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病院の外の木の陰で、もう何度目かも分からない電話を鳴らす。同じ番号へ繋がるはずのコール音は、やはり声を届けてくれないまま無機質な機械音と共に切れてしまう。
半分は予想がついていたその結果に、ため息と共に耳から携帯を離すと画面に表示された名前を見つめて、私は思わず唇を噛み締めた。…どうして、彼は電話に出てくれないのだろう。

「…風丸くん」

他のみんなとも繋がらない。この前までメールをやり取りしていたはずの染岡くんも、私が最後に返したメールを最後に音信不通になってしまった。…守からの電話に出ないなら、訳は分かる。守と風丸くんとの間に生まれてしまった溝のせいで気まずいのも。
けれど、どうして私からの電話にも出ないの。

「…嫌な、予感がするなぁ…」

叶うなら、それが当たらないで欲しい。携帯を壊してしまったんだ、なんてそんな気の抜けるような下らない理由でいて。
…風丸くんに、話したいことがたくさんあった。
ちゃんと私は無事だったこと。
みんなと合流を果たせたこと。
心配をかけたことへの謝罪だって、まだ出来ていない。
見守るばっかりで、友達の照美ちゃんを一人で戦わせてしまった私の後悔も聞かせて、弱気になるなと励まして欲しかった。…なのに。

「…薫、か…?」
「…ごうえんじ、くん」

ぼんやりと視界を遮り出した涙を見られたくなくて咄嗟に顔を背ける。…豪炎寺くんも、この病院に来ていたのか。たしかに、彼の妹の夕香ちゃんが入院する病院もここだ。久々に会いに来ていたって、可笑しくはないか。
だから私は、なんでも無いように笑って豪炎寺くんに向き直る。

「夕香ちゃんのお見舞い?」
「…あぁ、お前はアフロディか」
「うん。でも、守が二人で話したいっていうから先に学校に帰るところだったの。豪炎寺くんも学校に向かうの?」
「あぁ」
「じゃあ、一緒に行こっか」

二人並んで、雷門中までの道を歩き出す。ぽつぽつと他愛のない話をしていたのだけれど何故だかすぐに言葉は尽きてしまって、私は必死に次の話題を探した。…豪炎寺くんは、多分私が泣きそうだったことに気がついている。そしてこの会話が途切れれば最後、そのことについて言及されてしまう。
だから、そうならないように必死で口を開いていたのに。

「…豪炎寺くん?」
「…風丸じゃないと、駄目なのか」

急に立ち止まった豪炎寺くんに思わず振り返れば、彼はどこか寂しそうな目で私を映している。そしてその口から紡がれた名前に、私はまんまと動揺してしまった。…これじゃあ図星だと言っているようなものなのに。

「俺は風丸にはなれない。だから不安も、悩みも俺はきっとお前から吐き出して貰えない」
「そんな、こと」
「良いんだ。…本当のことだろ」

…何も言えなかった。確かに私は、守や風丸くん以外に自分の不安や悩みを打ち明けたことは無い。例外は雷電くんくらいで、それも不可抗力みたいなものだった。
だって豪炎寺くんたちは私の友達で、友達とは対等でありたくて、情けない姿なんて見せたくはなくて。
風丸くんは違うの。守は私のヒーローだった。けれど幼い頃からの付き合いで、私のこともよく知ってくれている風丸くんは、私にとっての灯台のような存在だったから。
どれだけ苦しくても、最後まで話を聞いて励ましてくれるその優しさに、私は確かに救われてきたの。
そして私は、その二人以外の誰かに弱い自分を曝け出して幻滅されてしまうことが恐ろしくて仕方なかったのだ。

「俺は風丸みたいになりたかった。お前が、弱さを吐き出せるような存在になりたい」
「…豪炎寺くん」

笑ってろ、と彼は言う。私には涙なんかよりも無邪気な笑顔の方が似合うからと。
その言葉に、息が詰まった。何か、返さなくちゃいけない。…けれどまだ私の心は怯えていて、踏み出さなければいけない一歩を踏み出すことが出来ない。私は、私の心の弱さを誰かに見せて、幻滅されてしまうことが怖くて仕方なかったから。
…そんな私を見て豪炎寺くんは、やはり寂しそうな、けれど何処か仕方なさそうに微笑んで、ゆっくりと口を開いた。

