82


デスゾーンがとうとう完成した。今までのようにタイミングも回転すら合わせていた形式だったのを、雷門中なりのタイミングに変えたことでその技は成功を果たしたという。そしてさらにそのデスゾーンを進化させ、雷門中だからこそ打てる強力な必殺シュート「デスゾーン2」を鬼道くんたちは完成させた。
…しかしそんな喜びも束の間、突如空から見覚えのある黒いボールがグラウンドに落ちてきたかと思えば。

「お前らは、ガゼル!バーン!!」
「「____我らはカオス!」」

現れたのは前とは違うユニフォームに身を包んだ厨二病宇宙人と豪炎寺くんのパチモン宇宙人の二人、そしてその二人に率いられた二チーム選りすぐりのメンバーたちだった。いきなり現れたかと思えば、私たちに勝負を挑んできた奴ら。
二日後にまたこの帝国スタジアムで、と言い残したかと思えばさっさと引き上げて行ってしまった。…全員連れてきた意味とは?

「悩んでても仕方ないさ!練習あるのみだぜ!」
「そのセリフはッ…!頭の寝癖を直せてから…言って…ね!」
「痛っ!?」

デスゾーンの猛特訓のせいか、いつもより疲れたせいで髪を濡らしたまま寝てしまったらしい守の寝癖が酷い。何も気にせずみんなの元へ向かおうとする守を引き止めて、今は水道場で寝癖を何とかしようと奮闘中だ。さすがにそんな芸術的な頭じゃみんな締まらないよ。

「キャプテンの威厳は大事に!」
「はぁい…」

何とか、いつもよりちょっと乱れてるかな?と首傾げる程度にまで整えて守を送り出す。練習だー!と勢いよく走り出して行った守にため息をついていれば、離れたところで口をゆすいでいた豪炎寺くんが苦笑している。

「大変だな」
「手がかかるほど可愛いって言うけどね」

そして豪炎寺くんも実は人のこと言えないのでは?いつも上の方に立てている髪が一房落ちてますよ。
そんなおっちょこちょい豪炎寺くんのオデコに手を伸ばし、髪を撫でつけるようにして整えてから、今度こそ完璧になった豪炎寺くんの肩を叩いて満足げに微笑む。豪炎寺くんは突然私が触れてきたことで驚いたのか固まってしまっていた。

「はい、これでいつものカッコいい豪炎寺くんだね」
「…あ、あぁ…」
「早く行こ、みんなきっと待ってるよ」

守の寝癖直しのために秋ちゃんたちに朝食の準備を任せっぱなしにしてしまったので、早く戻ってお詫びをしなければ。とりあえず後片付けは私が率先してしよう。ほら、豪炎寺くんはなんでそこに蹲ってるの。

「………ずるいんだよお前は」
「なんで?」

分からなくて良い、と言われてしまったけどひたすらに解せない。豪炎寺くんも頑なに教えてはくれなかったし。いったい私の何がずるいというのだ。





そして朝食を終えたら次は、明日の試合に備えての練習だ。鬼道くんたちはデスゾーン2の完成度を上げるために、立向居くんたちは引き続きムゲン・ザ・ハンドの特訓、その他のみんなは豪炎寺くんと照美ちゃんを中心にフォーメーションの確認をする予定だそうだ。
私もこの前と同じように立向居くんの特訓に付き添うつもりだったのだけれど、急な予定変更をすることにした。何故なら。

「春奈ちゃんごめん、このメニュー通りで良いから立向居くんたちをお願い」
「先輩…」
「大丈夫、士郎くんのことは任せて」

みんなが練習を始める中、とぼとぼとグラウンドを出て行ってしまった士郎くんを追いかけるためだった。見ているだけで辛いのは分かる。苦しくなってどこかへ行ってしまいたい気持ちも理解できる。
でも、一人でそうするのは余計に駄目だ。士郎くんが抱え込んでしまっているものの大きさを知っているからこそ、私は士郎くんを一人にしたくない。

「士郎くん」

士郎くんを探せば、彼は河川敷沿いを歩いていた。ぼんやりと小さい子たちがサッカーしているのを眺めている。私が名前を呼べば彼は小さく肩を跳ねさせて、まるで悪戯が見つかったような決まり悪そうな顔で私から目を逸らした。

「ここにいたんだ」
「…ごめんね、探しに来てくれたんだ」
「気にしないで、これでも春奈ちゃんにお仕事押しつけてきちゃった悪いマネージャーだから」

あっちに行こうか、と指さしたのは河川敷の方。川沿いに二人並んで腰掛けながら、ぶらぶらと足を揺らして遠くを眺める。士郎くんはしばらく黙りこくったままだったけれど、やがて恐る恐る窺うように私の顔を見た。

