さみしがりやのレディ




野坂くんに恋心を指摘されてしまった照れと、叶わない想いへの虚しさと悲しさがごちゃまぜになった複雑な想いを抱いたまま、私はようやく明日人くんたちの待つ観覧席に帰還した。微妙な顔で戻ってきた私にみんなは不思議そうな顔をしたけれど、私は曖昧に笑って誤魔化す。こんな情けない話を後輩たちにはできない。

「円堂先輩!円堂先輩はどう思いますか?灰崎のあれ!」
「ゴールキーパーのこと?それなら凄い賭けだよね。一歩間違えれば大敗を喫することになるのに」
「…あのポジショニングの意図が分かるんですか?」
「ちょっと教えてもらったから」
「誰から?」

興味津々な顔立ちで詳細を聞いてくる雄一郎くんに私は微笑むと、その口に塩飴を押し込みながら「ないしょ」と短く話を切り上げた。何度も言ったと思うが、野坂くんのことはいろいろ説明が面倒だからなるべく話したくない。私としては彼のことを親切な後輩だと思っているし、何なら恩人だと思っているけども。
他のみんなにも補給代わりの塩飴を配っておく。観覧だけだからといってこの熱気を舐めていればいつか倒れてしまうからね。

「…薫さんってそれ素でやってるんですか?」
「何が?」
「……何でもないです」

ころりと口の中で塩飴を転がしながら、どこかジト目で見てくる雄一郎くんに首を傾げればため息をつかれた。何かしただろうかと道成くんたちの方を見れば、揃って首を傾げる明日人くんと貴利名くん以外からそっと目を逸らされる。どうやら何かしたらしい。詳しくは分からないけれども。
そんなやり取りをしているうちに後半が始まりを迎えた。木戸川清修がメンバーを変えないのはそのままなのはもちろんだが、星章もどうやら相変わらず灰崎くんをゴールキーパーにしたままでいくようだ。しかし、後半戦が始まってもやはりエースストライカーを欠いた星章は防戦一方で。

「あ」
「灰崎がゴールから飛び出した…!?」

とうとう我慢ならなかったようで、灰崎くんはゴールから飛び出すと、相手のボールを奪って猛然と駆けていく。雷門としては、攻撃にゴールキーパーが参加することは何度もあったけれど、あれは絶好のチャンスがあり、みんなと信頼関係を結んでいたからこそできた芸当で、つまり今この状況でキーパーの仕事を投げ出すのは無謀だ。
案の定、周りのフォローも完全に無視して猛然と駆け上がっていく灰崎くんを、木戸川が見逃すわけがない。あっという間に囲まれた灰崎くんは、タッチライン際へ追い込まれたかと思えば西垣くんの必殺技でいとも簡単にボールを奪われてしまった。しかしそれも何とか、DF陣の必死な守備のおかげで追加点は免れた。

「危なかったですね…」
「でも、星章はこのままじゃ…」
「…いつまで、灰崎くんはFW気分でいるんだろうね」
「…薫さん?」

仲間の必死な守備にさえも、どこか投げやりな様子の灰崎くんを見て、私はそっと目を細める。今の灰崎くんのままなら、星章学園の敗北は免れないだろう。自分がなすべきこと。それを欠片も理解していない、今の灰崎くんのままなら。
だけど、そんな灰崎くんをエースストライカーとして起用している鬼道くんが、何も考えていないわけがない。つまり、鬼道くんが信じる灰崎くんがここで終わるわけがないのだ。

「鬼道さんのことすごく信頼してるんですね…」
「大事な友達で、…仲間、だったんだもん。鬼道くんの性格はよく知ってる」

誰よりも慎重で冷静で、けれど誰よりもサッカーに対しては熱い人なのだ。そんな彼のことを、私は今でも心から信じている。たとえ今、二点も突き放されて絶望的な状況であったとしても、鬼道くんならその全部をひっくり返してくれるはずだと。
そしてその予感は的中した。星章学園のキャプテンである水神矢くんに諭された灰崎くんが、次第に仲間のポジショニングについて的確な指示を出し始めたのだ。それはどうみたって思わず、といった感じだったけれど、その指示を素早く聞き入れた選手たちの対応によって、木戸川の攻撃は何ともあっさりと防ぐことができたのだから、成果は上々と言っても良い。…なるほど。

