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静岡に入って目的地である富士山が近づくにつれ、道はだんだんと険しくなってきた。舗装されていないせいか車内はガタガタと揺れていて、正直ここまで誰も酔っている人が出ていないのが幸いかもしれない。バスの中では最初のピリついた空気はどこへ行ったのか、みんな塔子ちゃんの持ってきたお菓子を食べてるし。まぁ、そういう私も貰った飴玉を食べてるんだけどね。美味しい。

「…守はさっきから何見てるの?バス酔しちゃうよ」
「祖父ちゃんのノートだ!」
「円堂さん、それは…?」
「究極奥義、『ジ・アース』!」

ふと、隣の守が先ほどから熱心に何かを見ているのが気になり立向居くんと二人覗き込んでみたところ、守が見ていたのはお祖父ちゃんのあのノートだった。相変わらず円堂家で無ければ解読難関の絵と文字を、私も目だけで追う。

「…11人全員の心が一つになった時に、初めて出来る技なんだ」
「そうなんだよ!」
「11人全員で…まさに究極奥義ですね!」

11人全員が心を一つにする。それは、たとえチームプレーが得意な雷門中でも難関なことだろう。現に今も監督への思いだけでもバラバラなのだ。
つまりそれだけ、このシュート技の難易度が高いということが分かる。

「昨日からずーっと考えてたんだ。このメンバーでやってみたい、みんなの気持ちが一つになれば、大きな力が生まれる!俺たちのためにあるような技じゃないか!」

…けれど、そう言った守の言葉も確かにある私たちの真実だ。エイリア学園という大きく険しい敵を前にして、私たちはここまで必死に駆け抜けてきた。辛い思いだってしたし、離れてしまった人だっているけれど。それでもそんな人たちの無念まで背負っていこうと頑張ってきたのだ。
守は仲間を信じている。みんなも守を、仲間たちを互いに信じ合っている。だからこそこのチームは成り立っていて、ここまでやってこられた。…だから、後は。

「な、何スか、アレは!?」

エイリア学園を、倒すだけなんだ。
…壁山くんの悲鳴と共にみんなは窓の外を見て、そうして絶句した。私も思わず息を飲んでしまう。…そこにあったのは、宇宙船に似た何かだった。
瞳子監督は古株さんに一度バスを止めるように頼む。外に出て見てみると、やはりその強大さには目も眩むようだった。

「アレが、エイリア学園なんスか…!?」

切り開かれた山岳地帯に堂々と構えられた円盤型の建物。時折怪しげな光がリズミカルに点滅していて、まるで何処か遠くへ信号を送っているようにさえ見える。…ここが、敵の本拠地。
どう見てもUFOだ、と呟いた木暮くんの言葉を誰も否定しなかった。誰もがそう思ってしまったのだろう。…しかし、ここが敵の本拠地ならば、私たちは彼らを追い詰めたことに他ならない。それを理解していた守は、意を決してみんなへ向けて声をかけた。

「みんな、行くぞ!」
「待て」

誰もがその意気に応えようと声を上げかけたそのとき、その声を遮って乱入してきたのは聞き覚えのある懐かしい声で。
…それは、響木監督だった。今までずっとエイリア学園のことを探るために、と姿を消していた響木監督。どうしてここに居るのだろうとか、どうして止めるのだろうとか、いろいろ聞きたい事はあったのだけれど、それは監督が口にした次の言葉に閉口してしまう他は無かった。

「俺はこれまで、エイリア学園の謎を探っていた。…そして、やっと答えに辿り着いた」
「答え?」

響木監督の目が、瞳子監督へと向く。…嫌な予感がした。そして、そんな嫌な予感は外れてくれることなく、的中して。

「エイリア学園の黒幕は…お前だ」

響木監督の差した指は真っ直ぐに、瞳子監督へと向いていた。全員が驚愕の声を漏らす中、私は反射でそれを否定する。そんな訳がない。この人が、そんなことをする人だとは思えない。…たとえ、それが尊敬してやまない響木監督の言うことでも、私はそれを否定することしか出来ないのだ。

「何かの間違いです、瞳子監督はそんな…!」
「…それは、彼女が自ら明らかにするべきだろう」

…瞳子監督は、みんなからの疑惑や戸惑いの目を向けられてもなおその言葉を否定しない。むしろ何か覚悟が決まったような顔さえしていて。
響木監督は、そんな瞳子監督を促すような素振りで再び口を開いた。

「円堂たちをジェネシスと戦わせるならば、全てを語る責任がある」
「……全てはあの中にあるわ」

瞳子監督が上を仰いだその視線の先、あるのは霧の中に隠れてなお存在感を露わにする宇宙船のような建物。どこか睨みつけるように、しかし悔いるように監督はそれを見つめて、やがてその建物の名を告げた。

「そう…あの、『星の使徒研究所』に」





響木監督も共に再びバスに乗り込んで、私たちはとうとう建物に入っていくことになった。ピタリと閉まり切った入り口らしき壁の前で止まってしまったのだけれど、どうやら瞳子監督は入るためのパスワードを知っているらしく、手慣れたように携帯で求められた認証パスワードを打ち込んでいく。
そして、それに呼応するようにして扉が開いた。…この時点で、監督がこのエイリア学園とは浅からぬ関係があることがハッキリしてしまった。

