優しさに溢れる


ううむ、何がどうしてこうなった。
そんなことを考えながら、私は目の前のご老人にお茶を出す。穏やかにお礼を言われたのを会釈して部屋の隅に下がったものの、とても気まずい。家主であるダリューンさんは先ほど着替えに部屋へ戻ってしまっている上、お婆さんは夕飯の支度をしているので私がしばしの間の接待を任されたのだ。まだバイト経験すらろくに無い私にそれは厳しいのではなかろうか。

「お待たせしました、伯父上」
「構わぬよ。お前の家じゃ、家主を急かすことはせん」

ようやく帰ってきてくれたダリューンさんに内心ホッとして、私は一礼してから彼の部屋にあるであろう洗濯物を取りに行く。とっても気まずかった。噂に聞いていた伯父上さんことヴァフリーズさんは今日、ダリューンさんと共にこの家へやって来たのだが、何せ初対面な上にろくに口もきけないので気まずいことこの上ない。本当ならばダリューンさんにお世話になっているお礼やら何やら言わなきゃいけないとは分かっているからなおさら。

(…でも、予想通り優しそうな人ではあった)

大将軍というこの国では凄い地位に居て、しかもダリューンさんの伯父さん。あのダリューンさんの血縁者だと聞いていたので、もう少しだけ厳つい顔を想像していたのだがどうやらそうでも無かったらしい。孫なんかが居れば目一杯可愛がっていそうなくらい穏やかな人に見えた。
そんなダリューンさんから前に説明を受けたことがあるのだが、この国の軍には様々な役職があるらしい。この国で一番上なのが国王、その次に大将軍ときて、その下に十二人の万騎長という人たちがいるらしい。ダリューンさんも万騎長の一人で、その中でも一番若い万騎長なのだそう。そしてそこから千騎長、百騎長ときて、あとはただの兵士なのだという。歩兵は奴隷が務めるのだとか。

(予想はしてたけど、ダリューンさんって実は偉い人だったんだな)

でもそれならあの腕っ節の強さも納得できる。私を追いかけていた暴漢をあんなに一瞬で倒してしまうのだから。しかしダリューンさんはその強さとは裏腹に人柄は優しい人だし、私はあの人をあまり怖い人だとは思わない。
そんなダリューンさんの伯父上さんならあまり怖がることも無いかもしれないなんて楽観的に考えて、私は明日洗う洗濯物の籠にダリューンさんの服を入れる。次は夕飯の支度の手伝いだ。いつも夕飯はダリューンさんと一緒に食べているのだが、今日ばかりは後で食べた方が良いだろう。…そう思っていたのだが。

「どうした、おぬしも席に着け」
(えっ、私も良いんですか)
「?良いも悪いも無いだろう」

あるんだなこれが。物置から椅子を出してきて欲しいと頼まれたと思ったらこういうことか。でも気心知れたダリューンさんならともかく、初対面で明らかに地位も上なヴァフリーズさんと一緒に食事なんて、失礼にも程がある気がする。
そう思いながら席に着くことも出来ずに戸惑っていると、どうやら私の考えていることを察してくれたらしいヴァフリーズさんがダリューンさんを嗜めるように口を開いた。

「ダリューン…あまり若い娘を困らせるでない」
「困らせるつもりなど…」
「困らせておるじゃろう。…お嬢さん、この老骨もで良ければ一緒にいかがかね」

おお、ダリューンさんの頭が上がってない。予想はしていたが、やはりヴァフリーズさんには逆らえないらしい。息子のように目をかけてもらっていたと聞いているし、それは仕方ないとは思うのだが。
しかしまぁ、ヴァフリーズさんが良いのならばと私も頭を下げて腰を下ろす。いつもはダリューンさんと向かい合って食べているのだが、今日ばかりはダリューンさんのお隣だ。新鮮だけど緊張するね。

「緊張しているのか?」

いつもとは違って動きの硬い私に向けて、揶揄い混じりにそう言ってきたダリューンさん。大当たりではあったのだが、何だか見透かされたようで悔しかったので脇腹を突いておいた。その一部始終を見ていたヴァフリーズさんには声を上げて笑われてしまったけど。





ヴァフリーズさんは本当に優しかった。私という存在のことを、ダリューンさんが信用している人間であるし、今は鎧も脱いでしまっているのだから身分差も立場も気にしなくて良いと微笑んでくれて。口がきけないことも、眉を潜めるどころか労ってくださった。その経緯を話したら、苦労をしたなと眉を下げられたときも嬉しかった。私の居た国のことも尋ねられたのだけれど、きっとこの世界には存在しないのだろうし、案の定詳しいことを書いて見せたときも渋い顔をしていた。

「…すまんの、この老いぼれにも分からぬことがあったとは…」
「伯父上にも分からぬのですか…」

そしてここで、ダリューンさんの曇った顔を見てようやく分かったことがある。ダリューンさんが今日ヴァフリーズさんを家に招いたのは、私の故郷について詳しく尋ねるためだったのだ。自分では分からないからと、それなら経験も知識もあるであろうヴァフリーズさんを頼ってくれたのに違いない。その優しさが嬉しくて、思わず心に染みた。

「ダリューンのところが嫌になればいつでも言いなされ。何、我が屋敷でも王宮でも働き口は山ほどある」
「伯父上…」

帰り際、冗談を交えたような口ぶりでそんなことを言われたけれど、私は首を振ってダリューンさんの服の裾を摘んだ。驚いたような顔をするダリューンさんに、私は精一杯頑張って微笑んでみせる。…私は、他でもないこの人の側に居たい。
得体の知れない私を受け入れて、こうして平和な日々をくれたこの人のために、私はいろいろ尽くして恩を返していきたかった。それを見てヴァフリーズさんは温かい目を向けてくれる。

「振られてしまったのう」
「…言い方を考えてください伯父上」
「間違ってはおらんよ」

まあ意味合い的にはね。でもそれだとヴァフリーズさんが若い女の子が好きな人みたいになってしまう気がするんだな…。
そしてそのままヴァフリーズさんは夜も遅くならないうちに帰られてしまった。私も残っていた諸々の仕事を済ませてから、夜寝る前のダリューンさんの部屋を少しだけ訪れる。武器の手入れをしていたダリューンさんが不思議そうな顔でこちらを見ているのを、私は側に寄ってさっき書いて来た手紙を恐る恐る渡した。それは今日のことに対するお礼の言葉だった。

「…礼など構わん。俺がしたくてしたことだ。おぬしが気に病む必要は無い」

手紙に目を通して顔を上げたダリューンさんが、微笑み混じりに私の頭を撫でてくれるのを享受して、思わず微笑む。まるで、優しい兄が出来たようだった。私はもともと一人っ子だったし、親戚付き合いも浅かったから頼れる人なんてほとんど誰もいなかったのだ。それなのに、たかが他人である私にここまで気をかけてくれるのがとても嬉しい。

(この人の役に立てるようになりたい)

だからこそ純粋にそう思う。たくさんもらってきた恩をいつか、ちゃんと返せるようになりたかった。それはきっと、今の私なんかじゃとうてい無謀な目標でしかないかもしれないけれど。それでもそんな夢を抱いてしまうほどに、私は嬉しくてたまらなかったのだ。

「仕事が終わったのならもう休め。無理だけはするなよ」

その言葉に頷いて私は部屋を出る。また明日から、気持ちを新たにして頑張ろう。私にはこの家の手伝いしか出来ないけれど、ここまで親切にしてくれた恩を少しずつでも良いから返していこう。そう思う夜更けのことだった。