ひとりぼっちのピエロ




季節はあっという間に過ぎて、私だけが置いていかれたまま中学三年生になった。当然、校内のどこを探してもサッカー部の姿は無い。使うべき人間を失った部室と、その中に置き去りにされたトロフィーだけが元の持ち主がいたことを指し示していた。
私といえば、変わったことはさして無い。切るのが面倒になって惰性で伸ばした髪を高く結うようになって、あれほど苦手だった数学の成績がメキメキと伸びてしまったとだけ。
成績の良さだけが際立つようになるのが虚しかった。何度か見かねた先生たちにも息抜きをするように窘められたけれど、勉強を現実逃避にしてしまった私にとっては、週に一度の部室の掃除だけがかろうじて「息抜き」と呼べるものになってしまっていた。

「…何してるの」
「…円堂先輩」
「円堂って…」

だからその日も、私は放課後になってさっさと教室を出ると部室に向かったのだ。手にしていた部室の鍵は、部活を辞めた時に返し損ねたもの。けれど夏未ちゃんは決して受け取ってはくれなかったし、私も簡単に処分できるものじゃ無いからという理由で、それは未だ私の手の中にあった。
そして、そんな今だが何故だか部室の前に大勢のお客さん。
片方は、私があまり好きじゃない生徒会長の神門さんとその取り巻き。
もう片方は、ここら辺で見かけたことは無い、雷門中の生徒でも無さそうな男女合わせて十一人。

「部室の掃除をしたいんだけど、揉め事なら他所でお願いしても良いかな、神門さん」
「…揉め事ではありません。それと、彼らは今日から新生サッカー部として伊那国島から来た新入部員です」
「…そういえば、そんなこと言ってたね」

話の流れを掴めていないらしい、その伊那国イレブンの中でも一番近くに居た男の子に鍵を手渡す。それならもう、私がここを掃除する理由も無くなるのだろう。ここはもう既に、私の居場所では無いのだから。

「はい、部室の鍵。あげるよ」
「え、あ、ありがとうございます…?」
「…ちょっと!元マネージャーとして、この田舎者たちに言うことは無いのですか!?」

神門さんの取り巻きが叫んだ「元マネージャー」という言葉に伊那国イレブンのみんなが騒つくのが分かった。何でこう、余計なことしか言わないのかなこの子たち。人の神経逆撫しながら生きていて楽しいのだろうか。
本当はそのまま立ち去ろうとしていたのだが、引き止められては仕方ないのでその言葉に応えてやることにする。何でこの取り巻きたちは少し期待したような目で見てるんだろうね。

「…遠くから来て大変なことばかりかもしれないけど、頑張ってね。力にはなれないけど応援してるよ」
「えっ」
「なっ…!?」
「あと、こういう他人の栄光を傘に着て威張り散らす輩の言うことは信用しなくて良いよ。この子たち、偉そうだけど一年前はサッカー部のこと弱小だってバカにしてたんだから」

覚えてるんだからな。まだ人数の揃っていなかったサッカー部の練習を見て「無駄」だとか「弱いくせに」とかって笑ってたこと。これでも物覚えは良い方なので、それが誰のセリフなのかも私は説明することができる。

「神門さんも、最初から無理だって決めつけるのは止めれば?なんで新生サッカー部が勝てないって決めつけるの」
「…私は、功績を残したサッカー部の栄光を汚させないために…」
「へぇ、夏未ちゃん、そんなこと頼んだんだ?」
「!!」

そんな訳がない。夏未ちゃんは、そんなこと絶対に言わない。口は悪いし、現実ばかりを彼女は見るけれど、ちゃんと同時にチャンスも与えてくれる。一方的に搾取するような真似を夏未ちゃんがしたことは無かった。

「比べる訳じゃないけど、夏未ちゃんはもっと平等だったよ。少なくとも、遠くから目標のためにやってきた人間を無碍にして嘲笑うようなことは絶対にしない」
「…逃げたあなたに何がッ…!!」
「元マネージャーとして何か言えって言ったのはそっちだよ。忘れたの?」

