ぼくの身勝手を風は赦すかA





そんなチベスナ顔になりそうな練習光景を思い返しながら、私は鉄之助くんの位置につく。とりあえずは試合に集中だ。監督のことについては後からみっちり杏奈ちゃんたちと話し合えば良い。

「みんなやろう!監督の言う通り実行するんだ!」
「けどフィールドに線は引かれちゃいない」
「線は見えるよ!みんな落ち着いてフィールドを見るんだ!」

あの何度も何度も繰り返した練習のおかげか、体が自然と引かれていた線の間隔を覚えている。みんなをそれを実感したらしく、線から出ないよう慎重になりながらパスを回し始めた。達巳くんから私にパスが回ったのを、私は即座にサスケくんに回す。しかしサスケくんのミスキックでボールは外へ。帝国のスローインで再開した試合、向こうの不動という選手が攻め込んできたものの、私たちはサッカー盤のときと同じように自分のエリア外までは追いかけない。…隙だらけに見えるでしょう。それが、私たちの作戦だとも知らないで。

「えいっ!」
「やった!」
「何!?」

そして半太くんのスライディングで見事にボールを受け取った明日人くんが、前線へと走ってくる。けれどドリブルのままでは線を超えてしまうからという理由でパスは細かい。それが逆に帝国を撹乱する要因になっていた。
名づけるならば、サッカー盤戦法。それによってとうとうゴール前まで迫ったところで、明日人くんからサスケくんへとパスが渡る。そのままシュートで良いところを、私はあえてサスケくんに声をかけた。

「サスケくん!ちょうだい!!」
「!」

サスケくんは咄嗟にパスをくれた。私はそれを受け取って、真っ直ぐにゴールを睨みつける。…何のためにそこに居るのかも分からない、能無しの馬鹿を。目の前に立ち塞がった佐久間くんをターンで避けて突破する。流れるようなその一連の動きに、佐久間くんが目を見開いたのが横目に見えた。
そして私はボールと共に高く飛び上がり、体を捻らせるようにして溜めた渾身のパワーを、ボールの中心に叩きつけた。精密にど真ん中を撃ち抜かれたそのシュートは、無回転により生み出された激しいブレと共に、まるで獰猛な獣のようにしてゴールへと噛みつく。

「ワイルドビーストッ!!」
「ひぃっ!?」

あの腹立つ顔面を狙ってやったのだが、案の定それを止める様子も無く頭を引っ込めて縮こまった湿川に、私は思わず歯軋りしてしまう。そして着地と共にズカズカと歩み寄って目の前に迫ると、その苛立ちのまま、あえて蔑むように奴を見下ろして口を開いた。胸ぐらを掴み上げてやりたいのを堪えたのは、こちらが反則にされてしまうし、せめてもの温情だった。こいつには、言いたいことが山ほどある。

「…帝国のキーパーを務めておいてその程度?」
「な…」

だってとてもじゃないけど、許せなかった。わざわざ監督に念押ししてまで私が出たかったこの試合。帝国と最高の試合ができると楽しみにして挑んだ試合だったのに。蓋を開ければやる気のない見栄っ張り野郎が、本来ならここに立つべき人の居場所を奪ってふんぞりかえっている。全てを台無しにされた気分だったのだ。

「ねぇ、源田くんを押し除けて、佐久間くんからそのキャプテンマークを奪っておいて、やる事はその程度かって聞いてるの」
「ひ、ひ」
「…自分がキャプテンに相応しいと言うのなら、自分こそが帝国の守護神だとほざくのなら、それ相応の実力と覚悟を見せてみろ。少なくとも私は君を帝国の選手だとは認めない…!」

最後に殺意すら込めて睨みつけてやれば、湿川はその勢いに押されたかのようにへたり込んでしまった。…情けない。女の脅しに屈するくらいなら、最初からそこに立たなければ良かったんだ。これが源田くんなら、佐久間くんなら。他の帝国の選手なら負けじと睨み返してきた。それさえできないということはつまり、お前はその程度でしかなかったというまでの話だ。

