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久しぶりに見上げた、山の上にある鉄塔広場。帰ってくるのは実に一ヶ月ぶりで、何だか感慨深いものが込み上げてしまう。長時間の移動で疲れてしまったのか、私の肩を枕にして眠り込んでしまった守と立向居くんを起こさないように外を眺めながら思わずホッと息を吐いた。
…雷門中も、今は急ピッチで再建を進めていると夏未ちゃんからは聞いている。守りきれなかったことは今だに悔やんでいるけれど、それを口にするとみんなに怒られるのでそろそろ切り替えることにした。

「そろそろ着くぞぉ」

前方の古株さんからの言葉に、起きている面々が寝ている人たちを起こし始める。私もまずは立向居くんを起こすことにした。守は割と起きるの遅いからね。幸い、立向居くんは肩を叩けば目を覚ましたし、私の肩を枕にしていたことに気がついて慌てたように謝られてしまった。選手の快眠を守れたなら良いんだよそれくらい。

「守、起きて。稲妻町に着いたよ」
「んあ…?」

守もぼんやりしながらの起床だったけれど、私と同じくあの鉄塔を視界に入れた途端に目を輝かせて満面の笑みで笑った。そしてバスはやがて、あの懐かしすぎる河川敷のグラウンドにたどり着いて。

「戻ってきたぞぉーーー!!」

守の嬉しそうな声。みんなもここに無事に帰って来られたことがやはり嬉しいようで、顔は安堵で緩んでいた。
そして、守の一言で一旦今夜は家に帰ることに。私もお母さんやお父さんと会うのは久しぶりだし、ちゃんと今まで心配させたことを謝りたい。監督からの許可も出たところで、しかし綱海くんが不満そうな声を上げた。

「おいおい、俺たちはどうするんだよ」
「みんなうちに来いよ!」

待て待て守。お母さんの許可も無しに良いのかそれは。別に私は構わないし部屋を明け渡しても良いのだけれど、夕飯を用意するのは私とお母さんだぞ。…まぁでも、たしかに東京じゃない人たちを放っておくわけにもいかないしね。
少しだけ大変そうな今夜のことを思いながら頭の中で客用布団の数を数えていれば、ふと士郎くんが上を向いているのが見えた。隣に居た土門くんも疑問に思ったらしく見上げれば空からは、謎の球体が落下してくるのが見えた。地面に落ちると共に眩く光る球体、収まった光の向こう側にあったのは、見覚えのあるボールだった。

[___雷門イレブンの諸君、我々ダイヤモンドダストは、フットボールフロンティアスタジアムで待っている]

来なければこの東京に黒いボールを無作為に撃ち込むという脅しまで付けた奴らの目的は言わば、私たち雷門中イレブンとの試合だった。決してノーを許さない一方的な要件が、ただただ気に入らない。
けれど、こうして脅されたからには行かなければいけない。戦わなくちゃいけないんだ。


「…薫さん」
「?はい」


気合を入れ直してバスにいざ乗り込もうとしたその時、瞳子監督に引き止められる。みんなはもう既に乗り込んでいて、あとは私と監督が乗ればいつだって出発できる状態だった。首を傾げる私の前で瞳子監督は一つ頷くと、硬く閉じていた口を開いて。


「…貴女にお願いがあるの」
「…え」





フットボールフロンティアスタジアムについて早々、私は息巻いて中へ入って行こうとするみんなを見送ってバスに残る。私だけが動く気配の見せないおかしな様子に気がついた秋ちゃんが私の名前を呼んだ。みんなの視線が私に向く。

「どうしたんだよ薫、早く行こうぜ!」
「…ごめんね、守、みんな。先に行ってて欲しい。…監督からの頼まれごとがあるの」

不思議そうに騒めくみんなの中、守はジッと私の目を見つめていた。私もそれを見つめ返す。やましいことじゃ無い。でも、簡単に決められることでも無い。だから信じて先に行ってて欲しい。そんな思いで見つめ返せば、やがて守は笑った。

