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「円堂くん」
「…ヒロト」
「…仲間って、すごいんだね」

試合が終わってすぐにみんなが集まって喜ぶ雷門の元に歩み寄ってきたグランは、どこか憑物が落ちたようなスッキリした顔で守にそう告げた。その言葉を聞いて守は嬉しそうに笑い、握手を交わす。様子を見ていた私たちも思わず顔を綻ばせた。

「…ヒロト」
「姉さんが伝えたかったのも、これだったんだね、姉さん」

それを聞いて、瞳子監督が優しい顔で静かに頷く。監督が信じて勝利に賭けた、雷門の仲間を思う心と絆。サッカーにおいて何よりも私たちが大切にしてきたそれを、分かってもらえたことがとても嬉しくてたまらない。
…すると、そんな監督の横から吉良星二郎が姿を表す。彼は、力無くグランの名前を呼んだ。

「お前たちを苦しめてすまなかった…」
「父さん…」

…それは、グランたちを初めとした彼らへの謝罪。あの狂気に満ちた雰囲気はなりを潜め、ようやく目を覚ましたらしい奴は監督にも目を向ける。

「瞳子、私はあのエイリア石に取り憑かれていた…。お前の…いや、お前のチームのおかげでようやく分かった…」
「父さん…」
「そう…ジェネシス計画そのものが、間違っていたのだ…」

…その時、私たちは気づかなかった。この敗北に涙を流して膝をついている、誰よりも父である彼を慕い力を尽くしてきた青い髪の少女の顔が強張ったことに。
決して否定してはいけない事実を、よりにもよって彼女たちの前で否定してしまっていたことに。

「ふざけるな…!!」

怒りに満ちた瞳で父親である彼を睨みつけて、ウルビダは立ち上がる。
その目に映っていたのは、他でも無いこの計画の考案者である彼の裏切りに対する憤りと失望で。

「これほど愛し、尽くしてきた私たちを!!よりによって貴方が否定するなァァァァァァ!!!!!」

殺意にも近い憎しみを込めて撃たれたシュートとが、吉良星二郎目掛けて飛んでいく。しかし彼は、それを避けようとする素振りすら見せずそこに佇んでいた。…その憎しみを、甘んじて受け入れるつもりなのか。けれど、女の子とはいえエイリア学園最強の力を持っていると言っても過言でない彼女のシュートを見に受けて、無事でいられるはずが無い。
誰もが、次に起こる悲劇を予感した。
…しかし、そんな予感は外れることになる。

「ヒロト!!」

一瞬でその間に立ちはだかり、代わりにボールを食らったのはグランだった。よほどの痛みだったのか、彼は顔を歪め呻き声を上げながら地面に蹲っている。
そこに走り寄った守が彼に声をかけるものの、彼は力無く微笑んで僅かに顔を顰めた。

「何故だグラン…何故止めたんだ!!そいつは私たちの存在を否定したんだぞ!?そいつを信じて、戦ってきた私たちの存在を!!」

グランを除くジェネシス全員の目が、吉良星二郎を射抜くように糾弾している。…たしかにそうだ。彼がこの計画を否定するということは、その被験者になった彼女たちの存在意義そのものが間違っていたと否定することと同じ。
恨まれて当然、憎まれて当然。…逆に、彼を庇ったグランが異質だと思っても良い。

「私たちは全てをかけて戦ってきた!ただ、強くなるために…。…それを今さら間違っていた!?そんなことが許されるのか!!グラン!!」

彼女たちも必死だった。彼女たちにだって目的があった。
全ては、父と慕う吉良星二郎の望みを叶えるためだけに。たとえ自分たちのしていることが世の中の全てに憎まれ、後ろ指を刺されるものだと理解していても。

「…たしかに、たしかにウルビダの言う通りかもしれない。お前の気持ちも分かる…」

…しかし、グランはそれでもなお彼を庇う。ふらつきながらも立ち上がった彼は、どこか泣きそうな必死な顔で、胸の内の思いを吐き出した。

「…でも、それでもこの人は…!俺の大事な父さんなんだ!!」
「!!」

背後の吉良星二郎の顔が、ウルビダの顔が、他のジェネシスたちの顔が、驚愕に揺れる。瞳子監督だけは、静かな顔でそんな彼らを見つめていた。

「もちろん、本当の父さんじゃ無いことは分かってる。…ヒロトって名前が、ずっと前に死んだ父さんの本当の息子だってことも」

…グランは、吉良星二郎の本当の息子じゃない?瞳子監督を姉さんと呼んでいたとは聞いていた。そして、その瞳子監督が実の娘なら彼も息子なのだろうと…そう、思っていたのに。
それを鬼道くんも疑問に思ったらしく、隣に立つ瞳子監督を仰ぐ。