「薫…」
「…勝手なこと言ってごめん。でも、本当に悔しかったから」

何か言いたげにこちらを見ていた佐久間くんにそれだけ告げて、私は静かに微笑む。不動くんが面白そうに口笛を吹いていたけど知るか。態度が悪かろうと、あれを見過ごすよりは全然良い。言いたいことは死ぬほど言ってやったのだから後悔は無い。
そして私は、監督との約束通り。一点分の働きを終えて、グラウンドを後にした。





それは、帝国選手の使うシューズの性能がとうとう最高レベルに引き上げられ、試合の主導権を再び握り返し始めたときの話だった。ぎりぎりFWのポジションからこちらへ駆け込んできた稲森にボールをカットされた直後、佐久間と不動に向けて苛立たしげな小僧丸の声がかけられる。

「おいお前ら!なんか変なスパイクを使ってるよな?はっ、そんなことをしてまで勝ちたいのかよ。…卑怯な奴らだぜ、円堂さんの言うことも嘘じゃねぇか」
「ッ、待て!あいつは、何て…」

思わず佐久間は引き止めた。しばらく疎遠になっていた自分の友人が、今の自分たちのことを何と言っていたのか。そんな些細なことが気になってしまった。小僧丸は立ち止まるとやや逡巡し、やがて舌打ちを一つ落としてその答えを口にする。向けられた失望したような目を見て、やけに息苦しさを覚えた。

「…『正々堂々と戦う、尊敬できる選手たち』だとよ。どう見ても今のお前らには当てはまるようには見えないがな」

本当にそれだけを告げて去って行った小僧丸を呆然と見送り、佐久間は雷門中のベンチへと目を向けた。そこには、果敢に仲間への応援の声を上げる薫が居て、前よりも少しだけ活発になったその姿が、やけに眩しく見えた。…先ほど、薫が湿川にかけていた言葉を思い出す。

『ねぇ、源田くんを押し除けて、佐久間くんからそのキャプテンマークを奪っておいて、やる事はその程度かって聞いてるの』

彼女は憤っていた。追いやられた源田と佐久間の立場を見て、そのあまりの理不尽さに怒り、真っ直ぐにそれをぶつけてくれた。そこにあったのは、たとえ会わない期間が長くとも揺るぐことの無かった自分らへの信頼で。未だに薫が、自分たちのことを、あのとき影山に逆らって帝国のサッカーを貫こうとした誠実な人間のままであると信じているのが分かって、どうしようもなく罪悪感に駆られた。
だからだろうか。先ほどから余裕で奪えるはずのボールが奪えない。改造済みのスパイクが視界に入る度に、薫の微笑みと小僧丸の言葉が脳裏に過ぎって、今の自分らのプレーを卑怯だと糾弾する。

『…勝手なこと言ってごめん。でも、本当に悔しかったから』

…あぁ、やっと分かった。何故小僧丸が、あれほどまでに佐久間たちへ苛立っていたのか。自分たちに失望の目を向けていたのかさえも。
彼は悔しかったのだ。自分の仲間が信じるものを、簡単に裏切ろうとする佐久間たちが許せなかった。たとえ彼女がそれを仕方ないことだと笑おうとも、小僧丸は彼女が佐久間たちを「尊敬できる選手だ」と言い切ったあの目を忘れない。根拠など無くとも盲目に信じていられる、心からの信頼の目だった。付き合いの長さなど関係無い。同じフィールドに立ち、共に勝利を目指す仲間への裏切りを、小僧丸は良しとしなかった。それだけの話だ。

「影山…奴のせいで、俺たちのプライドはズタズタだ…!またこんな汚い手を使いやがる…!!」

佐久間は歯軋りしながら自陣のベンチを睨んだ。そしてそれを受けて、真っ先に影山の作戦から降りたのは、この中では新参者の不動だった。改造シューズをあっさりと脱ぎ捨て、それを咎める風丸に、不動はただ淡々と言い返す。

「俺は降りるぜ。影山が悪どい野郎だってのは知ってたが、もう少しマシなやり方をする奴だって思ってたんだがな…」
「待て、少年サッカー協会には、スパイクへの改造の規定は無い。敵選手に怪我をさせるような作りでは無い限り、ルール違反にはならない」
「ルールがどうであろうと、俺は機械の力に頼りたくねぇ。こんなスパイク使えるか!」
「これは総帥の命令だぞ!」
「命令だからって何でも従えるわけじゃねぇ!戦ってんのは俺たちなんだ!俺はマジに戦いたいんだ!目をギラつかせたキモいあいつらとな!」

