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「…………どうだった、円堂」
「………やばい」
「やばいっつーのは、つまり…」
「めちゃくちゃキレてる」
「やっぱりな!!!」

キャラバンから降りてきた、顔を真っ青にして首を横に振る円堂からの報告を受けた風丸たちは愕然として膝をついた。その姿は、先ほどまで着用していた青いスーツタイプのユニフォームから雷門のジャージに既に着替え終わっている。それもまた、今キャラバンの車内で怒りの呪詛を吐いている少女の怒りをこれ以上刺激しない為であった。
…時間は二十分ほど前に遡る。

『これで一件落着だな!』

一度意識を失ったものの風丸たちからの介抱により目を覚ました円堂は、まるでつい先ほどまでの因縁を払拭するかのように試合を再開した。ただお互いが純粋に自分らの実力をもって戦う試合。誰もが笑顔で、時に好戦的にボールを蹴り合う様は側から見て微笑ましかっただろう。

…そう、雷門側のベンチにいる人間たち以外は。

試合を終え、休憩を取ろうとベンチに戻ってきた彼らが見たのは、異常なほどまでに距離を取って座る監督選手を含めたマネージャーたちと、当の距離を取られて座っている薫の姿だった。…その顔は、恐ろしいほどまでに「無」である。笑顔も憤りも悲しみさえも無かった。文字通りスコンと感情を落としたような無表情である。

『ど、どうしたんだよ、薫…?』

話しかけた猛者は兄の円堂だった。むしろ、この中で一番妥当な人選とも言える。そしてそれが奏をなしたのか否か、薫は淡々と小さく、先程のコールで枯らしたらしい喉を掠れさせて「うん、まぁ」と呟いた。

『…ちょっと一人にして欲しいんだけど、良いかな』
『はい』
『ごめん、誰かちょっとキャラバンまで補助をお願いしても良い?』
『お、俺がやるッス…』
『ありがとう、壁山くん』
『ッま、待ってくれ薫…!!』

壁山の手を借りてひょこひょこ歩き出す彼女を、風丸は思わず引き留めた。…風丸には、話したいことがたくさんあった。
自分の焦りや誤った選択ゆえに円堂たちや薫を傷つけてしまったこと。
…簡単に許されるとは思っていない。しかし、それでも謝りたいと思った。だからこそ彼は彼女を引き留めて、そして。

『………一人にしてって、言わなかったっけ』
『…………………はい』

たっぷり空いた無言の後に振り返った彼女の目は、やはり無だった。しかし先ほどよりも悠然と感じられるその感情の色は、どこからどう見ても。

『お、怒ってるのか、薫…?』
『うん、まぁ』

円堂こいつよくそれを真正面から聞く勇気があったな…と後に鬼道は語る。それくらい薫は見るからにしてキレていた。ジェネシス戦の時の怒りが可愛いと思えるほどにキレている。
さすがにその理由を問う勇気は無かったらしい円堂が思わず口をキュッと閉じたものの、その場にいる全員の視線からその意図を察したらしい彼女はただ一言。

『……それぞれご自分の携帯の着信履歴などをご覧になってはどうです?』

淡々と、しかしかくや怒髪天といった面持ちでそう吐き捨てた薫は、泣きそうな壁山の恐る恐るな補助を受けてキャラバン内に立て篭もった。
そしてその一連の動きを見届けた彼らは薫に言われた通り、つい先ほどまでずっと電源を落としていた携帯をそっと開いてみて、そして。
…そして、その尋常じゃない数の着信履歴とメールの数々に思わず悲鳴を上げたのだ。

「……留守電の数がやべぇ…」
「メールもやばい」
「……そう言えば、毎日お前たちに連絡していたようだったな」
「ぐっ」
「僕も見たよ。心配そうな顔で携帯見てたね」
「うっ」

豪炎寺と吹雪の追撃がクリティカルヒット。唯一難を逃れた杉森、西垣、闇野以外が携帯を片手に地に沈んだ。先ほど取り戻したばかりの良心が痛い。
そりゃあキレる。音信不通な全員を心配して電話やメールで必死に連絡を取ろうとしても誰も音沙汰無い。…かと思えば、何やらマッドサイエンティストに唆されてエイリア学園と同じようなことをやらかしそうになっている。そりゃあキレる(二回目)

「…いっそ哀れだな」
「言うな…言わないでくれ…」

取りつく島も無いとはまさにこのこと。先ほど勇気を出して乗り込んでいった木野が何とか宥めすかしているらしいが、それもどこまで効くのやら。
そしてそんな話をヒソヒソと交わしていれば、ちょうど今話の渦中に上がった木野が少々困ったような顔でひょっこりと車内から顔を出した。その視線は、蹲って項垂れている風丸に向いている。