「んふふ、ゴールキーパーさせながら相手の攻撃パターンの観察させるだなんて、鬼道くんも随分意地悪だよね」
「…!なるほど、そういう意図が…!」
「うちも剛陣くんでやってみる?」
「………絶対やめてくれ…」

半分冗談半分本気で道成くんに打診してみたところ、何とも真剣な顔で首を横に振られてしまったし、周りのみんなも同調するように頷いていた。…ある意味信頼関係が成り立っている、と思えば悪くはないのだろうか…?

「まあ、でも、これで舞台は整ったね。あとは…灰崎くんがその成果を発揮できるかだけど」
「大丈夫です!…灰崎なら、ここから何かをやります!!」
「…そうだね、そうだといいな」

明日人くんが目を輝かせながらそう断言したのを聞いて、私は思わず口元を綻ばせた。…初めての試合で辛酸を舐めさせられた相手だというのに、こうも真っ直ぐ信じられるところは、さすがサッカーに対して熱い思いを抱く明日人くんらしいと言える。
だから私は、そんな明日人くんの言葉に頷き返すと、再びFWとしてグラウンドに帰還した灰崎くんの背中を見つめた。…願わくば、そんな明日人くんの信頼を裏切ってくれるなよと、ある種の圧を込めた視線を向けながら。





結局、木戸川清修と星章の試合は、星章の逆転勝ちで幕を閉じた。結果は四対三とギリギリではあったものの、あそこから四点も追い上げた星章の底力には舌を巻く。さすが、今大会ランキング一位の肩書きは伊達じゃないといったところだろうか。
そして、当然ながら今度は雷門中にも試合が待っている。選手層が厚く、実力も申し分ない星章とは違って、うちは依然としてまだまだ課題が多い。…次の試合も厳しい戦いになるだろう。けれど相手がどんなチームであれ、それに負けるような戦いをしようとは思わなかった。
…なんて、少しでも昨日の星章学園のことを思い出していたからだろうか。

「あ、灰崎くんだ」
「…お前は」

そろそろ自前の塩飴が無くなりそうだったので買い足そうと買い物に出れば、スポーツ店で灰崎くんとばったり鉢合わせた。彼が手にしているのはスパイクで、どうやら冷やかしがてら新作のスパイクを見ていたらしい。私が手元をジッと見ていたことに気がついたのか、灰崎くんは舌打ちを一つこぼすと棚にスパイクを戻した。

「もう見ないの?」
「俺に構うな」

よく分からないが随分と殺伐とした子だと思う。キャプテンくんの苦労が垣間見えるようだ。そんなことを考えながら店からさっさと立ち去ろうとする灰崎くんの背中を黙って見送っていると、ふと今私が持っているコンビニ袋の中に何が入っているかを思い出した。その背中に声をかける。

「ねぇ、灰崎くん」
「…」
「君、このクマちゃんのグッズ集めてたりする?」
「!」

足が止まった。随分不機嫌そうな顔でこちらを振り向いた灰崎くんに、コンビニ袋からお茶のおまけをチラつかせれば、再び舌打ちと共にこちらへ寄ってきた。どうやら私の考えは当たりだったらしい。実はこの前、明日人くんが監督からのお使いで星章学園付近のスポーツ店に来たことがあるそうなのだが、その際近くのゲームセンターでこのクマのぬいぐるみをゲットしている灰崎くんと鉢合わせたらしい。やたらファンシーなぬいぐるみばかりが詰められた機体を選んでいたというから、こういう可愛いのが実は好みなのかもしれない。

