幻影を穿て、真を暴けよC



そしてプレーは再開する。先ほどシュートを決めたときから動きがキレキレの小僧丸くんが、スライディングでボールを奪い、こちらをチラリと見てパスを出す。それを受けた私は、目の前に迫る一人をフェイントで交わすと、空きスペースに駆け込んでこようとしている剛陣くんの姿を認めた。

(マークをこっちに引き付けて…今!)

「剛陣くん!」と名前を呼びつつ、まんまと私に釣られてマークが外れてくれた剛陣くんにパスを出す。上手くスペースに入り込んでくれた剛陣くんがそれを拾い、勢いよくやる気満々に叫んだ。

「俺だって見せてやる!特訓の成果を!!」

まるで弓を引き絞るかのように大きく右足を引いた剛陣くん。急いでそんな彼をマークしに戻ろうとする選手をマークしながら妨害していれば、その時間稼ぎが功を成したらしい。剛陣くんは溜め込んでいた力をスパイクに集めて、その足を豪快に振り下ろした。

「ファイアーーーーッ!レモネーーーーーードッ!!」

…もしかしてそれは、ファイアトルネードの亜種か何か…?気合と根性の詰まったそのシュートはしかし、相手ゴールキーパーにあっさりと叩かれて落とされた。日和くんが「出るわけないですよ」とボソリと突っ込む。そりゃそうだよね。

「…あの、円堂先輩」
「ん、どうしたの稲森くん」
「今の、どうして先輩がシュートを撃たなかったんですか?先輩は、すごい必殺シュートを持ってるのに」

…稲森くんからのその疑問に、私は思わず戸惑った。どうして、と言われても。しかしそれはどうやら、私にパスを出した小僧丸くんにとっての疑問でもあったらしく、窺うような目線がこちらに向けられていた。けれど私にとって、その疑問に対する答えは一つしか無い。

「…だって、私が決めるよりも、剛陣くんや小僧丸くん、稲森くんが決めた方が良いよ」
「!」
「私は、みんなのサポート役で良いんだ」

そうだ、私は、みんなのサポート役で良い。シュートを決めるだとか、そんな烏滸がましいことをしてはいけない。だって私は、みんなが優勝するその姿を見たいのだから。私にサッカーの楽しさをもう一度教えて、このチームに加えてくれたみんなを頂点まで導きたいのだ。
しかしまだ何か納得がいかなさそうな、微妙そうな顔をしている稲森くんたちの肩を叩き、私は守備に向けて走り出す。あちらも残り時間が僅かである今、なりふり構わず攻めてくるはずだ。

「レンサ・ザ・ウォール!!」

そしてその予感は当たり、美濃道三中はDF四人によるブロック技を応用して攻撃に使ってきた。高く険しい壁が私たちを跳ね飛ばし、たちまちゴール前に迫る。しかしそこで何と岩戸くんが捨て身のタックルでボールを奪った。こぼれ落ちたボールは氷浦くんの足元に転がり…けれどDF四人が足を止める様子は無い。このまま氷浦くんでさえ跳ね飛ばして、無理やりボールをゴールに押し込めるつもりのようだった。
しかし氷浦くんは、そんな絶望的な壁に怯むことなく壁を見据えて立っていた。…そういえば、監督からの特別な用事を言いつかっていたのは岩戸くんだけじゃない。

「___そこだッ!!」

ホースで学校中に水を撒け。そんな無茶に等しい雑用を言い使っていた氷浦くんもまた、岩戸くんのように彼だけの必殺技を手にしていたのだから。

「氷の矢!!」

レンサ・ザ・ウォールの壁の隙間を鋭く見つけた氷浦くんの超ロングパスが、壁の隙間を抜けて稲森くんの元へ飛んでいく。DFが四人も前に上がっている以上、ゴール前は裸同然であるものの、しかしサポートに回ろうと私も前線を駆ける。稲森くんが飛んできたボールを胸でトラップした。そのままゴールに向けてシュートを…と、思っていたものの、稲森くんはなぜか私をチラリと見て、そのボールを私に向けて託した。それを慌てて受け止めながら、私は思わず声を裏返して稲森くんの名前を呼ぶ。