「風丸くん」
「…薫は」
「うん、少し落ち着いたみたい。…それで、風丸くんを呼んでって」

その言葉に目を瞬いて、風丸は思わず後ろをふらりと見遣った。全員が「いけ」と言わんばかりに頷いている。数名の変換が「逝け」だった気がしなくも無いが気にしたら負けだ。視界の端に捉えてしまった、まるで祈るように風丸へ向けて十字を切っていた一年一同は後で一回ずつ殴る。元気があったら絶対に殴ってやる。
…風丸のそれは現実逃避の一種であった。

「…は、入っても良いか…?」
「どうぞ」

恐る恐る中を覗き込めば、一番奥の座席で薫が膝を抱えた状態で座り込んでいた。その顔は膝に埋められている。風丸はまず最初に自分の立ち位置に悩み、とりあえず薫から席を一つ分開けた場所に座ると今度は薫からの言葉を静かに待つ。裁判長からの宣告待ちな罪人の気分だった。
そのまま沈黙が車内を支配すること約五分。居心地が悪すぎて肩を竦める風丸に、薫がポツリと小さな声で何事かを呟いた。

「…したの」
「…え?」
「いつ、誰が、どこで風丸くんに全身全霊を懸けて私を傷一つ付けることなく守れってお願いしたの」
「いや、俺もそこまでは言ってな…」
「は?」
「誰もしてないです」

反論は即座にやめた。これ以上藪を突いて蛇どころかマングースまで出てきたらとんだ大惨事。風丸は素直に自分の非を認めた。
そして、その素直さが良かったのかは分からないが、深い深いため息をついた薫が容赦無く風丸の肩を叩く。加減も無しに本当に本気での平手だった。地味に痛い。

「…心配、したんだよ」
「!」

…そしてその後に呟いた言葉に、風丸は思わず開きかけた口をそっと閉じた。
…謝るつもりでは、居たのだ。今ここで、謝るつもりだった。しかしその声が泣きそうに震えていて、微かに揺れる小さな肩を見ているうちに言葉が出なくなったのだ。…今目の前の彼女を見て、簡単な謝罪ではとうてい許されないような気さえして。

「話したいことが、たくさんあった。不安な時もあったし、苦しかった時もあった。…それを聞いて、大丈夫だって慰めるのが風丸くんの役目だったでしょ」
「…薫…」

そこで薫はようやく顔を上げて、真っ直ぐに風丸を睨みつけた。先程まで泣いていたのだろうか。真っ赤に腫らした目を細めたいっそ射抜くようなその視線に、しかし何故だろうか、申し訳なさは溢れても哀しみは少しだって生まれやしなかった。
…代わりに溢れて落ちたのは、胸が苦しくなるほどの喜びでしかなくて。
思い出したのは、FF本戦前のこと。陸上部かサッカー部のどちらを選ぶか迷っていた風丸に、まるでわがままを言う子供のような顔で吐き出した薫の言葉を彼は今でも覚えている。

「言ったじゃん。三人一緒が良いって。風丸くんだけ居ないのは寂しいって、私言ったじゃん」
「…そう、だったな」
「アホ、バカ、マヌケ、おたんこなす、すっとこどっこい、女顔、やーいミス雷門」
「…言わせてもらうと最後の二つは余計だッ…!!」

聞き捨てならない言葉も出てきたが、風丸はまぁ今回は許すことにした。…それよりも、喜びの方が遥かに勝っていたから。
たとえそれが自分が彼女に向けて抱く想いの欠片さえ入っていない、純粋無垢な親愛の塊であると理解していても、なお。

「次、勝手に居なくなったら絶対許さない。一生絶交してやるんだから」
「…それだけは、勘弁だな」

たしかな形で自分は彼女に愛されている。
許されないことをしてなお、それでも大切だと叫んだ彼女の涙が自分の為に流された。
…ならもう、それだけで十分じゃ無いかだなんて、風丸は静かに笑ってしまえたのだ。






…そして、風丸を引き連れ先ほどの無表情とは打って変わってはっきりとした怒りを宿した目を引っ提げて、キャラバンから降りてきた薫による公開処刑という名の説教を一通り終わらせてから、彼女は見事にぶっ倒れた。
最高潮に降り積もっていた過労、ストレスが一気に崩れたことによる発熱。一晩ではあるものの、二度目の入院を彼女が決めた瞬間である。





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