「頼ってくれ。風丸の半分でも良いし、それ以下でも構わないから。
…お前が雷門中のみんなを心配するように、俺だってお前が心配なんだ」

行こう、と何事も無かったかのように振る舞って歩き出した豪炎寺くんに、一拍遅れて袖を引く。…良いの、だろうか。本当にその言葉を信じて、私は二人だけでない、他の誰かを頼ってしまったって良いのだろうか。

「…本当に、頼っても良いのかなぁ」
「…その方が、俺は嬉しい」
「…幻滅、しない?お前はその程度だったのかって、馬鹿にしたりしない?」
「する訳ないだろ」
「………そっか…そっかぁ…」

真面目な顔で即座に断言してくれた豪炎寺くんの顔に、心はゆるりと安堵に染まる。…そういえば確かに君には、沖縄でも散々弱いところはみせたね。ここで意地張ったって、強がったって時間の無駄か。
そんなことに今更のように気がついて、思わず声を上げて笑う。笑われた豪炎寺くんは何処か不服そうな顔をしながらも、少しだけ嬉しそうに眉を下げてくれていた。

「じゃあ、約束ね。豪炎寺くんも、辛いことがあったら私に頼って。私も、豪炎寺くんに頼るから」
「…あぁ、約束な」

差し出した小指に、豪炎寺くんは恐る恐る自分のものを絡めてくれた。どこかぎこちないその仕草さえも、今は可笑しくて仕方ない。指切りゲンマン、と歌い出した私をそっと見つめていた豪炎寺くんは、切られた指を嬉しそうに眺めてやがて、悪戯っぽく微笑んで小指を振って見せた。

「破ったら針千本、だったな」
「ふふ、怖いなぁ、豪炎寺くんは」
「約束なんだろ」

うん、私と豪炎寺くん、二人だけの約束だもんね。





という訳で、道すがら音信不通の風丸くんたちの文句を吐露することにする。豪炎寺くんもどうやら他のみんなと連絡がつかないことは訝しげに思っていたらしく、この戦いが終わったら守たちみんなに相談してみようと思っていたらしい。
私の願望よろしく携帯が壊れたとかそんな理由だったら別に良いんだけどね、と互いに話していればようやくたどり着いた雷門中。
けれどそこでは、何やら不穏な気配が漂っていた。瞳子監督に詰め寄るリカちゃんを筆頭に、みんなが不信感を露わにした目で監督を見ている。

「ちょっと、みんな何してるの」
「そこどき!近づいたらあかんで薫!こいつ、宇宙人のスパイやったんや!!」
「…瞳子監督が、宇宙人のスパイ…?」

憤っているリカちゃんの話に困惑する。彼女によれば、先ほど監督の元にあのグランが訪れていて彼は監督をたしかに「姉さん」と呼んだらしい。そして監督は、それを否定しなかったのだと。
後から遅れてやってきた守たちも、みんなからの話を聞いて戸惑っている。

「そういうことか…監督がときどき居なくなっていたのは、エイリア学園と連絡を取る為だったのかもしれない…」
「ち、がうよ土門くん。私、監督とこっそり連絡取り合ってたから、きっとその為に…!」
「…それが、言い訳の可能性もあるんだぜ?薫ちゃんが利用された可能性も…」

違う、監督はそんなことしない。たしかにこの人は、冷静沈着でときどき非道にも見える指揮を取ったかもしれないけれどそんなことは絶対にしない人だ。
だって覚えてる。足を怪我して最初から離脱せざるを得なかった私に、監督は淡々とその言葉をくれた。

『貴女を待っているわ』

ダイヤモンドダストの時も、私がグラウンドに立つチャンスと覚悟を決める時間をくれた。優しい人なんだ。みんなにそれを見せていないだけで、私はそれを知っている。だから私は監督がスパイだなんて、疑うことすら出来ない。…でも。

