僕の祈りが眠る墓地
…どうしてこうなっているのだろう。非常に既視感を感じるのだが。
私は隣を歩く野坂くんを横目で見ながら一つため息をついた。するとそれが聞こえたらしい野坂くんが首を傾げて訪ねてくる。
「どうしました?」
「何も…」
「そうですか」
…本当にどうしてこうなったんだ。私はただ、試合が始まる前にお手洗いに行っただけなのに、客席へ戻ろうと歩いていれば、突然野坂くんに呼び止められたのだ。そしてそのとき、私はちょうど野坂くんに返さなければいけないものがあることに気がついた。あの日借りたハンカチだ。
『これ、ありがとう。おかげで助かったよ』
『そうですか。…そう言えば、この前の試合見ましたよ。サッカーの経験者だったんですね』
『ううん、実は公式戦は…というか、試合そのものはあれが初めて』
驚いたように目を開かれたものの、初めては本当のことだ。一昨年まではそもそもチームが試合に出られていなかったし、去年のFFは女子選手の参加が認められていなかった。私もマネージャーとして登録されていたからね。けれど改めて今回フィールドプレイヤーとして参戦したことで、こうして公式試合にも参加できるようになっている。
『面白かった?』
『…?』
『ふふ、この前、野坂くん言ってたでしょ。私のサッカーは面白そうだって』
あの他人事のような慰めが、実は一番ありがたかった。側から見れば何とも冷たいような言い回しだったけれど、私からすれば下手に陳腐な慰めを受けるよりも断然マシで。
だから聞いてみた。私のサッカーを「面白そうだ」と評した彼の目に、私はどう映っていたのか気になったから。
『…そうですね、対戦が俄然楽しみになりましたよ』
『頑張ろうね、お互いに。たぶん当たるなら全国だと思うから』
『もう全国に行くつもりですか?』
『うん、行くよ』
だって、全国出場は私の最大の目的でもある。サッカーをするために本土へやってきた明日人くんたちと一緒に全国へ行きたい。そして、最後にはその頂点さえ掴みたいと思ったから。
『行くから、待っててね』
野坂くんたちを擁する王帝月ノ宮はトーナメント本戦からの出場だ。既に全国への道は開かれている。だから私たちが野坂くんたちと対戦するためには、最低でもグループ内で二位以内の成績を維持する必要がある。でも私たちなら、それができると信じていた。
微笑みながらそう告げれば、野坂くんはその無表情を僅かに吊り上げた。微かに声を出して笑ったのを見て、馬鹿にされたのかと少し顔を顰めれば、それを否定するように手を振られた。その後ろで、驚いたように僅かに目を見開いていた西蔭くんがやけに印象に残った。
『すみません、馬鹿にした訳じゃ無いんです。…やはり、あなたは面白いですね』
『…そうかな』
『ええ』
面白い、という言葉に引っ掛かったけれど、あえてそこはスルーしてあげることにした。一応先輩だし、言葉一つで突っかかるのは大人気ない気もするしね。
そして話はそこで終われば良かったのだが、いい加減客席へ戻ろうとした私を、何故か野坂くんが引き止めたのだ。前と同じように試合観戦の同伴をご所望らしい。もはや西蔭くんは「分かってました」と言いたげな諦め顔。その辺りはちょっと諦めないで欲しかったのだが。私も当然連れが居るから、と断ろうとしたのだが。
『では、ハンカチのお礼だと思って』
などと言われたら断れない。仕方ないので譲歩して、前半だけ一緒に観ることにした。明日人くんたちには「知り合いにあったから前半だけ別行動するね」と連絡。そして現在に至る。人気の無い廊下を進み、スタジアムに続く入り口を抜ければ、ごっそりと買い占められて一帯が無人の客席が見えた。反対側は当然のように満員で、やはりここが意図的に買い占められているのだということがよく分かる。
