炎寺くんの左腕を掴みながら首を横に振りまくる。今、私の顔は誰よりも真っ青になっている自信があった。それを見て豪炎寺くんは一応ホッとしたような顔をしてくれたものの、いったいどうして何が君にそんな考えを抱かせたというのだろうか。

「お前、俺のこと避けてただろ」
「あ」

…確かに、避けてましたね…。いやでも、それは別に嫌いだからじゃなくて、豪炎寺くんと面と向かって話をするのが気恥ずかしかっただけなのだ。決して私は豪炎寺くんのことを嫌いになったわけじゃない。それだけはどうか信じて欲しい。真剣な顔でそう言えば、豪炎寺くんはややその勢いに面食らったような顔をした。

「…それなら、良いんだ」
「…本当に本当だからね?私が豪炎寺くんのこと嫌いになるなんて無いし、それに私は豪炎寺くんが思ってるより君のことが、」
「待て。…そこからは俺に言わせてくれ」

好きだから、と言うはずだった五文字は、豪炎寺くんの手に覆われて声にできないまま喉奥で消えてしまった。そしてその言葉を聞いて、私は一瞬肩を跳ねさせたものの、小さく頷いて豪炎寺くんを窺い見る。豪炎寺くんも、きゅ、と唇を引き締めたかと思えば、するりと私の左手の指を絡め取りながら、真剣な光の宿った目で私を射抜いた。


「…お前のことが好きだ。俺と、付き合ってくれないか」


これだけは、俺から言いたかった。
そう言って小さく微笑んだ豪炎寺くんの声が少しだけ遠い。嬉し過ぎるその言葉をかき消すように私自身の鼓動が酷くうるさかった。だけど今だけは、どうか落ち着いて欲しい。じゃないと豪炎寺くんの言葉が聞こえない。私が紡ぐ言葉ですら邪魔しようとするその激しい鼓動を、誰か今すぐ止めて欲しい。じわりと溢れそうな涙を懸命に堪えながら、私もこみ上げそうな何かを振り払うように豪炎寺くんを見据えて、笑う。

「…わたしも、すき」
「…あぁ」
「だいすき」

そう言えば、豪炎寺くんは黙って微笑んだままゆっくりと私の腕を引き寄せて、閉じ込めるようにして私を抱き締めてくれた。私もその肩口に顔を埋めるようにして抱き締め返す。秋の涼しい風が頬を擽る度に、豪炎寺くんの温もりをはっきりと感じて愛おしかった。このまま抱き締め合ったままでいられたら良いのになんて、そんな出来もしないことを考えてみたりなんかして。
だから、豪炎寺くんが私を抱き締めていた腕の力を抜いて体を離し始めたときは名残惜しかったし、もう終わってしまうのかなんて寂しい気持ちにかられたのだけれど。まるでその寂しさを埋めるように伸ばされた両の手のひらが私の頬を包んだから。それと同時に、私の記憶の中ではあの日の夜のことが蘇ってきた。

『…するのかと、思ったぁ…』
『…まだ付き合ってないからな』

あの時、頬に掠めさせた熱に対して、豪炎寺くんはそう言った。私もそれはそうだと納得はして。それでもやっぱり、期待したことは否めなくて。だけど今、あの瞬間に私たちを縛っていた枷は存在していない。一線を超えて、もう友達には戻れない私たちを止める理由も無いのなら。

「……閉じてくれないか」
「ぇ、あ」
「目」

夕焼けのせいなのか、今の状況のせいなのか。真っ赤に染まった豪炎寺くんの顔が、瞳が、吐息が、声が近い。それに耐えきれず、私は思わずギュッと目を閉じた。呼吸の仕方さえ忘れてしまったかのように息は止まって、少しずつ胸が苦しくなってくる。きっとあと少し、あと僅か。数センチ単位のその先にはもう、豪炎寺くんが近づいてきているはず………だったのだけれど。
その瞬間、時間を止めるようにして私たちの間に二種類の電子音が鳴り響く。私たちは数秒見つめ合った後に、それぞれ黙って離れると携帯を確認した。守とお母さんからの「まだ帰ってこないの?」というメッセージだった。タイミングが悪いにも程があると思う。

「…お母さんと守からだった」
「…そうか」
「豪炎寺くんは?」
「夕香からだった…」
「そっか…仕方ないね…」

夕香ちゃんも今日まで豪炎寺くんと離れて寂しかっただろうし、まだ恋人では無かったといえど豪炎寺くんと一緒に長くいられた私には何も文句を言う資格は無い。しかしだとしても何度も言いたいがタイミングが。残念なようなホッとしたような。正直言ってまだ心の準備は万全では無かったので、水を差されたのはある意味ラッキーだったのかもしれないね。そう一人で悶々と思っていれば、豪炎寺くんが「行くぞ」という声と共に私の手を引いて歩き出した。それに目を見開いたものの、もうこれから先、こうやって豪炎寺くんの手を握ることに理由なんて要らないのかと思うと、何かが込み上げてきそうになる。

「…豪炎寺くん」
「?」
「さっきの、いつかリベンジしてね」

豪炎寺くんが驚いたような顔をしながらも、やがてその表情は柔らかいものに変わっていく。小さく頷いてくれた豪炎寺くんと並ぶように少し駆けて隣に並べば、繋がれていた手に力が込められた。そうして、私の方を見つめたその目には、どうしても誤魔化しきれない熱が浮かんでいる。…私だけに向けられる、熱が。

「…あぁ、勿論だ」

二人並んで、夕焼けが夜に染まりつつある空の下を歩いていく。もうすぐ今日という日は終わってしまうけれど、私はきっと、明日も豪炎寺くんの隣で笑って生きていく。彼に抱いた想いは純粋なものばかりじゃなくて、いろんな思い出と葛藤を孕んで紡いできた複雑な色をしているけれど、それもまた豪炎寺くんを好きだという証なのなら、何だか誇らしくさえ思えたから。

いろんな感情を、記憶を、人の想いを。私は背負って生きていく。愚か者なりの愛し方で、この世界で一番優しい人の側に寄り添っていきたい。

そう思えるような恋をしたこと。相手に出会えたこと。それがきっと、私の人生における幸福であったのだと。

今私は、ただそれだけを飲み込んで、明日へと続く未来を目指して歩いている。

FIN*





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