あの日の傷が僕を縛る




その日の練習終わり、クールダウン中に明日人くんからとあるお誘いをいただくことになった。

「円堂先輩!良ければ一緒に星章学園と木戸川清修の試合を観に行きませんか?」
「……………………………ちょっと考えても良い?」
「随分溜めましたね」

そりゃ溜めるよ。さすがに私も躊躇うよそこは。明日人くんからのお誘いは嬉しいし、偵察とはいえみんなと試合観戦なんて楽しそうだから二つ返事で行きたいのは山々なのだが、それによって襲いかかってくるリスクがすごい。よりによってその二校の試合はちょっとキツいんだよね。

「…やっぱり、まだ元雷門中の皆さんを見るのが…」
「いや、雄一郎くん、これはね、それとはちょっと違う個人的な気持ちの問題というか、何というか…」

…はっきり言えば、豪炎寺くんに会いたくない。万が一顔を合わせる可能性を考えると、私はどうしても会場に行くことさえ躊躇してしまうのだ。夏未ちゃんや壁山くんは特に何も言わなかったが、おそらく私と豪炎寺くんの間に何かがあったことは察しているだろう。話題の中で、頑なとして彼の名前を出さない私が良い証拠だ。分かりやすいにも程がある。

「…でも、行こうかな。試合は観てみたいし」
「やった!」

明日人くんが両手を上げて喜ぶのを見ながら、私は頭をよぎった一抹の不安を振り払うようにして一つ息をつく。…大丈夫、明日の試合は注目カードだと言っても過言じゃないし、観客だって大勢来るだろう。それにそもそも試合に出る選手たちとは、使う出入り口も控え室も別の場所にあるから会えないようになっている。そうなれば、私が見つかる心配もグッと減るし、最悪みんなの影に隠れてしまえば良い。

「私は現地集合でも良い?」
「はい!九時で大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫だよ」

明日人くんと約束を取りつける。どうやら他にはつくしちゃんや杏奈ちゃんなどマネージャー陣も来るらしく、だいぶ大人数で向かうらしい。何だか遠足みたいになってきたな、とどこか他人事のように考えながら思わず笑ってしまった。

「円堂先輩はこの後どうするんですか?」
「いつもの特訓。私もみんなみたいに頑張らなきゃ」

練習終了後、どうやらみんなで寄り道をしたいらしい明日人くんたちからそう声をかけてもらったものの、私は遠慮させてもらうことにした。監督から申しつけられた課題を、まだ私は達成できていない。しかし監督曰くまだ時間はあるそうで、特に期日は決められなかった。けれどきっとどんどん試合が過酷になっていくであろうこれからを思うと、悠長にもしていられない。

「そうですか…」
「また今度誘ってほしいな。そのときはおすすめのお店に案内するから」
「…!はい!」

まるで太陽のように笑う明日人くんは、見ているだけで心が穏やかになる。サッカーへの情熱と言い、分け隔てなく人に接する明るさと言い、やっぱり彼は守によく似ているような気がした。でも決して重ねているわけじゃないし、明日人くんを代わりにしようとしている訳でも無い。ただ、明日人くんは私をサッカーや過去の間違いに向き合わせてくれた恩人だから、なおさら特別に感じているだけだ。その恩を、私はこれから、試合で返していければ良いとも思っている。

「…さて、がんばろ」

いつもの鉄塔広場に向かうと、私は一人タイヤに向き合う。あれからいろいろ試行錯誤してみて、私はそもそも真正面からまともにタイヤを受け止めることは諦めた。だって体格の差や筋力の有無はそんな簡単に覆りやしないし、手に入れられる訳でも無い。私は守と違って筋力も無いから、こんな大きなタイヤを守のように受け止めるのは不可能だ。
けれど、諦めたのはそれだけ。タイヤを受け止めることを私はまだ諦めていない。きっと他に方法はあるはずなのだ。

「って、考えたとこまでは良かったんだけどね…」

それ以上がどうしても浮かばない。タイヤを受けるときのタイミングをずらしてみたり、腰を落としてみたりもしたけれど、よくよく考えればこれはキーパーの止め方で私が使えるのは手と腕以外だ。でも壁山くんや高志くんのように胸で受け止められるほど私は屈強では無い。でも私の中で物凄いシュートを止めることのできるディフェンス技はあれくらいなのだ。それとなく壁山くんには相談してみたのだけれど、彼自身もあれは自分の体格ありきの技だと言っていたので即座に詰んでしまった。とても残念だ。

「…私だけの、ディフェンス技を」

あまりにも難し過ぎる課題に、私はひとまず思考を整理しようと、リフティングしていたボールを高く上げて、最後に足の裏で地面に縫いつけるようにして押さえ込む。ピタリと静止したボールを見て…ふと、何かに引っ掛かった。今、私は、どうやってこのボールを止めたのだっけ。
それを一つ一つ思い返して、分析して。…そして私はそこでようやく、一つの可能性を見出したのだ。





星章学園スタジアム。予想通り大勢の人が居るのを眺めながら、私は人混みの間を縫うようにして入り口前を目指す。今の時間は集合時刻の五分前。バスが遅れてしまったせいで、予定より少し遅くなってしまった。そして案の定、集合場所にたどり着けば、そこには既に私以外の面々が揃っている。一応先輩なのに申し訳ない。

「ごめんね、遅くなっちゃって…」
「いえ、まだ時間前ですから」
「それより別のことに突っ込んでも良いですか」
「?」
「徹底した変装ですね…」

サスケくんと雄一郎くんの指摘通り、実は今、私は結構重装備な変装をしていたりする。目立たない格好に、マスクに、伊達メガネまで。万が一、億が一を想定して心配しているうちにこんな風になってしまったのだ。だって心許ない。