前回と同じように、何故か野坂くんの隣を勧められたものの、私は少しだけ考えて一つ空けた隣に腰を下ろした。前より一席分距離が縮んだことになる。それを見た野坂くんは、面白そうに目を細めて口を開いた。
「心を開いてもらったと解釈しても?」
「今さら野坂くんを警戒なんてしないよ」
「それにしては隣じゃ無いんですね」
「そんなの、恋人じゃないんだから。こんなに席も空いてるのに」
「じゃあ、その帽子は恋人のものですか?」
帽子を指差されて、否定するように笑う。これは雄一郎くんから借りたものだし、目的も顔を隠したいという私のみみっちい防衛心から来るものだ。むしろこんなわがままに付き合わせて申し訳ないくらい。たぶん男物だから勘違いさせたのだろう。恋人なんて、私にはできないし必要も無いのだ。
「それにしても野坂くんも恋愛の話なんてするんだね。なんか意外かもしれない」
「そうですか?」
「うん、でも野坂くんや西蔭くんは彼女居そう。かっこいいし」
「だって、良かったね西蔭」
「は、はぁ…」
突然話を振られた西蔭くんが狼狽えている。傍目から見るとすごく面白い。でもこの反応だとどちらも居なさそうだ。その辺り、王帝月ノ宮は強豪だから厳しそうだし、もしかしたら居ないのが当たり前なのかもしれない。どっちもせっかくかっこいいのだから、何だかもったいないような気がするけれど。
*
そんな何でもない雑談を続けているうちに選手たちがフィールドへ姿を現した。その中に赤いユニフォームを身につけた豪炎寺くんの姿も見つけて、私は思わず唇を噛み締める。…見た感じは元気そうに見えた。今やニュースくらいでしか顔も見なくなってしまったから、少しだけ心がそわそわする。何だか少しだけ、前よりも背が伸びてるね。
「……ん?」
「…そう来たか」
しかしそこで、星章学園のメンバーの配置に会場全体が騒ついた。私もそれを確認して思わずあんぐりと口を開けてしまったし、隣の野坂くんは興味深そうな顔をしている。
何せ、あの灰崎くんがFWでは無くGKとしてフィールドに立っていたのだ。GKをしていたはずの天野くんはDFへ。あまりに大胆なポジション変更に戸惑うしかなかった。だってゴールポスト前に立つ灰崎くん、明らかに納得してないし。
私は思わず鬼道くんの姿を探した。このトンチンカンなポジション変更に、鬼道くんが何も言わない訳がない。だから恐らくこれには鬼道くんも関わっているのだろう。案の定目を向けた先には、何でもないような顔で灰崎くんからの視線を無視している鬼道くんがいる。
「…どうしました?」
「…鬼道くんらしいなって思って」
思わず半目になった私に声をかけた野坂くんにはそう返しておいた。あからさまに不満を込めた視線をあれだけ綺麗にシャットアウトするなんて、ある意味鬼道くんらしい。フィールドの悪魔を彼は彼なりに上手くコントロールしているようだ。猛獣使いの才能でもあるんじゃないだろうか。
「やり方はともかく、監督の意図は分かる…。しかし、当の灰崎くんは理解していないようだね」
「前回の試合でも、星章の問題点は明らかでした」
「ふふ…。さて、どうなることやら」
…何を言っているのか分からなかったのだが、西蔭くんの言葉を聞いて思い至った。このトンチンカンなポジションチェンジは、恐らく灰崎くんのためなのだ。灰崎くんと言えば、あの試合の時も思ったのだが独りよがりなプレーが多いように思える。試合も好き勝手に出たり出なかったりを繰り返していると聞くし、それを少しでも改善させるために星章の監督が手を打ったのだろう。たしか、久遠監督と言ったか。あの帝国を大差で打ち破ったと言われていて、ここ最近は目まぐるしい成長を遂げているように見えるし、おそらく監督の采配も大きいのだろう。結構なやり手らしい。
「始まりますよ」
