黒にも白にもなれない僕は





「…もしかしてこの辺り一帯君たちが買い占めたの」
「えぇ、まぁ。その方がなにかと都合が良いですから」

反対側の熱狂的な観客席とは裏腹に、人っ子一人いない閑静なこちら側に思わず眉を顰める。たしかに、あちらの誰に聞かれるかも分からない場所で作戦会議などという迂闊な話は出来ないのだろう。あとは知名度の問題。彼らほどの知名度で、しかも顔も整っているとなればファン対応とやらが大変そうだ。

「どうぞ」
「…」
「つれませんね」

椅子の背もたれの上に腰掛けた野坂くんがにこやかに勧めてくる彼のすぐ隣の席を無視して、私は二つ開けた隣の席に腰を下ろした。西蔭くんはそんな野坂くんの背後に立って控えている。まるで見た感じ、主従のような関係性だけど恐らくそれに近い何かなのだろう。まぁ、私が知ったことでは無いけれど。

『良ければ、僕たちと試合を観戦しませんか?』
『いいよ、気にしないで』

…鬼道くんから逃げる際、結果的に助けられることになった野坂くんのその申し出は、反射的に断ったとはいえども、正直言って今の私にはありがたかった。このまま帰れば、稲森くんたちに申し訳が立たないし、かと言って観客席に戻れば鬼道くんに捕まるだろう。それなら、彼らの側に居て牽制代わりをしてもらった方が楽だ。
でも関わりたくない。彼らだって私の嫌いなサッカーの選手だ。ただでさえ稲森くんたちにもあまり関わりたくないというのに、これ以上無駄な知り合いを増やしたくは無かった。

『それなら助けられたお礼だと思って、僕たちについて来てくれませんか?』

…そう言われたら、断るものも断れない。ちなみに君の背後にいた西蔭くんは何か言いたげだったのだが、そこらへんの意思確認はしなくても良かったのだろうか。そう思って二人を見比べていたのだが、野坂くんがにっこりと西蔭くんに微笑みかければ西蔭くんはスンと真顔になった。なるほど、後輩に圧をかけるな。
フィールドに目を落とせば、稲森くんたちがアップをしていて、その動きが固いことから緊張していることが分かる。そんな観察をしつつ、私は隣で同じようにフィールドを見下ろしている野坂くんに向けて口を開いた。

「…私に声かけて、何かメリットでもあるの」
「人聞きが悪いですよ。ただの善意です」
「前の雷門中のみんなとなら、ほぼ絶縁状態だから何も教えられることは無いよ」

善意というのは、絶対嘘だ。ただの一般人のトラブルなら放って置いたって構わないはず。でも、わざわざ匿って恩を売るような真似をしたということは、何かしらの意図が彼にあったということだろう。…これから先ライバルとなるであろうみんなの情報を、抜きたかったのかもしれない。

「えぇ、知ってますよ」

…けれど、そんな私たちの事情を彼は既に把握しているようだった。思わず顔を顰めて見上げた先にいた西蔭くんでさえ、眉一つ動かさないのだから彼も把握していると思って良いらしい。個人情報どうなってるんだ。

「元雷門中サッカー部マネージャー、円堂薫さん。少し興味があったので声をかけさせてもらいました。それだけです」

そう言って野坂くんは微笑むと、アップを行なっているフィールドの選手たちに目を向けた。そんな彼の横顔を軽く睨みつけて、私も視線を向け直す。…本当に、胡散臭くて嫌になる。





星章学園との試合は、なんと雷門中の先制点で幕を開けた。ゴールを決めたのはフォワードの小僧丸くん。しかもそのシュートは、私がかつて何度も見てきた「ファイアトルネード」そのものだった。思わず動揺して小さな声を上げた私に、野坂くんの視線が刺さる。

「どうかしましたか」
「…うう、ん、何でもない…」

小僧丸くんはもしかして、豪炎寺くんの知り合い?同じ技を使うほどだ、学年差があるといえどそこそこ親しい仲なのかもしれない。…そう思えば思うほどに、胃が重たくなるのが分かった。
…しかしさすがはランキング一位の星章学園。ファイアトルネードを見せつけられておきながら、動揺した様子は無い。しかも稲森くんたちは不運なことに、彼の残虐的な闘志に火をつけてしまったらしかった。

「俺たちはお前を倒す!」
「___やってみろよ」

そこから始まったのは、一方的な蹂躙だ。かつては帝国学園のものだった必殺技、デスゾーンが即座に一点を返して全てを無に戻す。
稲森くんたちも何とか点を取り返そうとパスを回して攻めるけど、必ずと言って良いほど選手一人に対しマークが三人もつく。…ディフェンスも一流品だ。攻めることさえ満足にさせてもらえないまま、怒涛の勢いで点差が離れていく。

「…ふぅん、意外と呆気なかったですね」
「…」

その実力差は歴然。なす術もなく四点目を決められた今の試合状況は一対四の三点差。しかもあちらはまだまだ「フィールドの悪魔」と呼ばれる灰崎凌兵が調子づいている上に、他の選手にも余裕がある。対して雷門側は、もう既に体力もギリギリだと言っていいだろう。…たしかに呆気なかった。これはもう、試合の終わりも結果も野坂くんの目には見えているのかもしれない。…でも。

「どうかしましたか?」
「…何でも無いよ。でも、そうやって初めから決めつけるのは、不愉快だ」
「…それは失礼しました」

絶望的な実力差があったって、苦しいまでにアウェーだったって、あのフィールドに立つ以上彼らは平等なプレイヤーだ。勝ち負けを決めるのは選手である彼らであって、見ているだけの私たちじゃ無い。
だからこそ奇跡だって起きることがあるのだと、私は知っていた。

「…はは」

そしてそこで、自分がたった今までずっと試合を夢中になって見ていたことに気がついて思わず乾いた笑いがこぼれる。あれだけ忌避して目を背け続けていたサッカーだったのに、ほとんど他人に近い彼らのことでムキになって、私はいったい何がしたいのだろう。
もう二度と関わらないと決めた。
嫌いになって憎むのだと心に誓った。
…だって、そうじゃなきゃ。

『違う、お前は逃げてるんだ。俺たちから、サッカーから目を背けているだけだ』

かつての彼のあの言葉を激情に任せて否定して、突き放した意味が無い。私こそが間違っていたのだと、認めたくなんてなかったから。

そしてそこで前半終了のホイッスルが鳴る。試合に希望は見えないまま、私はベンチへと戻っていく彼らの姿をじっと見つめ続けていた。