誤解ばかりで世はまわる


私の一日は、まず朝起きて支度を整えてから食事の支度のお手伝いをすることから始まる。私にとっては唯一の同僚で大先輩なお婆さんの指示で動きながら、普通の人よりもやや多い朝食を盛りつけたり運んだりと大忙しだ。そしてその目処がつけば今度は厨房を追い出されて、この家の主人の支度を手伝いに行かされる。その時の仕事は、朝早く起きて鍛錬に励むその人が水浴びして帰ってくる前にシーツを引っ剥がして新しい服を用意し、裏庭の方まで持っていくこと。最初は随分手間取って先に部屋に戻ってきてしまった彼に笑われたり、お婆さんに呆れたように微笑まれながら注意されたりもしたけれど、さすがに何度も繰り返せば手慣れてくるものだ。

(よし)

今日もあの人は王宮の方に上がると昨夜言っていたから、服装はいつもより少し堅めのものでなくてはいけない。黒色を好む彼の箪笥の中は思わず引いてしまうほど真っ黒で、最初は驚いたことを覚えている。ちなみに何故黒を好むのかと聞いたところ、本人から「返り血が目立たぬからな」と当たり前のように言われて闇を感じた。いや、彼は一応軍隊を率いる武将の一人だと聞いているし、それなら大して気にするようなことでもなく当然のことなのだろうが。

「良いところに来たな。ちょうど先ほど鍛錬が終わったところだ」

小走りに裏庭の方へまわると、ちょうど水浴びを終えたらしい彼…ダリューンさんが布で身体を拭いているところだった。そこに駆け寄り、私はまず肌着を差し出す。何なく受け取ってくれたダリューンさんは現在上半身裸だが、もう私からすれば見慣れてしまった光景だ。年頃の女としてはどうかと思う。
でもダリューンさんも私のことはどうやら妹か何かか、少なくとも庇護する対象として見ているらしい。ときどき重い荷物を運ぶ私を手伝ってくださっては「無理をするな」と窘められてしまうから。

「何を呆けている、ユウ」

おっといけない。ぼんやりと考え込んでしまった。私はダリューンさんに最後の上着を渡してから誤魔化すようにへらりと笑う。そうすればまた仕方ないというように微笑まれて頭を撫でられた。やっぱり子供扱いなんだよな、出会ったあの日から。

『おぬし、名は何という』

ダリューンさんに保護された後、私はこのお屋敷に連れられてきた。お屋敷といっても、あまり華美を好まないダリューンさんらしくこじんまりとしたもので、その家の大きさから使用人も年老いたお婆さん一人で十分だったらしい。そしてお婆さんも、どうやら昔に息子を戦争で失っているらしく、今日からここで働く娘だと紹介してもらった時も「娘が出来たようだ」と歓迎してもらってしまった。

『字は書けるのか』
『…』
『…見たことのない字だな。おぬしの故郷で使われる文字か』

どうやら言葉は通じても、文字は読めないし書けないらしかった。そのおかげで初日はまず、口パクで何とか名前を伝えるところから始まる。ようやく私の名前が「ユウ」であるとダリューンさんに伝わったところで、今度は歳を尋ねられた。ダリューンさんはどうやら今年で二十五歳になるらしく、だとすれば私の六つ年上だろう。失礼だが歳よりも随分年上に見えたので驚いた。しかし私の歳を教えたところ、ダリューンさんはそれ以上に目を剥いて驚かれてしまう。

『十九…!?おぬし、どう見てもまだ十三か十四だろう!?』

アジア人の童顔が思いがけぬところで誤解を招く。なるほど、たしかにダリューンさんにとって私がそれくらいの年齢に見えていたとするのなら、それは保護しようと思ったって仕方の無いことだ。しかしながら私の年齢は逆立ちしたって五年も昔には遡らない。
でも実年齢が分かったところでダリューンさんが私の保護を取りやめにすることは無く、そのまま私にも小さいながら個室を与えてくださった。服は、私が着ていたものとお婆さんのお古をもらって生活している。

