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「…薫ちゃん、円堂くんどうしちゃったの…?」
「わかんない…」

木戸川との試合の後から、何やら守の様子が可笑しい。
あのいつも明るい表情に影が差すことが多くなったし、考え込むようになったし、朝は私が起こしに行かなくても起きるようになってしまった。最後は「普通のことでは?」と首を傾げられたものの、円堂家にとっては衝撃の大事件なのだ。
そして今朝も、みんなにらしくもない弱音なんて溢してしまっている守に、もはや私は半泣きだった。とぼとぼと下駄箱へ向けて歩いていく守の背中を見ながら肩を落とす私の背中を、秋ちゃんが励ますように撫でてくれている。

「薫ちゃん…」
「…でも、私が弱音吐いてちゃ駄目だよね。こういう時こそ、守を元気づけなくちゃ」
「その調子だよ薫!」

一ノ瀬くんが私の言葉に乗るようにしてわざと明るくそう言ってくれた。みんなもそうだな、なんて言って肩を叩いてくれる。
そうだ、頑張らなきゃ。守がこういう時こそ力になってあげたくて私はマネージャーになったんだ。だって双子なんだもん、私が一番側で支えなきゃ。私が苦しい時も、悲しい時も、守が側で助けてくれた。
だから今度は、私が助けるんだ。

「守、次移動教室だよ」
「…うん」

「守、さっきの数学の問題できた?」
「…うん」

「守、デザートのプリン食べる?」
「…うん」

心が折れそう。具体的に言うと全てぼんやりとした返事しか返してくれない守に対して、気の利いたことを何も言ってあげられない自分に対して心が折れそう。
いつもなら食いついてくれるはずの給食のプリンでさえも結果は惨敗で、私はとりあえず守のお盆にプリンを置いてから肩を落として自分の席に帰った。隣でコッペパンを頬張っていた豪炎寺くんがそっと自分のプリンを持ち上げてくれるけど、ありがたく私は首を横に振って辞退した。それは豪炎寺くんがお食べ。

「…薫」
「ん…?」
「昼休み、少し良いか」
「…え?」

給食時間を終えて迎えた昼休み。豪炎寺くんの後について行く形で訪れたのは校舎の屋上だった。フェンスに寄りかかって立つ豪炎寺くんの隣に座り込む。今日は日差しもそこまで強くはない、夏にしては穏やかな暑さだった。
しばらくぼんやりとしていれば、やがて豪炎寺くんがゆっくりと話を切り出す。

「…大丈夫か」
「…何が?」
「円堂のことだ。あまり無理するな」

…無理なんて、そんな。私にとって、守に関わることで無理なことも面倒なことだって存在しない。どんな些細なことでも守の役に立てることが、私の一番嬉しいことだった。だから豪炎寺くんの言う無理の意味が分からない。豪炎寺くんからすれば、いや、みんなからすれば私は、守のことで無理をしているように見えるのだろうか。
…けれど、答えられずだんまりを決め込んだそんな私に、豪炎寺くんは苦笑いして「勘違いするなよ」と呟く。

「円堂のあんな姿を一番近くで見てるお前こそ辛いはずだ。…それを押さえ込もうとするなってことだ」
「…辛そうに、見える?」
「…少なくとも、今朝の全員がお前を心配してたぞ」

軽く頭を撫でられて、思わずぽろりと涙が溢れる。それから自分でも驚くほどに止め処なく溢れ出した雫を見て、豪炎寺くんは少しだけギョッとしたような顔をしてしゃがみ込んだ。心配そうな顔で顔を覗き込まれる。そしてそんな顔を見ていると、何故かずっと飲み込み続けていた言葉がするりと飛び出してくるのだから、本当に不思議だ。

「…く、くやしい」
「…あぁ」
「守が、苦しんでるときに、私は何もできないのが嫌だ。力になりたい。なのに、なんで、どうして私は無力なんだろ」

強くなりたい。どんな時でも大切で大好きな守を助けられる、幼い頃に二人並んで見ていたテレビの向こう側のスーパーヒーローのような人間になりたかった。
…私が、もしも男だったなら、守と同じ目線で悩めて、同じくらいの苦しみを分かち合えることが出来たのだろうか。
同じグラウンドで同じユニフォームを身に纏って、守に背中を預けられる。そんな素敵で幸せな未来があったのだろうか。

「豪炎寺くんたちは、良いなぁ」
「…何がだ?」
「私も、みんなと同じ男の子に生まれたら、良かったのに」
「…それは困るんだが」
「なんで豪炎寺くんが困るの」
「何でもだ」

それ以上は聞くなと、どこか照れ臭そうな豪炎寺くんの指は優しく私の目元を擽って、今にもこぼれ落ちそうだった雫を拾い上げてくれた。
…そして、ほんの冗談だと流してしまっても良かった、先程戯れのように口にした心の奥底の願望。それを否定であれなんであれ、豪炎寺くんが真面目に答えてくれたことが、私にとってはとても嬉しくて仕方がなかった。

「…それに、お前は無力じゃない」
「…え」
「お前が居て救われた人間は少なからず居る。…円堂だけじゃない、お前も俺たちにとってかけがえのない仲間だ」

帰るぞと立ち上がって歩き出した豪炎寺くんは、私からの返事も反応も要らないようだった。その背中を見つめる。
それがどこかあの日の、雷門中の危機を救いに来てくれた豪炎寺くんの背中と重なって見えたような気がした。





そんなメンタルのまま迎えた放課後。守の前なので、何とかいつもの調子を装って私は今部室での作戦会議を見守っている。豪炎寺くんの気遣わしげな視線にはとりあえず肩を竦めておいた。
守を見守ると決めた。余計な口出しも、気遣いも、きっと今の守は欲しがらない。だから側から見ても無茶だと分かる特訓でさえ、私は奥歯を噛み締めて半ば睨みつけるように見つめた。

「守、少し休憩」
「いや、あと少し…」
「休憩」
「でも…」
「守」
「…分かったよ」

前よりもずっと大きなタイヤに立ち向かう守の目の前に見えているものは、きっと自分でも計り知れないほどの強大な敵への畏怖だ。敵わないかもしれない、負けるかもしれないという心の何処かにある弱さから、守は何とか抗おうとしている。

「…一人で先に行こうとしないでよ、守」

あまり食欲の無かった守の為に握ったおにぎりを持って訪れた部屋の向こう側。お祖父ちゃんの遺影に向かって弱音を吐く守の声を聞きながら、私は静かに泣いていた。秘密なんて一つもない、私のただ唯一で絶対の片割れ。そんな守が、私を頼ってくれないことが堪らなく悲しくて。


「わたしをおいていかないで」


ずっと子供のまま守の存在に縋ることしかできない私を置いて、きっと守はどこまでも遠くに羽ばたいていくのだろう。
見て見ぬ振りを続けていたそんな現実と未来への予感を目の当たりにした私は、それでもどうすれば良いかが分からない。





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