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「…退院した?」
「えぇ、佐久間くんと源田くんなら、つい一昨日に。急な退院だったみたいだけど…」

病院の受付前で思わず呆然とする私に、看護師さんは不思議そうな顔をしている。…今日は、決勝戦の前日だということで佐久間くんたちへの最後のお見舞いに来たのだが、何故か佐久間くんたちは既に退院しているのだという。
とりあえず教えてくれた看護師さんにはお礼を言って、私は病院の外に出る。…変なの、連絡もくれないなんて。

「…たしかに、昨日のメールも返事は無かったけど…」

お見舞いに行くねという連絡に、佐久間くんたちからの返信は無かった。電話にも出てはくれなかった。何か怒らせるようなことでもしただろうかと思い返してみたのだけれど、最後にお見舞いに行った一週間前、佐久間くんたちとは和やかに話をして別れたはずだ。また来るね、という私の言葉にも「次の見舞いは美味いもんで」という佐久間くんの揶揄い混じりの言葉が帰ってきていた。

「…不思議だな」
「何が不思議なんだい?」
「うわっ」

ポツリと独り言のように呟けば、突然後ろから尋ねられた。思わず肩を跳ねさせて振り向けばそこには。

「……………アフロディ?」
「ふふ、思い出すのに随分と時間がかかったようだね」
「友達じゃないからね」

つい昨日、雷門中に押し掛けていろいろやらかしてくれたアフロディが立っていた。今日の格好は昨日のやけにヒラヒラしたユニフォームではなく、とてもシンプルでいて上品な私服だ。
あまりこの人にはいい思い出が無いので、思わず睨みつけるような目になってしまう。

「…何の用?」
「見かけたから声をかけたまでさ。君こそ病院になんて、何の用だい?」
「何だって良いでしょ」

君たちが怪我させた選手へのお見舞いでした、とはさすがに言いづらい。嫌味すぎる。しかしそんな私の言葉に少しだけ表情を固くしたアフロディはわずかに躊躇うような素振りを見せて、口を開いた。

「…誰か、怪我でもしたのかな?」
「…………うーん」
「したのかい?」

これはもしかして、心配している?いやまさか、昨日のあの高慢な態度を見ていたらそんなこと間違っても言えないはずなんだけど、このあまりにも気にするような素振り。そして何故かこの病院前を彷徨いていた事実。

「雷門中はみんな元気だよ」
「!…そうかい、なら良いんだ。明日の試合に張り合いが無くなってしまうからね」

…明らかにホッとしたような顔をしている。もしかしなくてもこの人、この病院前に居たのは佐久間くんたちを気にしてたりした?多分、そんな私の予想は当たりなのだろうけど、それにしては昨日の様子と今の様子がかけ離れ過ぎている。昨日は正しく神様、みたいな態度だったくせに、今日はやけに落ち着いた普通の態度だ。言葉遣いや言い回しが演技臭い。

「…君、名前は?」
「…?アフロディだと言わなかったかい?」
「それ、偽名かコードネームかのどちらかでしょ」

ヨーロッパとかの外国人ならまだしも、顔立ちは明らかにアジア寄りだ。失礼だから言わないけどね。それに、アフロディなんて明らかに偽名臭いじゃないか。神様の名前をそのまま付けるなんて。

「神様の本当の名前、教えてほしいな」
「…君は変わった子だね。僕は君たちの敵なのに」
「ついでに友達も傷つけられてるけど。…でも、実は本性は違うかもしれない可能性があることも、私は知ってるよ」

例えば鬼道くんね。それこそ佐久間くんもじゃないか。練習試合のあの日、とても痛い目に遭わされたしあの瞬間だけは最高潮に嫌いだったけど、話してみたらなんだかんだで良い人だったよ。
…それに、君はきっと昨日のアレが本性じゃないよね。アレが本性なら、君はきっとここまで来てないはずだよ。わざわざ煽るような言葉でこちらの心配をすることだって。

「教えて」
「…亜風炉照美」
「亜風炉照美くん」

照美ちゃんで良い?って聞けば、勝手にすれば良いさと言われてしまった。じゃあ勝手にするよ。
そんな私に、どこか戸惑ったような顔をする照美ちゃんの今の顔は、やっぱり昨日の不遜な顔よりもずっと人間らしくて、私は好きだった。

「ねぇ、照美ちゃん」
「…なんだい」
「サッカーは好き?」
「!」

たとえ世宇子中が総帥さんの手先でも、明日の試合で雷門中のみんなを苦しめるかもしれない存在でも。それでも一つだけ、知りたいことがある。
君たちがあの人の命を簡単に弄ぶような外道に従ってまでボールを蹴る理由は、いったい何。

「…好きさ、もちろん」
「そっか、なら良いんだ」
「…やはり、君は変わった子だよ」
「よく言われるよ」

守もよく言っていたね。サッカーが好きなやつに悪い奴は居ないんだって。…私もね、そう思うよ。
そうやって真っ直ぐに人を信じてみればいつか同じ心を返してくれるんじゃないかって。差し伸べた手を握り返してもらえる日が来るんじゃないかって。そんな夢物語のような綺麗事を、本気で思ってるんだ。

「じゃあはいこれ、あげる」
「…これは?」
「私が作ったもので悪いんだけど、バタークッキーだよ。照美ちゃんはアレルギーとかは無い?」
「…無い、けど」
「なら良かった」

佐久間くんたちにあげるはずだったクッキーを照美ちゃんの手に持たせる。別に食べても食べなくても、捨てても誰かに譲っても良いよ。少なくとも、私は憎むほど嫌いな人間に手作りなんてそんなものを渡す趣味は無いことだけ分かってもらえたら良いな。

「明日の試合、頑張ろうね」
「…勝つのは僕たちだよ」
「分かんないよ。…照美ちゃんたちに合わせて言うなら、『勝負の女神はどちらに微笑むか分からない』んだから」

じゃあねと手を振ってその場を立ち去った。その場に立ち尽くす照美ちゃんはどこか呆然としていて、結局私が曲がり角を曲がる直前まで、彼が歩き出す気配は見えなかった。





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