「…だからなんだ」
「あげるよ。私も友達にあげようかと思ってたんだけど、欲しい人がいるならそっちにって思って」

差し出された手のひらの上に落とせば、灰崎くんは少し複雑そうな顔をしながらも受け取ってくれた。それ、全部で五種類あるらしいから全部集められるといいね。それにしても最近どこの雑貨屋に行ってもそのクマちゃんのグッズが並んでいるから、意外と人気なのかもしれない。

「あ、今からそのお店に行くんだけど灰崎くんも良ければ行く?」
「…何が目的だ」
「…目的…?」

単にほんの少しの親切心と可愛いもの好きと出会えた喜びで案内しようかと思っていたのだが、灰崎くんからすれば私は何かを企む怪しい女に見えたらしい。ちょっとショック。人に良いことをするために一々何かを企んだりなんてしないよ。

「鬼道くんでもあるまいし」
「散々に言うじゃねぇか」

呆れたような目をされた。でも、やっぱり私の知っている人たちの中で一番の腹黒と言えば鬼道くんなのだ。監督などの大人は除いて。明日人くんたちは純心純朴そのものだし、彼らにはその綺麗なまま育って欲しいものだね。そう一人頷いていれば、灰崎くんは再び舌打ちし「…どこだ」と踵を返す。おや、先ほどまでの警戒はどうしたというのだろう。

「お前みたいな呑気な奴、警戒する方が馬鹿に見える」
「失礼にもほどがある」

ただ呑気なだけじゃないよ。私も理由は分からないけど、君のことは明日人くんが大層気にかけているし、後輩の心配の芽は積んでおきたいのが先輩心というものでは?
そう言ってみたところ、灰崎くんは今度こそ何か珍妙なものでも見るかのような顔で私を見てきた。そんな顔しないの。デコピンするぞ。





結局三軒ほど雑貨屋を一緒にまわって、ゲットした新しいペンギングッズとクマちゃんグッズをそれぞれ手にしながら、私たちはカフェに入った。灰崎くんはぶっきらぼうながらに遠慮をしたものの、私が奢るからと言えばそれ以上は何も言わずについてきてくれた。私がいうのも何だが心開くのが早いのでは?

「開いてねぇよ」
「はいはい」
「テメェ…」
「すみませーん、ココアください。ほら、灰崎くんは何が良いの?」
「…お前と同じで良い」
「じゃあココアを二つで」

反抗期真っ盛りといった様子の灰崎くんだが、扱い方を覚えれば転がすのは簡単そうだ。年上ムーヴをかませば意外に彼は強く出られない。根は素直な子なのだろう。それにしても、私はてっきり灰崎くんがクマちゃん好きだと思っていたのだが、彼は幼馴染の女の子のお見舞い品のためにクマちゃんグッズを集めているらしい。同じ歳頃の女の子だそう。

「お花とかも喜ぶんじゃない?」
「あいつが?」
「だって女の子だもん、男の子からお花なんてもらったら嬉しいに決まってるでしょ」

ただし好感度の高い相手にのみ限る。初対面とか、嫌いな人から花をもらっても嬉しいとは思わない。私はね。でも、そうやって相手の好きなものを考えて選ぶのは素晴らしい心がけだと思う。男の子が単身でクマちゃんグッズを買うのは勇気がいるだろうし、それを考えればきっとその女の子も喜んでくれるだろう。

「…だと良いがな」
「弱気だ」
「誰が弱気だ」

君しか居ないでしょ。そう返せばさすがに何も言えなかったのかそっぽを向かれた。不思議だ、フィールドの悪魔として恐れられる灰崎くんだけど、サッカーから離れて彼単身を見ると随分行動が可愛らしく見えてくる。そう言えば、数ヶ月前まではランドセル背負ってたんだっけ。見た目が大人っぽく見えるからうっかりすれば中二に見えなくも無いけど、実は二つも年下だな…?