不動が見据えた先には、こちらの様子を窺う雷門中の選手の姿があった。そしてそれに同調するようにして、佐久間もまた風丸に頼み込んだ。

「風丸、俺からも頼む」
「佐久間…」
「今度ばっかりは、不動が言ってることは正しいと思う。…それに俺は、俺を、俺たちを信じてくれている友人の信頼を裏切ってまで勝ちたいとは思わない!…風丸、お前が全権を任せられているのは分かっている。しかしこの判断、俺に任せてはくれないか!?」

少し間が空いて、風丸はそれを承諾した。そしてベンチからこちらを心配そうに見つめている薫の顔に目を細め、仕方なさそうに微笑みながら頭を掻いた。

「…全く、薫にはいつも振り回されてばかりだな。昔も、今も」
「文句なら後で、礼と一緒に山ほど言ってやれば良いさ」
「はは、そうだな」

ある日突然サッカーを拒絶した彼女の理由はともかく、またこうして前のようにサッカーに関わってくれるようになったこと。それを今はただ喜んでいれば良い。ただ、そう思った。





試合は結局雷門中の勝利で幕を閉じた。あの奇妙なスパイクを脱ぎ捨てた帝国の猛攻に雷門中も威勢よく応じて、そうして生まれた白熱の戦いは雷門中に軍配があげられたのだ。
そして私といえば、試合後のどさくさに紛れてこっそり会場を抜け出そうとしたものの、それを目敏く見つけたらしい風丸くんと佐久間くんに両腕を抱えられながら連行された。引きつった顔で手を振りながら見送る雷門のみんな。どうせなら助けて欲しかった。

「お前からは聞くことも言いたいことも山ほどたっぷりあるからなぁ…」
「安心しろ、帰りは俺が途中まで送ってやる」
「わぁい…」

帝国学園の選手らしい凶悪な笑みと共に連れてこられたのは、学園内にある談話スペース。休日の夕方だからか人っ子一人居ないそこには、気の毒そうな顔をした源田くんも待っていた。どうやら本当に本格的な尋問が始まるらしいし、私に許される余地はなさそうだった。

「…つまり、お前がサッカー部を辞めたのは俺たちとバラバラになるのが嫌だったから、と」
「…はい」
「そして俺たちといきなり連絡を絶ったのは、サッカー部を辞めたということに後ろめたさがあったから…?」
「はい…」
「…ッこんの…すっとこどっこい!!」
「痛い!」

昨年から今までの経緯を洗いざらい吐かされた私は、怒りの佐久間くんから空のペットボトルで額を叩かれた。プラスチックだったし、ペコンと間抜けな音がしただけだけど。思わず額を抑える私に、どうやらまだ怒り心頭らしい佐久間くんは憤怒の形相で怒鳴りつけた。

「お前といきなり連絡つかなくなってどれだけ心配したと思ってるんだ!?鬼道に聞いても話を濁すし!詳しく聞けばお前はなぜかサッカー部を辞めてる!我慢ならず家に行ってみれば居留守も使いやがるし!!俺たちは親友じゃなかったのかバカ!アホ!おたんこなす!!すっとこどっこい!!」
「…佐久間くん」

親友だと、そう言ってくれたことがたまらなく嬉しい。けれど私はその立場を受け止められるほど立派な人間じゃない。だからこそ否定も肯定もできず、俯くことしかできない私に、佐久間くんは歯噛みしながら胸倉を掴んでくる。

「…もう良い、そういえばお前はそんな奴だ。いくら言い聞かせようとも自分の価値をいつも下に見る大馬鹿野郎だったよ。だから、最後にひとつだけ聞いてやる。……お前は、俺たちのことが嫌いか」

悔しそうに、けれど寂しそうに呟かれたその言葉に私は瞠目した。…そんな顔を、させるつもりは無かった。ただ、私は本当に君たちの友達を、親友を名乗っても良いのかと葛藤していただけで。けれどそんな質問をされたら、答えなんて一つしか残ってないのと同じだ。だから私は、喉の奥から言葉を絞り出すようにして口を開く。吐き出した声は、少しだけ震えていた。