「開いた…」
「本当に関係あるみたいだな…エイリア学園と…」

みんながヒソヒソと話しているのが耳に入って、思わず拳を握りしめる。…それでも、私は監督を信じたい。私が欲しかったチャンスを与えてくれたこの人は、誰が何と言おうと私の恩人なのだから。
ふと、その握り締めていた掌を隣の守が優しく包んでくれたことに気がついた。思わず隣に視線をやれば、守はしっかりとした目で私に頷いてくれる。…そうだよね、本当に信じているなら、私は何も臆せず堂々としていれば良いのだ。

「何だよ、誰もいねーじゃねぇか。エイリア学園っていうから、宇宙人の生徒がいっぱい居るのかと思ったぜ」
「どんな生徒やねん…」

綱海くんがボヤいた言葉には内心同意する。これだけ広い敷地だというのに、今のところ誰ともすれ違う様子が無い。彼らは少人数なのだろうか。
…そしてしばらくして、最初の入り口よりも一回り小さな扉が見えて来たところで瞳子監督の指示によりバスは止まった。警戒を強めている鬼道くんが、瞳子監督へ向けて静かに尋ねる。

「監督…ここは一体何のための施設なんですか?」
「…吉良財閥の、兵器研究施設よ」

兵器研究施設、というのは、つまり。
瞳子監督の口から飛び出た物騒な言葉に、私は思わず口元を押さえる。…この日本では、過去の過ちを繰り返さない為にと、そもそも憲法で戦争が禁止されている。平和な国だ。だというのに、この国の財閥が兵器を研究している?…しかも、宇宙人たちの本拠地で?
そして何より、今飛び出た「吉良」という名前。その二文字を冠する人物を、私たちは身近にいることを知っている。

「吉良って…監督の苗字も吉良っスよね?」

そうだ、監督の名前は吉良瞳子なのだ。

「…私の父の名は、吉良星二郎。吉良財閥の総帥よ」
「自らの作り出した兵器で、世界を支配しようと企んでいる男だ」

世界を支配する。その壮大すぎる野望に、私たちは思わず呆然とした。本や映画でしか見たことないようなそんなフィクションの設定じみた真実は、しかしどう足掻いても現実なのだ。それをいやでも理解してしまい、目眩さえしそうになる。

「兵器研究施設が、ジェネシスのホームグラウンド…」

いったい、私たちは何に巻き込まれているのだろう。宇宙人の親玉の正体はただの人間でしか無くて、その人間の野望に私たちサッカー部は巻き込まれて。
いろんな人が怪我をして。
いろんな人が苦しんで。
いろんな人が恐怖に苛まれて。
…それも全て、宇宙人という私たちには理解できない存在が及ぼしたものだと思っていたから、まだ耐えられた。
けれどそれが、私たちと何ら変わりない人間の仕業だったと、まさかそんなことが言いたいのか。

「エイリア学園はただの宇宙人じゃない…監督はそう言いましたね」
「ええ」

監督の操作したタッチパネルが、入り口の開錠を許可してゆっくりと扉を開いていく。ついて来て、と口にして歩き出した瞳子監督の後ろをみんなはついていくけれど、私はその一歩を踏み出す勇気を持てなかった。
急激に現実じみてきた真実に、心が怯えてしまっているから。

…けれどそのとき、そんな私の背中を誰かが叩く。大丈夫か、と心配そうに囁いてくれたのは。

「…ごう、えんじ、くん」
「顔が真っ青だぞ。…大丈夫か」

大丈夫だよ、と反射で口にしてしまいそうになった。こんなところで心配をかけたく無かったし、これから戦わなきゃいけない選手である彼に少しでも負担をかけたく無かったから。…けれどそのとき、脳裏を過ったのは昨日の約束と、寂しそうに微笑んでいた彼の笑顔で。


『頼ってくれ』


…あぁ、そうだったね。嘘ついたら、針を千本も飲まなきゃいけないんだった。
そんな子供じみた、それでも優しい約束を思い出して、心の中の恐怖が僅かに和らぐ。微かに震えていたらしい指で、豪炎寺くんのジャージの裾を掴んで小さく呟く。

「…少し、こわい」
「!」
「…情けない、かなぁ」
「…そんなことは無い。…仕方ないだろ、それは」

豪炎寺くんは私の吐き出した弱音に少しだけ驚いたような顔をして、けれど何処か嬉しそうに目元を緩ませて私の頭を撫でた。
まるで強張った心と体を解してくれるような優しい手つきに、思わず安心してため息をつく。…安心できたと思えば、あれほど踏み出すことさえ躊躇っていた足は拍子抜けするほど簡単に前へ進んだ。

「ありがとう、豪炎寺くん」
「…あぁ」

そんな私に豪炎寺くんはやはり微笑んで、優しい眼差しを向けてくれていた。





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