「先行って待ってるぜ。早く来いよ!」
「…うん、ありがとう守」

まだ戸惑ってこちらを窺うみんなの背を押して、守は中へと向かっていく。…きっと今までの私なら、ここで守に何もかもを吐露して不安を曝け出してしまえていた。けれどもう、それは出来ない。
監督がお願いしたのは、円堂守の双子の妹としての私でなく、ただの私という個人だ。だから決めるのは、いつだって心に正直に私でなければならないから。

「…行くのかい」
「…はい。監督には、感謝しなきゃだめですね」

古株さんから手渡された袋を持って、バスの中へともう一度乗り込む。随分久しぶりに着ていた制服を脱いで袖を通したそれは、たくさん目に焼きつくほどに眺めていたくせに、結局一度だって着たことは無かったもの。
靴も持ってきておいて良かった。沖縄で練習する為だったとはいえ、こんな形で活躍できる。

「これが、ラストチャンスだ」

バスから飛び降りれば、外で待っていてくれていた古株さんが手のひらを差し出してくれた。そこに私はハイタッチを返して、先へ行くみんなの後を追って走り出す。…フットボールフロンティアの準決勝までは何度も通っていたこの廊下をこんな形で駆け抜けているだなんて、一月前の私が見ればきっと驚く。

「監督、薫ちゃんに何を…?」
「…あとは彼女の覚悟次第よ。口出しする必要は無いわ」

光の出口が見える。あそこを抜け出せばきっと、もう私は後戻りは出来ない。監督にそう言われた。それを覚悟して、自身の心に従って選択して欲しいと。
入り口の三メートル手前で立ち止まり、深呼吸して力を抜く。あちらが騒めいているということは、あのダイヤモンドダストとやらもきっと到着しているのだろう。
…それを予想して震える身体は、怯えでも恐怖でも無く武者震いなのだから、存外私も守をサッカーバカだとは言えないのかもしれない。

「…薫?」

最初に目が合ったのは、鬼道くんだった。宇宙人を睨みつけていた目をこちらに向けて、驚愕の眼差しにみるみる目を見開く彼を見て思わずおかしさが込み上げる。次々にみんなも驚きに染まった声を上げる中、私は真っ直ぐに監督を見つめた。
良いのね、と監督が私の心に覚悟を問う。
やります、と私が正直な心で答えた。

『…貴女にお願いがあるの』

息を吸う。宣言する。今ここにみんなの前で、戦うみんなにこそ誓う意味のある言葉をもって、私はこの戦地に立つのだから。

『貴女の実力を見込んでの頼みよ。
雷門イレブンのユニフォームを、着る気は無いかしら』

結い上げた髪がたなびく。身に纏った黄色に青のユニフォームの背番号は「17」。胸に刻まれた雷門の文字も、この番号も。私はこのグラウンドに背を向けない覚悟を持って立ち向かう。


「背番号17番、円堂薫。ポジションはFW及びDF」


サッカーを諦めたことがある。大好きなそれを、大人になれば大好きな守と一緒に蹴れなくなるのだと知って手放しかけたことがある。あの頃はただ虚しくて、それでも一緒に蹴りたいと手を伸ばしてくれた守の手を取って、私はグラウンドの外に身を置いた。
…けれど、それはもう違う。私がサッカーを始めた理由は守であったとしても、サッカーを続ける理由は他でも無い私自身にある。
私だって、このスポーツに楽しさと希望を見出したプレイヤーの一人だ。一度はこの宇宙人たちの侵略に抗わんとしてグラウンドに立った。
だからこそかつて一度は降り、一度は敗北したそこへ私は今度こそ勝利を掴みに行くんだ。


「よろしくお願いします」


そして何よりこれは、守と同じコートでプレーする最後のチャンスでもあるのだから。





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