「…何も、聞かないんだね」
「怒る為に追いかけてきたんじゃ無いんだもん」
「じゃあ、どうして僕を」
「心配だからだよ。一人は心細くて、怖いから。…それに士郎くんが言いたくないなら、私は無理に聞かないよ」

そう言って笑いかければ士郎くんは少しだけ言葉を詰まらせて、何か言いたそうに何度か口をぱくぱくと動かして、やがて項垂れながらか細い声で切り出し始めた。

「…僕には、弟が居るんだ」
「…アツヤくん、だよね」
「…知ってたんだ」
「瞳子監督たちから聞いてたから」

なら話が早いね、と彼は自嘲気味に力無く笑って再び話し始めた。自分の中にアツヤくんの人格があること。DFの士郎くんとFWのアツヤくんの二人で完璧を目指していたこと。けれど最近は、だんだんとアツヤくんに頼らず自分の力だけでゴールを決めたいと思うようになってしまったこと。けれど自分じゃダメで役立たずで、だからアツヤくんに全てを託して。
それでもなお、自分の力は完璧には届くどころか無力でしかなかったことも。

「…アツヤを追い出すべきなのかな、僕は」

ボールを蹴るのが怖いのだという。ボールを蹴ろうとすれば、どうしても自分の代わりにゴールを決めようと出てきてしまうアツヤくんの人格のせいで、自分じゃサッカーが出来ないのだと。
アツヤくんを追い出せばきっと解決する問題なんだと、彼は言う。
けれど私はそんな彼の葛藤に首を傾げた。

「そうなのかな」
「…薫さんは、そう思わないの?」
「…私だったら、嫌かもしれない。だって私がもし士郎くんと同じ立場だったらきっと、守を追い出すなんてできないと思うから」
「…」
「でも、守はきっと「立ち止まるな」って私を怒って励ましてくれると思うんだ」
「!」

ねぇ、士郎くん。私はアツヤくんのことなんて一つも知らないけれど、士郎くんを見ていて分かることは少しくらいあるよ。
もしもアツヤくんが自分本位なプレーの為に君を蔑ろにするような人間なら、きっと君はそこまで悩みはしなかったと思うんだ。
自分の中にアツヤくんが生まれてしまうほど、君はたった一人の弟を愛して大切に思っていたんでしょう?

「士郎くんの中のアツヤくんは何て言ってる?本当にアツヤくんは、君のことを役立たずなんていうの?」
「…分からない、聞こえないんだ…今の僕に、アツヤの声は聞こえない…」

でも、と士郎くんはか細い声で呟く。どこか悲痛そうな表情で心臓の辺りを握り締めて、まるで吐き捨てるようにしてその胸の内の苦しみを吐露した。

「アツヤは、優しいんだ」
「うん」
「口は悪いけど、僕を蔑ろにしたことなんてなくて」
「そっか」
「……アツヤが居なくなるなんて、嫌だよ」
「じゃあ、待っていようね」
「…待つ?」

そうだよ。一瞬で解決してくれる悩みなんて無い。だからこそ、今の士郎くんにはきっと自分自身の中で整理をつける時間が必要だった。自分の選んだ道が、未来で後悔するようなもので無いことを私は願っている。アツヤくんを追い出してしまえば確かに士郎くんは楽かもしれない。でも、その代わりに残るのは喪失の傷だから。

「アツヤくんもきっと今は、士郎くんと同じくらい悩んでるんじゃないかな。自分は士郎くんの力になれていないんじゃないかって、苦しんでるんじゃないかな」
「…アツヤ、が…?」
「だってアツヤくんは優しいんでしょ?きっと、お兄ちゃんのことが大好きな子なんだね」

あのね、士郎くん。大概の人間なんて単純なものだから、好意には好意を、悪意には悪意しか返せないようになってるんだよ。それなのに君がアツヤくんを好きでいること、それはアツヤくんが君のことを大好きだってことに他ならない証拠じゃないのかな。
…いつのまにか辺りは夕方になってきていて、ここに居た時間がだいぶ長かったことに今更のように気がついた。私は立ち上がる。そうして、まだ座りっぱなしの士郎くんに手を伸ばして。

「帰ろ、士郎くん。みんなも待ってるよ」
「……うん。……………ありがとう」

控えめに握られた手を引いて、二人並んで雷門中までの道を歩く。周りからは微笑ましそうな目で見られたけれど、私は絶対にその手を離さなかった。
…士郎くんに知っていて欲しいことがある。どうか、心の片隅で良いから置いていて欲しい。
君のことを大事に思って、心配してくれる人は君が思うより沢山いるのだということを。君がどれだけ苦しんでいても、私たちはずっと手を差し出して助けてやりたいと思っていることを。
そして、少なくとも私は君が迷子にならないように、一人で何処へも行かないように。この手を離す気は無いのだと、それだけは、どうか。





TOP