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足が快癒した。完全復活というやつである。
通院するうちにすっかり顔馴染みになってしまった地元のお医者さんからもバッチリお墨付きを貰うことができた。そして本当ならここで、私は守たちと合流を果たすことができるはずだった。
もともと私が沖縄に避難したのは、足を怪我したままでは何事にも対処出来ず、エイリア学園に連れ去られてしまう可能性があったからだ。けれど足が治った今では一応その対処ができるということで、瞳子監督からも参加の許可は出ている。…けれど、私は。

「もう少しだけ、時間をください」
[…何か問題でもあるのかしら。まだ足の調子が?]
「いえ、足は大丈夫です。…でも」
[……豪炎寺くんのことね]
「……はい」

私が気にしているのは、いまだに夕香ちゃんの保護が難航しているせいで動けない豪炎寺くんのこと。二の舞にならないようにと鬼瓦のおじさんたち警察が総動員されて、重点的に警備されているみんなの家族は無事なものの、夕香ちゃんの保護ができるまでは豪炎寺くんもずっとこのままだ。
私に後顧の憂いは無い。けれど、毎日のように自分の無力を歯痒く思っている豪炎寺くんを置いて、私はみんなの元には帰れない。

「夕香ちゃんの保護が完了するまで、私は豪炎寺くんの側にいます。…彼を一人にはしません。私は、マネージャーですから」
[…そう、では改めて貴女に新しい役目を与えます]

瞳子監督は、私の言葉に決して揺らがない決意を感じたのだろう。ため息を一つこぼしてそう言うと今度はどこか柔らかな、そしてどこか仕方ないとでも言いたげな声をして。

[貴女には豪炎寺修也くんのサポートをお願いするわ。…重要な任務よ、任せたわね]
「はい。…ありがとうございます」

私たちは戦友だ。同じく自分自身を狙われている、同じ敵を持つ者。
そんな君を、置いていけるわけないもんね。一緒に戦い抜くって決めた。また雷門のみんなと、頑張ってエイリア学園に勝つんだって約束したから。
だからこそその日からさっそくリハビリがてらランニングを開始し、前の身体に戻そうと頑張ることにした。私だとバレてはいけないので常に帽子を被りながらの外出だが、外はそもそも暑いので別に困ることはない。

「今のお前になら追いつけるな」
「すぐ置いてくけどね」

前まで割と圧倒的な差をつけられていたからか、私と同じくらいのペースで走れるのが嬉しいらしい豪炎寺くん。私は鈍った足を起こしているだけなので、すぐに置いていくから覚悟しててよ。
雷電くんは私もサッカーができると知ってやりたがっていたけれど、私はその誘いになかなか頷けなかった。…サッカーが嫌いな訳じゃない。けれど、私は守のためにボールを蹴るのが好きだったから。

「そういや豪炎寺から聞いたんだが、お前その怪我、宇宙人と試合したからなんだよな…」
「うん、精一杯頑張りはしたんだけどね」

あの緑のツンツン頭のことを思い出す。とてもすごくて重たいシュートだった。今思えばあのシュートも、もう少し別の方法で止めようと思えば止められたはずだ。その咄嗟の判断が出来なかったということは、私の感覚が鈍ってきているということ。…悔しいな。
そしてそんな緑のツンツン頭たちは、とうとう北海道にて雷門中イレブンに敗れたのだという。その勝利に大きく貢献したのは、抜けた豪炎寺くんの穴を埋めるために引き抜いた北海道のエースストライカーだということも。
今でも定期的に取る瞳子監督との連絡によると、今は京都に向かっている途中らしい。

「…散歩?」
「うん、せっかく沖縄に来たんだし、少しくらいは息抜きしようかと思って」

沖縄の外れに近いここは、人が集まる中心部とは違ってとても静かだ。海だって近くではまだ見ていないし、泳ぐわけではないけれど砂浜を散歩してみたい。ついでにこっそりサッカーの練習も。
豪炎寺くんは私を一人で行かせることに渋っていたけれど、雷電くんとのサッカーの先約があるためあえなく断念。
気をつけろよ、という心配の言葉を受け取って、私は帽子を被るとボールを抱えて外へ飛び出した。





せっかくなので海沿いにまで来てみた。近くで見れば見るほど透き通って綺麗な海水に見惚れつつ波打ち際を避けるようにして歩いてみれば、ふと本土の方では見かけることのないヤドカリを見つけてしまった。本物を見るのは生まれて初めてだ。

「…可愛い」

貝殻を背負ってちょこちょこ歩いているヤドカリ。思わずその場にしゃがみ込んで観察しながら一枚写真を撮った。ちいちゃん辺りに見せたら喜ぶかもしれない。…また守に会えた時に見せても良いし。
そんなことをしんみりしながら思いつつ、ちょこちょこ歩くヤドカリを眺めていた。…その時だった。後ろからまるで刺すような鋭い声が聞こえてきたのは。