「本当の息子…?」
「…えぇ」

グランは分かっていたのだという。自分の姿形がかつて死んだ息子にそっくりで、だからこそ彼がグランにヒロトという名前を与えたことも。
…ここに居るジェネシスの彼らはみんな、孤児院の子供たちなのだと言った。昔から吉良星二郎を父親のように慕っていて、だからこそこの計画にも賛同して、信じてついてきたのだと。

「…たとえ存在を否定されようとも…父さんがもう、俺たちのことを必要としなくなったとしても…!
それでも、父さんは、俺にはたった一人の父さんなんだ!」
「…ヒロト…お前はそこまで私を…」

…彼は、泣きそうに顔を歪め俯くと、しかしすぐに前を向いて、毅然とした態度で口を開いた。
グランに向けて。そして、向こうにいるウルビダたちにも向けて。

「…私は間違っていた。私にはもう、お前に父さんと呼んでもらえる資格など無い」

彼はボールを拾い上げると、ウルビダの足元に目掛けて放り投げた。足元に転がってきたボールを見て、ウルビダが戸惑ったような視線を吉良星二郎に向けるが、彼はただ静かに両手を広げて言い放つ。

「さぁ、撃て!私に向かって撃てウルビダ!」
「父さん…!」
「…こんなことで、許してもらおうなどとは思っていない。だが少しでもお前の気が収まるのなら…!」
「っ…!」
「さぁ撃て!」

…けれど、ウルビダは撃たなかった。迷いに迷って、さらに迷って…けれど彼女は、撃たないという選択肢を選んだ。…撃てなかったとも、いう。
崩れ落ち、膝をついて泣く彼女もまた、吉良星二郎を父親と慕う子供のうちの一人だったから。たとえ、何を言われようと何をされようとも、彼女にとって彼が愛する父親であることに変わりはなかったから。
そしてそれに釣られたように泣き出す子供たちを見て、吉良星二郎は膝をついた。

「…私は人として恥ずかしい。こんなにも私を思ってくれる子供たちを…単なる復讐の道具に…!」
「…復讐…?」

…復讐とは、一体何なのだろう。思わず戸惑っていれば、ちょうどその時やってきた鬼瓦のおじさんが吉良星二郎に向けて説明を求める。この一連の事件を起こした動機の説明を。
…吉良星二郎曰く、これはその死んだ息子のための復讐であったらしい。
息子のヒロトくんが死んだ事件が国の官僚の息子が関わったというだけで、闇に葬り去られ幼いままに殺されてしまったことへの、復讐。…彼もまた、子供を持つ親であったから。
そしてヒロトくんが死んだ当時、無気力になった自分に瞳子監督が勧めたことで孤児院である「おひさま園」を開設したこと。
子供たちが彼にとっての生きがいになっていたこと。
しかし、五年前に飛来したエイリア石の持つ膨大な力に惹かれたことで、この計画を思いついてしまったことも。

「すまない…みんな本当にすまなかった…。私が愚かだった…」

…誰も、責めることは出来なかった。許されない罪を犯したとはいえ、彼もまた一人の人間だ。息子を殺され、その復讐が叶うだけの力を手に入れて目が眩んでしまった、哀れな復讐鬼なだけだった。
みんなが悲痛な目で彼を見つめる。…その時だった。
突如として謎の爆発音がグラウンドに響き渡り、地面を揺るがし始めたのだ。パラパラと崩れ落ちてくる瓦礫に、鬼瓦のおじさんが焦ったように叫ぶ。

「いかん…崩れるぞ!」
「早く出口へ…!」

そう言われるものの、みんなが目指そうと振り向いた出口はたった今降ってきた瓦礫に、まるで退路を断たれるようにして塞がれてしまった。
…これじゃあ、出られない。先ほどからずっと瓦礫が大小問わず雨のように降り注いできているというのに、このままではここに居る全員が生き埋めになってしまう。
思わず静かに絶望していれば、突然別の場所にあった入り口から何かが飛び出してきた。…私たちのイナズマキャラバンだ。

「みんな、早く乗るんだ!!」
「古株さんッ!!」

なんと、あのバスを降りたところで一人待機していたはずの古株さんが、この揺れの中を飛ばして助けにきてくれたのだ。
どこか躊躇うようにその場で足踏みするジェネシスの人たちにも誰かが「早く!」と叫べば、その顔は安堵したように緩む。私も、秋ちゃんと春奈ちゃんの補助を受けながらその後ろに続くために前へ踏み出そうとして。
…ふと見上げた上から少し大きめの瓦礫が落ちてくるのが見えて、私は咄嗟に秋ちゃんたちを突き飛ばして後ろに尻餅をついた。