「まぁ、俺たちと一緒に居るからバレバレだとは思うけどな…」
「それでも一縷の望みを懸けて…」
「駄目ですよ!薫さん、それじゃ可愛くない!」
「可愛さとは」

つくしちゃんからのダメ出しを食らい、あれよこれよと正され、結局マスクと伊達メガネは没収されてしまった。顔が晒されていて心許ない。せめてマスクは、と訴えれば「会場内は暑いのにさらにマスクを着けたりしたら倒れる」などと至極真っ当な答えをいただきあえなく却下。肩を落としていれば、それを見ていた雄一郎くんが苦笑いをして私の頭に何かを乗せた。

「ほら、なら俺の帽子貸しますよ」
「わ」

私の頭より少し大きい帽子のツバが目元に落ちてきた。それを正しながら、帽子をかぶっていない雄一郎くんを見上げる。これは彼のトレードマークだというのに借りても良いのだろうか。

「良いですよ。試合終わったら返してくれれば」
「洗って返しても良い?」

さすがに使った後にそのまま返すのは忍びないので、せめてこちらで洗ってから返したい。どうせ明日は練習なので、それまでに乾かせばすぐに返せるし。そう言えば、「気にしなくても」と言いつつ頷いてもらえた。いや、実際帽子はとてもありがたいのだ。これならだいぶ周りからも正体を隠せそうだし。…お忍びみたいだな。

「逆に目立ってますよって言った方が良いですか?」
「…ほ、本人は満足そうだし、そっとしてあげてくれないか?」

杏奈ちゃんと達巳くんが何か耳打ちし合っているのが見えたものの、ここまで声は聞こえない。何かの相談事だろうか。
そしてここでようやくひと段落したところで、いよいよ中へと入っていくことに。私たちはサッカー部関係者としてサッカープレイヤーズゲートから入ることができる。簡単に言えばサッカー部関係者の特別扱いだ。荷物検査やらチケット確認やらもスキップして入れるから意外と便利だったりする。

「なんかズルしてる感じがする」
「一般の人から見たら、今のサッカープレイヤーは特別な存在なんだ」

雄一郎くんの言う通り、今のサッカープレイヤーの地位は驚くほどに高い。競技人口も昨年より遥かに増えたと聞くし、その原因となった雷門中サッカー部の関係者としては胸を張れることだと思っている。
すると、奥の方から黄色い声援が聞こえてきた。何事かとそちらを向けば、そこには女子を中心とした人だかりに囲まれた野坂くんと西蔭くんがいる。どうやら今日も視察に来たらしい。また席を買い占めていたりするのだろうか。

「王帝月ノ宮の野坂くんです!いつ見てもかっこいいですねぇ。視察で来てるのかなぁ」
「野坂くん…」

つくしちゃんが杏奈ちゃんに対して野坂くんの説明をしているのを聞き流しながら、彼の横顔を見つめてみる。たしかに彼は顔も整っているし、サッカーの実力も良ければ頭も良いと聞く。しかもついた異名が「戦術の皇帝」だ。次元が違うな、とぼんやり感心してしまう。
そんな風に野坂くんを見つめていたからだろうか。私の様子を目敏く見つけたらしいつくしちゃんがはしゃいだような声をあげた。

「あれ、もしかして薫さんも野坂くんのファンだったり!?」
「ううん、そんなんじゃないよ」

強いて言えば彼は恩人でもあるが、それを言うとややこしくなりそうなので割愛させてもらう。それに話せば、私がみっともなく泣いたことまで話さなきゃいけなくなりそうなので。だから私は当たり障りのない、それでも本音である言葉でつくしちゃんに答えを返した。

「良い人だよね、野坂くん。かっこいいし、女の子にモテるのも分かるかな」
「ですよねー!」

…どうやら、みんなには額通りの言葉として受け取ってもらえたようで何よりである。しかし、何故か驚いたようにこちらを見ている他の面々に私は思わず戸惑った。どうしてそんな目で私を見ているというのだ。

「いや…円堂さんが誰かの容姿を褒めるのは初めて聞いたから…」
「いつも俺たちのことも、中身で褒めてくれますもんね!」
「私もかっこいい人のことは素直にかっこいいって言うよ」

そんなツンデレでもあるまいに。みんなのことだってちゃんとかっこいいと思ってるよ。
そう言えば、どうやら色恋話だと判断したらしいつくしちゃんから食い気味に好みのタイプを尋ねられる。

「言わなきゃだめ…?」
「だってー!雷門中の中でも群を抜いてモテるのに、誰とも付き合わない薫さんの好みですよ!?去年は男子テニス部の部長に告白されてたじゃないですか!!」
「なんで知ってるの」

というより私がモテるだなんて初耳なのだが。たしかに去年は何故か呼び出しと告白が多かった気もするけど。話を逸らそうとしたが、どうやらつくしちゃんに引き下がる様子は無いらしく、他のみんなも少し興味ありげにこちらを見ているため、私は仕方なく肩を竦めて諦めた。
…前にもこんな話をしたような気がする。たしかあのときは、みんなでおにぎりを作りながらだった。春奈ちゃんからの無邪気な問いに、私はただ漠然とした好みしか返せなかったけれど、今なら心からはっきりと言える。心の中で、私の好きな人を想像した。あの日も、部屋に閉じこもる私にの心に、誠実な言葉をかけてくれた、彼は。


「…何事にも真っ直ぐな人、かな」


その真っ直ぐさから目を逸らしたのは、私が先だったけれどね。