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吉良星二郎が立ち去った後、瞳子監督は力無く私たちを振り向いて私たちをぼんやりと見遣った。いつもは一つ一つ確かめるように合わせてくれるというのに、今の監督の目には光が無い。

「…みんな。…私は今日まで、エイリア学園を倒し、父の計画を阻止するために戦ってきた。でも…貴方たちを利用することになってしまったのかもしれない」

まるで悔やむように。
まるで自嘲するように。
突然目の前に立ちはだかった現実という名の壁に打ちのめされている監督に掛けるべき言葉を必死に探した。…傷ついて欲しくない。たとえ自分の実の父親であったとしても、野望に囚われて娘の思いを蔑ろにするどころか利用までするようなあんな奴のために、この優しい人の心が折られる必要は無いのだから。

「私には、監督の資格は…」
「違うッ!!」

…瞳子監督の吐き出しそうになったその弱音に、私よりも先に否定を重ねたのは守だった。その瞳は、監督がたった今口に出しかけた言葉に対して怒っていた。
いつもの仲間たちの弱音に対して鼓舞するような瞳の色と、同じ色をしていた。

「監督は…俺たちの監督だ!!」
「…円堂くん」

…そうだよね、守。守はずっと最初から最後まで、私と同じで監督を信じていた。監督は善人なのだと、当たり前のように。
守は人が善人か悪人かを間違えることはない。双子だから、一番そばで見てきたからこそ分かる。
だからこそ、守はこの不器用で優しい人を信じてついて来たのだ。

「監督は、俺たちが強くなるための作戦を教えてくれた!次に繋がる負け方を教えてくれた!俺たちの挑戦を見守ってくれた!
だからここまで来れたんだ!!」

それを聞いたみんなが、ハッと気づいたように目を見開く。反感を覚え、不満を抱いた日々ばかりのようだった今までの中に、監督が居たからこそ積み上げてこられた何かがあったこと思い出して。
そしてそれを受けて、今まで監督に不信感を抱いていた一之瀬くんたちが監督に向けて謝罪した。

「あたしたちは、監督に鍛えてもらったんだ!」
「そうです!エイリア学園の為じゃない…俺たち自身のために!」

塔子ちゃんが、立向居くんが曇りのない真っ直ぐな瞳を監督に向ける。

「みんな…」
「監督」

…そして、士郎くんも。前に歩み出た彼は、どこか気まずげな顔で目を伏せた監督へ向けてただ真っ直ぐな瞳を向けて。

「僕も、監督に感謝しています」
「…!吹雪くん…」

…きっとこの人は、自分が一人ぼっちなのだと思っている。私や守からの信頼でさえ、同情なのだと諦めてしまっていた。
そんな訳がない。私たちだって信じるべき人間を選ぶことは出来るのだから。
そしてその上で私たちは、他でもない貴女を監督として、チームの一員として信じると決めてここまでやって来たのだ。

「監督は、前を向いていてください」
「…薫さん」
「いつもの監督らしい毅然とした態度で、私たちを勝利に導いてください」

そしてそんなみんなからの真っ直ぐな信頼に、瞳子監督は一度唇を噛み締めて、しかし今度こそ下を向くことは無かった。
私たちを真っ直ぐに見つめ返してくれたその瞳に迷いは既になく、私たちと共に最後の戦いに挑むという覚悟が見えたから。

今度こそ、このチームは誰の心もぶれること無く一つに重なることが出来たのだろう。





更衣室的な場所に通された私たちはさっそく試合に向けた準備を始めた。プレゼンテーションの為に敵である私たちでさえ万全の状態に仕立て上げておきたかったのか、その設備は皮肉なほどに整っている。

「…うん、大丈夫そう。ただの捻挫みたい」
「良かったぁ…」

手間をかけて申し訳ないのだけれど、秋ちゃんに足首を手当てしてもらいながらの太鼓判に安堵の息をつく。こんなことで痛めるなんて本当に情けなさ過ぎる。
他のみんなも良かった良かった、と笑ってくれてるし、鈍臭い奴めなんて言われなくて良かった。

