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そうやって何となく士郎くんと話していると、蹴り損なってしまったらしいボールを追いかけて豪炎寺くんがこちらにやってきた。無言で近づいてくる豪炎寺くんに士郎くんは少しだけ目を見張っていたけれど、私はボールに歩み寄ると爪先で軽く蹴り上げてキャッチし、直接手渡す。

「はい」
「ありがとな」

そしてどうやら豪炎寺くんはボールを取りに来たのだけが用事では無かったらしく、私をチラリと一瞥すると士郎くんに向き直った。

「ボールが怖くなったか?」
「ッ!」

…それはきっと、豪炎寺くんなりの励ましだ。
同じこのチームのストライカーだからこそ、伝えることのできる言葉が豪炎寺くんはあって、教えてもらうことのできる思いが士郎くんにはある。さっきの私の何となくの言葉じゃない、彼らにだけしか分からないこと。
思わず俯いてしまった士郎くんに、豪炎寺くんはゆっくりと言葉を紡いだ。

「怖くて当然だ」
「…!」
「俺も怖い」

怖さを抱えて蹴る、それだけなのだと。
豪炎寺くんに取ってのサッカーへの思いは、ストライカーとしての誇りはそれが真ん中にあるのだろう。豪炎寺くんらしいと思った。…それはまだ、今の士郎くんには理解できないことなのかもしれない。

「怖さを抱えて…蹴る…」

士郎くんのその呟きに、豪炎寺くんは無言の肯定で答えた。
そのまま豪炎寺くんは守に呼ばれて歩いて行ってしまったけれど、私はその背中を見つめる士郎くんの背中を叩く。そんなにね、難しく考えてしまうことは無いんだよ。

「エースストライカーは大変だよね。いつだって、無責任な信頼と期待とプレッシャーに挟まれながらゴールを見据えなきゃいけないから」
「…」
「自分はチームの役に立てるだろうかって。怖い思いもきっとするんだと思う。一人ぼっちでグラウンドに立つような孤独感に苛まれることも。…でも士郎くん、良かったね」
「…良かった?」

今はボールを蹴ることさえ怖いかもしれない。必要とされないことは、死んでしまうことよりも辛くて惨めな思いさえ感じる。
けれど、それでも君自身が自分の価値を否定しないで欲しい。自分の葛藤も苦しみも恐怖でさえも、表面でしか判断しようとしない人間の言葉なんて信じなくて良い。
でもせめて、君を何とかその絶望から救い上げたいと願って手を差し出してくれる人のことだけは、疑わないで。

「残念だけど、雷門中は誰一人だって君を孤独にしてくれないよ」
「!」

ちょうどその時士郎くんにも守からの呼びかけがかかって、タイミングの良過ぎたそれに思わず二人して笑ってしまう。背中を押せば、士郎くんはどこか嬉しそうに微笑んで豪炎寺くんの背中を追って歩き出した。
それを見送る守の隣に立って、お礼を言う。少し見ない間に、守はこんなに頼もしいキャプテンになったんだね。私のいない場所での成長ぶりを見せつけられたようでそれは少し寂しいような気もするけれど。

「守、ありがとう」
「…俺は、いや、俺たちは、吹雪を見守ることしか出来ないからさ」
「そんなことないよ。見守ってあげることだって、心の支えになってくれることはあるよ」

孤独は怖いんだよ。どんな地獄だって、誰かが側に居てくれるだけで救われることはある。それを無意識でもやってのけようとする守は、十分凄くて素敵な人間なんだよ。

「士郎くんのことは、私も見てるよ。…大丈夫、今、士郎くんはきっと乗り越える為のお休み期間に入ってるだけだから」
「…そっか、そうだよな!よし、それじゃ薫もあっちに行こーぜ!立向居ってすげーんだよ!」
「うん、私も立向居くんのプレー見てみたいな」

守に手を引かれて向かった先、たしかに立向居くんは凄かった。何しろ、あのゴッドハンドをものにしているのだ。守が血の滲むほどの鍛錬や練習を重ねて会得したキーパー技。相当努力したのだろう。おまけにマジン・ザ・ハンドまでやり遂げているらしいのだから驚きだ。初めて聞いたときには開いた口が塞がらなかった。

「口が空いてるぜ、薫ちゃん」
「おっと」

土門くんに揶揄われてその間抜けな様子に気がついたけれど、本当に驚きだ。守の大ファンで、繰り返しゴッドハンドのビデオを見て練習を重ねて会得したらしいのだけど、それでも守みたいにお祖父ちゃんのノートが無い中でのあのレベル。立向居くんにはキーパーとしての才能が確かにあるように思えた。
そしてそんな風に感心しているうちに、立向居くんが投げ返したボールを受け取った鬼道くんが、士郎くんに目を向けたことに気がついて思わず私は制止の声を上げかけてしまった。