そしてキックオフと共に星章学園と木戸川清修の試合は始まった。主導権を握ったのは木戸川清修の方で、あのだんご三兄弟の三つ子が抜群のパス回しで星章のディフェンスを掻い潜る。しかし昨年も戦ったので思ったのだが、あの三つ子はあそこまで精度の高いパス回しができるような選手だっただろうか。むしろ周囲がボールを回しまくって、最後にあの三人が決める…という攻撃スタイルが主流だったような。
「!」
そう考えているうちに、ボールはとうとう豪炎寺くんに渡った。それと共に構えたあの動きから、シュートを繰り出すということが分かって思わず身を乗り出す。高いジャンプと共に渦巻く炎を纏ったシュートが、あの左足から繰り出された。
「ファイアトルネード!」
ゴールキーパーの経験なんて皆無のはずの灰崎くんがあれをまともに止められるわけがない。なす術もなく先取点を与えるか、と思ったものの、さすがは星章といったところだろうか。ディフェンダー二人が身を呈してブロックしたことで、ゴールはギリギリ守られた。…でも今のシュートは、豪炎寺くんの本気なんかじゃない。彼のシュートはもっと、相手を燃やし尽くさんとして燃え盛る猛き炎だ。だから今のは小手調べか何かだろう。不敵に笑う豪炎寺くんの顔を見て、私は目を伏せた。…楽しそうで、何よりだと安堵した。
「…灰崎くんはやっぱり不満みたいだね」
「ええ、彼にとっては屈辱だと思いますよ」
鬼道くんをまるで親の仇でも見るかのような目で睨み付けている灰崎くんを眺めながら苦笑すれば、野坂くんも特に顔色を変えることなく頷く。星章の監督の意図がどのように作用するのかを見届けるのに夢中なのか、その目はフィールドに向けられたままだった。
やがて、ひとまずのピンチを凌いだ星章が反撃に転じる。鬼道くんが中心となり切り込んで行くものの、やはり実力者には実力者をぶつける定石のやり方でいくらしい。鬼道くんのマークについたのは豪炎寺くんだった。
(前よりも駆け引きが巧妙になってる)
やはり顔を合わせなかった間、私が不貞腐れている間にも二人は成長を遂げたのだろう。壁山くんが前よりも堂々と前を向くようになったように。格段に上がったその実力に、何故だか嬉しさと悔しさが同時に湧いてくる。とても、とても、複雑な気持ちだった。
その二人の真っ向勝負は、結局豪炎寺くんに軍配が上がった。チーム一丸となった連携プレーで鬼道くんにパスコースを限定させ、見事にパスボールをカットしてみせたのだ。チーム全体の意思疎通が行き届いている。これこそ理想のチームサッカーだと言えるのだろう。
「何やってんだ!この役立たずどもが!」
だんだん木戸川優勢になってきたこの状況に、どうやら灰崎くんは苛立っているらしい。しかしそれに対する仲間内の反応は散々で、灰崎くんを見る目は非常に冷たい。まるで木戸川清修の鏡写しを見ているようだった。恐らく、灰崎くんの普段の素行や振る舞いも相まってこんな雰囲気になってしまっているのだろう。それならたとえ、この試合で星章が勝ってもいずれは崩壊する。全国では勝ち進めない。チームプレーというものは、思っている以上にチームの状態を左右する重要な事柄なのだ。
「…来る」
野坂くんが小さく呟いたのが合図だったかのように、三兄弟が同時のシュートを放つ。昨年散々苦しめられたトライアングルZ。一年経ってその威力は格段に増しているが…それはシュートじゃなかった。上空に放たれたそれを追うように豪炎寺くんが飛び上がり、三角形のオーラが炎に染まって竜巻を生む。
三兄弟のトライアングルZに豪炎寺くんのファイアトルネードを加えたシュートチェイン。…これは、豪炎寺くんの新必殺技だ。
「爆熱ストーム!!」
強烈なシュートが炎の竜巻の中を突き進み、灰崎くんごとゴールに突き刺さる。木戸川清修の先取点。…これが、木戸川清修に戻ったことによって引き出された豪炎寺くんの実力なのだろう。雷門中とはまた違う、彼の凄まじい力を目の前に見せつけられて、まるで彼との、みんなとの離別を拒んだ過去の私が嘲笑われたような気がした。