「いや…アンタが鈍臭いなら他の奴らなんて亀だよ亀」
「木暮くん」
「ひえ」

いたずらを仕掛けようとして、何度も私に返り討ちにされてきた木暮くんがボソリと呟いた言葉はさすがに聞き逃せなかった。
即座に逃げようとしたところを手を伸ばして引っ捕らえ、笑顔で見つめ合いながら頬引き伸ばしの刑。痛い痛いと騒ぐものの、先輩をコケにした罰だ。しばらくこのまま痛みに耐えると良い。

「…よし、これで許してあげようかな」
「鬼だ…」
「鬼で結構、もっと口には気をつけること」

ぽんぽんと頭を叩いてから解放してやる。木暮くんは私に叩かれたところを、どこか微妙な顔で押さえながら退散していった。
そんな風に話しているうちに、みんなの準備が整ったらしい。守を中心としてみんなが集まる。

「…行くぞみんな。この試合は絶対負けられない。俺たちの戦いが、地球の運命を決めるんだ!」
「今度こそ、本当の最終決戦という訳だな」

鬼道くんの言う通り、きっとこれが私たちの戦いの最後だ。対峙するのは、エイリア学園最強として選ばれたというザ・ジェネシス。率いるのは守にヒロトと呼ばれていた少年、グランだ。
そして守はただ真っ直ぐに瞳子監督を見つめる。それに倣うようにして私たちも監督を見つめれば、返ってきたのはいつもの決意と覚悟に満ちた瞳。…もうそこに、あの絶望も挫折の色も存在しなかった。

「あなたたちは、地上最強のサッカーチームよ。だから…私の指示は、ただ一つ」

毅然とした声が、自信に満ちた不敵な笑みが、これから敵地へと赴く私たちを奮い立たせるようにして私たちに向けられる。

「勝ちなさい!」
「はい!!」

その鼓舞を受けて、私たちはジェネシスの待つグラウンドを目指す。私の足の怪我に合わせてくれているせいで、みんなの足取りはゆっくりになってしまっているのが申し訳ないが、そんなみんな曰く「気遣うのは当たり前だ」とのことらしい。ありがたいね。
そして案内された先、ジェネシスの選手たちは既に私たちを待つようにして立ちはだかっていた。みんなよりも一歩前に出た守が、グランに向けて毅然とした態度で立ち向かう。

「___とうとうここまで来たね、円堂くん」
「あぁ。お前たちを倒すためにな」

…私は、守とグランの二人がどんな風にして知り合ったのかをよくは知らない。ただ、守が彼のことをコードネームらしき宇宙人の名前で呼ばないことには理由があるのだと思った。その理由までは、私も分からないのだけれど。

「俺はこの戦いで、ジェネシスが最強の戦士であると証明してみせるよ」
「…最強だけを求めたサッカーが、楽しいのか?」

グランの言葉にそう返した守の静かな声を聞いて、彼の肩が僅かに強張ったのが目に入る。どこか守を眩しそうな顔で見つめ返していた彼は、しかし自分に言い聞かせるようにして口を開いた。

「…それが、父さんの望みなのさ」

…父さん?
いきなり出てきたその呼び方に困惑するものの、この場合は吉良星二郎のことを指していると思って良いかもしれない。もしかすると、実の息子である可能性もある。グランは瞳子監督のことも「姉さん」と呼んでいたようだから。

「…父さん?」
「俺は父さんのために最強になる。最強でなければならないんだ」

何かに縛られて生きているかのような息苦しそうなその答えを、私はきっと否定することが出来ない。彼らは吉良星二郎のために、自分たちの信じる者のために汚名を被ってでもそこに立っているのだろう。
自分たちの正義を貫くためには、ずっと綺麗なままじゃいられないのだということも理解して。
たとえ、吉良星二郎が自分たちを野望のための駒としか扱っていないのだと分かっていても。





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