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水族館では一応綱海くんへのお土産のお菓子も買っていたので渡す為にいつものビーチへ会いに行ったところ、綱海くんはどうやら小さい子たちと遊んでいるようだった。親しげに話す私たちの様子を見て、小さい子たちのうちの男の子が窺うように恐る恐る私へ向けて尋ねる。

「お姉ちゃんは、にーにの彼女?」
「違うよ?」

本当に違うよ。綱海くん凄く愉快そうに笑ってるけど私は綱海くんの彼女では無い。…告白は、一応、されているけれども…今は仲の良いお友達で良いとの仰せなので友達と言ったら友達なのだ。そこ、本当に?みたいな顔しない。本当の本当。
それにしても、出会い頭早々にそれを尋ねてくるとは…天馬くん、さては齢三歳にしておませさんだな?

「こいつらは俺が面倒見てるチビたちでよ。今日は浜辺で遊びてぇって言うから付き添ってんだ」
「あ、だから綱海くんが珍しく洋服着てるんだ」
「俺がいつも全裸みたいな言い方すんなよな…」

お姉ちゃんも遊ぼう!と誘われたことだし、せっかくだから遊ぶことにする。こんなに天気が良いというのに、子供たちは鬼ごっこにかけっこなど元気いっぱいだ。私はもともと体力があるものの、それに付き合う綱海くんも相当の体力。さすがはサーファー。

「…天馬くん、疲れちゃった?」
「うん…疲れたぁ…」

でもさすがに大きい子はまだしも天馬くんみたいな小さい子たちは疲れてしまったようで、綱海くんに大きい子たちの相手を任せて小さい子たちを木陰に連れて行く。特に天馬くんはその中でも一番年下な上にバテていたようだったから、私はその小さな身体を抱き上げて歩いた。
みんなお利口なことに各自保護者から水筒を持たされているらしく、思い思いに口をつけては美味しそうに飲み込んでいた。

「…お姉ちゃん、それなに?」
「…これ?」

ふと天馬くんが興味を持ったように触れたのは、私が持ってきていたいつものサッカーボール。私がそれを差し出せば、天馬くんは体いっぱいにボールを抱えてペチペチと叩き出した。

「サッカーボールだよ。見たことない?」
「…別のにーにたちが蹴ってた」
「そうなんだ。…ねぇ、ちょっと見ててね」

天馬くんからボールを受け取ると、私はその場でリフティングを始める。時々足を回してみたりなんかもしたその曲芸じみた動きに、天馬くんをはじめとした小さい子たちは目をキラキラと輝かせていた。

「お姉ちゃんすごい!」
「上手ぇじゃねーか。サッカーやってんのか?」
「うん、ちょっとね。綱海くんもやってみる?」
「俺はいいよ。サーフィンの方が性に合ってんだ」

ちょうど上の子たちも休憩しに来たのか、木陰に入ってきた綱海くんが口笛を吹く。サッカーに誘ってみたものの、断られてしまった。たしかに綱海くんにはサーフボードが似合うけど、あれだけ体幹や運動神経がすごいんだから、サッカーでも良い選手になれると思うんだけどな。
そんな軽口を叩き合っていれば、興奮気味の天馬くんに服の裾を引かれる。視線を落とせば、天馬くんの目はまるで光をそのまま写しとったように輝いていて。

「いまの、かっこいい!」
「ふふ、そうでしょ。サッカーってカッコいいんだよ」

熱くて、眩しくて。世界中の誰もがボールひとつさえあれば始められるスポーツ。実力のぶつかり合う試合は、選手と観客の心を踊らせる。血の滲むような努力を重ねてこそ、数多の感動は生まれてきた。…それがサッカーだ。
私はそれを今まで、ずっと身近に感じて生きてこられたから。

「…お姉ちゃん、サッカー好きなんだね」
「うん、大好き。サッカーをしてる人は、もっと好き」

思わず心からの笑みが溢れてしまう。けれどそれは、どうしたって間違いのない事実だ。どんな逆境に立たされても、一生懸命にボールへ向かっていく雷門中のみんなが好きだ。自分の努力をひたすらに信じて前へ突き進んで行こうとする守が愛おしい。
そしてそんな彼らを支えて、側で応援出来ることが、私はたまらなく幸せで好きだったんだ。