「…ンだよその目は」
「若いな…って思って」
「は?」

宇宙人を見るかのような目は辞めなさい。一応まともな思考で喋ってるから。しかしそれにしても、灰崎くんはパッと見は不良に見えるが学校にはちゃんと行っているのだろうか。噂だと練習は欠席ばかり、試合も三試合に一度しか出ないという適当ぶりだと聞いているのだが。

「星章学園ってどんなところ?勉強難しい?」
「…ンなこと聞いて何になるんだよ」
「単なる興味だよ。ココア代だと思って教えてほしいな」

そう言えば、さすがに奢られている立場だからか渋々ながらにいろいろ教えてくれた。灰崎くんはどうやらサッカーの特待生として学園に入学しているらしく、勉強面に関しては多少見逃されているのだとか。けれど本人も劣等生で居たい訳では無いようで、自分なりに勉強はしているらしいけれど。

「それなら私が教えようか」
「は?」
「私の受験勉強も兼ねて、教えてあげるよ」

きっと、灰崎くんは素直じゃないから星章のチームメイトたちや先生には質問しにくいだろう。しかし私なら、他校生だし普段関わることもあまりないから聞きやすいに違いない。受験勉強になるのは本当だしね。

「それに、こうやって一緒に買い物したのも何かの縁だし」
「お前お節介って言われるだろ」
「分かる?」

知人関連に首を突っ込みたがるのは、私の長所でもあり欠点でもあるからね。ちゃんと自覚してるよ。そう言って笑えば、灰崎くんは顰めっ面で舌打ちしながらそっぽを向いた。けれど断ってこないあたり、別に嫌ではないらしいね。





「薫さん、昨日他校生とデートしたって本当ですか!?」
「わーい誤解だ」

次の日、練習前のストレッチ中にのりかちゃんが目を輝かせてそう聞いてきたのだが本当に誤解。どうやら私が灰崎くんと並んで歩いているところを誰かが見たらしく、のりかちゃんはそれを噂で聞いたようだ。でもそんなこと言っても、灰崎くんとは雑貨屋さんで一緒に買い物してお茶しただけで…いやこれたしかに本当にデートだ。

「誤解じゃ無かったな…?」
「どういうことですか…?」

のりかちゃんのはしゃいだ声が聞こえたのか、何だ何だと集まってくる他のみんなに説明を求められる。しかしまさか「可愛いクマちゃんグッズを御所望の灰崎くんに付き添って雑貨屋巡りをしてました」なんて正直に言ったら、灰崎くんから蛇蝎のごとく嫌われてしまうに決まっている。せっかく連絡先を交換してもらえるくらいには親しくなったんだし、ここは適当に誤魔化しておこう。

「し、知り合いにたまたま会ったからお茶してただけだよ」
「本当ですかぁ?」
「本当です」

なんとしても私と恋バナをしたいらしいのりかちゃんからの問いかけはしつこかったものの、私はそれを何とか乗り越えることができた。…そもそも、灰崎くんは二つも年下なのだ。弟として見ることはあるとしても、恋愛対象にするなんてまずあちらが嫌がるのではなかろうか。

「年下は恋愛対象じゃないんですか?」
「むしろする方が失礼じゃない?おばさんって思われてそう」
「たった一つか二つの差じゃないですかぁ!」
「えぇ…雄一郎くんも、年上なんて嫌じゃない?」
「……いえ、でも、俺は…別に…」

近くにいた雄一郎くんに話を振ってみたところ、何故か視線を泳がせながらもそう答えられた。…まあその辺りは個人個人で違うのだろうし、私がとやかくいう必要性はないんだけどね。

「…ちなみに、歳の差がオッケーなら何歳までだったりしますか?」
「…うーん、上も下も二つまで、かな」

まあ絶賛、今は同級生の男の子に片想いなんてしちゃっているので、上も下も歳の差も何も関係なかったりするのだけれど。






「あれっ?万作、今日調子いいね!」
「別に、いつも通りだろ?」
「いや…確かに明日人の言う通り、今日の万作の足取りは軽やかだな。さては、何か良いことがあったんだろ!」
「出た!名探偵氷浦!かっこいいー!」
「う、うるさい早く練習に行け!!!」