「…きらい、なんかじゃ、ないもん」
「は!?聞こえないんだが!?」
「大好きだもん!!!」
「最初からそう言えちんちくりん!!」
「思ったけどさっきから悪口が酷い!」
「まぁまぁ、二人とも落ち着け」

看過してたがさっきから私への悪口が酷いな?親友というワードと一緒に並べてはいけないものばかり叫んでいる気がするのだが。苦笑する源田くんに窘められてようやく胸倉を掴むのを辞めた佐久間くんが拗ねたようにそっぽを向いたのを窺っていれば、そんな彼の機嫌を落ち着かせるようにして源田くんが声をかけていた。しかしその目がふとこちらを向く。思わず身体を強張らせた私に、けれど源田くんの目は優しかった。

「こうして話すのは久しぶりだな。薫さんが元気そうで良かった」
「…源田くんは、怒ってないの」
「怒ってはいない。心配だっただけで」

それに、と源田くんは呟いて嬉しそうに笑った。どこか照れるように頬をかきながら、微笑みを象った口を開く。


「あのとき、湿川に言ってくれた言葉、本当に嬉しかった。キーパーの立場を奪われた俺のことで怒ってくれたとき、本当に嬉しかったんだ」


…だって、あれは怒って当然のことだ。去年、あれだけ雷門中を苦しめた実力を持つ源田くんを不当な理由で押し除けておいて、その役割をちっとも果たそうとしなかったあいつを私は許せなかった。だからそんなこと、本当は感謝される謂れなんて無いのに。

「佐久間もこれで実は喜んでるんだぞ」
「な…バカ!何バラしてるんだ源田!!」
「否定はしないんだな…」

笑顔でさらりと暴露する源田くんに、顔を真っ赤にしながら源田くんへと掴みかかる佐久間くん。そしてそんな二人を呆れた目で見つめている風丸くん。まるで一年前と同じように、あの頃と変わらず私と接してくれる三人を見て、私は思わず笑ってしまった。ぼろぼろ泣きながら笑う私を見て、三人は顔を見合わせた後、仕方なさそうに肩を竦めて背中を撫でてくれて。
「もう逃げるなよ」とぶすくれた顔で許してくれた佐久間くんの優しさに甘えて、私は頷くことしかできなかった。

「…そういえば、薫」
「何?」
「豪炎寺とは、話さないのか」

その帰り道、宣言通り駅まで送ってくれた風丸くんは、改札へと向かおうとする私を引き止めてそう問いかけた。その言葉に私は一瞬目を見開いて、静かに首を横に振った。それを見て風丸くんは焦ったそうに口を開く。

「あいつは怒ってない。むしろ、自分を責めていたようにさえ見える」
「…わかってるよ」
「なら」
「違うの、私が、許して欲しくないの」
「どうして」
「世界で一番、最低な言葉をかけちゃったから」

たとえ豪炎寺くんが私に対して怒っていなくても、私自身が許せない。あんな最低な言葉を八つ当たりのように吐いて、彼の優しさを無碍にして傷つけた。そんな人間が、今さら和解なんて求めちゃいけないのだ。


「豪炎寺くんの側に、私はきっと相応しくないんだよ」


だからどうせなら、一生許さないままでいて欲しい。私を憎んだまま、そうして他の誰かと幸せになって欲しい。そうすればそのとき初めて、私はその不幸をもって私自身を許せると思うから。














「…お前たちは、同じことを言うんだな」

改札の向こう側へと姿を消してゆくその背中にぽつりと吐き出しながら、風丸はとある少年の、後悔に満ちた瞳を思い出していた。


『俺は、あいつの心に寄り添えなかった。…挙げ句の果てに傷つけた。そんな奴なんか、一生許されなくて構わない』


互いがどちらも、誰よりも自身を許さないと言うのならば、怒りも憎しみも無い、ただ深く空いてしまったその溝を。罪悪感にかられた背中を向けてしまった両者以外に、いったい誰が埋めるというのだろうか。


「……俺は、もう、お前が笑ってるなら。…笑えるなら、それだけで良いんだ、薫」


かつてその胸の真ん中にあったはずの恋は形を変えて、今も風丸の中で大事なものとして抱え込んでいる。…そしてただひとつだけ、彼が望んだその幸福だけが今も、着地点を知らないまま、あてもなく彷徨い続けていることを、彼は密かに察していた。