逃げた、という言葉に一瞬眉が跳ねたけど、私はその苛立ちをねじ伏せて微笑む。校内で威張り散らしてばかりの彼女たちに言いたいことも言えて、個人的には大満足だ。
神門さんが嫌いな訳じゃないけれど、その傲慢な態度だけはどうしても好きになれないから仕方ないよね。

「じゃあね」

呆然としている一同を置いて、私も用事が無くなってしまったことだし帰ることにしよう。今日はあまりついてない一日だった。…けど。

「…雷門中サッカー部の復活、か」

あの子、少し守に似てたな、なんて。
そんなことを考えてしまう都合の良い自分に苦笑いして首を横に振った。





あの新生サッカー部の彼らはどうやらその日のうちから練習を開始したらしく、散歩中の稲妻坂で全力ダッシュしている面々を見つけた時は少々面食らってしまった。何してるんだろ。

「あっ、昨日の!!」
「円堂さん…」
「…えーと、さっきぶりなのかな、道成くん」

長い髪をした道成くんは、私と同じクラスに転入してきた。昨日鍵を渡した男の子はどうやら一つ年下らしく、勝手に名乗り出した彼によると稲森明日人くんというらしい。
そして、たしか一週間後には試合を控えているはずの彼らが何故ここに居るのかという理由はすぐに分かった。

「どう思いますか!?監督のメニュー!!」
「どう思いますかと言われてもね…」

私は挨拶だけしてさっさと立ち去ろうとしたのだけれど、そうはさせるかと言わんばかりに大谷つくしさんに捕まってしまってはどうにもならない。彼女は何故か私に懐いているような節があった。
私がサッカー部を辞めてすぐにマネージャーとして入部したらしい彼女は、しかしあまりにも急すぎて雷門中に置いていかれてしまった類の人間だ。私の行くはずだった派遣先に行かせる訳にも行かなかったのだろう。その派遣先の名前すら、私は知らないけれど。

「監督の指示なんだし、とりあえず聞いておいた方が良いと思う」
「ケッ、結局そんなもんかよ」

剛陣くんとやらは、私の答えにつまらなさそうな顔をする。そんなもんだよ。少なくとも、その噂の中国人監督に歯向かっていないところを見ると、無茶苦茶すぎる訳でも無いみたいだし。

「でもサッカーボールを使うメニューがほとんど無いだなんて…」
「…自主練はしないの?」
「する前に体力が尽きてるんですよ」

貧弱な…とは思ったけど言わないでおいた。体力は個人差だ。私がとやかく言うことじゃない。
それに、その監督も最終日に休息日を入れているあたりまともな監督そうだ。前々日までは追い込み、最終日にはゆっくり休ませる。このメニューが最終日まであるのなら、私もさすがに眉を顰めたけれどこれなら常識の範囲内と言っても良い。

「…まぁ、とりあえずその監督さんを信じてみたら?意味無くそんなメニューを出したわけでも無さそうだし」

…これ以上、長居をするのは止めておいた方が良さそうだ。私はもうサッカー部じゃないし、それに、こんな純粋な思いでサッカーに向き合っている彼らの側に居るのは、守たちを思い出してしまって少し辛い。
もう行くんですか、と少し残念そうな大谷さんに微笑んで手を振ると私は、彼らに背を向けて歩き出そうとした。…その時だった。稲森くんから、その言葉がかけられたのは。

「…あっ、円堂先輩も良ければ一緒にサッカーしませんか!?」

『サッカーやろうぜ!薫!』

思わず足を止めて、動揺が悟られないように小さく呼吸をした。駄目だな、本人の言葉じゃ無いのに、他人の言葉にいつまでも雷門のみんなの影を見てしまう。…拒んだのは、私からのくせにね。

「…先輩?」
「…ごめんね、サッカーは、嫌いなの」
「え」
「じゃあね」

それだけを言い置いて、私は何か言いたげな彼らに背を向けて歩き出す。…そうだ、私は、サッカーが嫌いだ。
大切だったはずの夢も、仲間も、思い出も。
綺麗事で飾りつけた大人たちの自分勝手な都合のせいで、二度と戻らなくなってしまったのだから。