「吹雪!」
「待っ…!」

…今きっと、士郎くんはボールを蹴ることができない。あれだけ蹴ったシュートを完全完璧に止められて、確かにあった僅かばかり残っていたプライドを傷つけられた。そんな心を折られてしまった今の彼にとって味方からのパスはきっと、何よりも恐ろしいに違いない。
案の定、士郎くんは蹴り出されたパスに反応も出来ないまま、恐怖に染まった瞳でボールを見送ってしまった。周囲が緊張の空気で張り詰める中、みんなが士郎くんの元へと駆け出していく。私もそれに続いた。

「僕…このチームのお荷物になっちゃったね…」
「そんなことはない。雷門には、お前が必要なんだ!」

…そうだよ、士郎くん。守の言う通りだ。雷門中にお荷物な人間なんて一人も居ないよ。みんながみんな大切な仲間でしかたない。そしてそんな大切な仲間の一人である君の苦しみを無下にして、放っておくような冷たい人間だって一人も居ないんだから。





そのあと私は一度、みんなから離れて雷電くんの家に戻った。私と豪炎寺くんの荷物を回収するためだ。昨日の洗濯物までキッチリ畳んでくれていたらしい雷電くんにお礼を言ってバッグにきちんと入れていく。ちなみに洗濯物のことだが、私の下着はさすがに任せることは申し訳ないので自分で洗って干していた。豪炎寺くんのものは雷電くんと一緒だったけど。

「グラウンドまで運べば良いんだろ?」
「え、悪いよ。雷電くんもちぃちゃんたちのお世話あるのに…」
「最後なんだから遠慮すんなって!ついでにほら、この前教えて作ったシークワーサージュース、差し入れで持ってこうと思ってたからよ」
「あ、そういえば」

せっかく沖縄だからということで、豪炎寺くんと一緒に雷電くんから沖縄の郷土料理の作り方を学んだのだった。その時に作ったシークワーサージュースは、ちょうど今日が漬け終わって美味しく飲めると言われていたのだっけ。
初めて作ったものだし、雷電くんが手本で作ってくれたものよりもだいぶ酸っぱい仕上がりになってしまっているのだけれど、栄養もバッチリだから確かに差し入れには向いているかもしれない。

「あ、お帰りなさい薫ちゃん」
「遅かったじゃない」
「ごめんね…ちょっと引き止められちゃって…」

主にちぃちゃんや、私が居なくなると聞きつけてやってきた天馬くんたちちびっ子たち。行くな残れのギャン泣き大合唱だった。私も短い間とはいえ可愛がっていた子たちだったし、離れるのは寂しいけれどいつかは訪れるはずだった別れだ。

「いやぁ、面白かったぜ?沖縄に残れ残れって言われた挙句、プロポーズと来たもんだ!」
「詳しくお願いします」
「誤解です春奈ちゃん」

若干目が据わっている春奈ちゃんだが、誤解なのでどうか落ち着いて欲しい。真実はとてもシンプルで、むしろ微笑ましいところなので。
そう、あの残れ残れの大合唱の次に始まってしまったのは、当事者たちを置き去りにした小さい子たちによる私の嫁取り合戦だった。

『お姉ちゃん、兄ちゃんのおよめさんになったら、残ってくれるのぉ!?』
『!お姉ちゃんはぼくとけっこんするの!』
『兄ちゃんとするんだよ!』
『ぼくだもん゙!!!』
『綱海にーにもお姉ちゃんのこと好きってゆってたよ!!』

そこから何故か私が誰のお嫁さんになるかで収拾がつかなくなってしまったのだけれど。最終的に、ちぃちゃんには雷電くんにはもっと素敵な彼女が出来るから大丈夫だと伝え、天馬くんにはまた大きくなって気持ちが変わらなかったらねと嗜め、他の子たちには綱海くんはお友達なのだと言い含めておいた。雷電くんは終始爆笑していたので許さない。

「ちなみに土方先輩は薫先輩のことを…?」
「俺か?良い友達だと思ってるぜ!」

ほらね。雷電くんとは何も無いし、先ほどの綱海くんに関しても春奈ちゃんの思うようなことは無いんだよ。そもそも、私を恋愛的な意味で好きになるなんて物好きな人間くらいなんだから。
そう言ったら春奈ちゃんからは「薫先輩の恋愛に関する自己申告は信じないことにしてるんです」と言われてしまった。そんなに信用ないのかい私は。





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