『文字が書けぬのは不便だろう』

そしてダリューンさんは私に文字まで教えてくださった。たしかにここで働く以上、出来ることが多いのに越したことは無い。この国の歴史や地理と一緒に学びながら、私はこの世界についてゆるゆると知識を着けていった。ちなみにどうやらダリューンさんにとって、随分な大国であるらしいパルスの何もかもを知らない私は相当な遠くから来た田舎者であると判断されたらしい。あながち間違ってはいないので、私は自分の故郷を「遠い東にある平和な島国だ」と伝えておいた。間違ってはいない。

『帰りたいとは思わんのか』

そう尋ねられたものの、私はその問いかけに対して「帰れないのだ」と言った。正しくは「帰り方が分からない」なのだが、それを言ったってどうにもならないだろう。どっちにしたって私に行く当てが無いのが現状なのだから。そしてそう言えば、ダリューンさんは黙って私の頭を撫でた。恐らく何か勘違いしているような気がするが黙っておく。騙しているようで心苦しいが、そうしなければ私は生きてはいけない。
そんなこんなであの日から半年。最初は突然現れた不審な女を遠巻きにしていた近所の人たちも、慣れたのか最近は話しかけてくれるようにまでなった。私が口をきけないのは相変わらずで、コミュニケーションを取るのには不便なものの、どういうことかダリューン様は特に不便は感じないらしい。「おぬしは顔が分かりやすい」と揶揄うように笑われたしね。失礼な。

「髪を頼む」

ダリューンさんが朝食を食べている間の私の次の仕事は髪結いの準備だ。黒くて長い、男性にしては美しい髪をしているダリューンさんの髪を結うのは楽しい。これでも髪を弄るのは得意なので、髪を引っ張って痛い思いをさせることも無い。最初結わせてもらったときは驚かれてしまった。家事に関しては百戦錬磨のお婆さんでも髪結いに関しては痛みの地獄を見るらしい。苦笑いのダリューンさんに髪結いをお願いされたのは、ここに来て二週間目のことだった。
だから私はダリューンさんの食べ終わった食器を運んでいくお婆さんと入れ替わるようにしてその背後に立ち、丁寧に櫛を差して梳いていく。手慣れたものなので時間はそうかからなかった。

「それでは行ってくる。留守を頼んだぞ」

行ってらっしゃいの一言さえ言えないので、私はせめて毎日ダリューンさんを見送ることにしている。それくらいしか出来ないのが少しもどかしかった。
そしてそんな主人が家を出れば、私の仕事は掃除に洗濯買い物など、まだまだ山ほど残っている。お婆さんは老齢だから主に家の中の掃除を請け負っていた。私は自分でもまだまだ若いという自覚があるので外の仕事。シーツを洗ったり、ダリューンさんの服を洗ったりなど割と大変だった。何せ水場までそれらを抱えていかなければならないので。

「よう、お嬢さん。精が出るな」
「今日も洗濯物に埋もれてるよ」

こういう仕事は主に奴隷の人が受け持つ仕事であるらしい。しかし私みたいにそこそこ身なりの良いちんちくりんが水場に通い始めた当初、そこで仕事をする面々は遠巻きで私を見ていた。だが私としては別に出来る仕事をしたいだけなので、居心地の悪さは感じつつも黙々と仕事を進めていた。するとそんな私の態度に毒気を抜かれたらしく、最近はこうやって軽口まで飛んでくるようになって。口のきけない私に大層同情してくれたらしい。というか既に彼らの中では「良いとこのお嬢様が、口のきけないせいで家を追い出されて使用人まがいのことをしている」というストーリーが出来上がっていた。どこからそうなった。

(まぁでもやっぱりその方が楽)

「またぼんやりしてるよあの嬢ちゃん」
「人攫いに遭っても知らねぇぞぉ」

もう会ったことありますって言ったらしょっぱい顔で焼き菓子をくれた。ここにいる人は、例外はあれどみんな優しかった。