「稲森くん!?」
「円堂先輩!撃ってください!!」

会場中の声に負けないくらいの大声で叫ばれたその言葉に、私は戸惑った。…私が撃つ?そんなのは駄目だ。私なんかじゃ役不足なのだから、勝利のシュートは稲森くんか他のみんなが決めるべきだ。けれど稲森くんはそんな私の考えを見透かしたかのように「駄目です!!」と私の動きを咎める。

「俺たちはあのとき先輩がシュートを見せてくれた時のような、先輩らしいプレーをして欲しいんです!!」
「…私らしい、プレー…?」
「円堂先輩だって、俺たちの大切な仲間なんですから!!」

…稲森くんのその言葉に、目を見開いた。周りを見渡して目が合ったみんなが、その言葉を肯定するように頷く。…あぁ、本当に私は烏滸がましい。何がサポートするだ。何がみんなを優勝させたいだ。私だけがまだこのチームの中でお客様気分だった。心のどこかでみんなの本当の仲間にはなれないのだと、雷門中のみんなへの罪悪感を胸に秘めて思い込んでいた自分が嫌になる。そんなことなんて、ちっとも無かったのに。
稲森くんたちは私を信じてくれている。ぽっと出でしかない私なんかを無碍にせず、同じチームの仲間だと認めてくれている。…その信頼や期待に応えない訳にはいかないでしょう。


「…私はもう、マネージャーじゃない…!!」


雷門中サッカー部マネージャーだった円堂薫の立場もう、既に私自身が手放してしまっていたじゃないか。そして今の私は、たとえ相手が昔の仲間であっても戦う覚悟を抱えてここに立っているはずなのに。
恥ずかしい。私は何もかもを分かっているつもりで何も分かっていなかったのだ。


「新生雷門中サッカー部の選手だ!!」


ゴールを真っ直ぐに見据え、小窓を作って狙いを定めた。ディフェンスの穴をキーパーの隙を、そしてゴールの弱点を見抜いて放つ光の如き速さで繰り出すこのシュートを、私は自分自身に対しての誓いとして決めてみせる。振り上げた右足が叩きつけるのは、ボールのちょうどど真ん中。…視界の端、相手ベンチに見えたかつての後輩が、どこか笑っているような気がしたのは、私の気のせいだろうか。

「レーザービーム!!!」

キーパーが動くのよりも速く、鋭く、真っ直ぐに。鉄壁を砕く一点の光となる。渾身のボールコントロールで叩き出したそれは、ピンと張り詰めた糸のように正確にゴールの右隅に刺さった。それと同時に鳴ったホイッスルは、この試合の終わりを告げるもので、そしてそれは、私たちの勝利も一緒に連れてきてくれた。

「…か、勝った…勝った!!」
「やったやったー!!」

向こうのゴールから駆けてきたのりかちゃんが抱きついてくるのを受け止めて、私も喜びながら抱き締め返す。胸が熱くて、苦しかった。ずっと胸に詰まっていた何かが、しこりがようやく取れて楽になったような錯覚さえ覚える。…きっと私はずっと、このチームの仲間になることを少しだけ恐れてもいたのだ。またあの時のように、いつか決別する日が来るのではないかと、ついてもいない傷を恐れてみんなから一歩引いた場所に居た。

「円堂先輩!やりましたね…ッ!?」
「…ありがとう、稲森くん」

そして、そんな私をそれでも信じてパスを出してくれた稲森くんや、私がシュートを決めると疑わなかったみんなのおかげで、私は恐れることを止めたのだ。…もう、恐れない。傷つくことを恐れていれば、この先私はどこにも進めなくなる。だって私はもう雷門中のマネージャーじゃなくて選手なのだから。守たちの影に囚われることなく、私だけの道を見つけて前に進まなきゃいけない。
そんな感謝と誓いを、稲森くんを抱き締めることで表してみせる。稲森くんもしばし固まっていたものの、やがて嬉しそうに笑って抱擁を返してくれた。

「あの、円堂先輩…壁山さんが呼んでるでゴス」
「!」

しかしそこで、岩戸くんに声をかけられてそちらを向けば、向こうのベンチで私を見ている壁山くんと目が合う。…そうだ、ちゃんと私は、話さなくちゃ。裏切るようにして居なくなったことを、謝らなきゃいけない。たとえ許してもらえなくても、それが私に課せられた義務だ。…でも。