「なぁなぁ、敵に姉さんって呼ばれてたってことはさ…」
「…監督は宇宙人?」
「説明責任があると思いますね」
「…どっちにしても、話してもらおうじゃないか…なぁ!」

みんなの目はそれでも責めるように監督を射抜く。私の否定を聞き入れてくれないことがもどかしい。だんだんと顔を暗くしていく監督を見ているのが辛くて、私は思わずその手を握った。…監督が、ハッとしたように顔を上げるのを、目を合わせて頷く。
…私は、監督を信じる。
だって私は、自分の見たものしか信じることは出来ないのだから。

「私は、何と言われようと監督を信じるよ」
「薫!」
「だって、私の中には信じられるだけの根拠があるから」

少しだけピリついたその空気を裂くように、守が間に入ってきた。これ以上みんなが監督を不必要に責めるのを避けるように、守が代表して話を聞くことにしたらしい。
本当にグランの姉なのかという質問に、監督は少しだけ強張ったような顔で口を開いた。

「…確かに私は、あなた達に隠していることがたくさんある。でも、もう少し待って欲しいの」

そうして、監督は何かを躊躇うように一瞬の間を開けて、しかし今度こそ迷いの無い口調で再び口を開く。

「エイリア学園は、ただの宇宙人では無いわ」
「え……?」

…それではまるで、宇宙人たちの正体を知っているかのような口ぶりで。険しくなったみんなの顔は、監督への疑惑や不信感をもはや隠さなくなってしまっていた。
監督は、全ての真実が富士山麓にあるのだという。明日の朝八時、ここに集合するようにとそれだけ告げて、監督はその場を立ち去ってしまった。思わずその背中を小走りで追いかける。後ろから引き止めるような声が聞こえたけれど、私はそれに立ち止まりはしなかった。

「瞳子監督」
「…何故、庇ったの」

みんなの姿が見えなくなった場所で立ち止まっていた監督は、私の呼びかけに質問で答えた。ここからじゃ、監督の顔は死角で見えない。けれどその肩が、何処か不安そうに強張っているのを見て息を呑んだ。
…そうだ、どうして誰も思い至らなかったのだろう。大人であるこの人にだって、きっと私たちの想像のつかない不安や悩みがあった。そして私たちには、それを吐き出させて一緒に抱えてあげられるだけの器が無かったから。

「私は、私が見て感じたことを一番に信じます」
「…」
「監督はきっと優しいです。誰よりも不器用なだけです。…そうじゃなきゃ、きっとみんなここまで来られなかった」

非情な采配が多くあったと聞いている。風丸くんたちがキャラバンを降りたときも引き留めなかった。士郎くんの過去を知っていても選手に起用し続けた。佐久間くんたちの身体が壊れると分かっていても攻撃の指示を出した。
…でも、その裏の優しさだって、私はもう知っている。
守が弱っていたとき、監督は猶予をくれた。ボールが蹴れないはずの士郎くんを用済みだと追い出したりはしなかった。佐久間くんたちの為に最先端の治療法を勧めてくれた。

「明日、私は富士山に行きます」
「!」
「誰も来なかったとしても、それなら私が代わりに選手としてピッチに立ちます。…だから!」

何を抱えているのだろう。何に苦しんでいるのだろう。私たちに言えないことは、きっとこの人なりの気遣いと優しさによって隠されていた何かだ。…けれどもう、ここまで戦い抜いてきた私たちは、ちょっとやそっとじゃ簡単に崩れやしない。この人の苦しみを肩代わりしてはやれなくとも、側に寄り添うことはできるから。

「明日はちゃんと、全部を教えてください」
「…えぇ、そのつもりよ」

監督は振り向いて、今度こそ真っ直ぐに目を合わせて頷いてくれた。そうして再び歩み去って行く背中を見送って、私もみんなの元に戻る為に歩き出す。
…あの目を、私は信じると決めたのだ。何があっても、絶対に。





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