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入り口前には大きいジンベエザメのモニュメント。思わず興奮気味に写真を撮る私の横では少し眠そうな、そして緊張気味の豪炎寺くんが居た。分かるよ、こんなわくわくしかしないところ、緊張して夜も眠れなくなるよね…!
雷電くんの家からバスを乗り継いで揺られること一時間ちょっと。たどり着いたそこは、平日だけどもやはり観光名所だからか人はそこそこ多い。
「…今さらだけど、豪炎寺くん水族館嫌いとかじゃなかった?大丈夫?」
「いや、水族館は、好きな方だ。…これは俺の問題だから、気にしないでくれ」
「わかった…?」
どこかそわついたような落ち着かない雰囲気の豪炎寺くんの顔を覗き込めば、少しだけ狼狽えたような雰囲気になったけれどはっきり大丈夫だと言われたので気にしないことに。
ペアチケットのため、入場券は買わなくて良いから割とスムーズに入ることができた。
入り口で貰っておいたパンフレットを広げ、二人で顔を突き合わせながらどこへ行くかの作戦会議を開始。
「イルカショーは二時からだって」
「ここから一番近いのはジンベエザメみたいだが」
「豪炎寺くんは何か見たいのある?」
「…たしかマナティが居たな…」
「じゃあジンベエザメ見てからマナティのところね」
すごく楽しかった。生まれて初めてこの目で直接見るジンベエザメは見上げて首が痛くなるほどに大きかったし、マナティは目がくりくりしてて可愛かった。
私は終始興奮していたし、豪炎寺くんも意外に楽しんでいるようで何よりだった。
「そろそろイルカショーの席を取りに行くか」
「うん、さすがに人も多くなってきたね」
館内のレストランでご飯を食べてから、今度はあと三十分で始まるイルカショーの会場へと向かう。やはりショーは雷電くんの言う通り評判らしく、同じ方向へ向かう人だらけだった。容赦無く人混みに呑まれて、前を歩いている豪炎寺くんを見失いそうになるのを慌ててギリギリ見えた掌を掴んだ。
「!」
「ご、えんじくん…ごめん、逸れそう…」
「あ、あぁ、そうだな…」
ちゃんと追いついたことだし掴んでいた手を離そうかと思っていれば、ふと豪炎寺くんがその手に力を込めたのが分かって思わず首を傾げる。豪炎寺くんはこちらを見ないまま、黙って私の手を引いて歩き始めた。
「豪炎寺くん、追いついたからもう大丈夫だよ」
「…この人混みの中で逸れると不味いだろ」
「あ、たしかに」
それは考えて無かった…。たしかに今ここで追いつけていたとしても、この人の多さじゃまた逸れるのがオチだ。それなら最初から目的地まで手を繋いでもらっていた方が豪炎寺くんにとっても良いかもしれないね。
それじゃあよろしく、と言うように掴まれっぱなしだった手を改めて握り直す。豪炎寺くんの指が少しだけ跳ねたけど、私が振り払う様子の無いのを見て、少しだけ強張っていた肩の力が抜けたような気がした。
「イルカショー、楽しみだね」
「…あぁ、そうだな」
席はとても見晴らしの良いところが取れた。何故かにこにこした周囲の人がわざわざ席を二つ譲ってくれたのだ。もしかすると、話し方とかから観光客に見えたのかもしれない。お礼を言えば「楽しんでね」と微笑ましげに言われてしまう。もちろん楽しむとも。せっかくの沖縄でのイルカショーなんだから。
「豪炎寺!くん!見てる!?」
「見てる」
「高い!すごい!」
「…」
「あそこまで届くんだ…!」
「………かわいい」
「うん!すごく可愛いよね!!」
ポツリと漏れて聞こえた言葉に同意を返せば、何故か豪炎寺くんはきょとりと目をまん丸に見開いていた。そして、その顔はみるみるうちに赤く染まっていく。それがあまりにも極端すぎて、思わず私も何だか恥ずかしくなってきてしまった。
「…声に、出てたか、今の」
「う、うん…可愛いって言ったよね…?」
「ッ!」
顔を背けられる。え、今のイルカの話じゃないの?イルカが可愛いって意味で言ったんじゃないの?そうじゃなきゃ他に可愛いものなんて何も無いでしょ。
「…イルカじゃない」
「えぇ…じゃあ何…?」
「…誰が言うか」
「ケチだ」
教えてくれたって良いじゃないか。もしや会場に可愛い子が居るのでは?思ってチラチラ見渡してみたものの、豪炎寺くんの好きそうな感じの女の子はどこにも居ない。飼育員の人もお兄さんだし、可愛いお姉さんはどこにもいなかった。
結局そのまま豪炎寺くんは頑なに口を割ることなく、ショーは終わってしまった。すごく楽しかったけど何か不完全燃焼の気分。…でも遠慮がちに差し出された手を私が取れば、豪炎寺くんはどこか嬉しそうに目を細めていたし、君が良いなら私は聞かないでおいてあげるよ。優しいでしょ。
「これが土方家へのお土産で良いかな」
「良いんじゃないか」
「八百円だから割り勘ね」
「…俺が払うぞ」
「駄目。これは普段お世話になってるお礼でもあるから二人で」
私が女だからと言ってね、そんなとこまでさせるわけにはいかないんだよ。だって豪炎寺くん、お昼ご飯もさっさとお金出して払ってくれた。抗議しても「男の顔を立ててくれ」って言われたら何も言えるわけがない。