「大丈夫ですよ薫先輩!」
「…のりかちゃん」
「何かあったらぶっ飛ばしてやるからよ」

みんなに背中を押されるようにして、私も一歩踏み出す。なかなか足は前に進まなかったけれど、先ほどのようにもう後ろへ戻ろうとは思わなかった。…それはきっと、背後でみんなが私を見守ってくれているから。
やがて壁山くんの前にたどり着き、私はしかしそんな彼の顔を見られないまま俯く。しばらく私たちの間を無言が支配して、最初に口を開いたのは壁山くんの方だった。

「お久しぶりっス、薫さん」
「…か、壁山くん。…久しぶり、だね」

何を話せば良いか分からず、とりあえず挨拶だけ返して次の言葉を探しているうちに、ふと壁山くんの足を巻いたギプスに目が止まった。松葉杖を使うほどのそれを見て、私はゆっくりと口を開く。

「…足首、大丈夫?痛くない?」
「…はいっス、安静にすればすぐに治るって言われたっスよ」

それを聞いて安心した。壁山くんの怪我は、ちゃんと治る。…私なんかに心配されて嬉しくはないかもしれないけれど、それでもやっぱり、私は嬉しかった。そして私はとうとう勇気を振り絞って壁山くんに頭を下げる。驚いたような気配を感じたものの、私はそれに構わず口を開いた。

「…勝手に辞めて、ごめんなさい。みんなを裏切るような、そんな真似をして、本当にごめんなさい」
「…薫先輩…」

許されないかもしれない。それでも、謝る。何度だって頭を下げる。それは私の自己満足に過ぎないかもしれないけれど、でも謝らないでいるよりはよっぽどマシだと思ったから。…けれど予想外にも、壁山くんはそんな私に冷たい言葉も視線も向けては来なかった。むしろ慌てた様子で、私の謝罪を嗜める。

「か、顔を上げてくださいっス!」
「でも、これはけじめだから」
「謝るも何も、俺…俺たちは、誰も怒ってないっスから!!」
「…ぇ?」

思わず顔を上げれば、そこには穏やかに微笑む壁山くんが居た。たしかにその顔に怒りも、悲しみも見えない。あるのはただ、安堵と喜びだけで。

「誰も怒ってないっスよ。むしろ皆さん、先輩が苦しんでたことに気づけなかったって、落ち込んでたっス」
「そんな、そんなの、私が勝手に」
「それでも、薫先輩は俺たちの大事な仲間っスから」

仲間。その一言が胸にストンと落ちて、ずっと痛かった過去の傷を癒やすように胸の中で広がった。途端にじわりと溢れ出した涙を溢さないよう必死に耐える私のことを知ってか知らずか、壁山くんはなおも心からの笑顔で言葉を続ける。

「俺、安心したっス。シュートを決める先輩の姿も初めて見たけど、先輩があんなに笑えてて、嬉しかったんスよ」
「かべやま、くん」

…私が見ない間に、壁山くんはいつの間にこんな立派な選手になったのだろう。かつて何にでも驚いて怯えて、高いところに恐怖していた後輩は、今はもうどこにも居ない。自分の足で立ち、与えられた役割を懸命に果たそうとするその姿は、紛れもなく一人前のそれだった。そんな壁山くんは、私に向けて清々しい笑顔で口を開く。

「次は負けないっスよ!」

その言葉と笑顔を見たら、もう駄目だった。思わず手を伸ばし、壁山くんに縋り付いて嗚咽をこぼす。だって、嬉しかった。一生許してもらえないんじゃないかと思うと怖かったのだ。私がしたことは、これまで一緒のチームで頑張ってきたみんなの信頼を裏切ることで、守や豪炎寺くんでさえも突き放した私は、もう二度とあの頃のように笑い合うことは無いのだと思っていたから。…でもそうじゃなかった。私が思うよりもこの世界は、みんなは優しくて温かい。私を受け入れてくれた伊那国のみんなも、私を許してくれた壁山くんも、まだ話せていないみんなも。私がここに居ても良いのだと言ってくれる。
それがとても、今の私には幸せで仕方なくて。

「今度は先輩ともサッカーがしたいっス!」
「…っふふ、絶対突破してみせるからね」
「はいっス!」

健闘を讃え合う選手同士交わした握手はきっと、昔のままじゃできない握手だった。選手同士対等な関係で、対等な舞台で。そうしてようやくちゃんと過去に向き合えたことで、私はようやく前に踏み出せる。…そんな、気がしたのだ。