お前の望んだ不変は意味の無いことなのだと。
雷門中よりも他所の方が、彼らは輝けるのだと。
違うと否定したい事実はしかし、現実となって私の傷に傷を重ねていく。
「…でも、それでも」
私はそれでも、雷門中に居たかった。他の誰のためでもない、信頼を紡いだ仲間とみんなでずっと笑っていたかったのだ。そしてその理想はきっとどこまでも間違っていながら、きっと泣きたいくらいに正しかったのに違いない。その理想を押し願った私の結末が、今の現状に繋がっているのだから。
眼前で二点目を決めた木戸川清修の中で笑い喜び合っている豪炎寺くんを眺めながら、同時に鳴り響いた前半終了のホイッスルを耳にして腰を浮かす。もうそろそろ、明日人くんたちのもとに帰らなきゃ。しかしそこで野坂くんがポツリと溢した一言に私は固まる羽目になった。
「豪炎寺修也、ですか」
「へ…?」
「円堂さんの好きな人は」
突然の指摘に激しく動揺してしまった。これじゃ図星ですと言っているのと同じだ。でも仕方ないじゃないか。どうしていきなりそんな話になるのだろう。それになんで分かったの。
「な、なんで…?」
「あれだけ熱心に見つめていれば嫌でも分かりますよ」
目は口程にものを言う。そんなことわざが頭を過ぎって思わず顔を覆った。…恥ずかしい。そんなに私は豪炎寺くんを見つめていたのだろうか。けれども思い返せば、閉じた目蓋の裏に映るのは、フィールドを駆ける彼の姿ばかりで、無意識のうちに目で追っていたことをさまざまと思い知らされる。羞恥のあまり、思わず喉の奥で唸る私を横目に見て、野坂くんが淡々と尋ねてきた。
「恋愛なんて楽しいですか?」
「…楽しいことばかりじゃないよ」
ずっと苦しいよ。小説みたいに、漫画みたいに胸がときめくような甘い日々なんてもの、所詮はフィクションの代物だ。私が豪炎寺くんを好きになったと気づいた日から、この恋が幸せだった日なんて無い。いつだってもがき苦しみながら、私はきっともう二度と叶わない想いの墓場を探している。…それでも。
「しょうがないよ、好きにならざるを得なかったんだから」
「…そんなものですか」
「うん、そんなもの。恋なんてしたもの負けだよ」
私の恋は、とてつもない愚か者のせいで崩れ壊れた残骸の中で、死にかけのまま生きている。誰かが手を下さずとも、この想いが息絶えてしまう日はそう遠くないのだろう。…だとしても私は、きっと彼を好きになったことを後悔しない。真っ直ぐに私を見据えて、真っ直ぐに私へ手を伸ばしてくれた素敵な人への想いを、私はこれからも抱えたまま生きていく。
「…幸せじゃないのに、ですか」
「幸せでなくても、だよ」
野坂くんは心底理解できないとでも言いたげに眉をしかめていたけれど、こんな想いを君は理解しなくて良い。だってそんな不幸ばかりが目に余る恋だって、私だけのものなのだから。
そう言えば野坂くんはやっぱり無表情のまま、しかし先ほどよりも呆れたような感情を添えてため息をついた。
「…貴女は、どうにも不器用だ」
「うん、知ってる」
それもつい最近知ったばかりだけれども。そしてそこで話を切り上げるつもりで立ち上がれば、野坂くんは「最後に一つ」と前置きして私を見上げた。
「入院してる女の子を見舞うなら、何を贈るべきだと思いますか?」
「…その子の好きなものなら何でも良いと思うけど、野坂くんからだったらミニブーケとか良いんじゃないかな」
「理由を聞いても?」
「野坂くん、雰囲気だけなら王子様みたいだから」
そう言えば、少しだけ楽しそうに野坂くんは微笑んだ。その後ろにいる西蔭くんは特に動じていないことから、恐らくそんな褒め言葉はいくらでももらっているのだろう。異名に皇帝がついてるくらいだし、むしろ王子様は失礼かもしれない。
「ちなみに雰囲気を除けば?」
「魔王」
野坂くんは、今度こそ小さく吹き出した。