人生設計はお早めに


私は驚くほど感情の機微が少ないと人によく言われる。基本はぼんやりとしていて、表情筋が仕事するのも稀の稀。笑った顔はSSRだと酒に酔った先輩が手を叩いて爆笑していた。処さねば。
そしてそれは、こちらに来てからも変わらないようで、相も変わらず表情筋がバケーション取ってる私は割とぼんやりした危うい子だと思われているらしい。そんなことは無いと大きな声で否定させて欲しい。声でないけど。
まぁしかしつまり何が言いたいかって、このままではダリューンさんにさえ愛想を尽かされてしまうのでは?という危惧である。身寄りの無い明らかに怪しい女である私を拾ってくれた優しい人。だがしかしこんな無愛想であの人の不興を買えば、簡単に追い出されてしまうのは目に見えている。

(どうしようね、シャブラング)

相談する人も居ないので、もっぱら私が一人で考えたいときに訪れるのは馬小屋。掃除が終わった後、餌を食べるシャブラングを撫でてやりながらそんなことをぼんやり考えている。戦場ではダリューンさんを乗せて勇猛果敢に駆けるというこの馬も、この日常においてはのんびりとした少しイケメンな馬でしか無い。なので私が悩んでいても他人事。ちょっと寂しい。

(お金が貯まった途端に、さっさと追い出されたりやしないだろうか)

ダリューンさんは住み込みで働く私に律儀にもお給料をくれる。それはそんなに高いものでも無いのだが、食事三食付きで家賃はタダな現状を考えれば破格の待遇なのに違いない。なので現在は大事に貯金している。貯まったら何を買おうかはまだ決まっていない。
しばらくすればそのお金も私が一人で何とか暮らしていけるくらいには貯まるのだろう。そうなればここに置いてもらえる理由も無くなってしまう。…そうなった時、きっといずれ訪れるかもしれない別れが少し悲しかったのは何故だろうか。

(考えても仕方ないか)

何せ、ダリューンさんは私のピンチを救ってくれた恩人だ。そりゃ他の人より思うところがあるのは仕方ない気がする。誰だって恩人に悪感情を抱く人間なんて居ないのだ。私は考えることを止めて立ち上がる。仕事をしよう、仕事を。余計なことをうだうだ考えている暇があったら、体を動かしてしまった方がよっぽど良いに決まっている。分からないことは何でも遠慮せず聞けとダリューンさんも言っていたのだし、また今夜時間を貰って尋ねれば良いだけの話だ。





「…どういうことだ?」

夜になってからダリューンさんに少しだけ時間を貰い昼間の考えを筆談で話してみたところ、何とキョトン顔をさせてしまった。その顔も意外に可愛い。
いやそんなことを考えている場合じゃなくて、私はまた筆談でその理由を綴っていく。まだ文法も微妙な出来なのだが、一応意思疎通が出来る程度には身に付けてある。なので何とか言葉を書き留めて差し出したところ、それに目を通したダリューンさんは呆れたように息を吐いた。

「そんなことを気にする必要は無い。おぬしはよく働いてくれているし、周囲の人間もよく可愛がっている。むしろユウの方がこのままで良いのか」

首を傾げる。このままで良いのか、とはどういうことだろう。現状に対して不満は特に無いし、つい先ほどまでの不安要素はたった今目の前で否定してもらった。ならもう私が悩むものは何も無いのだが。
するとダリューンさんは少しだけ言いにくそうに喉の奥で唸って、しばらくしてから顔を顰めてそれを切り出した。

「…十九ともなれば嫁入り時期だろう。このまま俺の家の使用人をするのも良いが、どこか家庭に入る気は無いのか」

それを聞いて思わず目を瞬かせる。カルチャーショックというやつだろうか。この時代はどうやら「女は家庭に入る」という意識が強いらしく、女性も自立して生きることが当たり前になりつつある世界で生きていた私との価値観はどうやら違うらしい。私も別に結婚したく無い訳では無いが、少なくともここが違う世界の異国である以上、そんな重大なことをホイホイ簡単に決めるわけにもいかない。なので私は首を静かに横に振った。

(それよりもダリューンさんの結婚の方が先だったりするのでは?)
「…おぬしも伯父上のようなことを言うのだな」

うんざりしたような顔をするダリューンさんの言う伯父上とは、この国の大将軍を務めるほどに凄い人なのだという。つまり軍隊の中では王様を除いたトップ。その甥っ子がダリューンさんらしい。名前しか知らないしまだお会いしたことは無いが、きっとダリューンさんのように優しい人なのだろう。この人も伯父上さんのことを慕っているようだし。

「俺は家庭を持つ気は無いのだ。いつ死ぬかも分からぬ身としては、未練は少ない方が良い」

そう言ったダリューンさんの言葉は、この国を守る戦士としては正しいのだと思う。たしかに彼が置いていく側に居るのならば、いずれは訪れる別れを惜しまないことが必要だ。でも平和な国家に生きていた身からすれば、それは少し寂しいように思えた。置いていかれる側にだって、それ相応の覚悟があることをこの人は知っているだろうか。
何せ私だって置いていかれた側だったのだ。母は病弱でいつも寝込んでいるような人であった。私が大人になるまでに生きているかどうかも怪しいと告げたらしい医者の宣言は狂うことなく、母は私が高校二年の冬に呆気なくこの世を去ってしまっていた。

『ごめんね』

母は何度もしきりに私にそう言って謝った。けれども私は母が病弱であったことに怒ったことなんて一度も無かったし、謝るくらいならばずっと長生きして欲しかったのに。
置いていかれる者の痛みを知っている。
引き裂かれるような心の絶望を理解している。
それでも私は、母が居なければ良かったなんて一度も思わない。母だって私という娘が居たことを後悔なんてしなかっただろう。そうでなければ私はあんなに愛されなかったのだから。

(家族も悪くは無いですよ)
「…少なくとも俺の結婚については、お前が嫁に行ってから考えさせてもらおうか」

…まぁ、多分なんだかんだで「面倒くさい」という理由が一番大きいのだろうなということは何となく分かった。そりゃまぁ、ダリューンさんはこの国の軍隊の中でも上の地位に居るらしいし、ここまでカッコ良くて誠実ともなれば色んな良いとこのお嬢さんから熱い視線をもらっているのに違いないのだろう。そしてそれが少なくとも、今のこの人にとっては煩わしいものでしか無いのだということも、まだ短い付き合いながら私は悟ってしまっているのだ。

(とりあえず、私はここに居ても良いんだな)

だいぶ話は逸れたが、それだけは確信させてもらえたのだし、目下の悩みは消え失せたということで良いのだろう。結婚云々の話はその伯父上さんに任せるしか他あるまい。…いやしかし、もしここでダリューンさんが突然結婚なんてしてみろ。果たしてその時、そこに私の居場所はあるのだろうか…?

「…」

無いな。恐らくここで無い立派なお屋敷に移り住んでお嫁さんと暮らすであろうダリューンさんを想像してみたのだが、そうなれば私のような若い女なんて争いの元にしかならないのに違いなかった。未来の奥様に良い顔をされる自信がまるで無い。私だって嫌だと思うものな。若い娘が旦那の世話をしてるなんてさ。

「どうした、急に黙り込んで…」
(たしかに、ダリューンさんの結婚は時期尚早かもしれませんね)
「…いきなりどうした」

…まぁ、男は少し歳を食った方がカッコいいとも言うし、もう少しだけ独り身でいてもらっても良いのかもしれない。うん、いや、別に私の打算的な思惑がある訳では無いのだ、決して。…多分。