In the hand of the dragon
セキエイリーグといえば、最古のポケモンリーグとしてその栄光を欲しいままにしている全てのポケモンリーグの本部だ。他の地方のポケモンリーグは、それに連なる支部と称されていることからここセキエイの重大さが理解できる。
そして、そんなセキエイから私に何故か就職の勧誘がやってきた。しかも元とはいえ四天王のカンナさん直々に。何故私に、と初めは思っていたものの、説明を聞いていくうちにその理由は分かった。
「事務方が人手不足なのよ」
私の企業勤めの経験を買ってのスカウトだったようだ。たしかに会社勤めとしては書類仕事なんて慣れたものだし、私自身も書類仕事は得意分野だ。それに私は今現在無職だから、そんな降って湧いたようなありがたい話、受ける以外の選択肢は無い。そう思って二つ返事で了承すれば、カンナさんが何故だか微妙そうな顔をしていた。どうしたのだろう。
「…もし何かあったら、遠慮なく私に頼ってちょうだい」
「?はい!」
私の心配をしてくれたのだろうか。それはとてもありがたいことだ。こんな時期に途中から雇われるだなんて、元からいる職員さんにもご迷惑だろうし、何か困ったことがあれば頼れる人が欲しいとは思っていたところだったのだ。そんな親切が嬉しくて思わず破顔すれば、カンナさんはやはり心配そうな顔で眉を下げていた。
「おい姉ちゃん!!!セキエイに就職するって本当かよ!?」
「ドアが」
カンナさんと諸々の契約書を交わし本格的な出勤やら仕事内容やらを確認した後、カンナさんが帰るのを見送ってから、私もスーツなどの準備をしていれば、ドアを蹴破る勢いでグリーンくんが部屋に飛び込んできた。ちょっとドアの立て付けが悪いからあんまり乱暴しないでね。
「うん、来週の月曜日から出勤だよ」
「考え直す気は」
「えぇ…だってもう契約しちゃった」
「くそ!手が早えなあの人!!」
グリーンくんは誰の話をしているのだろうと首を傾げたものの、そういえばその後ろにレッドくんが居ないことに気がついた。珍しいな、あの子がグリーンくんと一緒にうちに来ないなんて。
「レッドくんは?」
「あー…あいつは…バトル中」
「えっ、誰と?見たい!」
レッドくんのバトル。昔一度グリーンくんとしているところしか見たこと無いから、今はどんなバトルをするのか見てみたい。そう言い出せば、グリーンくんは何とも言いにくそうに目を逸らして私のお願いを却下してしまった。
「あいつ今、あんま人に見せられる顔してねぇから見ない方が良いぜ。特に姉ちゃんは」
「私が」
でも確かにそうか。レッドくんからの許可も貰ってないし、他でも無いグリーンくんがそう言うのなら観戦は諦めた方が良いのだろう。また見られる機会も無い訳じゃないだろうしね。そう思って一人頷いていれば、グリーンくんはそれでもまだ頭を抱えている。
「どうしたの」
「…姉ちゃんはさ、そろそろ人を疑うことを覚えろよな…」
「なぜ急に」
たしかに私が騙されやすいのは事実だが。昔元彼にも騙されてお金を毟られたこともあるけれど。でもそれはふっしーが報復してくれたし、過ぎたことだと気にしないようにしているのだが、まさかそれだと駄目なのだろうか。そう聞いてみたら頭を抱えられた。どうやら初耳だったらしい。口が滑ったね。
「つーか姉ちゃん元彼とか居たのかよ!!」
「一週間だけだよ…」
「短えし絶対それ金目当てだろ」
おっしゃる通り。大学時代に知り合った自称凄腕トレーナーに迫られて、半ば無理やりの形で交際がスタートしたは良いものの、何とちょうど一週間が経った日にサイフの中身を抜き取られてしまっていたのだ。さすがに当時は裏切られたショックで私は泣いたけど、騙された私も私だな、と思って諦めた。よく考えれば凄腕トレーナーなんてレッドくんとグリーンくんが一番に決まってるのだから、今度からは否定してしまえばいいね。
そう言ったら途方に暮れたような顔をされてしまった。ごめんねってば。
*
そしていよいよ出勤日がやってきた。久々にスーツを着てみたものの、やっぱりパッとしない感じがする。事務員としてとはいえ、一応あのセキエイで働くことになるのだから、貫禄が欲しいのだけど。無理かな。無理かな…。
「行ってきます!」
「はい、行ってらっしゃい」
マサラタウンからセキエイまではそこそこ距離は近い。けれどさすがに出勤するには時間がかかり過ぎるため、私は移動のためにお父さんのポケモンであるエルレイドを借りることにした。テレポートで私を送り迎えしてくれることになっている。昔から小さな私の面倒も見てくれていた兄貴分なので、気心が知れてて安心した。