「危ねぇ!!」
「わ!?」

ばっしゃん、と頭から盛大に冷たい水が降りかかる。反射的に目を閉じたから目には入らなかったものの、頭から足の先までぐっちょりだ。体中を襲う一種の気持ち悪さに呆然としつつ座り込んでいれば、先ほど注意を促してくれた人と同じらしき声が後ろから聞こえてきた。

「大丈夫か!?すげぇ勢いで水被ってたけど…よ…」
「あ…はい、大丈夫です。…あの…?」

振り返ればそこには、サーフィンのボードを持ったピンクの髪の男の子が居た。サーフィンが趣味なのだろうか、日に焼けた肌が健康的で沖縄の人らしいとさえ思えてしまう。
目の前に差し出された手を遠慮なく借りて立ち上がりつつ、わざわざ気遣ってくれたことへのお礼を言おうと顔を上げた。
しかしそんな彼は何故だか私と目を合わせた途端、まるで石になってしまったかのように固まってしまう。いったいどうしたんだ。

「あの…?」
「好きだ」
「は?」

…すきだ…?…今、何か、聞き逃せない三文字が聞こえてきたような…?
気のせいであることを願いつつ、反射的に微妙に逸らしていた目をそろりと彼に向けてみる。しかしその瞳に浮かぶ色が熱くて、私は思わず肩を跳ねさせた。

「な、なんで」
「いや、俺もよく分かんねぇけど…なんかアンタ見てるとグワッ!ってきてよ…」
「ぐわっと」

手は掴まれたままどこか興奮気味に詰め寄られつつそう言われて、私はしどろもどろになりながら言葉を返すのが精一杯になってしまう。あからさまに好意を示されて、今までそんな経験一度も無かった私からすれば、どう対処すれば良いかも分からない。
おろおろしているそんな私を見て、彼は「そういや濡れたんだったな」と呟き、いったん手を離すと何処かへ駆け出してしまう。そのまま逃げ出しても良かったのだが、一度心配してもらった手前、それはどうにも憚られた。
すると、五分も経たないうちに帰ってきた彼の手には、バスタオルほどの大きなタオル。使えよ、と笑顔で言われてしまったので、遠慮なくお借りすることにした。

「あ、そういやまだ名前言って無かったな。俺、大海原中三年の綱海条介!お前は?」
「え…あ、薫、です…学校は、東京の方で二年生です…」
「薫か、よろしくな!!通りでここらじゃ見ない奴だと思ったぜ」

な、何をよろしくするんだろう…。
「円堂」の名前は今や全国的に有名な守を連想させてしまう可能性があるため、私は基本名前だけで名乗っていた。苗字は?と尋ねられたときは曖昧に笑っている。そうすれば大体の人は優しい方ばかりだったので、上手く誤解して引き下がってくれるというわけだ。
しかし綱海さんはそんな苗字は大して気にならないようで、ニコニコと太陽のような眩しい笑顔で私の名前をしきりに繰り返している。

「あの、綱海さんは」
「堅っ苦しいなぁ、オイ。敬語なんざ必要ねぇよ!どうせなら条介って呼んでくれや」
「え、あ…じゃあ、綱海くん、で」
「ん〜〜…まぁそいつで良いや!」

雷電くんのことといい、沖縄の人はどうしてこんなに心が広いのだろうか…。
しかしそれで何とか引き下がってくれたらしい綱海くんに、私は内心安堵の息を吐きながら次はこの状況の打開策を考える。

「えっと、綱海くん、あのね」
「おう!」
「す、好きって言ってくれたことは、嬉しいんだけど、その…わ、私、今は誰とも付き合う気はなくて」
「別に良いぜ!」
「だから……えっ」

あっけらかんとした口調で、私のお断りの文句に同意を示してみせた綱海くんに思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。その顔が無理している様子にも見えなくて、どこまでも素直な心からの返事だということがよく分かった。い、良いのか…。

「俺が勝手に好きなだけだからよ、薫が無理して考える必要はねーだろ。ちなみに好きな奴はいんのか?」
「居ない…」
「じゃあ俺にもチャンスあるな!」

そう言うや否や、パッと笑って拳を空へ突き出した綱海くん。か、軽いな…でもそう言う考え方は、たしかに素敵だと思う。綱海くんの優しさでもあるのかもしれない。

「せっかくだから俺のサーフィンするとこ見ていけよ。カッコいいとこ見せてやるぜ!」
「…うん、せっかくだからお手並み拝見しようかな」
「おう、任せろ!」

それに、こんな風にして知らない土地での出会いも案外悪くは無いかもしれない。
今度こそ波がかからない位置に下がった私は、借りっぱなしのタオルを日除けがわりに頭から被って、意気揚々と波に乗る綱海くんを眺めることにした。





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