「痛ッ…!?」
「!薫ちゃん!?」
「良いから早く行って!私は大丈夫だから!!…ッ!?」

すぐさま立ち上がろうとはしたものの、左足首に激痛が走り、思わずその場に倒れ込むようにして崩れ落ちる。無事にバスに乗り込んだらしい秋ちゃんたちの悲鳴じみた声が聞こえるが、今この状況で答えられるほど私に余裕は無い。…早く、早くバスへ乗らなきゃ。
けれど、思った以上に足の怪我は悪化してしまったらしく、揺れる地面の上では立つことさえままならない。

「は、やく」

足首が貫かれたように痛い。絶えず降る瓦礫の小さなカケラが時折肌を掠めるたびに恐ろしい思いで身が竦む。

「にげなきゃ」

地面が揺れる。みんなの悲鳴が私の名前を呼んでいる。何とか膝立ちでも前に進もうとして、だけどもたついてそれも上手くはいかなくて。
…ふと、私はここで死んでしまうんじゃないのかと思ってしまった。そしてそう思ってしまったら最後、すぅと血の気が引いていくのが分かる。
…嫌だ、死にたくない。そんな思いで、届かないと知っているくせに手を伸ばす。助けて欲しいと身勝手な願いのままに救いを求めた。

助けて、守。
助けて、誰か。

助けて。
助けて。
……………たすけて。








ごうえんじくん。








「______薫!!!!!」


…それは、一瞬の浮遊感。掬い上げられるようにして抱き込まれて、思わず振り落とされないように反射で抱きついたそれは、とても温かかった。
それが、人の首だということに気がついたそのとき、耳元で切羽詰まった声が短く私の名前をもう一度呼ぶ。

「振り落とされるなよッ…!!」
「ご、えん、じく…」

振り落とされるなと、言ったって。ほとんど抱き締めるようにして私を抱えるその手は、ぶれることも緩む気配さえも見せていないくせに。まるで大切なものを守るように、固く抱き締めているくせに。
…わざわざ、降りてきたの、君は。
無様に転がって一人逃げ遅れた私をこの危険な中、自分の身さえ顧みずに、助けに来てくれたというのか。

「全員乗り込んだか!?」
「逃げろ!!」

ほとんど飛び込むようにして乗り込んだバスの中、急発進でグラウンドを飛び出すその勢いや揺れから守るようにして、豪炎寺くんの拘束は私を捕らえて離さない。
まるで私を危険の全てから守り抜くとでも言いたげに彼は、私の頭を肩口に埋めさせて緊張に満ちた息を静かに吐いた。それが、耳元で全て聞こえてしまうものだから、私も思わず豪炎寺くんの胸元にしがみつくようにして顔を押しつける。…また、拘束が強くなった。

「怖いなら、目を閉じてろ」
「…ぁ」
「必ず守る」

…どうして、豪炎寺くんはそこまでして私を助けてくれるの。
全てが始まったあの練習試合の不甲斐ない私の涙も。
逆境に立たされた試合で何もできなかった私の歯痒さも。
頼れる場所を見失って苦しかった、あの病院帰りの時の私自身でさえ。

「出口よ!!」

…バスは何とかギリギリであの研究所を抜け出せたのか、一度激しく車体を揺らしてやがて急ブレーキの後に動きを止めた。バスの車内にまでその衝撃が伝わり悲鳴が上がる中、豪炎寺くんから一際強く守るように抱き締められて、その息苦しさに溺れてしまいそうになる。
そしてようやく安心出来たのか、ゆるりと息を吐いて腕の力を緩めた豪炎寺くんに、私は彼の顔を見られないままに小さくお礼の言葉を呟いた。

「…ごめんね、豪炎寺くん。…ありがとう」
「礼なんか要らない。…ただ」

…顔を見なくても、分かる。きっと今豪炎寺くんは、私を助けたことを苦にも思わないとでも言いたげな優しい顔をしているに違いない。…だって、豪炎寺くんはいつだって、あの穏やかな優しい笑みで私を見てくれているのだから。なのに私は、彼の持つ優しさと頼もしさに助けられてばかりで一つだって彼に何も返せていないのに。
それでも豪炎寺くんが私を見捨てず、助けてくれるのは、どうして。


「お前が無事なら、それで良い」


そしてどうして私のこの心臓は、彼の腕の中に抱かれる身体の胸の真ん中で。
恐怖と不安以外の、優しくも温かい何かで震えているの。





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