そんなエルレイドのテレポートでセキエイ本部の入り口から少し離れたところにたどり着いた私は、エルレイドに手を振って別れを告げる。
「じゃあ、また夕方ね、エルレイド」
一つ頷いてパッと姿を消したエルレイドを確認し、私も建物の中に足を踏み入れた。初めて足を踏み入れたが、何だか厳かな雰囲気を感じる気がする。さすが最古のポケモンリーグだというべきか。そう思いながら辺りを見渡していると、受付辺りにカンナさんが立っているのを見つけた。恐らく私を待っていてくれているのだろう。慌てて歩み寄れば、カンナさんがこちらにひらりと手を振った。
「随分早かったわね。予定の時刻の二十分前よ」
「いえ…もう前の会社の時から早く出勤するのが癖みたいなものなので…」
「良い心がけじゃない」
カンナさんに連れられて最初に訪れたのは、私の直属の上司になるという事務長さんだった。年齢は私のお父さんより少し上くらいで、気さくで優しげな人だったから安心した。一応会社を辞めた理由がアレなので、どんな人が上司になるのかドキドキしていたのだ。そして運良く他の事務員さんたちもみんな揃っていて、ついでだからと挨拶を済ませる。やはり年齢は私よりもだいぶ年上の方々ばかりで、自分の娘くらいの年齢な私には割と好意的に接していただいてしまった。
「他の四天王の人たちはまだ来てないの。後でミーティングの時に紹介するわね」
「ありがとうございます!」
まだ時間はあるからと、この広い建物内の案内をしてもらうことに。迷いそうなほどに広々としているから、きちんと覚えないとこの年になって迷子になってしまう。それは大人の面子に賭けて避けなければならないことだ。そう意気込みながら、とりあえず一階部分の案内をしてもらう。必死にメモを取りながら部屋の場所を覚えるのは大変だったけれど、すぐに慣れると笑われた。
「やぁ、ナズナくん」
「ワタルさん、おはようございます」
「おはよう」
次は二階へ、とカンナさんに促されて階段に向かおうとすれば、そこで背後から誰かに呼び止められてしまった。振り向けばそこにはあのワタルさんが居て、どうやら今出勤してきたらしい。私が言うのも何だけれど、随分早い時間帯だった。ワタルさんはにこやかに挨拶を交わしたかと思うと、今度はカンナさんに向き直る。
「カンナ、あとはおれが案内しよう」
「…………………そうね、お願いするわ」
何やらもの言いたげな間がいっぱい空いた気がするのだけれど、ワタルさんの顔を見上げればにっこり笑顔で黙殺された。気にしなくて良いことらしい。きっと以心伝心とやらで何も言わずとも言いたいことが分かるのだろう。すごい信頼関係だと思う。
しかし良いのだろうか。ワタルさんもお忙しいだろうに、私みたいな新参者に時間を割いてしまうだなんて。一応恐る恐るそう聞いてみれば、ワタルさんは微笑ましげに笑って首を横に振った。
「構わないよ。どうせ最後の説明はおれの仕事だからね。…遠慮はしなくて良い、グリーンたちからも君のことは頼まれているんだ」
「グリーンくんたちも…」
ありがたいなぁ…私の為に話までしておいてくれるなんて、本当にありがたいし申し訳ない。私はあの子たちに心配や迷惑をかけてばかりでは無いだろうか。それだけが今は不安だった。そう思って思わずしょんぼりしていれば、静かになった私の様子を訝し気に思ったらしいワタルさんが私の顔を覗き込んでくる。
「どうかしたかい」
「あ…いえ。…私は、あの子たちに心配ばかりをかけているなぁ、と」
思わず凹んでしまった私に、何事かを悟ったらしいワタルさんが優しく微笑んだ。どこか仕方ないとでも言いたげなその笑みは、まるで子供を慈しむかのような穏やかな光を宿している。
「人間、心配されているうちが花だ。いつかはそれが無くなる日がくる。…それに、彼らは好きで君のことを心配しているんだと思うけどね」
「…そうでしょうか」
「あぁ、いっそ過保護なほどに」
意味深に目を細めて微笑んだワタルさんに目を見開く。まるで全部の事情を知っているかのような顔に戸惑ったけれど、私は気のせいだと思い直してワタルさんの後に続いた。するとそこで、ワタルさんの掌に大きな絆創膏が貼ってあるのに気がついた。怪我だろうか。この前お会いした時にはこんな怪我、無かったはずだけど。
「あぁ、これは少し、逆鱗に触れてみたら噛みつかれてね。…何、大したことは無いさ」
そう言って笑ったワタルさんは、まるで子猫の戯れを見るかのような目で、その傷をそっと絆創膏の上から撫でてみせた。