「…天馬くん?」
「…」
「おーおー罪な女だなァ、お前」
「えっ」

真っ赤な顔をして綱海くんの後ろに隠れてしまった天馬くん。いったい全体何事だ…私は嫌われて…?とショックを受けたものの、揶揄い混じりの綱海くん曰く違うらしい。いわゆる奪っちゃった、というやつだろうか。
一応手を広げたら恐る恐る近寄って抱きついてきてくれたので、たしかに嫌われてはいないのだろう。安心した。
でもたしかに、こんな小さな子の初恋を奪ってしまったのは申し訳ないね。





「生まれて初めてプロポーズされちゃった」
「誰からだ」

一旦家に帰ってから豪炎寺くんと一緒にいつもサッカーするビーチに向かっている時に、昼間の話をしようとそう切り出したところ、思った以上に食いつかれてちょっとびっくりしたよ。そんなに意外かね。
目を見開いて僅かに顔を青ざめさせている豪炎寺くん。大丈夫だよ、私に本気でプロポーズするような人なんて居ないでしょ。

「三歳の男の子だよ」
「……そうか…」

あれはびっくりしたね。私が帰るときになって半泣きでしがみついて止めにかかってくる天馬くん。また暇がある時に遊ぼう、と嗜めたら笑顔になって可愛かったなぁ。あとついでに私の頬にちゅーして、照れ照れしながら言ってくれた言葉が。

『ぼくね、お姉ちゃんとけっこんするの』

思わずなけなしの乙女心がときめいてしまった。いつかは忘れてしまうことかもしれないとしても、そんな風に慕ってもらえるのは純粋に嬉しい。恋愛経験ゼロの女は予想以上にちょろいのだ。
ついでに綱海くんも「俺も予約しとくか?」って笑ってたけど、それは内緒にしておこう。もっと驚かれてしまうし、何よりちょっと恥ずかしい。

「あ、噂をすれば天馬くんだ」
「…あの子か」

通り道の港に差し掛かったとき、遠目に見えた親子の散歩光景。お母さんに手を引かれて歩いている天馬くんはこちらに気づいてはいないらしい。こっちにはあまり目立たせたくない豪炎寺くんもいるので、良心が痛むがやり過ごすことにしよう。
しかしそこでふと、豪炎寺くんが眉をひそめているのが分かった。どうしたのと尋ねる私に、豪炎寺くんは真っ直ぐに天馬くんを指差す。…立てかけられた木材目掛けて走り出す天馬くんが見えた。
不安定に立てかけられた木材に挟まれた、子犬のもとへ走っていく天馬くんが。

「…どいてろ」
「…豪炎寺くん?」

豪炎寺くんは手にしていたボールを下に落とし、険しい顔はそのままで真っ直ぐに天馬くんの方を見つめている。それを思わず閉口しながら窺っていれば、天馬くんがとうとう子犬を引っ張り出して嬉しそうに破顔しているのが分かった。

その拍子にバランスを崩して、天馬くんの頭上に降り注ごうとする木材の雨も。

「豪炎寺くんッ!!」
「ハァッ!!」

悲鳴混じりの私からの呼びかけに、これを危惧していたらしい豪炎寺くんの行動は早かった。彼の必殺技である炎を纏ったシュートが、木材だけを的確に弾き飛ばして天馬くんを救う。きょとりとした天馬くんと、そんな彼を抱き締める母親の姿を目にして私は安堵した。…しかし、それを見つめる豪炎寺くんの顔はどこまでも厳しくて。

「…騒ぎになってきた。ここから離れるぞ」
「…うん」

木材の弾き飛ばされる音は、思った以上に辺りに響き渡っていたらしい。手を掴まれて足早にその場から離れようとする豪炎寺くんの焦りを理解して、私たちは人目につかない道を選んで駆けた。…だから、私たちは知らなかった。

集まってきた人々の中でしきりに騒ぎになっていた「炎を纏ったシュート」の言葉も。
稲妻印のボールを抱えて夢を定めた幼い少年が居たことも。

やがて緩やかに囁かれるように広まった「炎のストライカー」という呼び名が、いずれ訪れる再会を引き寄せたことでさえ。
まだこの時の私たちは、知らなかったのだ。





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