しかしふとそこで、キーホルダーコーナーにあったイルカのペアキーホルダーを見つける。シンプルで綺麗な携帯ストラップだ。ピンクと青の石がついている。守とお揃いにしたいな、なんて思いつつ値段を見てみたものの、その綺麗さとは裏腹に何とも可愛くないお値段だった。
「…買うのか」
「んん、綺麗だけどお値段が可愛く無かったから良いや。豪炎寺くん四百円ちょうだい。私が払ってくるから」
「いや俺が…」
「豪炎寺くんがレジに行ったらまた勝手に払うでしょ…」
同じ過ちを繰り返すものか。私は人間、日々学びながら成長する生き物なのである。渋々手渡された五百円玉を受け取り、代わりに百円玉を返せばオッケー。入り口で待っててね、という言い置きを残して私はレジに並んだ。
*
これからまた一時間程度バスに揺られる予定なので、それぞれお手洗いを済ませてから最初の入り口にあるジンベエザメのオブジェ前に集合する。まだ四時だからか辺りは明るく、これから夜の水族館に行くらしい入場客がチラホラ見えた。
「豪炎寺くんお待たせ、ごめんね待たせて」
「いや、そっちはだいぶ混んでただろ」
「女子のお手洗いってなんであんなに並ぶんだろうね…」
答えはお化粧をするからである。おかげで列が長いこと長いこと。豪炎寺くんをずいぶん待たせてしまった。豪炎寺くんは気にするなっていうけど、多分相当暇だったはず。でもこれ以上謝れば何だか押しつけがましくなってしまうので、告げたい謝罪をグッと飲み込んでバス停へ向かおうと口を開く。
「行こっか、たしかあと二十分でバス来るよ」
「あぁ。…その前に、少し良いか」
「ん、何?」
豪炎寺くんが自分のボディバッグを開いて出したのは、水族館の土産屋の包装紙に包まれた小さな何か。開けてみろと言われて、嫌な予感を感じつつそろりと開けてみて、私は思わず固まった。バッと顔を上げて豪炎寺くんと目を合わせれば、彼はまるで悪戯が成功したような面白そうな顔をしている。
「ご、豪炎寺くん」
「あぁ」
「豪炎寺くん!?!?」
「何だ」
た、楽しそうな顔をしていらっしゃるけども、さてはさっき私がトイレに行っている隙に買ったね!?
…そう、紙袋の中に入っていたのは先程私が値段を見て諦めた、あのキーホルダーだった。ピンクと青の石がキラキラと光を反射しながら揺れている。
「欲しかったんだろ」
「ほ、欲しかったんだけどね。でも、豪炎寺くん、これ高かったでしょ」
「…別に良い」
俺があげたかったんだ、と優しく微笑まれて、何故だか胸がキュウと締めつけられるような息苦しさに襲われる。何だろう、これは。いやでも今はそんなことを考えている暇はない。
私は早急に青の石がついたキーホルダーを外すと、豪炎寺くんに差し出す。豪炎寺くんが戸惑ったような顔をするのにも構わず、半ば押しつけるようにして手渡した。
「お礼にならないかもしれないけど、こっちは豪炎寺くんね」
「…円堂にやるんじゃ無かったのか」
「守は今はいいの。豪炎寺くんに貰ったんだし、これは豪炎寺くんとお揃いにしようね」
今日の記念にしよう。二人で出かけるのなんて実際初めてだしね。そんなことを言いつつ私は残されていたピンクの片方を自分の携帯に付けて見せた。思っていた通り、やっぱりこのデザインは綺麗だ。
「あっ、もし要らなかったら夕香ちゃんにあげて良いからね」
「いや…ありがとな、大事にするよ」
「私が言うのも変だけど、どういたしまして」
微笑み返してくれた豪炎寺くんに、何だか少しだけ照れ臭くなってしまったものの、そこら辺は誤魔化して再びバス停へ向かうことにした。
*
「…寝たのか」
バスに揺られること十五分程度。車内にそこそこ人が居たからか、口を閉ざして黙っていた隣の薫の様子がやけに静かだと思えば、その瞳は伏せられ首はうつらうつらと揺れている。バスが一度大きく揺れ、反動で反対側に倒れ込みそうになるのを慌てて抑えて身体を寄せれば、薫の頭がまるで枕にするようにして豪炎寺の肩に乗った。いきなり近づいた距離に思わず喉を鳴らす。
「…お前は」
本当に無防備だと思う。隣にいる自分の本心も下心も何もかもを疑わないまま、迷子防止だという言い訳がましい言葉を信じて手を繋いでくるような、純粋無垢な少女。
彼女は、まるでピッチを駆ける時のように早鳴る自分の胸の鼓動のスピードさえも知らない。…知られない方が、良いのだとは知っているけれど。
そっと視線を落とせば、薫の膝にはやはり無防備な右手が力無く乗っている。それを少しだけ眺めて、豪炎寺は意を決すると、まるで掬い上げるようにその手を取って、緩やかに指を絡めた。
「…肩を、貸してやる礼だ」
誰も聞いてやしない言い訳を呟いて、窓の外に目を移す。だんだんと薄暗くなってきた外は、帰り着く頃には辺りを闇の中にすっかり飲み込んでしまっているのだろう。
そうなったらまた、今度は「転ぶと危ないから」と嘯いて手を伸ばしてやるのも、面白いかもしれない。多分彼女は、子供じゃないと憤るのだろうから。
バスがまた一度、ガタリと大きく揺れた。目的地のバス停までは残り三十分と少し。
それまでもう少し、このままで。どうか少しだけ、この手を奪い取ったままでいることを許して欲しかった。